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如月千早-08

 ――やった。
 月に向かって拳を掲げる。すでに毎日通うようになった事務所の屋上に寝転がりながら、シンは誇らしさで胸を
満たしていた。
 秋スペは三日後の生放送、すでに本番に向けての準備はあらかた済ませ――合格を前提に事前に進めてい
たのだから侮れないプロデューサーだである――、残る三日は無理のない程度に反復練習をするだけとなって
いた。あとはただ、本番での自分の役目を果たすだけである。
「……ん?」
 ポケットの中で微細な振動する携帯を引っ張り出す。点滅するランプがメールの着信を伝えていた。
「こんな時間に誰が……え、千早?」
 意外な名前を目にして思わず驚きの声を上げ、メールを開く。どうやら自分とプロデューサーに宛てたものらし
かった。


 件名:千早です
 夜分遅くにすいません。
 今日のオーディション、どうだったでしょうか?
 私としては今までに培ってきたものをすべてとまでは言いませんが発揮できたと思います。
 それは一緒に踊り、歌った美希も同じだと感じました。
 もちろんそれは私が感じただけのことで、まだまだ至らないところもあるかもしれません。
 三日後の本番は今日以上の成果を出せるようがんばっていきたいと思ってます。

 最後に、今日という日を迎えられたのもずっと私たちを支えてくれたプロデューサーとマネージャーのおかげで
す。もちろん他のみんなにも感謝していますが、とりあえずは秋スペのオーディション合格という結果を得られた
ことに感謝しています。
 本当にありがとうございました。三日後の本番もよろしくお願いします。


 ……千早らしい、真面目な文だった
「しかしなんかこう、身体がむず痒くなってくるな……」
 正直なところ、千早が言うほどに大したことをしたという実感がないので妙な居心地の悪さを感じてしまった。けっ
して悪い気はしないのだが、過大評価をされているような感覚に戸惑ってしまっている。
 ――まぁ、いいか。
 最初はどうなることかと思った今回の件だったが、いざ蓋を開けてみれば紆余曲折はあったもののここまで辿り
着けたのだ。
 あとは本番を残すのみ、オーディションの様子を思い出しても当日は最高の結果を出せるだろうということに
何の疑いもなかった。
「って、さすがにそれは楽観しすぎか。とにかく自分の仕事だけはこなさなきゃな」
 すっかり千早と美希を信じきっている自分がいることに苦笑し、軽く頬を叩いて気合を入れる。
 さてどう返すかな、とメール画面の返信ボタンを押してから考え始めた。


 メールを送信してからしばらくして、ほとんど同じタイミングで二つのメールが返ってきました。
 プロデューサーと、マネージャー。どちらも今回の合格をもう一度祝いながら三日後に備えて体調に気をつけ
るようにという内容でした。
「……本当に、合格したのよね」
 気持ちに余裕ができてメールを見てから、今さらのように確かな実感を得られました。もちろんこれで気を抜くよ
うなことはないけれど、それでも今日だけはこの結果を素直に喜びたいという欲求に従うことにしました。
「あら、もう一通……?」
 再び鳴った着信音に携帯を開くと、意外な人からのメールが着ていました。


 件名:一緒にガンバロ→
 千早さん、お疲れ様。ミキだよ→
 今日はすっごくキンチョーしたね! 始まるまで心臓がドキドキしっぱなしでもうミキ駄目かと思ったよ。
 でも千早さんがあのとき手を握ってくれたおかげでいつもどおり踊ることができたよ。
 これっていいパートナ→になれたってことなのかな? もしそうならとってもいいカンジだと思うな。

 3日後はとうとう本番だね! まだちょっとだけ不安だけど、千早さんと一緒ならミキいーっぱいガンバれるよ。
 ミキ少し前までずっとラクしようとしてなまけたりサボってばっかりだったけど、もうそんなこと考えていられないも
んね。ハニーやマネージャー、他のみんなから応援されっぱなしだし。ゼッタイに成功させなくちゃみんなに
合わせる顔がなくなっちゃうから。
 でもそれよりも、千早さんの歌をミキが台無しにしちゃうのはゼッタイにイヤだから。
 なんかヘンな話になっちゃったね、せっかく合格したのにゴメンなさい。
 とにかく一緒にガンバロ→ね!


「美希……」
 本当に美希は変わった。今までは目も当てられないくらいにやる気がなくて、それでもやるべきことはしっかり
やっていて、最近では歌もずいぶん上達していた。
 私の方こそ、美希の足を引っ張らないようにしなくてはいけないのに……
 私は「ありがとう、お互いにがんばりましょう」と短い文を返しました。
 ベッドの上で仰向けになって、三日後の来るべき日に想いを馳せる。
 ――成功させる。マネージャーやプロデューサー、美希……みんなのためにも。
 大丈夫、私たちの実力ならできる。
 今はまだようやく二人で一人前だけれど、私の歌と美希のダンスが実力通りに発揮できたなら必ず。
 そんなことを考えながら、ゆっくりと目を閉じました。

 まどろみに落ちていく中、そういえば今日はいつもより家が静かだったということに気付きました。









 ――『秋の大感謝祭スペシャル』当日。
 情けないことにその場の空気に頭から呑まれていた。
 大気の震動が身体に伝わる、
 充満した熱気に目眩すら覚える、
 そして何より、会場に渦巻く感情の波に心が震えていた。
「……これが、トップアイドルの世界」
 ステージの脇から少し様子を覗いただけでこの様だ。あの人波の中に入れば、そしてこのステージの上に立て
ば、いったいどれほどのものになるのか。
「こりゃなかなか厳しい順番だね、人気グループの前後に挟まれるとは」
「なんかマズイんですか?」
 背後で愚痴るプロデューサーに問いかけるが、う~んとしばらく呻いた後、
「いや、好きにやらせてみよう」
 どこか意地の悪そうな笑顔で返事が返ってきた。
「せっかくの大舞台だ、気を使う必要もないだろう。存分に新曲を披露させてもらおうじゃないか」
 自信たっぷりにそう言い放つプロデューサーに内心舌を巻きつつ、しかしその自信に共感していた。どうもこの
プロデューサーに良くも悪くも毒されてきているらしい。

「ハニー! 様子はどう?」
 突然、プロデューサーとの間に美希が割り込んできた。衣装は今回のイベントに合わせて用意された新しいも
のなのだが、すでに着こなしているようだった。すでにメイクまで済ませているらしい。
「まぁ特に問題はないよ。出番は次の次だけど大丈夫か?」
「とーぜん! いつもよりぐっすり眠ったからもう絶好調ってカンジかな」
「……眠れたのか、俺はあまり寝付けなかったってのに」
 図太い神経を持った――そしてまだ自分を押しのけてプロデューサーにくっついている――アイドルを半目で
睨みつつ、ふとあることに気付いた。
「あれ、千早は?」
「ん? 千早さんならまだ控え室だよ。準備はもう済んでるけど、もう少しだけ集中したいんだって」
 あぁ、と納得した。千早なら確かにステージに上がる直前までコンディションを整えるだろう。
「……あまり緊張してないといいけどね。シン君、少し様子を見に行ってくれないか?」
「俺がですか?」
「大丈夫、準備はもう済んでるらしいからいつものアクシデントは起きないよ」
「まぁそれは……って何言ってるんですか!?」
 何故か二人からニヤニヤという視線を向けられた。
 ――なんかムカつく。
「行ってきます!」
 床を踏み鳴らしながらステージから離れる。あまりの扱いに憤りを感じつつ、
 ……いやまぁ、確かに着替えに出くわしてしまうことは多いけどさ。
 二人が見えなくなったところで大きく溜息を吐き、肩を落としながら控え室へと足を向けた。


 何度目かの深呼吸の後、閉じていた瞼を開ける。
 目の前の大きな鏡に映った自分の鏡像を見て、少しだけ顔が赤くなってしまいました。
 露出の激しい、だけど動きやすい衣装。歌を歌うためだとはいえ、このような衣装を着ることにはまだ慣れてい
ないです。さっき美希の衣装を見た後ではなおさらに……くっ。
 だけど、ふと過去を振り返ってみると以前よりも抵抗は感じません。いずれどんな衣装でもステージに立つ度に
着こなすことができるのかも、と想像したところで少しだけ悪寒を感じました。
 ――何? どんな衣装でもいいのかい? じゃあこのネコ耳と肉球、シッポのセットはどうだ!?
 ――ふむ、それもいいかもしれないが……ここはひとつチャイナ服というのはどうだろう?
 ――む、確かに社長のアイディアも捨てがたいですね。じゃあ今回はチャイナにネコセットだ!
 ――ならばよし!
「……ありえる。簡単に想像できてしまうのが恐ろしいわ」
 何しろ真っ先に高槻さんにブルマを履かせようとしたプロデューサーとスクール水着を着せようとした社長です。
 あの二人が揃ってコーディネイトをすることになったら、考えるだけで恐ろしいことに……
「って、いけないいけない。また集中し直さないと」
 また深呼吸を繰り替えして気を落ち着かせます。
 気持ちと時間に余裕があるのはいいけど、それで気が抜けてしまっては元も子もありません。
 予定通りならあと二組のアイドルの曲とトーク分の時間はあるはず。私には十分すぎるほどの時間です。
「――よし、あとはもう一度頭の中でシュミレーションを……」
 そう考えたところで、聞きなれた携帯の着信音が響きました。
「私の? 電源を切ってなかったのかしら」
 とにかく鳴ったものは仕方がありません。携帯を開くと、1件のメールが届いていました。
「いったい誰が……」
 不思議に思いながらメールを開いて、

 ――その送り主と内容に、私の意識は白い闇に包まれました。


「な、な、な……あった、765プロダクション」
 千早がいる控え室の前に立ち、少しだけ咳払いをしてドアを数回ノックする。
「千早? シンだけど、入ってもいいか?」
 しかし返事が返ってこない。集中しすぎて聞こえなかったのかもしれないと今度は少しだけ強くドアを叩いてみ
るが、それでも反応はない。
「千早、いるのか? 入るぞ」
 数秒だけ返事を待ち、返ってこないことを確認してゆっくりとドアノブを回す。
 鍵はかかっていないようだったが、ついいつものアクシデントを思い出して慎重になってしまう。
「いない……?」
 部屋の中を見渡してみても千早の姿は見えない。入れ違いになったか、と考えたところで床に落ちている開い
たままの携帯電話が目に入った。
 ――これって、確か千早の……
 拾い上げてみると、画面にメールが表示されたままだった。
 ……ざっとその文面を読み上げ、
「千早!」
 気付けば控え室を飛び出していた。








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最終更新:2008年09月22日 02:47
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