オーディションは何度か経験していて、決して初めてというわけではなかった。
――なのに、
「…………なんだ、この数?」
衝撃だった。圧倒だった。
それ以外の言葉が出てこないほどに意識が吹っ飛ばされていた。
『秋の大感謝祭スペシャル』オーディション会場は、無数の人でごった返しになっていた。
「う~ん、俺も見学がてら来たことはあったけど……今回は特に活気があるなぁ」
「やっぱり秋スペだからですか?」
「それもある。まぁ他に挙げるとするなら、彼らが全般的にブームを煽り立ててるっていうのもあるかな」
そう言ってプロデューサーは目立たないように人差し指をある人物に向けた。指先の延長を視線で辿ると、
会場全体をざっと見回しながらメモ帳にペンを走らせている男がいた。
「芸能記者だね、他にも何人かいる。さしずめ今の段階から見所がありそうなアイドルをチェックしてるってところ
かな」
……言われてみれば、あきらかにアイドルやプロダクション関係者ではない人間が混ざっていた。これほど
大規模なイベントとなれば自ずと注目度も高くなるということか。
「ま、これだけいろんなアイドルが集まれば当然だろうけどね。ほらあそこの四人、AoA'sを出したところの新人だよ」
「あ、知ってます。確かStrikerSって名前でしたよね」
「よく勉強してるじゃないか。で、あっちの女の子たちはShuffle!!、あっちはOGガールズ、どれも最近知名度を
上げてきているユニットだ」
どの名前もどこかで聞いたことがあるものばかりだった。つまりはそれだけ競争率が跳ね上がる、ということだ。
最近よく話題になっているとはいえ、千早と美希のデュオがどれだけ通用するのか……
――いや、信じろ。信じるんだ。
これまでの日々を思い出す。一ヶ月にも満たない間だったが、いろんなことがあった。
なかなか上手く進まないレッスン、危うく大惨事になりなねなかった事故、事情はよくは分からないが
そして今、この秋スペに臨む二人のアイドルがいた。
「……大丈夫ですよね」
「当然だ」
自信たっぷりにそう言い切るプロデューサーの表情にも、わずかながら緊張が見えていた。
「――それでは参加者の方はステージの方へ移動してください」
場内のアナウンスを受けて、アイドル達はそれぞれに割り振られた番号のステージへと移動を始めた。その中
に青いと黄緑のジャージを着た千早と美希の姿を見つける。
――頑張ってくれ、二人とも。
既に万事手は尽くし、自分に残された役目はこのこの軌跡を見届けることのみとなった。
オーディションが始まる直前の緊張からか、背中に嫌な汗が浮かんできました。
レッスンの時にも使っている着慣れたはずのジャージにすら妙な違和感があります。
周りを見渡せば他の事務所のアイドルばかり、プロデューサーとマネージャーも今は傍にいません。隣には
美希もいるのに、なぜか孤立しているような気分になってます。
――こんな状態で、上手く歌うことができるの?
自分にそう問いかけても答えは返ってきません。それどころか、あれだけレッスンを積んだダンスをここで失敗し
てしまったら、歌とダンスのどちらも満足に表現できずにオーディションが終わってしまったら、途中で審査員の
人が飽きて帰ってしまったら、自分の失敗で美希に迷惑をかけてしまったら……
そんな不安ばかりが自分の中でどんどん大きくなっていきました。
「……千早さん」
よくない考えが頭の中で渦巻いていると、美希が私の手を握ってきました。
「美希?」
励ましてくれているのかしら? そんな考えが浮かんですぐにそれが違うことに気付きました。
小さくではあるけれど、確かに美希の手は震えていた。そっと顔を窺ってみると、少しだけ額に汗が浮かんで
いました。
――あの美希が、緊張している。
それが分かった瞬間私の心に小波が立ち、そしてすぐさま収まりました。
不安になっている場合じゃない。二人揃ってこんなことで躓いている場合じゃない。
ここは確かに大舞台、だけどけっして到達点じゃない。
私たち765プロのアイドルの、プロデューサーたちと目指しているトップアイドルの道の通過点なのだから。
……瞳を閉じ小さく深呼吸をして、今回の話を受けた頃まで記憶を遡らせます。
少し不安そうな顔をしながらも今回の話を持ってきて、今日まで真剣にレッスンに取り組んでくれたプロデュー
サーがいました。
最初はやる気がまるで見えなかったけど、あの事故を境に驚くほど実力を伸ばした美希がいました。こうして
振り返ってみると総合的なレッスンの量は美希のほうが私よりもずっと上で、私が沈んでいるときには励まされるこ
とも多かったように思います。
あずささんや真、私たちを気遣い支えてくれた仲間たちがいました。レッスンでは歌とダンスをよりよくするため
に一緒に意見を出し合ったりもしました。
そしてプロデューサーと一緒に支えてくれて、私の歌を好きだと言ってくれた人がいました。
……私たちは、多くの人に支えられてここまでやってこれた。
今までやってきたレッスンを思い起こして、私は美希の手を強く握りました。
「あ……」
不安に揺れていた美希の目に少しだけ安堵の色が広がりました。
――大丈夫、私たちならやれる。
言葉は必要なく、目と目が逢うだけで私の考えは伝わったようです。美希の瞳にいつもの輝きが戻っていました。
「――えー、大変お待たせいたしました。これより審査の方にに移ります」
審査員の一人がマイクを片手にそう告げた瞬間、会場全体に緊張が走りました。私たちの、そしてここに集まっ
たすべてのアイドルたちの運命が決まる時が来たのです。
「と、その前に……72番のペア、みんなを代表して何か一言お願いします」
72番、それは私たちの番号。突然のことで一瞬悩みましたが、美希ともう一度目を合わせてお互いに頷いた後、
声高に宣言しました。
「絶対に合格してみせます!」
「絶対に合格してみせるの!」
私と美希の声が重なりました。しばらくの間会場は静寂に包まれて、どこからか小さく笑う声が聞こえてきました。
「……なるほど、自信と気力は十分なようですね。本番を楽しみにしています」
そう言って、審査員の人は小さく微笑みました。
自信はある、気力もある。
今までの日々が糧となって私の内側に溢れてきました。
合格しないはずがない、そんなことまで胸を張って思えるほどに。
「それじゃあ1分後に審査を始めます。皆さん頑張ってください」
――いよいよ、始まる。
「いくわよ、美希」
「うん、千早さんもね」
1分という時間もかからずに、私達は心身ともにコンディションを整えました。
「……まったく、少しだけ焦ったじゃないか」
隣でプロデューサーが大きく息を吐いた。どうやら想定してなかったことらしい。
「まぁ二人ともよく答えてくれたよ。テンションもいい感じに上がってる」
ステージ上で待機している二人を見る。すでに準備ができているのか、周りから浮いているほどに落ち着いた
表情で待機していた。
その姿を見て思う。
――みんな……強いんだな。
千早も、美希も、プロデューサーも、
自分にはない強さを持っていることに、わずかな羨望も込めて。
……会場に曲が流れ始める。
その一挙一動を見逃さないために、他の一切から意識を絶った。
こうして9月某日、
765プロダクションは、『秋の大感謝祭スペシャル』の出演枠を手に入れた。
最終更新:2008年09月22日 02:45