アットウィキロゴ

終わりのミックスフルコース-03

 我が唯一の君よ、

 暗き深淵に堕ちた魂に、どうか慈悲を……。



「――ってことがあってさぁ。ったくあの似非ロリめ、いつか必ず逆襲してやる」
「あーっははははは!! 何それ、シンそれ面白過ぎ……!」

 事の顛末を最後まで聞き終え、金色の少年は腹を抱えて爆笑した。
 傍らの黒い少女も――口元は掌で隠していたが――肩を震わせて笑っている。

「笑ってんじゃねぇよ、ペル! それにエセルも……俺あの時本当に死にかけたんだぞ!?」

 周囲の目を憚ることなく笑い転げる二人の友人を半眼で睨み、シン・アスカが苦々しそうに唸る。
 まるでビームでも出しそうな勢いで睨みつけるシンに、ペルと呼ばれた少年――ペルデュラボーが笑いを噛み殺しながら口を開く。

「ごめんごめん。いや何というか、「人の不幸は蜜の味」って格言は本当だったんだなーって今初めて実感してるっていうか……やっぱり君といると退屈しないね、うん」
「それ全然フォローになってないというか寧ろフォローするつもり無いだろお前?」
「気にするな。僕は気にしない」
「うわぁ……居直りやがったよこの金ぴか野郎」

 まるで漫才のような掛け合いを続けるシンとペルデュラボーを、エセルと呼ばれた少女が傍から微笑ましそうな顔で眺めていた。
 昼休みは、かくも緩やかに流れていく。

 ミスカトニック大学――アーカムシティ中心部に位置するその世界屈指の名門校に、シン・アスカが編入してから数ヶ月が経とうとしていた。
 覇道財閥の援助を受け、表向きは歴史学科の学生として大学に通うシンだが、その実態は大きく異なる。
 シンが学んでいるのは隠秘学、つまり魔術理論である。
 森羅万象の法則を暴き神の領域に挑む学問、魔術理論……それは同時に世界の摂理に背く外道の知識でもある。
 一部では「魔術に関わる者は死よりも尚凄惨な末路を辿る」とまで言われて忌避されるこの禁断の知識を、力を、しかしシンは求めた――否、求めなければならなかった。

 世界は邪悪に犯されている。
 最先端都市として未曾有の好景気の直中にあるアーカムシティだが、光が強ければ強い程、陰もまた深く濃くなるものなのだ。
 犯罪結社〝ブラックロッジ〟の暗躍、破壊ロボによる破壊活動と見え隠れする魔術師の影……。
 激化するブラックロッジの犯罪活動に対抗するため、覇道財閥がその財力と技術力の全てを結集して造り上げた最後の切り札が、鬼械神デモンベインである。
 ふとしたきっかけで魔導書【ネクロノミコン・機械語写本】と契約したシンは、鹵獲した破壊ロボを改修したデモンベイン二号機〝デモンペイン〟のパイロットとなり、アーカムシティの平和を守るためにブラックロッジと戦うことを決意した。
 そのような経緯からシンは現在、昼はキャンパスで禁断の知識を学ぶミスカトニックの学徒、夜は最強の魔導書を家庭教師にマンツーマンで外道の技術を教わる見習い魔術師、そして破壊ロボが出ればデモンペインで出撃し、奇怪な事件が起きれば魔導探偵の助手として夜の大魔道都市を駆けるなど、毎日24時間どっぷりと闇の世界に浸かった日々を送っている。

 そんなシンと、ペルデュラボーやエセルとの関係はと言えば――良くも悪くも「昼飯を一緒に食べる仲」としか言い表しようがない。
 魔術を学んでいることは伏せ、表向きの所属である歴史学科の学生として二人に接しているし、またシン自身もペルデュラボーとエセルの詳しい経歴も、二人の関係も知らない。
 二人が兄妹なのか、それとも恋人なのか……それすらもシンは知らないし、また知りたいとも思わなかった。
 二人はこの大学に入って初めての――そして現時点では唯一の――友達である、その程度の認識でシンは満足していた。

 そう、シンにとってペルデュラボーとエセルは友達であり――〝護るべき人達〟なのだ。

 魔術漬けの毎日の中で、二人と他愛も無い雑談に興じるこの短い時間だけ、シンは闇の世界を忘れることが出来る。
 二人の存在が、狂気に押し潰されようとするシンの心を「こちら側」に繋ぎ留めているのだ。
 シンにとってペルデュラボーとエセルは、〝元の世界〟でどれだけ渇望しても結局手に入らなかった「優しくて暖かい世界」そのものだった。
 だから「護る」と誓ったのだ……ペルデュラボーを、エセルを、このアーカムシティを。
 魔術師ではない、ただのシン・アスカとして二人と笑い合いながら、密かに決意を改めるシンだった。

 その時、シンのポケットの中で携帯電話が振動し、メールの着信を告げる軽快な電子音が辺りに響いた。
 瞬間、まるで時間が凍りついたかのようにシンの笑顔が固まる。
 駆動系が擦り切れたモビルスーツのようにぎこちない動きで携帯電話を取り出し、液晶画面に浮かぶ差出人の名を目にした瞬間、シンは思わず天を仰いだ。
 否、初めから解っていたことではないか……〝携帯電話もインターネットも無い〟この世界で、自分に〝メールする〟人間などたった一人しかいないのだから。

 シン・アスカには苦手とする女性が「この世界」に三人いる。
 一人は最強の魔導署を自称する見た目はロリっ娘中身は鬼婆な家庭教師、二人目は下宿している教会のシスター。
 そして最後の一人が、このメールの送り主――シンの学生生活を経済的に支える〝足長お姫様〟にして魔導探偵師弟の雇用者。
 世界経済を牛耳る超巨大財閥、覇道財閥の総帥にしてアーカムシティの実質的な支配者。

 液晶画面のメール差出人欄には『覇道瑠璃』の四文字が、その下の本文には「すぐ来い」とやはり四文字が羅列されていた。
 あの人はどこぞの非公開組織の総司令かよ……と、携帯電話を折り畳みながらシンは深々と嘆息する。
 どうやら午後の講義はサボり決定らしい。

「またバイト?」
「ああ、急な仕事が入ったから今から来てくれだってさ」

 怪訝そうな顔で尋ねるペルデュラボーに簡潔に説明し、シンは携帯電話をポケットに捻じ込んだ。

「アルバイトにばっかり夢中になって、単位落としても知らないわよ?」

 心配そうな言葉を――しかし大して案じていないような涼しい顔で――かけるエセルに、シンは「平気平気」と掌を振って返しながら席から立ち上がる。
 善は急げ、急がば回らず正面突破である。
 必要以上に時間をかければ援助の打ち切りどころか社会的に抹殺されかれない、覇道瑠璃とは(地位的にも性格的にも)そういう人間なのだ。

「じゃ、そういう訳だから」
「ん、頑張ってね」

 まるで敬礼するように片手を上げるシンに、ペルデュラボーが首肯を返す。

「それにしても……便利なものだね、その〝ケータイ〟ってものは。電話線が無くても電話が出来るし、一瞬で手紙を送れたりもする」
「まだまだ実験段階だけどな。でも来月には――試験的にだけど――アーカムシティで一般発売されるし、来年の今頃には世界規模でのサービスが予定されてる」

 感嘆の声を上げるペルデュラボーに、シンはそう言って照れたように苦笑いを浮かべた。

「ペルやエセルもモニターをやってみないか? 覇道のお姫様に頼めば試作品の一つや二つ位なら回してくれると思うぞ」

 シンの提案に、ペルデュラボーとエセルは揃って首を振る。

「僕は良いよ、そういう〝ハイテク〟には余り明るくなくてね。どうせ来月には正式販売されるんだし、その時改めて考えさせて貰うさ」
「右に同じく。別に今すぐに必要って訳でもないしね」

 二人の返答に、シンは「そっか」と言って残念そうに笑う。

「じゃあな。ペル、エセル」
「またね、シン」
「さよなら、アスカ君」

 別れの言葉と共に席を離れるシンに、ペルデュラボーとエセルも手を振って応える。

 そして――、

「「「――また、明日」」」

 三人の言葉が、重なった。



「また明日、か……」

 シンが消えたカフェテリアの天井を物憂げな瞳で見上げ、ペルデュラボーは静かにひとりごちた。

「――『明日』など来るものか。ここは永久に覚めぬ夢の中、無限に連なる閉じた円環の内。
 我らは輪廻の鎖に繋がれた時の囚人、出口の無い迷宮を永遠に彷徨い続ける迷い子なのだから」

 嘲笑するように、あるいは自嘲するように酷薄な笑顔で紡がれるペルデュラボーの独白を、傍らに寄り添う黒い少女ただ一人だけが聞いていた。

 周囲にはエセルを除いて誰もいない。
 昼食時の最も混雑する時間帯だというのに、二人が座る席の周囲だけ、まるで別世界のように人の姿も、気配さえも存在していなかった。
 否――「まるで」などという曖昧なものでなく、事実、二人の周囲は異界と化していた。
 濃厚な闇の気配が付近に充満し、徒人を寄せ付けぬ強固な結界を形成しているのだ。
 眼鏡を外し、亀裂のような笑みを浮かべる金色の少年の横顔には、つい数分前までシンと笑い合っていた〝ペルデュラボー〟の面影など、最早どこにも無かった。

「ここは最果てよりもなお荒涼とした、鉛色の地平が続く陰鬱な世界。瘴気と狂気は犯し合い、果て知れぬ夜を流れるのは恐怖と冒涜――憐れだとは思わないか、エセルドレーダ?
 大十字九郎も、シン・アスカも、この世界に生きとし生ける全てのものが、夜が明ければ日はまた昇る、冷たい夜を越えれば『明日』は必ず訪れると盲目的に信じて疑わない。
 そして人は、世界は何度も繰り返す。偽りの『明日』を求めて生き足掻く。その無意味さに最期まで気付くことなく、未来永劫、過去永劫……何という道化、何という愚かしさ!
 如何に足掻こうと、どれだけ抗おうと、結局誰も救えず救われぬというのに。〝優しい世界〟など所詮は幻想に過ぎぬというのに。何故あいつは気付かない、何故戦い続ける!?」

「マスター、怒ってる……?」

 不安そうに見上げるエセルドレーダの呼び掛けに、金色の少年はふと我を取り戻した。
 昂っていた感情が急速に冷めていくのを感じる、そのことが不思議と名残惜しかった。

 懐かしい衝動だった。
 遥か昔に朽ち果て、忘れ去って久しい心の昂りだった。
 魔術とは感情を理性で制御し、昂る魂と魔力を融合し、製錬し、精製するものである。
 そんな魔術を識り究める魔術師にとって、このような剥き出しの感情など、「怒り」など邪魔なものでしかない。

 ――怒り?

「……そうだな、エセルドレーダ。認めよう。余は怒っていた、余は憤っていた。シン・アスカの短気が伝染ったのか、それとも〝ペルデュラボー〟に侵されたのか」

 そう言って今度は愉しそうに笑う己が主に、エセルドレーダは甘えるようにしなだれかかる。

 シン・アスカと出会ってから、主はよく笑うようになった。
 それも他の大多数の人間達やあの忌々しい〝魔を断つ剣〟相手のように嗤うのではなく、まるで一人の人間のように主は笑っているのだ。
 否――その瞬間だけは、シン・アスカの傍でだけは、主は本当に〝人間〟として過ごしている。
 偉大なる〝神の子〟として生まれた金色の魔人は、彼を友と呼ぶ少年の前でだけは〝人の子〟として生きようとしているのだ。
 それは退屈に蝕まれる魔人のほんの戯れなのかもしれない、あるいは全てを支配し弄ぶあの〝混沌〟への主なりの悪足掻きなのかもしれない。

 何にしろ、主がペルデュラボーと名乗るその瞬間だけは、主とシン・アスカは対等だった。
〝終末の獣〟の対となる存在が〝魔を断つ剣〟だとすれば、〝ペルデュラボー〟の対となる者は間違いなくシン・アスカだろう。
 常に主の傍に寄り添う、主の「半身」たるこの自分ではなく。
 そのことがエセルドレーダには妬ましかった、憎らしかった。
 シン・アスカが、羨ましかった。

 傍らの黒い少女が嫉妬の炎を燃やすその隣で、金色の少年もまたシン・アスカについて思いを巡らせていた。
 シン・アスカ――〝混沌〟によって創世され、終わりと始まりを無限に繰り返すこの箱庭の〝外〟からやって来たイレギュラー。
 台本も役割も与えられていない部外者の身でありながら、勝手に舞台に上がり込み、アドリブで道化を演じる大根役者。
 金色の少年にとって、シン・アスカの存在は路傍の石ころに等しい無価値なものに過ぎなかった。
 しかし〝ループ〟を重ねる中、その存在はいつの間にか、ただ踏み躙られるだけの砂利から気を抜けば躓く小石程度に影響力を増していた。
 更に繰り返す内に、石は石でも磨けば光る宝石の類ではないかと思うようになり、いつしかその存在に執着のようなものを覚えていた。
 そして気がつけば、シン・アスカの存在は彼の中で、あの〝大十字九郎〟と同等の――ベクトルは正反対だが――重さを持つようになっていた。

 認めよう、〝人の子・ペルデュラボー〟はシン・アスカに友情を感じていると。
 そして同時に、〝神の子・マスターテリオン〟にとっても、シン・アスカは無視出来ない存在であることを。
 マスターテリオン――黙示録の獣の名を冠する大魔術師、ブラックロッジの大導師(グランドマスター)、それがペルデュラボーを名乗る金色の少年の真の姿だった。
 この惑星の旧き支配者たる神々を蘇らせ、その邪悪なる力を以て地上を支配する“C計画”、その成就のためにブラックロッジは存在している。
 実はその“C計画”すらも建前で、その目的は別のところにあるのだが……それについては割愛する。

 無限に繰り返す〝ループ〟の中で、マスターテリオンと大十字九郎は幾度となく「C計画の先の舞台」で侵し合い、犯し合い、熾烈なる血闘を続けてきた。
 しかしシン・アスカは一度たりとも「その領域」に辿り着いていない……〝毎回〟その前に、マスターテリオン自身の手によって殺してきたから。

「我が唯一の友よ、無限に殺され犯され続ける哀れなる贄よ。あと何度、余は貴様を殺せば良い……あと何度君を殺せば、僕は〝終わり〟に辿り着く……?」
「マスター……」

 嘆くように弱々しくひとりごちる主の肩を、エセルドレーダが優しく抱き締める。

 その時だった。

「う~ん、そうだねぇ……少なくとも「今回」は駄目そうだなぁ、残念ながら」

 空気を読まない不快な声が、二人の間に割り込んできたのは。

 瞬間、エセルドレーダの顔に鬼相が走る。
 テーブルを挟んだ二人の向かい側、それまでシンが座っていた席に、いつの間にか胸元が開いたスーツを身に纏う長身の女性が妖艶な笑みを浮かべて腰掛けていた。

「……〝這い寄る混沌〟!」
「ナイア、と呼んでくれないかな。エセルドレーダ?」
「お前が気安くその名で呼ぶな!!」

 番犬のように歯を剥き出して威嚇するエセルドレーダに、ナイアと名乗った女性は「やれやれ」と肩を竦める。

「……それで、一体何の用だ?〝混沌〟」

 興味なさげに前髪を弄りながら先を促すマスターテリオンに「つれないねぇ」と嗤いながら、ナイアは本題に入る。

「いやなに、君にはちょっとばかり謝らなければならないみたいなんでね……「今回」の舞台、残念ながら最期まで続きそうにないんだ。最悪“C計画”発動前に、世界が壊れる」
「……ほう?」

 ナイアの言葉に、マスターテリオンは興味を持ったように金色の双眸で一瞥を投げかける。

「何があった? また〝エドガー〟のような突然変異種でも現れたか?」

 過去唯一自分と「拮抗」した血闘を演じ、それ故に〝無かったことにされた〟幻のマスター・オブ・ネクロノミコンの名を口にする金色の少年に、ナイアは掌を振って否定する。

「それがちょっと説明が難しくてね……言うなれば今度は〝外的要因と内的要因の相互作用〟かな? しかも所謂「世界存亡の危機」レベルの。
 最近〝外〟から妙な圧力が掛けられててね、このままだと宇宙が潰れてしまう。しかも異常の中心は、どうやらまたシン・アスカみたいなんだよ」

 そう言ってナイアは――〝這い寄る混沌(ナイアルラトホテップ)〟は大袈裟な仕草で嘆息を零す。

 この宇宙は「ある目的」のために〝這い寄る混沌〟によって創られ、そして永劫に繰り返し続ける隔絶された世界である。
 天敵である〝旧き神々〟の介入を避けるべく、内側だけで完結したクラインの壺として創造した筈のこの宇宙は、しかし二度も〝外〟からの干渉を受けることとなった。

 一度目はシン・アスカの出現――これは別に問題ない、寧ろこの想定外の客人の存在は〝物語〟の完成度の向上にはとても有用であると言える。
 舞台を飾る二大俳優を引き立たせる「名脇役」として、シン・アスカはこの上なく使い勝手の良い駒だ。
〝魔を断つ剣・大十字九郎〟にとっては共に戦う仲間として、〝終末の獣・マスターテリオン〟にとっては偽りの平穏の象徴として、今やシン・アスカの影響力は計り知れない。
 そのシン・アスカがクライマックスを目前にして倒れることで、二人の最終決戦はより劇的なものになる。
 大十字九郎は赦さないだろう、大切な弟分を殺したマスターテリオンを。
 マスターテリオンは絶望するだろう、唯一の友を殺した自分自身に。

 シン・アスカの死によりこの対極なる者達は一層〝窮極〟に近づき、シン・アスカが死ぬ度に世界は一層〝窮極を超えた結末〟に近づくのだ。
 それが幾千幾億もの永劫を重ねた由緒あるこの「大舞台」で、シン・アスカというイレギュラーを〝混沌〟が黙認してきた理由の一つである。

 そしてもう一つ、主演男優の片割れである大十字九郎が何らかの理由で〝潰れた〟場合、その「代用品」としてシンを使おうという打算もある。
 そのために数ある魔導書の中から【機械語写本】を選び、〝第二のデモンベイン〟まで与えたのだが――その成果は残念ながらあまり思わしくない。
 どうやら舞台のもう一人の主役であるこの大導師殿はシン・アスカを主役昇格させることがお気に召さないらしく、〝毎回〟力をつける前に潰してしまうのだ。
 しかしこちらに関しては、大十字九郎が健在である現時点では然程問題にはならない。

 閑話休題。

 そのような経緯でシン・アスカという〝外からの異物〟を一度は受容したこの世界は、現在、二度目の〝外からの危機〟に瀕している。
 具体的には無数の妙な圧力のようなものが〝外〟からこの世界を襲い、このままでは針を刺された風船のように宇宙が破裂してしまう。
 しかも突き刺さる「針」の先端は揃いも揃ってシン・アスカに向けられているのだ、こいつが宇宙崩壊の元凶であることは間違いない。

 要約すれば、大体以上のようなことを力説するナイアだったが、その渾身の長口上に対するマスターテリオンの反応は――、



「コーヒーうめぇ」



 ――全然聞いちゃいなかった。

「き、君も大概いい性格になってきたね……」

 ずり落ちた眼鏡を持ち上げながら珍しく美貌を引き攣らせるナイアに、マスターテリオンは冷めたコーヒーを啜りながらつまらなそうに鼻を鳴らす。

「貴公の言う「〝外〟からの妙な圧力」とやらだが、それについては余に心当たりがある。つい先程のシン・アスカとの閑談の中に、謎を解くヒントが幾つかあった」
「へぇ……聞こうじゃないか?」

 興味ありげに目を細めるナイアに、マスターテリオンは首肯して続ける。

「昨夜、彼奴は夢を見たそうだ。夢の中で、シンは一つの預言を受けたらしい」
「預言?」
「シンの女難が世界を滅ぼす、という預言だ」

「…………は?」

 その瞬間、不覚にもナイアの思考は停止した。
 ナイア自身、人智を超えた異形の存在であるのだが、そのナイアを以てしてもマスターテリオンが何を言っているのか全く理解出来なかった。

「いつかは刺されるだろうとは思っていたが、まさか世界ごと潰されそうな修羅場になっているとは……あのラッキースケベ、今度は一体何をやらかしたのやら」
「アレでしょうか。シン・アスカが手に入らないならこんな世界は全力全壊、みたいな? ……傍迷惑な。ヤンデレにも程がありますわ」

 唖然と固まるナイアを余所に、マスターテリオンとエセルドレーダはほのぼのと談笑している。
 言ってる中身は色々とアレだが。

 何だこれは、何なんだこの会話は。
 女難がヤンデレで全力全壊? この二人は一体何の話をしているんだ。
 解らない、二人が何を言っているのかさっぱり解らない。
 もしや……これが巷で噂の〝じぇねれーしょんぎゃっぷ〟とかいう現象か!?

 些か現実逃避気味なナイアの傍で、二人の会話(というかマスターテリオン)は更なる暴走を始める。

「ところで……突然だがエセルドレーダ、余も戯れに〝ラブコメ〟をやってみようと思う」
「本当に唐突ですね、マスター」

 ラブコメって何だよ、おい。

「所詮この世は戯れに過ぎない。だから余も〝ラブコメ〟をやって、無意味にフラグを立てたり修羅場に入ったりする」
「あのマスター、もしかして喧嘩売ってます?」
「シチュエーションは、やはり学園モノが良い。妹キャラと隣の家の幼馴染はデフォ設定、曲がり角でぶつかる転校生とのファーストコンタクト。
 攻略対象は他に委員長や部活の後輩、あとコンビニのお姉さんとか禁断の担任教師ルートなど多種多様。シナリオは全て書き下ろしでお送りします」
「そー言えばこの人、この前そんな感じの馬鹿話をアスカ君としてたわね……あのマセガキ、後でブッ血KILL」
「そして学園を突如襲う怪異。緩やかに移ろう怠惰な日常は、一転して狂気と絶望と背徳の世界へと裏返る。
 異変の謎に迫る主人公は余、ラスボスも余。怒涛の如く進む展開、続々と参戦する新たなヒロイン達。
 やがて来たる最終決戦の場で、余と対峙したシン・アスカはこう問いかけるのだ……それなんてエロゲ、と」
「果てしなくあの男にだけは言われたくないセリフですね……というかマスター、何気に目的を見失ってませんか?」
「最後に全ルートを制覇した後に出現する隠しシナリオ、その名も〝シン・アスカ補完けいk――」
「「はいダウトーッ! 色んな意味でそれダウト!!」」

 異口同音に声を上げるナイアとエセルドレーダ(直後、嫌そうな表情で顔を背けた)に、薔薇色のベクトルへ話を暴走させていたマスターテリオンはふと首を傾げる。

「ふむ……やはり〝シン・アスカ光源氏計画〟の方が良いと思うか、エセルドレーダ?」
「名前の問題じゃありません! そんな「今日の献立は何にしよう」みたいな淡白な顔で、何をトチ狂ったことを言ってやがるんですか貴方はーっ!!」
「そう目くじらを立てるな、エセルドレーダ。こただの余興だ。この永劫の中、余とて遊びに興じたくなる時もある。
 大体そこのストーカー女だって余と大十字九郎で似たようなことを――ハッ、ということはもしや余は攻略対象!?」
「……駄目だこの人」
「本当に代用品が必要なのは、九郎君じゃなくてこの子の方なのかもしれないねぇ……」

「朱に交われば赤くなる」という極東の格言さながらに、いつの間にか愉快な人格に変わり果てていた終焉の使者に、その従者とゲームマスターは揃って嘆息する。

 不意に、マスターテリオンは笑みを浮かべた。
 嘲笑するような、自嘲するような、まるで亀裂のような笑顔で嗤った。

「そう悲観することもあるまい。空間も時間も我らにとっては意味をなさない、宇宙の全ては泡沫の夢。壊れたら、また創り直せば良い……それだけのことだろう?」

 そう言ってマスターテリオンは手元のカップを再び、すっかり冷たくなったコーヒーに口をつける。

「愉快なことだとは思わないか、エセルドレーダ。路傍の石ころだと侮っていたシン・アスカが、今や隕石となって惑星を砕こうとしているのだぞ? こんな展開は余も初めてだ。
 無貌なる神よ。これよりこの宇宙で起きるあらゆる事象に介入は許さん、全てをありのままに見届けよ。その果てに待つものが単なる滅びだったとしても、余は一向に構わない」

「良いのかい、マスターテリオン。もしかしたら「次」は無いのかもしれないよ、九郎君ともシン・アスカとも決着がつかぬまま終わってしまうかもしれないのだよ?」

 意地悪く嗤いながら問う〝混沌〟に、マスターテリオンも薄く嗤う。

「――それこそ、我が本望だ」



 時の糸は、斯くものろまに巻かれてゆく……。



――To be continued...

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2009年01月24日 20:17
ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。