ケース2:水瀬伊織の場合
――水瀬伊織。
上品な物腰に丁寧な言葉遣い、輝く美貌で世界を魅了する期待の新人アイドル。
下僕のように崇め奉りながら仕えるよう……
と過剰に装飾された丸字でビッシリと埋められた資料を二行目で読み飛ばしてページをめくる。
実力は高く容姿の評価もかなりのもの。ただし少々我が強くワガママで負けず嫌いな性格なので接
するときは言動に充分注意するように。
短く纏めすぎな感じもするが、厄介な相手だということはよくわかった。
ともあれ明日は伊織のCM撮影の付き添いだ、気をつけていこう。
……後になって分かったが、このときは全然覚悟なんてしていないも同然だった。
「遅い! 30秒以内に持ってきてって言ったでしょ!?」
「……1km先の店でコーヒー買って持ってこいっていうのに30秒は無理だろ、常考……いや無理だ
と思うのでありますが」
「何? 言い訳するわけ? 情けないわねー」
――ガマンだ、ガマンしろ。第一目的は今日という日を平穏に過ごすこと、ここでキレたら元も子もない。
「まぁいいわ、休憩時間はまだあるし。さ、早く渡しなさいよ」
自分でも引きつってると分かる笑顔を浮かべながらカップを渡す。ご苦労様、と言いながら受け取った伊織は優雅に口に運び、
思いっきりむせた。
「な、なによこれ~! 熱いし苦いし飲めたもんじゃないわ!」
「いやコーヒーってしか聞かなかったし。よく分からなかったからとりあえず普通のヤツにしたんだけど」
「気が利かないマネージャーね、砂糖は?」
「ない、であります」
「……ホンットーに気が利かないわね」
――ガマンだ、ガマン。なんか頭の中でブチブチ音が鳴ってる気がするがそんなことはなかったぜ。
「はぁ、なんで今日に限ってアンタが付いて来るのよ。これならまだプロデューサーのほうがマシだったわ、サイアクー」
――もうゴールしてもいいよね? 答えは聞かないけど。
「……だぁぁぁぁぁぁ!! もうガマンできるかッ! つか出来てたまるかっ!」
「なっ!?」
「いいかこのワガママアイドル! こっちは朝から気を張って余裕ないんだよ! 慣れない仕事で
いっぱいいっぱいだってのにその上でそんな無茶な命令されてニコニコしてられるほど人間できちゃ
いないんだ! 以降の命令は全部却下! 喉が渇いたならそこの池の水でも飲んでろ!
つかわざわざウン百円もするようなコーヒーなんか飲むな! 缶コーヒーの売り上げに貢献しろ!」
「なんですってぇ!? アンタいきなり生意気よ!」
「どっちが生意気だ! 年上だとか年下だとか気にするなって教えられたけどそれにしたって限度が
ある! 少しは周りの人間のこと考えて物を言え!」
「なによ!」
「なんだよ!」
ガルルルル、と互いに犬歯剥き出しで唸る。周囲のスタッフが遠巻きにこちらを見ていたがそれを
気にする余裕もなかった。
「……フン、やる気なくしたわ。帰る」
「え……ってそれはマズイ! まだ半分も撮り終わってないし!」
「アンタが代わりに出れば?」
……無茶言うな、と言いたくなったがここで怒鳴ったらまた同じことの繰り返しだ。
――どうする? どうなだめればいい?
「キャッ……!?」
そうこう考えていると目の前で伊織がつんのめっていた。撮影のために履いていたハイヒールの踵
が折れたのだが、それに気付いたのは後のことだ。
「危ない!」
慌てて後ろから捕まえる。なんとか転倒は免れたが、コーヒーは地面に落ちて中身をぶちまけていた。
……もったいないとか思ってないぞ。
「大丈夫か?」
「え? え、えぇ、ありが……」
『そのとき、少女は気付いたのであった。少年の手が慎ましやかな、しかしたしかな膨らみを持った胸を掴んでぇいることに』※天の声(友情出演)
「な、な、な……!」
「? どうかしたのか?」
『みるみる赤くなっていく少女の様子に気付いた少年であったが! その原因に気付かずに微妙~なタッチで胸を触り続けていた。これぞシン・アスカの持つ高度なスキル、ぅラッキースケベぇである』
「な、なな、ど、どこ触ってるのよっ!」
「え? どこって……っ!?」
『ようやく自分が何をしてしまったのか気付いたのであった。この少年、基本的に超!鈍感である』
「あ、わ、悪い!」
慌てて手を離す。伊織はこちらに背を向けたままプルプルと震えていた。
「ふ、ふふふ、ふふふふふふ……」
「え~と、伊織さん?」
今さらへりくだってみるが多分もう遅い。こうなんか素敵なまでにドス黒いオーラが全身から滲み出てるし。
「いい度胸してるわねぇ。当然覚悟は出来てるんでしょ? 最後に言いたいことがあるなら聞いてあげるわ」
「え~と……とりあえずその乗馬用とおぼしき鞭はいったい?」
「さぁ?」
キラリと光る凸。頭の中でコンディションレッド発令。ってかホントに『聞くだけ』かよ!?
「――この変態! ド変態! ゴッド変態!」
「痛っ!? ちょ、やめっ! 地味に痛いぞコレっ!?」
「うるさいうるさいうるさーい!」
……その後、当然ながらCM撮影など続けられる状態ではなく、高木社長にこってり絞られた。
ただ何故か、プロデューサーにすべて分かっているかのような優しい顔で慰められたのが救いといえば救いだった。
……次からは本当に気をつけよう
――バッドコミニュケーション
最終更新:2008年07月11日 20:10