「さぁ、遠慮せずどんどん食べてね!」
「はぁ……どうも」
礼を言いつつシンは視線を下ろす。いくつもの弁当が並べられ、そのどれもが手作りという事実を疑ってしまう
ほど食欲をそそらされる品々ばかりだった。
「そんなに遠慮なさらなくてもいいですよ。この前リムちゃんを案内してくれたお礼をしたいだけですから」
「そうそう! みんなで食べるお弁当は格別だしね!」
笑いかけてくる二人の少女――と言ってもシンよりもひとつ年上だが――にシンはぎこちなく笑い返すことしか
できなかった。
神界と魔界の二大王女を目の前にしているのだから当然と言えば当然なのだが。
……二年校舎の屋上、午後の授業に備えて空かせた腹を満たす生徒が溢れる中で一際目を引く集団があった。
大半のメンバーが女性、しかも二年校舎の華と謳われる中でも指折りの有名どころが集っているのだ。
神界の王女リシアンサス、魔界の王女ネリネ、そして『一年に白河あれば二年に芙蓉あり』という言葉もあるらし
い芙蓉楓。
二年男子生徒の大半は語る。もしこうなることが分かっていたなら、例えこの手を血に染めても同じクラスになろ
うとしただろう、と。
そんな感情も手伝ってか今この瞬間、屋上は華やかな空間を中心にぐるりと周りを嫉妬溢れる男たちで囲んで
いる負のドーナツ化現象が発生していた。
「……とまぁそんな中で、一年の男子でこの場に座ったのは君が初めてなのですよシン・アスカ君!」
「はぁ」
嘘か真か、そんなことを楽しげに語るオッドアイの女生徒――麻弓=タイムの言葉にシンは曖昧な返事を返し
た。なんとなく周りからの視線が痛いことは感じていたのだが。
「ずいぶん淡白な反応だね。ひょっとして君は同性愛者かい?」
「ンなわけあるかっ!」
「冗談だよ。まぁこの状況を素直に喜べないのは男としてどうかとは思うけどね。それとも、『天国と地獄の狭間を
駆ける男』にはあまり代わり映えしない光景かな?」
キラリと眼鏡を輝かせつつ無駄に不敵な笑みを浮かべながら男――緑葉樹は興味深そうにシンを観察しながらそう告げた。
「……なんですかその無駄にカッコよさげな名前は」
「あ、あたしが考えたキャッチフレーズみたいなものなのですよ」
聞き返すシンに再び麻弓が胸を張りながら――小さいと思ってしまったのは内緒だ――解説した。
「一年から匿名で送られてきた『ラッキースケベ』もなかなか良いとは思ったんだけどねー。記事にするには少し
品がないっていうか」
――よし、教室に帰ったら真っ先にヨウランの奴をボコろう。
密かに決意を固めるシンをよそに麻弓はさらに喋り続ける。
「それにしても、『神にも悪魔にも凡人にもなれる男』と『天国と地獄の狭間を駆ける男』が対面する日が来るとは
なかなか感動モノよねー」
「感動のあまり、俺様の殺意もいつもの四割増しになってるほどだしね」
後半のセリフを聞かなかったことにしてシンは周囲に視線を巡らせる。
談笑するリシアンサス――シアとネリネ、黙々と弁当を食べ続けるプリムラ、
そして、
「はい稟くん、お弁当です」
「あぁ、いつも悪いな楓」
「いいんです。これが私の生きがいですから」
なんとも言えないほのぼの空間が展開されている真正面、土見稟と芙蓉楓の姿があった。
――あー、なんだろ……すっごい居心地が悪い。
邪魔をするのも阻まれそうな雰囲気の中、しかしそれでもこの二人に茶々を入れる者たちがいた。
「いやー、冬も近いというのにここはアツアツねー緑葉君」
「まったくだね。稟、殴っていいかい? 俺様の拳が天を突くほどに」
「特殊技能『カウンター』が発動するがそれでもいいならかかって来い」
憎々しげに舌打ちをして樹は稟から目線を外す。心なしか周りからも悔しそうな声が上がったようだ。
――なんというか、敵を作りやすい人なんだろうなぁ。
そんなことを考えていると、なんというか限りなく遠くて近いところからチクリと胸を刺されるような妙な感触を覚え
るシンであった。
小さく溜息を吐いて、ふとプリムラを見やる。自分と同じように周りに加わることができないのか、一人で黙々と
弁当を摘んでいた。
「美味そうだな」
豪華、というよりはいわゆる家庭的な品々に自然と言葉が漏れた。その言葉にプリムラの目がシンを捉える。
「……食べる?」
「いやいいよ。俺は他のを貰うから」
並べられた弁当を吟味するが、それでもプリムラの視線はシンから離れなかった。
「…………じゃあその肉じゃがを」
「ん」
俺はそんなに物欲しそうな顔をしてたんだろうか、と軽く自己嫌悪に陥りつつもシンはじゃがいもを口に運ぶ。
「お、マジで美味い」
「楓の自信作」
よく味の染み込んだじゃがいもに舌鼓を打ちつつ他の品に手を付けようとして、
……いつの間にか、驚愕の感情が宿った視線がシンたちに集中していたことに気付いた。
「うぉっ、なんですかいきなりっ!?」
「いや、プリムラと仲が良さそうだな、ってな」
「リムちゃんが家以外で誰かと喋ってるなんて……」
いつも一緒にいる稟と楓ですら今まで見たことがないというような反応を示していた。
「リムちゃんが……リムちゃんがあんなに楽しそうに……!」
「お、落ち着いてリンちゃん! ほら、これで涙拭いて!」
一方で何故か瞳いっぱいに涙を溜めてプリムラを見るネリネと慌てながらハンカチをポケットから取り出すシア
がいた。状況がよく分かっていないシンはその光景に戸惑うしかできず、とりあえず手近にあった玉子焼きに手
を付けた。
「シン君!」
「は?」
「俺がこんなことを言えるような立場じゃないかもしれないけど、プリムラのこと……よろしく頼む!」
そう言って、土見稟は地面に額をぶつけるかのように頭を下げた。それを見たシア、ネリネ、楓の三人もシンに
向けて頭を下げる。
――……え? ちょ、何この空気?
困惑するのも無理はなかった。この怒涛の展開にどうついて行けというのだろうか?
というよりも今のセリフは聞きようによっては完全に娘を嫁にやる父親の……
「いやいや待った! いろいろ待った!」
そう考えてしまったせいで顔を真っ赤に染めてシンは叫ぶ。その声に稟たちの顔が上がった。
「よろしく頼むとかそういうのじゃなくて! いや違わないんだけど違うから! そりゃクラスの中では一番話してる
かもしれないし困ってるときには助けようとか心がけてはいるけど、ってそういうことを言いたいんじゃなくて!」
すでに頭がパニックに陥ってるシンは周りにもよく聞こえるほどの声で彼自身の立場がさらに危うくなりかねな
いことをいくつか口走ってしまったが、なんとか素数を数えて落ち着いた。
深呼吸をし、一転して海のような穏やかな心境になったシンはプリムラに視線を移す。さすがに周りの騒ぎに気を取られたのか、彼女もまたシンの方へと目を向けていた。
アメジストの瞳。鮮やかな色の向こうは、今はどこか不安に揺れているようにも見える。
――シン、わたし……
シンは、どこか『彼女』と似た無垢な眼から顔を背けた。
「……別に、わざわざそんなこと言われなくてもやってるさ」
その言葉で周りの雰囲気が和らぐのを感じた。異様なほどのムズ痒さを背中に感じてシンは反射的に叫んだ。
「だ、だいたいさくら先生からも釘刺されてるしな。面倒みろって」
「おぉっと~、今のはどう思われますか解説の緑葉さん!」
「ふむ、所謂ツンデレというヤツだね。まぁ俺様に言わせれば今のツンデレの定義なんて模造品で溢れかえった
グレーなジャンルではあるけど、もしこれが女の子ならアリだね! だからこそ認めることはできない!
よって殴っていいかなシン君? 理不尽な憤りを込めた最高の一撃を高らかに」
眼鏡の奥で怪しい光を放つ樹からシンは後ずさった。またしても静かな日々から一歩、いや五十歩くらいは
遠ざかったらしい。ちなみに歩数は周囲の男子生徒の人数が参考である。
「やっほー! 稟ちゃんいるー!?」
異様な空間が広がる屋上に、よく通る声が響き渡った。自然と視線が屋上の出入り口に集中する。
……数は二人、三年の女子生徒だった。一人は人間、もう一人は神族。
「亜沙先輩にカレハ先輩? わざわざ三年校舎からここまで来たんですか?」
「そりゃリムちゃんも来てるっていうし、なんか面白そうな子もいるって聞いたし」
ニンマリという笑顔が人間の少女からシンに向けられる。名前のイントネーションからこの緑の髪の少女が亜沙
先輩とやらなのだろう。
「あ……えっと、はじめまして、シン・アスカです」
「私は時雨亜沙。で、こっちがカレハ。会う機会は少ないかもしれないけど、これからよろしくね」
そう言ってウインクを返される。さばさばした性格だからか、シンの第一印象は親しみやすそうな人だった。
対して、カレハと呼ばれた少女はシンの顔をずっと見つめていた。
「あなたがシンさん……」
そう呟き、またしばらく黙り込み、
「――まままぁ♪」
瞳に星が舞い降りた。それどころか全身が淡く発光しているようにも見える。
「そんな!? カレハ先輩が一言も交わさずに妄想モードに!?」
「なんということだ……シン君、君は俺様たちも未知の領域に足を踏み入れたようだよ」
「いやサッパリ訳がわかんないですよ!?」
……その後は酷い有様だった。
亜沙は本性を現してシンに逆セクハラまがいの質問をいくつも投げかけ、その度にカレハのスイッチが入って
妄想世界に旅立つという負の連鎖にシンは引きつった笑いのまま昼休みを過ごすことになった。
その時、いつもの無表情でありながらもシンの服の裾を掴んでいたプリムラがいたのだったが、当の本人も含
めて気付く者はいなかった。
最終更新:2008年07月25日 00:02