ケース:3三浦あずさの場合
「……遅い」
事務所からの支給品である古ぼけた携帯に表示された時刻を睨んだ後、辺りを見回す。
今日は事務所で雑誌の取材、次いでPV撮影の予定なのだが待ち人が来ないまますでに10分が過ぎている。
雑誌の取材が思いのほか早く終わったことに加えて、今回担当したアイドルが『曰く付き』である
ためスケジュールを早めに組んでもらっていたのだが……
「いくらなんでも遅すぎだろ?」
駐車場と事務所はそれほど離れているわけではないのに時間がかかりすぎている。
これはまさか、と思ったところで携帯から古めかしいメロディが響いた。
「……はい」
『もしもし? シン君?』
予想通りの人物の声が届いてきた。
――三浦あずさ、765プロダクションの最年長アイドル。
天然で多少ズレた感覚の持ち主だが、他のアイドル達に対して常に親身に接することができる
人格者でもある。トップモデルのような体形と独特なおっとりとした性格から癒し系アイドルとして
徐々にではあるが人気を伸ばしている。
「あずささん、どうしたんです? 凄い遅れてますけど」
『その~、とても言いにくいことなのだけれど……』
そこで迷うように声が途切れ、やがて意を決したように告げられる。
『ここは……どこかしら?』
「……いや俺に聞かれても」
そう、この壊滅的なまでの方向音痴が最大の欠点なのだった。
早めのスケジュールを組んだのももしはぐれてしまったときのことを考えてのことだったのだが……
まさかこんなに早く迷ってしまうとは
「っていうかありえないでしょう普通。事務所と駐車場100mも離れてないのに」
『そんなことを言われても……困ったわねぇ』
困ってるのはこっちもです。この状況でもおっとりとした口調なのはさすがというかなんというか。
「とにかく、今どこです? 何か周りに分かりやすいものとかは?」
『周りと言われても……ここ屋内みたいなのだけど』
「どこ入ってんですか!? 駐車場で合流って言ったのに!」
――嘆いても仕方がない。とにかくどこにいるかを把握しなければ、と駐車場を飛び出す。
「どんな建物なのか分かりますか? 名前とか外から見た特徴とか何でもいいですから」
『何でも……あら? 窓にガムテープが貼ってあるわねぇ』
「ガムテープ?」
『え~と、数字みたいねぇ。7、6、5……かしら?』
――オイ。
「あの、あずささん? まさかとは思うんですけどそこってウチの事務所の応接室だったりしません?」
『そう言われてみれば、内装も間取りも見覚えが……』
いや見覚えとかそんなレベルじゃないですから。
『凄い偶然ねぇ』
「ボケ倒すのも大概にしてくださいよ本当に! そこ動かないでくださいよ、今からそっち行きま
すから!」
通話を切って駆け出す。十数秒で事務所まで辿り着き、一直線に応接室に向かう。
「あずささん! ――っていないし!?」
勢いよく扉を開け放つがそこには誰もいなかった。部屋の中を隅々まで見渡すもやはりあずささ
んらしき人影は見当たらない。
「――あら? シン君、どうかしたんですか?」
「小鳥さん! あの、あずささんを探してるんですけど……」
――トゥルルルルルル、トゥルルルルルル……
「…………」
「あの、電話鳴ってるけど?」
「いや、なんかこう出てしまったらいろいろ後悔することになりそうな気がして」
「……出なくても何の解決にもならないと思うけど?」
――そうッスね。
「うぅ……はいもしもし?」
『あの~、シン君?』
「……あずささん、今どこに?」
『ごめんなさい。我慢できなくて御手洗いに行っていたのだけど、いつの間にか外に出てしまっていて……』
――まさか、
『ここは……どこなんでしょう?』
「………………………………」
思考が固まった。そして何かが切れた。
「あずささん」
『は、はい? 何か不穏な気配を受話器越しに感じるのだけれど……』
「そこを動かないでください絶対に動かないでくださいそれが無理なら靴と地面をアロ○アルファ
でも使って瞬間接着してくださいっつか動くな」
『は、はいぃ……』
「よし、じゃあまた近くに何か目印みたいのものとか」
――ブツッ! ツー、ツー、ツー……
突然通話が途絶える。携帯の画面を見ると電池が切れていた。
「……小鳥さん」
「え? あ、えっと、何ですか?」
「あずささんを探しに行くんで、もしまたこっちに寄るようならふん縛ってでも足止めして
ください。見つからなかったら10分置きに公衆電話見つけて連絡しますから」
「え、えぇとその……」
「お願いします」
「わ、分かりました」
その一言を聞いて事務所から再度飛び出す。周囲には多くの人が行き来していたが、手段を選ん
でいる暇はない。
息を大きく吸い、言葉と共に吐き出す。
「どこにいるんですかあずささぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁんっ!!」
往来の人々の視線を全身に浴びながら、突き刺さりそうなほど自己主張してるアホ毛を探して駆け回った。
PV撮影編
<PV撮影>
――突然だが自分はナイチチ派である。っていうかナイチチ派になった、今。
つるーんでぺたーんな、未成熟な果実が良いのだ。
だからこそ巨乳なぞに心動かされることはないのである、断じてあってはならないのである!
「あの~。シン君? どうかした?」
「……いえ、なんでもないです。なんでもないですから正面に回りこまないでください」
? と小首を傾げるビキニ姿のあずささん。そのわずかな動きに合わせて揺れる胸。
「クッ……!」
慌てて目を逸らす。断言しよう、これは兵器だ。大量殺戮兵器に区分されるべきものだ。
「そ、そろそろ撮影再開なんじゃないですか?」
「あ、そうみたいですね。それじゃあまた後で~」
よかった、適当に言ってみたがどうやら本当に時間らしい。
と安心して視線を戻したのがいけなかった。小走りで現場に向かうあずさの胸が
凄まじいほどに揺れていた。
(落ち着け俺はナイチチ派、あんな脂肪の塊がゆ、ゆれ、揺れたくらいで動揺するはずがない!)
自己暗示によって跳ね上がりっぱなしの鼓動をなんとか抑え込もうとする。
が、考えないようにしようとすればするほどにそのイメージを浮かばせてしまうと
いう悪循環を生み出し、シンは己が持たないことを悟った。
(……しばらく離れとこう)
若さとは未熟さでもある、ということを実感する。
――あぁそうさ、デカイのだって好きだよコンチクショウ。
「ふう……」
缶コーヒーを啜りながらまったりと時間を潰す。今朝のゴタゴタが嘘のようだった。
――ここは都内のシティリゾート、今回のPVはここのビーチでの撮影がメインとのことだった。
……あの規模の事務所でなんでこんな高級地の一部を貸し切ってロケ地にできる
のかという疑問はあるが、とにかく凄い場所だった。
付き添いとはいえそんなところで自販機脇のベンチで座っている自分は激しく場違いなのでは、と思いながら再びコーヒーに口をつけ
「こらぁっ! サボり厳禁っ!」
「ブッ!?」
思いっきり耳元で叫ばれてコーヒーを吹きながらベンチから転げ落ちる。
「む……80年代のリアクションとはやるわね。年下だと侮っていたわ」
「り、律子さん!? なんでここに!」
「今日は非番になったから新人君の様子見に。まったく、マネージャーが現場離れちゃ
駄目でしょ!」
「う……」
――秋月律子。
元々は765プロダクションの事務員として働いていたのだが、人手不足によってアイドル
候補生になったという遊び人→賢者もビックリなジョブチェンジを経験している稀有な
人物である。
アイドル業で活躍する傍らで事務も兼業しているというのが末恐ろしい。
「今回はスタッフも慣れた人ばかりだから大きな問題は起こらないだろうけど、
何かあったときに対応しなきゃならないのはあなたなんだからね」
「はい……」
ベンチの上に正座させられた。マネージャーの立場は基本的に低いのである。
「まぁ、あのあずささんを遅刻させずに現場まで連れてこれたのは評価してあげるけどね」
『あの』の部分を強調するあたり、あの方向音痴は想像以上に厄介なようだった。
「朝からどっと疲れましたよ、あれだけ早く行動したってのに着いたのは集合時間の2分
前だったし」
「間に合っただけ上出来、ってところよ。最初の頃はもう凄かったわ……」
げんなりとした溜め息が漏れた。どんだけだったんだ一体。
「ま、そんな昔話はどうでもいいわ。さっさと現場に戻りなさい」
「あの、せめて覚悟決める時間くらいは」
「戻 り な さ い」
「はい……」
「あずささんに会ったらちゃんと謝っときなさいよー! あの人見かけよりもずっと純粋
な人なんだからねー!」
背中に声を受け、とぼとぼとビーチに戻りながら思う。
――プロデューサーよりよっぽどプロデューサーらしいアイドルだ、と。
「お疲れ様でーす!」
現場に着くとそんな声が聞こえた。どうやらもう終わってしまったらしい。
(……マズったかなぁ)
とどうするべきか悩んでるところで見覚えのあるアホ毛を発見した。
私服に着替えたあずささんである。
「あら~、シン君。お疲れ様です」
「あずささんこそお疲れ様です。その……撮影途中だったのに勝手にいなくなって
すいませんでした」
「いえいえ~、滞りなく済んだので大丈夫でしたよ。それにしてもシン君……」
「はい?」
「ずいぶんと長いおトイレだったのね~」
「……………………」
突っ込めなかった。というかニコニコ笑いながらそんなワードをさらりと言わんでください。
「そういえば、あずささんがアイドルになった理由って何なんですか?」
――ロケバスに揺られながら気になっていた話を切り出した。
「あら? 話してなかったかしら?」
頷くと何故か困ったような表情をされた。そんなに変なことを聞いたのだろうか?
「言いにくいことなら無理してまで聞くつもりはないですけど」
「そういうわけじゃなくて……え~と、笑わないで聞いてほしいのだけど」
「? はい」
「運命の人と結ばれるため、なのよ」
「…………」
はて、今なにかとてつもなく純情乙女な発言が飛び出したような。
「……すいません、もう一度お願いします」
「だ、だから……運命の人と出会って結ばれるためなのよ」
――幻聴じゃなかったのか。
「へ、変かしら?」
「変というか……なんでそれでアイドルに? という疑問が先立ってしまって」
確かこの人短大卒だったような、とある種の不安すら覚えてしまう。
「や、やっぱり変かしら?」
「……いえ、もういいです」
深く考えない方がよさそうだった。
「ふぁ……少し、疲れたかしらねぇ」
「今日は朝から仕事詰めでしたからね、事務所に着いたら起こしますんで寝ててもいいですよ」
「そう? それじゃあ悪いけどお願いするわね……」
いそいそと備え付けの毛布を被ると、すぐに静かな寝息が聞こえてきた。
(……見かけよりもずっと純粋な人、か)
おっとりとしたマイペースな人ではあるが、資料で見る限りどんなレッスンや仕事も手
を抜いた様子はない。もちろんそれは当たり前なのだろうが、この人の場合目的が目的な
だけにここまで頑張れるのは凄いと思う。
精神的に子供というわけではなく、子供の心を持った大人の人というか……
(今日の撮影、ちゃんと見とけばよかったな)
と若干後悔した直後に緩やかなカーブでわずかに横にGがかかる。
「う……ん」
不意打ちだった。傾いたあずさの身体がこちらに寄りかかってきたのだ。
「あ、あずささん?」
「んぅ……」
起きる様子はない。身長の関係もあってか頭が肩にジャストフィットしたように寝心地
がよさそうな吐息が漏れていた。
そして、
(……む、胸がッ!?)
軽く押し付けられた胸の感触を二の腕に感じる。
マズイ、これはマズイ。一撃必殺である。絶対破壊攻撃である(主に理性が)。
(ちょ コレ ヤバ……)
そうだ素数だ素数を数えるんだ素数は勇気を与えてくれる!
(2, 3, 5, 7, 11, 13, 17……)
「うぅん……」
身じろぎと共に二の腕に当たる感触が変化した。
(61, 67, 71, 73, 79, 83, 89, 91、91、91! 91! 91! 91! 91!?
91919191919191919191919191くぁwせdestinyステラlp;!?)
――結論→回避無理でした
ロケバスが事務所に着いたとき、サウナでのぼせたような状態のシンが発見されたのはまた別の話。
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最終更新:2008年07月11日 20:10