「で、何の用だよレイ」
「見てわからないかシン。すき焼きだ」
「えっいや、そうなんだけど」
俺の目の前には、すき焼き鍋に盛られた肉が、グツグツと音を立てて煮えている。
野菜の類が一切入っていないのは、偏食家のレイらしくて、思わず苦笑いが漏れる。
友人のレイが突然俺の部屋を訪ねて来たのは深夜遅くの事だった。
元々レイも俺の住むマンションの七階に住んでいる事も有り、暇を見つけては直々遊びに来ていたのも事実だ。
だが、レイは来るなら来るで事前に連絡は欠かさない奴だったし、幾ら明日が休みと
は言え、レイの几帳面な性格を考えるとちょっと意外だった。
不謹慎と思わないのは、俺とレイが小さい頃から何をするのも一緒でツーカーの仲だからだ。
テレビの上の置時計を見ると、午前一時を回っている。
(…太りそうだな)
そう思うが、レイの持ってきた肉は随分高級な肉らしく、割したの匂いを相まって食欲をそそるのも確かだ。
深夜クーラーがガンガンに効いた部屋で、男二人ですき焼きを突く妙なシュチュエーションだとも思わなくも無いが、
漂ってくる肉の匂いは、そんな事は些細な事だと思わせるだけ十分な物だった。
「レイ、これ高かったんじゃないのか?」
「気にするな…俺は気にしない」
レイの口癖だと思ってる奴も多いかも知れないが、俺は騙されない。
レイがこの台詞を言い出す時は、考える時が面倒になった時か何か都合が悪い事を聞
かれたりと、基本的に"自分にとって都合が悪い"時に乱発する台詞なのだ。
素人から見れば分からないが、俺位のレイ使いになると、レイが話す時の微妙なアク
セントの違いで状況を判断出来るのだ。
「また議長じゃ無くて、部長に買わせただろ」
「失礼な…買わせたのはラウの方だ」
「どっちだって同じだよ」
俺は溜息を付きながら、御椀に卵を落とす。
ラウ・ル・クルーゼ。
レイの親戚らしく、昔からレイの事を可愛がっていた人で、レイにとっては兄のような物だ。
性格は苛烈で陰湿。
常に何か腹黒い事を考えてる人だけど、直ぐ顔に出るから案外読まれやすい人だ。
自他共に求める性格破綻者なんだけど、何故か身内には異常に甘い性格をしている。
俺も小さい頃アイスを奢って貰ったりしてたっけ。
因みに議長議長ことギルバード・デュランダルは、総合商社オーブの西日本統括部長
にてレイの日本での身元引受人。
普段何を考えているのか良く分からない人で、常に飄々をした雰囲気で会社を纏め上げている。
役職は部長なんだけど、皆何故か議長と親しみを込めて呼んでいる。
本人が否定しない所を見ると結構気に入っているのかも知れない。
クルーゼとは違い、議長は性格も温和で温厚そのもの。
ハリウッド俳優顔負けの美形なんだけど、身内に異常に甘いのが玉に傷だったりする。
結局どっちも身内に甘いのは同じか。
「食べないのか?」
「食べるよ…」
俺は考えても仕方ないと、鍋から箸で肉の束をゴッソリと自分の御椀によそう。
レイも俺に負けじと限界ギリギリまで肉を鍋から強奪して行く。お陰でたった一回よ
そっただけで、鍋から肉が消えうせてしまった。
二人見つめあい暫し無言のまま、御椀の中の肉と格闘する。
結構生な部分があったのに、舌の部分で蕩け柔らかく美味しい。
これは相当良い肉だなと思いながらも、俺は箸を止める事はしない。クルーゼさんに
悪いと思いながらも、俺は肉に舌鼓を打っていた。
「さて…早速だがシン」
「何、レイ?」
すき焼きと食べ終わって半時間程。後片付けを買って出た俺は、マイエプロンを装着し鼻歌を口ずさみながら、洗物に精を出していた。
向こうからは、レイが付けたのだろうか、テレビと"衣擦れ"の音が聞こえて来る。
「ティアナ・ランスターはお前の何だ?」
「ブフォ!」
今牛乳を飲んでなくて心底良かったと俺は思う。
牛乳に拘る事は無いが、何か口に含んでいたら確実に大惨事だった。
乾いた牛乳って臭いんだよな。
「何って言われても。知り合いだよ知り合い」
「只の知り合いが毎朝起こしに来たり、デートしたりするのか」
「そ、それは」
俺は背中に冷や汗が流れ顔が引き攣るを自覚する。
おかしい。
レイはティアナさんと初対面どころか存在すら知らないはずなのに。
何でそんな細かい事まで知ってるんだ。
「な、何で知ってるんだよ」
「この間、お前とその子が二人で歩いているのを"偶然"見てな。気になったから、アスランに問いただした簡単に白状したぞ」
分かってる。この場合見つかった俺が馬鹿者であって、アスランに何の落ち度も無い。
でも簡単に白状するなよと言いたい。
そもそも後ろめたい事等何も無いはずなのに、このどうしようも無い背徳感はなんだろうか。
別にティアナさんとはヤマシイ関係で無いとはっきりと断言出来るが、歳の差から見
ても世間的に宜しく無い事くらいは分かってる。
(レイめ一体何処まで知ってるんだ)
別に隠す事じゃ無いけど、彼女との関係を知られるのは、むず痒いが半分、後ろめたいが
半分とどうにも煮え切らない。
俺は振り返らずに極力平静を保とうと努力する、さっきから食器を洗うリズムが乱れまくっている。
確かにレイの言うとおり、俺にとってティアナさんは一体何なんだろう。
知り合いにしては距離が近すぎる気がするし、何より只の知り合いが毎朝部屋に来て
炊事洗濯と身の回りの世話を焼くはずがない。
では、恋人だと言われれば、それは無いと断言出来る。
確かに舞を踊る彼女は綺麗だと思ったが、それは絵や美術品を見た時に思う美しさだ
し、彼女は文句無しの美少女だと思うけど恋人とかそんな艶っぽい関係でも無い。
俺自身ティアナさんとの関係を図りかねていた。
「妹か…なあ」
口に出して言って見ると、その関係が一番近い気がした。俺とティアナさんの歳の差
は、彼女が高校二年生だと言っていたから、大体八歳位になるだろうか。
歳の離れた兄と妹のような物。
それならば、妹の買い物に付き合う兄が居ても可笑しく無いし、兄の世話を焼く妹が
居ても変では無いはずだ。
何故こんな関係になったかは、この際考えない事にしよう。
俺はレイにティアナさんは、妹みたいな物だと突っぱねようと、勢い込んで振り返った。
だが、俺の瞳に飛び込んで来たモノは、何と言うか頭少し冷やそうかと言った代物で出来る事なら無視していたかったが、
網膜に強制的に焼きついたレイの"艶姿"は俺の脳味噌を悪い方向に存分に揺さぶってくれた。
「レイ…またそんな格好して」
「気にするな。俺は気にしない」
「いや、気にしてくれよ…頼むから」
俺は嘆息し顔を引き攣らせながらレイの姿を見つめる。
「何で俺のYシャツを着てるんだよ」
「さっきタレを零してしまってな。変わりに借りた」
「じゃあ何でズボンを脱いでるんだよ」
「タレが付いてしまってな。それに暑いから脱いだ」
「パンツは?」
「見たいのか?」
「遠慮しとく…」
確かに今のレイは美女の艶姿と言っても十分通用する程色気がある。元々レイは女の
人が嫉妬する程の美形なのだ。
長く伸びた髪を後ろで括り、俺のYシャツからスラリと伸びた足が妙になめまかしい。
白く透き通る肌は、女性から見るとどう写るのだろうか。
大体小さい頃から一緒に風呂に入ってる仲なんだから、どれだけレイが美女に見えよ
うがレイは列記とした男であり、股間には立派なパオーン印が装着されているのだ。
正直仕事で使うのも簡便して欲しいのに、プライベートでもそんな格好をされると本
当に勘弁して欲しいと思う。
俺とレイは幼馴染だからなお更だ。
「俺たまにレイの事が良く分からなくなるよ」
「気にするな…俺は望む所だ」
俺はレイの言葉に更に嘆息し、ゲンナリとした表情でレイを見つめる。
「ふむ、似合ってないか」
「似合ってるけど…そこ問題じゃ無いから」
さっきから何をゴソゴソやっているのかと思えば、これに着替えてたのか。
「シン」
「なんだよ」
「すまんな」
「うわっ!」
一瞬体が空に浮かび上がったと思ったら、次の瞬間に俺はレイの腕に抱きとめられ、
キッチンの床に仰向けされ優しく下ろされる。
俺は、最初投げ飛ばされた事に全く気が付かず、レイの行動の真意を測りかね、目
を白黒されたままレイを見つめていた。
慌てて立ち上がろうとしたが、レイに肩を抑えられ立ち上がるに立ち上がれない。
こんな也をしているが、レイは結構力が強いのだ。
「シン…俺の目を見ろ!」
「あ…ああ」
馬乗りになったレイのサファイヤブルーの瞳が俺を覗き込んでいる。
レイの顔は真剣その物で、俺は自分が悪戯をして両親に咎められる子供のように感じていた。
「シン…俺はお前の何だ」
「え…友達」
「それだけか?」
「それだけって」
レイは、酷く悲しそうな顔の後、まるでこの世の終わりが来たような絶望に満ちた視
線を俺に送りつけてくる。
他に何があるって言うんだよ。レイとは小学校からの会社までずっと一緒で、遊ぶのも
勉強するのもずっと同じだった。
レイだって分かってるはずなのにと不思議に思う。
(ああそういう事か)
「…親友」
「……」
「俺とレイは親友だよ」
その言葉に反応するように、パァッとレイの顔が明るくなる。
「そうだシン。俺とシンは親友で言うなればピュアフレンド。真実の愛を探求する友だ」
「何か話が急に変な方向に捻じ曲がったような気がするんだけど。って言うかいい加減どいてくれよレイ」
「それは無理だな…シン」
「なんでだよ?」
「俺はシンの親友だからな。親友は親友に隠し事をしてはいけない。つまりシンは俺の質問に答える義務があるはずだ」
「壮絶な職権乱用っぽいんだけど」
「昔から乱用されるのは誘導兵器の演出と職権だと相場が決まっている」
何か親友親友連呼されるとむず痒い以前に、文脈が良く分からなくなってきた。
「シン。もう一度聞く。ティアナ・ランスターはお前にとって何だ。ちゃんと答える事が出来ればご褒美を考えても良い」
「い、妹みたいなもんだよ」
「妹だと?」
「そうだよ。妹みたいな物だ。兄貴なら妹の買い物に付き合うのは普通だろ」
誤魔化せたとは到底思えない。でも、この気持ちが今の俺の偽らざる気持ちなのだか
ら、レイに嘘はついていないと思う。
「そうか…」
「納得してくれたのかレイ?」
「いや…だが、今日はこの位にして置く…男は引き際が肝心だ」
「サンキュー…レイ」
レイは納得してくれたのだろう。いや、納得はしてくれなくても、きっと俺の気持ちを
キチンと汲み取って引いてくれたんだと思う。
ティアナさんの事を聞いて来たのは、きっと俺を心配してくれたんだと思う。
さり気無い気遣いと言い、親身になってくれる態度と言い、やっぱりレイは俺の親友だ
と思う。
「で…何してるんだよレイ?」
「何…ちゃんと答えれたからご褒美だ」
「うぇ?」
レイは、誰に対してだよと俺のツッコミをあからさまに無視し俺に顔を近づけてくる。
レイが変なのはいつもの事だけど、心なしか鼻息も荒い気がするし、妙に顔が赤いような気もする。
背中に感じる冷や汗とこれから訪れるであろう悪夢が錯覚だと信じたい気分だった。
「ごめん、レイ。俺こんな時どんな顔すればいいのか分からないんだ」
「笑えば良いと思うぞシン」
「レエエエエエエエイ!近い近い近い!顔近い!凄い近い!」
「気にするな!俺は気にしない!」
「それご褒美じゃ無くて誤褒美!絶対間違ってる!後荒い!鼻息凄い荒いレイ!」
「ええい!初心なネンネではあるまいし!」
「うああああ!」
まるで万力のような力で俺の顔を押さえつけ、俺の唇を狙い撃たんと顔を近づけて来る。
俺の脳裏に椿の花が茎ごとバッサリ崩れ落ちるイメージが浮かび、あまりの異常事態
に脳内テレビのヒューズが飛びかける。
「ちょっとレイ!ストップ!それ以上は駄目よ!」
乾坤一擲。
我が家のドアが「ドカン!」とアグニでも炸裂したような音を立てバラバラに弾け飛んだ。
俺は動かない体を何とか駆使し、恐る恐ると首だけ漸くドアの方に向けて見る。
「ルナ…?」
「シン!無事?」
「もう少しで次のステージに進めたものを…」
そこには深夜だと言うのに、拡声器片手に正拳突の構えを解かず、戦意満々の殺る気
満々のルナの姿があった。
トレードマークのミニスカート姿でそんな格好したら、パンツが捲くれ上がりそうな
物だが、何故かルナマリアのスカートピクリとも動かず、アルカトラズのような鉄壁の防護力を見せ付けている。
思いがけない元恋人の乱入で俺の思考は余計にこんがらがり、幸いな事に頭の上で不吉な事を嘯くレイの言葉は聞こえて来なかった。
「前に言ったでしょ!三次元のヤヲイは汚いの!」
「邪魔をするなルナマリア!今日俺とシンは本当の意味で親友になるのだ!邪魔するならお前と言えど叩きのめす!初めては俺のモノだ」
「何ほざいてんのよこの変態!シンの唇は私の物なんだから。そもそもシンがキスした事ある相手なんか私だけだもん!
二人の初めてはむせ返るようなアスファルトの匂いが充満する梅雨時。部活帰りのバス停で私の方からって相場が決まってんのよ!」
「ルナマリア貴様嘘を付いているな…不覚にも貴様がシンの唇を強奪したのは、確かテスト週間の放課後の体育館のはずだ!」
「あっ、それはセカンドキス。因みにシンからよ」
「なん…だと」
まるでドコゾの死神のような表情で驚愕するレイ。
そして、ウインクしながらハートマークを大盤振る舞いするルナ。
本当に勘弁して欲しい。
レイはお空に浮かぶまっピンクのハートを忌々しそうに引っつかみゴミ箱に投げ捨てて行く。
「うわああああああ!何しれっと言ってんだよルナ!って言うか何処から出てきたんだよ!」
俺は自分の恥ずかしい過去が暴かれるのを阻止しようと、全力で暴れるがレイの束縛
を外す事は出来ない
って言うか何必死に聞き耳立ててるんだよレイ。
「何って玄関からじゃない」
「それは分かってるよ。何でどいつもこいつも普通に入って来れないんだよ!」
「良いじゃない貞操のピンチだったんだから!あそこで私が割って入らないとシン、色々大事な物無くしてわよ」
「文字通り玄関割ってるじゃないか!ああもう!相変わらず口が減らないな!」
「全くだ…君は相変わらず配慮に欠ける存在だな」
俺のとの逢瀬、個人的には最高に否定したかったが、邪魔され幽鬼の如くゆらりと立ち上がるレイ。
俺はここぞとばかりにレイの束縛から逃れその場にゆっくりと立ち上がる。
キッチンの床には、バラバラになったドアの破片が飛散し、さながら戦場のような様相を見せている。
確かドアの素材もVPS製品のはずだけど、ルナって本当に人間なんだろうか。
「確かに人間離れした怪力だな」
何故か勝ち誇ったような表情で、俺の首に手を回し枝垂れかかってくる。
いい加減やめて欲しいと思う俺だったけど、慣れと諦めとは恐ろしい物で、直接的な
行為でもされない限り、レイの奇行は全てスキンシップと言う事で脳内で処理出来てしのだ。
その様子を見たルナが瞬間湯沸かし機のように一瞬で顔を赤くし、隙あらばレイに襲い掛かろうと息も荒く戦闘態勢に入る。
「ルナマリアいい加減にしろ。シンは俺のモノだと昔からクライマックス的に決まっているのだ」
「趣旨変わってる上にキモイ事言わないでよ!。アンタの脳みその方がクライマックスなんじゃ無いの!つまり終わってる」
「巧い事いったつもりか赤チン!」
「ムカつくわ!物凄い腹たって来たわ」
互いにぎゃあぎゃあと罵り合いを始める二人。
昔からそうだけど、どうにもこの二人は反りが合わない。こうなると二、三時間は放っておかないと収集がつかない。
レイとルナは、自身の持てるだけのボキャブラリーを総動員し、罵詈雑言を繰り返し
果ては放送禁止用語を連発している。
近所迷惑だとは分かっていても、二人の間に割って入る気力は俺には無く、只自らの無力をかみ締めるだけだ。
ボキャ貧の俺が間に割って入れば確実に負けると思うし。
それ以前にルナとレイは一体何の用があって俺の部屋に来たのだろうか。
状況から言って二人で申し合わせてのは間違いないけど、まさか、本当に俺とティアナさんの関係を聞きたいだけとか。
「そんなわけ無いよな」
大体聞かれても俺自身分かって無いし。
俺は溜息を付きながら、ルナによって破壊され、飛び散ったドアの破片を片付け始める。
今が夏の初めで本当に良かったと思う。
もし、これが真冬の事なら隙間風が寂しいとかそんな次元の問題じゃ無かった。
「あの…何か取り込み中でしょうか」
「や、八神さん!」
聞きなれた声に反応するように、俺が頭を上げると、俺の目の前には、無地のTシャツにジーンズにサンダルと
随分なラフな格好の八神さんが立っていた。
「その…仕事で近くまで通りかかったんから…電気がついてたから…普段ティアナがお
世話になってるから夜食でもどうかなって…あの…お邪魔やったかな?」
八神さんは、頬をかきながら、バツが悪そうに手に持ったスーパーの袋を持ち上げる。
焼きそばでも作ってくれるつもりだったのだろうか。
キャベツや人参の他に三人前の焼きそばの袋が見えた。
「いや、その、何て言いますか…お邪魔なんて…ははは」
深夜に男の部屋に来る八神さんの無防備さにも呆れたが、何故、どうしてと思うがそ
れ以前にタイミングが悪すぎる。
俺の後ろでは、Yシャツ姿のレイとミニスカ魔人のルナが、多分俺の事で取っ組み合いの
喧嘩をしている始末だ。
どう控えめに見ても、痴情の縺れとしか思えないだろう。
「あの…これは…」
昔からそうだが、こんな状況はどちらとも言わず男が悪い事になってしまうものだ。
どう状況を説明すればいいものか。
何を言ってもドツボに嵌りそうで、俺の途方に暮れてしまった。
「サイテー」
思考停止した俺を不覚にも正気に戻してくれたのは、ティアナさんの辛辣な一言だった。
動揺していた為か全く気が付いて無かったけど、八神さんの後ろに隠れるように珍しくスカートをはいた
ティアナさんが、羅刹のような顔つきで立っているのだ。
底冷えのする声とはこの事を言うのだろうか。
ティアナさんは小さく呟いただけだけど、あまりに冷徹な響きに心臓が止まるかと思ったし、部屋の温度が
一瞬で氷点下まで下がり体中の分子運動が鈍った気がする程だ。
「ティアナさん…」
「……」
俺は必死に弁解しようと声を絞り出し、無い頭をフル回転させたが無い袖は触れず、
妙案の一つも浮かんで来ないのが現実だった。
それでも、誠意だけでも伝えようと奮闘したけど、美女二人に取り合いされているの
は幻覚でしか無いし、そもそも片方は男でもう片方は数ヶ月前に振られた元恋人だ。
どう言い繕ってもどうにもならない気がした。
「最低!」
今度ははっきりと、だけど、明確な拒絶な意思を込めて言葉を紡ぐティアナさん。
そして、俺の返答を聞く事も無く、脇目も振らずその場を走り去っていく。
鋭く尖った言葉の槍は、俺の心臓を今度こそ串刺しに、俺のグダグダな心は木っ端微
塵に砕け散った。
茫然自失とはこの事を言うんだろうか。
数分後我に返った俺を待っていたのは、呆然としたまま立ち尽くす八神さんと、お互
い取っ組み合いの果てにいい具合にクロスカウンターが決まり悶絶しているレイとルナ。
そして、玄関が砕け瓦礫の山となった我が家。
色々言いたい事もあるけど、ティアナさんには誤解だと大声で弁解したい気分だった。
砕けた玄関から入ってくる生ぬるい風が、問答無用でむなしかった。
最終更新:2008年10月13日 23:55