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双海亜美・真美

双海亜美・真美


 ……事務所の窓から外の様子を眺める。
 外は夏真っ盛りの熱気に包まれているが、今の時間帯は涼しい風が吹いていてエアコンが効き
すぎた室内よりも快適だった。
 わずかに視線を下げると、涼みに来たのか建物の陰に寝転んだ猫が目に入った。
 飼い猫なのだろうか、すぐ傍を人が歩いていっても手足を投げ出したままほとんど反応しない。
動いているのは右に左にゆらゆらと揺れる尻尾くらいのものだ。
 猫の顔が上がってこちらを向いた。一瞬だけ目が合うが、すぐに顔を背けて毛繕いを始めた。
 小憎らしくも心和ませる仕草にわずかに口元を緩ませて、ふと考えた。

 ――猫ってどんな味がするんだ?

 視界の中で猫がビクリと身体を震わせて飛び上がり、こちらを威嚇して弾丸のように逃げ去って
いった。ゆっくりとその方向を見やると今度はトボトボと歩いてくる犬が目に入ったが、その瞬間に
こちらに向かって数度吼えて唸り声を上げながら路地裏に姿を消した。
「……ヤバイな、これ」
 無意識のうちに猫や犬にすら食い気を発動させる食欲と、空腹を訴える腹の音を無視すること
も出来ずにデスクに突っ伏した。
 先月の給料が低すぎたこともあるが、それ以上にここ数日の浪費が激しすぎてエンゲル係数が
限りなくゼロに近い生活が続いていた。

 それもすべて今担当している三人のアイドルが事あるごとにやたら高い菓子だの飲み物だのを
要求してくるせいなのだが。
 余談だが経費を落とすという手段を知ったのはさらに数日が過ぎてからだったりする。
 マイヒストリーに新たなる1ページ、心の底から嬉しくねぇ。
「あー! シン兄ちゃんがげっそりしてる!」
「ホントだ~! げっそりげっそり~!」
 ゴロリと首を傾けると全く同じ容姿をした少女が二人。栄養失調で幻覚でも見てるんじゃないか
と軽く絶望しかけたが、髪留めの位置が左右対称であることに気付いて胸をなで下ろした。

 ――双海亜美・真美。765プロダクション最年少アイドルである双子の姉妹。
 双子であることを売りにしたアイドルなのか、と思いきや体力の少ない二人が交互に入れ替わり
ながら活動を続けているという極めて特殊なアイドルだった。
 もちろんこのことはトップシークレット、バレれば活動停止の可能性もあるという幼くして極めて
危うい立場でもある。その小悪魔的なキャラクターもさることながら、独特なコブシの効いた歌い
方も話題となってコアな人気を誇っている。

「ひょっとして、お腹ペコペコ?」
「かわいそ~……じゃあこのビーフジャーキーあげるね!」
亜美・真美の同情コンビネーションに思わずカチンときてしまった。
「えぇい、うるさいっ! 哀れむような瞳で俺を見るな! 余計に虚しくなってくる! だがそれは
それとしてそのビーフジャーキーは貰っていく!」
 すでに十万億土に片足を突っ込みかけていた自分にとって、その酒のつまみの代表格――
いや酒は飲まないが――は天の恵みに等しかった。
――プライド? それってこのビーフジャーキーより価値あるの?
「あっついわね~……シン、喉が渇いたわ。旬のアッサムを淹れてきてちょうだい」
 少し離れたところでウサギのぬいぐるみを抱えてエアコンの風を受けながら、伊織が注文を
投げかけてきた。


「絶対にノゥ! 自分でやれデコ助。つかそんなもんここに置いてあるのか?」
 噛めば噛むほど口の中に旨味が広がる感覚に満足しながら反射的に返す。
 が、すぐに自分の失言に気付いた。
「……へ~、そう。なんか突然ショッピングに出かけたくなってきたわ、五時間ちょっとくらい」
「分かったよ淹れて来ればいいんだろ!?」
 伊織と亜美・真美、そしてもう一人は午後からのライブに備えて待機中である。打ち合わせが
予想よりも早く終わったので暇を持て余しているのだが、こんな状況であってもマネージャーは
アイドル達の機嫌を損ねないように気を張っていなければならない。
 絶賛大不調なテンションではあるが、それでも職務は職務である。
「なかったら諦めろよ!」
 と言い捨てて給湯室に向かった。

「……あるし。なんて用意がいいんだよプロデューサー」
 伊織専用と見覚えのある几帳面な字で書かれた袋を手にして思わず唸る。
 だがよくよく考えれば紅茶の淹れ方なんて知らないのだった。とりあえず緑茶と同じ
要領で淹れてみたが、色も付いてきたし問題はないだろう。
 ポットを持って伊織たちが待つ部屋に戻ろうと給湯室を出たところで、小柄な人影と出
くわした。空腹のせいで若干視界がボヤけ気味だが、服装から察するに清掃員だろう。素
通りするのも気が引けたので声をかけることにした。
「お疲れ様です」
「あ、ありがとうございます!」
 すれ違い様に返ってきた言葉の元気の良さに我知らず笑みが浮かび、
「ってちょっと待て! 何やってんだよ、やよい!?」
 慌ててその肩を掴んだ。
「あうっ!? いきなり引っ張らないでくださいよ~」
 こちらに向き直った清掃員の格好をした少女が目尻に涙を浮かべながら抗議してきた。

 ――高槻やよい。ゴム長靴に三角巾にモップという前後左右どこからどう見ても清掃員
の格好をしているが、これでも765プロきってのアイドルである。
 五人姉弟の長女で父親の仕事が安定していないため、貧乏な家計を支えるためにアイド
ルになったという家族思いで健気な性格の持ち主である。
 その特徴的な歌唱力と持ち前の明るさに惹かれたファンも多く、765プロの元気印と
して徐々にではあるが頭角を現してきている。
 余談だがシンの給料の何割かは、どうしても手が回らないという彼女の給食費の代替わりに消えたのだった。

「午後のライブに備えて今は待機のはずだろ、なんだってこんなことしてんだよ?」
 少しキツめに問い詰める。というのも、今回のようなことは初めてではなかったからだ。
「うぅ~……今日は清掃員のおばさんが一人体調崩して休んでるって聞いて、時間も空い
てるし手伝おうかなって」
 やっぱりまたか、と頭を抱えて小さく呟く。
 ――伊織みたいにワガママなのも困るけど、やよいみたいに周り優先なのも考えものだよな……
「とにかく掃除は終わりだ。着替えて伊織たちと一緒に待機してくれ。もうすぐ春香たち
も戻ってくるだろうし」
 携帯電話で時間を確認する。あと30分もせずに午前の仕事を終えたアイドルたちを乗せた
ロケバスが帰ってくる頃だ。
「えっ? もうそんな時間なんですか!?」


 慌てた様子から時間も忘れて掃除に没頭していたのが分かった。何事に対しても一生懸
命なのはいいのだがもう少し周囲を見て行動してほしいところだ。
 ――って俺が言えた義理はないか。
 内心で苦笑する。元の世界で問題行動を起こして営巣入りを命じられた自分から浮かん
だ言葉とは到底思えなかった。
「? どうかしたんですか?」
「いや、なんでもない。早く片して来いよ」
 気を取り直して改めて告げる。
「わ、わかりました! 急いで着替えてきます!」
 背中にドタドタという足音を受けながら、ポットを片手に早足で伊織たちの待つ部屋に向かう。
 ――あの高飛車娘のことだ、遅いってまた突っかかってくるんだろうなぁ。
 重苦しい溜め息をつきながら、部屋に着くまでにうまく追求を交わす方法を考えることにした。


「遅いじゃない! お茶が冷めちゃうでしょ!?」
 予想通りの反応だった、当たったところで全然嬉しくないが。
「飲まないんならこれは流しが飲み干すことになるんだが、いいか?」
「やぁねぇ、飲まないなんて言ってないじゃない。ほら、ご褒美にこのビーフジャーキーあげるわ」
 コロリと表情を変えて伊織が未開封の袋を差し出してくる。相変わらずの切り替えの早さは
流石と言うか何と言うか。
「やっすい報酬だな……って犬用かよ!? どっから持ってきたんだこんなもん!」
 嫌がらせになんて手間かけてるんだよ、とビーフジャーキーを払い落とすがその袋に貼られた
シールに刻まれた値段を見て思考が停止した。

 ――最近の犬は、俺の一日の食費より高いもの食ってるのか。
 湧き上がってきた首を括りたくなる衝動をなんとか押し殺す。
「そこに置いてあっただけよ。気にせずたんと召し上がりなさい」
「召し上がってたまるか!」
 そう言いながらもビーフジャーキーを回収したのは犬用だろうと食い物を粗末にしては
いけないという顔も覚えていない祖母からの教えに沿った行動をしたまでであって、少し味が
気になるとか犬用でも人間様が食えなくはないだろうとかちょっとした冒険だなという溢れる
冒険スピリットが発動したからでは断じてない、ないったらない。
「まぁ食べないならそれでもいいけど。ふふん、やっぱりコレよね~」
 ポットからカップへと琥珀色の液体を注ぎ、香りを楽しむ伊織の仕草はまるで作法であ
るかのように淀みなく洗練された動きだった。そのまま流れるようにカップに口をつけ、

 直後に深い皺が眉間に刻まれた。
「なっ、何よこれ!? 渋すぎるじゃないのよ!」
 ギロリと鋭い視線がこちらを射抜こうとするかのように向けられる。
「え? 俺?」
「アンタ以外に誰がいるのよ!? あぁもう、こんなに茶葉入れてるし!」
 それから矢継ぎ早に罵詈雑言をぶつけられたが、途中から耳を塞いでやりすごした。す
ぐにバレるかと思ったが、ヒートアップした伊織は気付くことなく息切れするまで止まる
ことはなかった。頃合を見計らって両手を耳から離す。
「っ、とにかく! 今後こんなことがないように紅茶の淹れ方勉強しときなさい!」
「いえっさ」
 俺コーヒー派だから多分ずっとしないだろうけど、と内心で補足した。
「まったく、これを飲まないと一息入れた気分にならないっていうのに……」
 そう呟く伊織の背後で双子の悪魔がそう呟く伊織の背後で双子の悪魔がんっふっふ~と
怪しげに笑っていた。


「そんなこと言ってるけど、いおりんってホントは紅茶の味なんて分かんないんだよね~」
「そうそう、この前も亜美たちがこっそりティーバックで入れた紅茶とすり替えたのに
『ふぅ、やっぱりこれを飲まないと落ち着かないわね』なーんて言いながらくつろいでたし~」
 なっ、と伊織の目が大きく見開かれた。
「それにそれに~、この前兄ちゃんが食べてたカップラーメンを貧乏臭いとか言ってたけど」
「その後でこっそり自分で作って『たまにはこんなのも悪くないわね』とか言いながら完食してたし~」
 ――兄ちゃんってプロデューサーのことか、ラーメンが余ってるなら分けてほしいとこだ。
 そんなことを考えつつ伊織の様子を見やる。握られた小さな拳はわなわなと震え、顔は額まで真っ赤に
染まっていた。ここまで感情を露にする伊織も珍しい。
今にも爆発しそうだな、と思ったところで

「あ、あ、アンタたち~~~!!」
 一気に噴火した。予想よりも沸点が低かったようだった。
「きゃ~! いおりんが怒った~!!」
「逃げろ逃げろ~!」
 蜘蛛の子を散らすように――と言っても二人だけだが――逃げ出した双子をアイドルにあるまじき鬼神
の形相で伊織は追い回す。
「シン! アンタも手伝いなさい!」
 ――そうは言うがな伊織。正直バイタリティ溢れる亜美真美ペアに対抗するにはエネルギーが足りない、
少しだけ足りない。援護が欲しいならデュートリオンビーム(と書いて食料と読む)を求む。
 という旨をジェスチャーで伝えたところ、一睨みされてそれっきりこっちに意識を向けることはなくなった。
「すいません! 遅れました……って、え!?」
 ある意味最悪のタイミングで部屋に入ってきたやよいは目の前で繰り広げられるデッドヒートに目を
白黒させていた。まぁ無理もないことだが。
「おぉっと、やよいっちナイスタイミング!」
「くらえいおりん! 今、殺の! やよいっちバリアーーー!!」
 そう叫ぶや否や、双子はやよいの肩を掴んで伊織の方へと突き出した。

「えぇぇ~~~っ!?」
 目を爛々と輝かせながらアイドルにあるまじき鬼のような形相で迫ってくる伊織、
 やよいを盾にしながら心底嬉しそうにはしゃぎながら逃げ回る亜美・真美
 双子に動きを封じられかつ伊織の放つ凄まじい迫力にあてられて半泣きになっているやよい、
 それぞれの状態を確認して、止めることを諦めた。
 はっきり言って自分がどうにか出来る事態ではない。単機で二個中隊のMSに挑むほうがまだマシの
ほうに思えるほどだ。
 ――子供の相手はキツイな……
 伊織が置いたウサギのぬいぐるみと一緒に暴れまわる三人の姿をぼんやりと眺め続けた。

 それから20分後、春香たちとともに帰ってきたプロデューサーによって事態は沈静化したが
当然の如く何の対処もしなかった――というか出来なかった――自分もこっぴどく叱られた。
 その後のライブにほとんど影響が出なかったのは不幸中の幸いと言っていい。
 ひもじい思いを抱えつつも今日はこの程度で済んでよかったと安心していた。
 ……ロケバスに揺られて事務所に帰るまでは。
                                           ~続く~





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最終更新:2008年07月11日 20:12
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