――だったらさ、ボクの家に来る?
総ては、この一言が引き金だった。
『さあボクの家に行こうシン君! とりあえずご飯を作ってくれればボクはもう満足だから!』
『それが目的かさくら! 待てシン! 行き場がないならウチでも全然構わないぞ!!
……正直音夢の毒物にはもう飽きぐはあぁッ!?』
『にーいーさーん? ちょーっとあっちでお話しましょうねぇー……!?』
『待て音夢! 話せばわか――』
朝倉純一の断末魔が響き渡る中、俺は芳乃さくらに引っ張られる形で朝倉家を後にした。
「ちょ、ちょっと待てって! いくらなんでもそこまで世話になる気はないぞ!?」
玄関を潜り抜けたところで正気に戻り、芳乃さくらに掴まれた腕を振り解く。
どうも展開が怒涛すぎて脳の処理が追いついていなかったらしい。
「行く所ないんだよね?」
「ない」
「じゃあ問題ないよね?」
可愛らしく首を傾げる芳乃さくら。
「あるっ! 大体、アンタはよくてもアンタの親とかが反対するだろ!!」
「大丈夫だよ、ボク一人暮らしだから」
「一人暮らし? まだ子供なのに?」
刹那。俺の一言に反応して芳乃さくらが頬を膨らませた。
何故か怒っているらしい。
「言っとくけどボクはお兄ちゃんや音夢ちゃんと同い年だからね! シン君とも同い年!!」
「………………最後ちょっと待て同い年ぃ!? それは流石に嘘だろ!!」
五分後。
俺は芳乃さくらの家で、一枚の保険証とにらめっこしていた。
「……馬鹿な」
俺の前には、そらみたことか、という顔をした芳乃さくら。
何回見直しても小中学生にしか見えないその女の子。
ええ。本当に同い年でした。
「……えっと、ごめん」
「わかればよろしい」
――とまあこんな感じで。この世界での俺の生活は幕を開けた。
改めて思い出しても無茶のあるスタートラインだ。
結局俺はさくらの好意に甘える形で、居候させてもらっている。
適当な住処を見つけるにしても、経済力的にも立場的にも今の俺には難しいものがある。
だから、さくらの好意はありがたかった。
だが……
「あんまり無条件に人を信用しすぎるのも――どうかと思うけど」
桜の咲き誇る並木道を歩きながら、ぼんやりと呟いた。
右も左も桜、桜。それら総てがこの初音島の名物でもある”枯れない桜”だ。
その名の通りに一年中咲き誇っている不思議な桜。
とはいえ。色んな場所を渡り歩いてきた俺にとってはさほど驚くものでもなく。
むしろ枯れない桜という平和な不思議に和みを覚える辺り、俺も結構重症なのかもしれない。
「ま、それはさておき」
歩みを止め、眼前の建築物を見上げる。
俺の前にあるのは風見学園――つまりは学校だ。朝倉兄妹とさくらもここに通っている。
当然ながら始業時間を過ぎているため、正門は来客を拒むように閉じているが。
(ま。他に入れそうなところなんていくらでもあるけどな)
門にしろ周囲の塀にしろ、超えられないほど高くは無いし、そもそも裏口とかもあるだろう。
裏まで回るのは面倒だったので、適当に人目につかなさそうな位置に当りをつける。
そして勢いをつけて壁に取り付いた。
一瞬で上まで上り、向こう側に飛ぶ。着地してから周囲を見回しても人はほとんど居ない。
きっとまだ授業中なのだろう。どうやら生徒に見つかる心配は無さそうだ。
さて。そもそも生徒でない俺が何故学園に来ているのかというと。
家主の芳乃さくらが、弁当を忘れたせいである。
「なんていうか。ほんと穏やかだな、この世界は」
ほふく前進しながら言う台詞ではない気がするが、誰かに見つかると面倒だから仕方が無い。
わりと大き目の茂みの陰に隠れ、学園の見取り図を広げる。
到達地点の教室は二階。階段の横でも、突き当たりでも無い中ほどに位置している。
一階だったら外からでもアクセス出来たのだが、そうもいかないらしい。
「………………伊達に赤服着てた訳じゃないぞ」
そこで唐突に、近くの茂みがガサリと音を立てた。
鐘の音は午前の授業が終了した合図でもある。
教師との挨拶を済ませた生徒達は騒がしくも楽しそうに、自分の好ましい位置へと移動を開始する。
「あー、終った終った~、飯だ~」
「あんたは最後まで寝てたでしょうが……」
「朝倉。昼はどうする、俺は学食に行くが」
「あー、俺は弁当あるから適当なとこで喰うわ」
机に突っ伏していた朝倉の周囲に数人の生徒が集まってくる。
「ふむ。最近の朝倉は弁当が増えたな」
「あ、それ私も思った」
朝倉に話しかける男子生徒A(仮)と女子生徒A(仮)。
近くには朝倉妹とさくらも居る。
「あぁそれな。最近はさくらんとこの居候がついでにってやっつけてくれるんだよ」
「……ほう、それはなかなかに興味深い。今度はどんな美少女が追加されたのだ?」
この時点で女子生徒A(仮)は付き合いきれない、といった顔で教室から出て行った。
「残念ながら美少女じゃないぞ。男だよ、男」
「珍しいな。朝倉の事だからまた新たな属性を持った美少女をどこぞから拾ってきたと思ったが……
だが男というのもそれはそれで興味を惹かれる。して、どのような人物だ?」
それを聞いた朝倉はしばし思案顔になり、
「そうだなぁ。目つき悪くて無愛想だけど、結構いい奴だぞ」
「この間、道端の子猫に傘あげたって言ってずぶ濡れになって帰ってきた時は驚きましたけどね」
そろそろ頃合だろうか。
「――――無愛想で悪かったな」
「うおぉ!?」
「あ、シン君だ」
「なっ!?」
三者三様のリアクション。
窓枠にへばりついて顔を半分出している俺に、ようやく気が付いたらしい。
「うおお、びっくりしたっ!!」
「な、何やってるんですか!?」
「どうしたのシン君?」
「さくら……お前全然動じないな」
身を少し乗り出して、窓枠にもたれかかる形になる。
朝倉兄妹やらさくらやらで壁が出来て、他の生徒に見つかる心配は無さそうだったからだ。
「ほら、忘れ物」
ベルトに吊り、傾けないように慎重に運送していた弁当箱を差し出す。
「はにゃ? ……あ、本当だ忘れてる! あちゃ~、ごめんねシン君……」
「とりあえずちゃんと届けたからな。じゃ俺はこれで」
さくらに包みを手渡し、引き上げようと窓枠を掴む手に力を入れる。
と、
「待て」
男子生徒A(仮)に呼び止められた
「何だよアンタ?」
「俺の名は杉並。シンとやら、差し支えなければ少し俺に付き合ってくれないか?」
「……悪いけどまた今度にしてくれ」
溜息をつきながら答える。
……しかしこいつも変ったやつだ。
自分で言うのもなんだが、普通は窓枠にしがみついてる人間に話を聞かせてくれとは言わない。
「一応俺は部外者だし、用が無いのに校内に留まる訳にもいかないだろ。それに――」
そこで教室に教師と思しき人物が駆け込んできて、叫ぶ。
不審者を見なかったかと。
その瞬間に朝倉兄妹とさくらと杉並の視線が一斉に俺に向いたのが納得いかない。
まあ確かに見た目は不審者かもしれないけどさ……
「そういう事で、追われてるんだ。何故か」
自嘲気味に笑って、窓枠から勢いよく手を離した。
「「落ちっ!?」」
「頑張ってね~」
「ほう……その運動能力、実に興味深い……」
相変わらず綺麗にハモる朝倉兄妹。応援してくるさくら。何やら不穏な発言をする杉並。
そんな四人に見送られつつ、俺は地面に向けて加速する。
左手に持っていた紐が、重力の加速で加わる摩擦に悲鳴を上げる。
数秒と経たずに、地面到達。屋上のフチに引っ掛けて垂らした紐の回収は諦めよう。
ぐずぐずしている時間は無い。立ち上がって、手を払う。
「ったく…………ほんと厄日だ」
吐き棄てるように呟きつつ、人気の少なそうな方向へと全速力で駆け出した。
最終更新:2008年07月21日 05:20