アットウィキロゴ

如月千早-09

 ――私は、何をしてるんだろう?
 空っぽになった頭にそんな言葉が響く。
 ――わからない、わからない、わからない……
 ただ足の進むままに、ここではないどこかへと消えてしまいたい衝動のままに、
 抜け殻のまま、私はただただ歩き続けた……


 長い廊下を駆け抜けながら事務所支給の携帯を取り出す。
 半ばパニック状態の思考から独立したように手は正確に短縮ボタンを押し、
「プロデューサー、聞こえますか!?」
『あぁ聞こえてるけど……何かあったのか? もうじき出番なんだけど』
「千早がいなくなったんです!」
 関係者用の通路を抜けて会場の入り口に出る。人はまばらにいるのだが、右を向いても左を向いても千早の
姿は見えなかった。
『……本当か?』
「冗談でこんなこと言えないですよ!」
 周囲から奇異の視線を向けられたが気にしている場合ではない。どうするのかを考えているのだろうが、電話
の向こうで黙り込んでしまうプロデューサーにわずかだが苛立ちを感じていた。
『どこに行ったのか分かるかい?』
「分かりません、控え室には携帯だけ落ちてて……今会場の入り口なんですけど全然見当たらなくて」
『ということは会場の外に出たのか、マズイな』
 再び沈黙が流れたが、今度は一瞬で終わった。
『すまないシン君、そのまま外を探してくれ。俺はディレクターにかけあってからそっちに向かう』
「分かりました!」
 通話を切り上げて再び周囲に視線をめぐらし、手近な人間を捕まえた。
「すいません! えっと……俺より少し背が小さくて、これくらいの髪の女の子を探してるんですけど」


「ハニー? どうかしたの?」
 通話が終わるのを見計らって、美希はプロデューサーに声をかける。二人の会話から雰囲気を察したのか、
いつもは明るくあどけない顔に不安の陰が落ちていた。
「千早がいなくなったらしい。今シン君が探してる」
「いなくなったって……そんな! 大丈夫なの!?」
「分からない。俺は美希たちの出番を延ばしてもらうようディレクターに頼んでから千早を探しに行く」
「ミキも行く!」
「駄目だ!」
 普段とは打って変わった強い口調に美希はビクリと身体を震わせた。
「このまま美希まで何かあったらそれこそみんな終わってしまうんだ。頼むから待っててくれ」
「それってどういう……」
 プロデューサーの言葉の裏にある意味を察して美希はハッと顔色を変えた。
「ミキが、一人で?」
「最悪の場合はね……ごめん、もう行くよ」
「あ……」
 離れていく背中に美希は手を伸ばしたが、その指先が触れることはなくプロデューサーは去っていった。
「一人に、なっちゃった」
 壁に背を預け、美希は座り込む。目の前ではスタッフが次のステージに使う機材を運んでいる。
「あれ、どうしよ……震え、止まんないよ」
 最初は指先から、やがてゆっくりと震えが全身に侵食していく。
 一人でステージに立ち、何千人もの観客の前で歌う。最終的にはそれを目指してこの場にいる美希では
あったが、その覚悟を決めるには彼女はあまりにも早すぎた。
「ヤ……イヤ。一人はイヤ、イヤなの……」
 寒さに耐えるように自分の肩を抱える美希だったが、誰も彼女を気にかけることはなかった。


 ――同時刻、765プロダクション事務所。
「おーっ! でっかいステージ!」
「お客さんもたーっくさんいるよ! ねぇねぇはるるん、千早お姉ちゃんとミキミキの出番まだー?」
「えっと、どうだったっけ……律子さん知ってますか?」
「予定だとこの次のはずよ。今ごろステージの脇で待機してるんじゃないかしら」
「それじゃあもうすぐウチの初めての大舞台っていうことですよね! いぇい!」
 千早と美希を除くアイドルたちは事務所のテレビの前に勢揃いしていた。本来ならばこうして全員が集まるよう
なことは滅多にないのだが、今回はプロデューサーもシンも二人にかかりっきりになってしまっているので――
代理の担当として律子が立ち回ることも少なくなかったのだが――全員が非番になってしまったのだ。
「うわぁ、すごいです……み、みんな大丈夫かな?」
「なんで雪歩はそんなに緊張してるのよ。ま、確かに目が回りそうな勢いよね、プロデューサーもアイツも今ごろ
ステージの裏を必死に走り回ってるんじゃないかしら? にひひっ」
「もう、よしなよ伊織。千早も美希も、それにプロデューサーもシンもボクたちの代表として出てるんだから」
「わかってるわよ。まったく、千早はともかくどうしてアレがこんな派手なステージに出られるのよ」
「へっへー、伊織は知らないんだよね。まぁ実際に見れば今の美希がどんな風になったかっていうのが分かる
はずだよ、ねぇあずささん」
「え? えぇ、そうねぇ……」
 それぞれが多種多様な盛り上がりを見せる中、あずさだけはずっと表情を曇らせていた。
「? 何かあったんですか?」
「何か、というわけでもないのだけど……少し気になることがあって」

 何が? と真は聞こうとしたが、その瞬間に周囲が沸いた。
「あっ、終わりました! いよいよ出番ですよ、出番!」
「うっうー! 待ちくたびれましたー!」
「さぁみなさん、せーだいな拍手でおでむかえして……おりょ?」
「あれ? 違う人たちが出てきたよ。ミキミキたちの番じゃないの?」
 テレビの中では少女三人と少年一人のグループが新曲を披露していた。テロップに出てきた名前を確認し、
律子は秋スペの予定表をめくる。
「……間違いないわね。あの子達、千早たちの次に出てくるはずのグループよ」
「え? えぇ!? ど、どういうことですか?」
「わからないよ。けど、これってやっぱり何かあったんじゃ」
「ひょっとして、千早ちゃん……」
 誰もが会場にいる4人のことを心配する中、突然律子の携帯が鳴り始める。
「こんなときに誰が……って、プロデューサー!?」
『えぇっ!?』
 さらなる混乱を向かえ、事務所は驚愕の声に揺れた。


 「クソッ、確かにこっちって聞いたのに!」
 地道に聞き込みを続けた結果千早らしき少女を見たという情報を得たシンだったのだが、そこで詰まってしまっ
た。すでに会場からは100mほど離れており、さすがにこれ以上離れていることはないと考えたのだが。
 わずかに息を乱しながら交差点で信号が変わるのを待つ。いくらか着慣れてきたスーツもすっかり乱れ、ネクタ
イも途中で外してしまっている。
「人が多くなってきたな。これだけいたんじゃ見たって人も……」
 いないかもしれない、と考えたところで、シンは見た。
 交差点の向かい側、多くの人に紛れながらもはっきりとその存在が分かる少女の姿を。
 ――おまえは、
 驚くほどに白い肌、透き通るようなロングの金髪に吸い込まれそうな深い翠の瞳、どこか幼さを残した顔立ち。
 いつか出逢った少女、もういなくなってしまったと思っていた少女。
 本体が散った月へと還り、だからこそ月に向かい語りかけていたはずの相手。

 ……信号が赤から青へと変わる。歩みを止めていた人々が流れていくはん。その中でただ二人だけ、流れの
中に留まっていた。
 何故? どうして? シンの中で疑問が溢れかえっていくが、その決着を待たずに少女は動いた。
 右手を掲げ、その指先を何処かへと向けて。
「公園……?」
 少女が指し示す方へと目を向けると公園の入り口が見えた。再び少女の方を見るが、すでにその姿はなかった。
「あそこに行け、ってことか?」
 問いかけても答えは自分の中にしかない。すでに八方塞がりの状況、プロデューサーから連絡からすでにかな
りの時間が経過している。これ以上延ばせば美希を一人であのステージに立たせなければならない。
 そして、
 ――行くしかないかっ!
 左手に千早の携帯を握り締め、シンは公園へと向かって駆け出した。


 ――空、
 気付けば空を仰いでいました。
 とても深い蒼、ともすれば飛び込んでしまいたくなるような透き通るような蒼。
 その光景にしばらく見とれていたせいか、ようやく私の心はいつもの状態に戻って、そして激しい後悔が次々
に湧き上がってきました。
「……私は、」
 何をしているのだろう? そんなことは分かっているはずなのにそれでも自分に問いかけてしまう。
 すでに私たちに当てられた時間は過ぎています。美希は? プロデューサーは? マネージャーは?
 一人であの舞台に立ったのかもしれない。もしかしたら延ばしてくれているのかもしれない。もう事務所へ
戻っているのかもしれない。
 どれにせよ、私のせいで迷惑をかけてしまったのは確かです。
 ――どうして、こんなことになってしまったの?
 とっくの昔に諦めていたはずなのに、いずれこうなってしまうことも予想していたはずなのに、
 何よりも大切なはずの歌まで考えられなくなるほどになってしまったの……?
 何もなくなってしまった。
 約束も、歌も、わずかに残っていたかもしれない繋がりも、
 ようやく手に入れたかと思った新しい居場所もすべて。
 私は、本当に独りになってしまった。
 もう一度空を見上げる。翼を失ってしまった私には、あまりにも遠い場所。
 ――そこに行けば、せめて近くで歌は歌えるかも。
 それもいいかもしれない、少なくとも約束を果たせないまま過ごすよりはずっと。
 私は空を仰いだまま歩き出そうとして、
「千早!」
 その声に、ゆっくりと視線を降ろしました。








タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2008年09月22日 02:49
ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。