ある何の変哲も無い夜 後編
『変……身…』
まるでその言葉自体に言霊が宿っているかのように、罅割れた隙間から零れ出たシンの言葉は不思議とその場に響いた。
バックルに嵌め込まれたベルトから血管のような光が奔り、シンの神経に絡みつくように覆いつくす。
手に手にそれぞれシャベルや斧を持った男達が飛び掛るが、発光する光に弾かれていく。
まるで篝火に群がっていく虫のように、弾かれた男達の身体が燃え、炭化していく。
発光現象はほんの数秒であり、その中から出てきたのは異形の存在であった。
鉛色のボディースーツにコートのような衣装、頭部を覆うのは兜のような金属質であった。
何よりも目を引くのはその顔だ。
無貌の仮面
鉛色のそれは、瞳に類する部位も、口元に類するものも存在していなかった。
それが何よりもシンを異形のものとして見る者を震撼させる。
もっとも、この場にいる者の中にそのような正常な判断を下せる者が果たしているのかという疑問が残るが。
先ほどシンに眉間を打ち抜かれ顔中から黒い触手を生やした男が小刻みに身体を震わせると、身体中から皮膚を食い破り黒い羽が生える。
それを合図とするように、その場にいた者達が次々と身体を振動させると、身体中から同じく烏のような羽を生やす。
狭い宿の部屋が、皮膚を食い破る水音と、トマトを落としたような不快な音で埋め尽くされる。
木造の床や壁には赤黒いシミがペンキをぶちまけた様に所々に広がっていく。
正常な感覚を持つ者であれば或いは嘔吐さえしかねない地獄絵図のような光景であった。
シンの表情はその仮面からは全く伺うことが出来ない。
異形の化け物と化したモノ達が、彼らにだけ伝わる合図と共にその触手を鞭のようにしならせながらシンに向かっていく。
次々と繰り出される触手は、ベッド、タンス、椅子といった家具を紙粘土の細工か何かのように粉砕していくが、
狭い室内をシンは器用に身を翻しながらかわしていくと、窓ガラスを蹴破り空へと飛び出す。
眼下に目をやると、宿の客達と同様に異形と化したモノ達で、一面が覆い尽くされていた。
おそらく町中の人間が最早人間としての姿を保っていないであろうと大方の目途を付けながら落下していくシンの心は依然として揺るぎ等無く、
ただ、黙々と腰に下げた円盤を手にする。
グリップを握ると同時に、円盤からは幾つモノ突起が出現する。
それは、一つ一つが銃口に似ていた。
視界に、先ほどの宿屋の主らしきモノが映ったがシンは躊躇する事無く言葉を口にする。
『ドラグーン』
主の声に応えるように、円盤から生えた十もの銃口から一斉に光の矢が照射され、眼下にいるモノ達を焼き払っていく。
空中で器用に回転しながら、足場を作るべく、真下の化け物達を焼き払い、炭化した躯に着地する。
枯れ木を踏み砕いた感触に頓着せず、シンは回りを見渡す。
「これはまた……随分な数だな…」
『マスター…このフォームですと、些か持久戦には不利かと進言いたします』
「お前に言われるまでもない……」
シンは周囲をドラグーンで焼き払うと、素早くバックルにある四つのボタンの一つに指を掛ける。
黒・赤・青・金の四つのボタンの内、シンは金色のボタンを押す。
発光と共に、ジャケットの細部と、背中に二門の細長いライフルを備え付けた金色の姿に変わる。
異形のモノ達が次々と触手を伸ばしていくのを、今度は避けようともせず、すぐさまシンは無数の羽の触手によって埋め尽くされる。
しかし、触手は触れた傍から不可解な音を立てて焼け爛れていく。
肉を熱した鉄板で焼くような音と共に、依然変わらぬ様子のシンが悠々と歩みを始める。
腰に付けた筒を手にすると、その先から刀のような光の刃が現れる。
シンは、軽く肩を回すと、一歩踏み出す。
同時に、引き絞られた矢のような踏み込みと共に、一振りで纏めて五、六匹の化け物たちが光の刃で断ち切られる。
それに化け者達は怯む事も無くシンに踊りかかるが、怯みも躊躇も無いのはシンもまた同様であった。
◇
「これで片付いたか……」
バックルを外すと共に、金色の姿から、シンは元の姿に戻り、傍らに少女が現れる。
「マスターから著しい消耗が見受けられます。汚染の少ない場所にて休息されることを進言致します」
「ああ…確かに休みたいよ」
フウッと大きく息を吐いたシンの回りには、一面腐臭と、焼け爛れた断面から煙を上げる屍が転がっていた。
最早、服装で辛うじて生前男であったか女であったのかがわかる程度だ。
一体何匹倒したのか、数えるのも馬鹿馬鹿しいものであったが、シンは肩をゴキゴキと鳴らし、大きく伸びをする。
ここ最近ではこれほどの数を相手にした事は無かったな、とシンは白み始めた空を見上げながら思う。
その時、シンの視界に微かな物音と共に、人影が現れる。
「誰だッ!」
懐から銃を抜き放ちながら、人影に向き直る。
「ヒッ…」
銃口を向けられ、怯えたように短い悲鳴を上げたのは、シンに外国の話をねだったあの少女だった。
少女は怯えながら、おそるおそる口を開く。
「そ、その…私…怖くて……それで、隠れていて……」
自分も化け物の仲間と思われているのだろうと、幼心に察したかのように、少女は足を震わせながら口を開く。
涙を浮かべながら、痞え痞えに声をあげる少女に、銃口を向けたまま、シンは傍らに寄り添ったデスティニーに小声で話しかける。
「ティニー……奴らに擬態する能力は?」
「今のところは確認されてません」
「そうか……」
今のところ、アサキムの分身、使い魔とも言える鴉達は群れを成し、恐怖心どころか感情らしい感情を持たない。
そして、シンに対してだけであろうか、ただひたすらに好戦的であるというのがデスティニーの中のデータであった。
少女は、自分に掛けられてた疑いが晴れた事に、表情を明るくし、シンに駆け寄る。
パンッ
もんどりうって倒れたのは少女であった。
その眉間には風穴があり、どろりとした脳漿が零れ出る。
今尚、硝煙を上げたままの銃を下ろしながら、シンは無感情な瞳をもって少女の死体を見下ろす。
「じゃあ、こいつが最初のケースってわけだ」
「そうですね」
デスティニーもまた、一切驚きの表情も浮かべずに少女を見下ろす。
それは、主の判断が正しく、自分のデータにない事にシンが気付いていたからというわけではなかった。
それは彼女にとっては瑣末な事である。
言ってしまえば、シンが勘違いしていただけで、この少女は本当にただのいたいけな人間の少女であっても構わなかった。
シンが誤って無辜の少女を撃ち殺していようがどうでも良かった。
シンの下した判断である、それがデスティニーの全てであり、白か黒かという問いかけでさえ下らない問いであった。
◇
「酷い……酷いよ……」
無感情な幼い声が倒れた少女の口から漏れ出る。
シンもデスティニーもそれを黙って見遣る。
少女はゆっくりと立ち上がると、かぱりと小さな口を開く。
シンには聞き取れないが、喉の震えから少女「らしきモノ」が何かを叫んでいるのがわかった。
そして、その声に呼応するように、周囲から何かを引き摺るような音が次々と響く。
それはシンが先ほど片付けた化け物達の死体であった。
「オイオイ……マジかよ」
言葉とは裏腹に、シンは平坦な声で、しかしどこかうんざりしたように声をあげる。
宿からも、その音は響いてくる。
下半身が無くなり、這って出てくるもの、逆に上半身が無く下半身だけで歩いてくるものと様々な有り様に、シンは微かに眉を顰める。
デスティニーは、僅かに瞳を細め、少女と、再び動き出したもの達を見比べる。
「マスター…」
「何だ」
「どうやら、今までとは異なり……一体の母体……いわば女王が統括するというシステムに変わっているようです」
「なるほど……それを殺さない限り甦ってくるっていうオチか」
「確証はございませんが」
そう囁き合うシンとデスティニーの背後に音も無く化け物が忍び寄る。
振り下ろされた触手を、シンとデスティニーは横跳びにかわすと、すぐさまシンはデスティニーに視線を向ける。
「なら話は早い…」
「ハイ」
主の意を汲んだデスティニーは即座に粒子化し、自身に追い討ちのように振り下ろされた触手が触れる前にシンの身体を包み込む。
バックルにデッキを嵌め込むと、赤いボタンに手を掛ける。
赤い光と共に、先ほどとは異なり、シンプルなフォルムの赤い姿に変わる。
横薙ぎに払われた触手をシンは素早く蹴り払うと、触手はシンの脚部に出現した光の刃によって切り裂かれる。
「咄嗟とはいえ……嫌なフォームになっちまったな…」
赤い戦士に変貌したシンは、無貌の仮面の下から心底嫌そうな声をあげる。
そう独りごちるシンに、再度化け者達は次々とシンに襲い掛かる。
シンは赤銅色の脚部、手甲からそれぞれ紅い刃を抜き放ち、舞踏を舞うように切り裂いていく。
先程までのやり取りと同様に、一方的な展開が続く。
しかし、確実に異なる点があった。
「クッ…」
数十度目のやり取りの後に、赤銅の戦士がよろめく。
そう、確実に異なるのはシン自身の体力には限界があるという点であった。
そして、それを従者であり、奴隷であり、兵士であり、傀儡達に自らを守らせながら、女王である少女は見て取った。
初めて、少女の表情に変化が現れる。
それは紛れもない『笑み』であった。
しかし、シンはその笑みの意味するところに、ふとした違和感を覚えた。
それは、一見すると、優越に浸った勝者の笑みのようであったが、シンの中の長き時を修羅場の中で過ごしてきた嗅覚が何かを告げていた。
その違和感が何かを考えながら、更に幾度目かの攻防の後に遂にその時は来た。
「ハッ…ハァッ…」
荒い息を立てながら、遂にシンは膝を付く。
『マスターッ』
珍しく、狼狽したデスティニーの声がバックルから漏れるのを、女王は聞き逃さなかった。
その幼い外見には不釣合いな笑みが浮かぶ。
シンは仮面の下から、その笑みをジッと睨み付ける。
女王が、喉を震わせると、突如としてシンの眼前で、身体が欠損した無数の異形のモノ達が集まっていく。
その光景は、互いを補い合うようであり、もしくは貪り食うようでもある。
そうして異形のゲテモノ達は不愉快な水音を立てて纏わり合い、肥大化していく。
町中の人間の集合体とでも言うべき巨体は優に高層ビルの如くである。
少女はその巨人の肩にちょこんと乗りながら、少女の人差し指程度の大きさのシンを見下ろす。
「やっぱりね……」
シンは仮面の下で呟く。
◇
女王は、抑え切れない感情に身を委ねていた。
彼女の創造主から植え付けられたこの『感情』というもののおかげで、自分は同属の中から一つ抜きん出た上位固体となる事が出来た。
感情を持つが故に、心理を読み取り、また同属が寄り代とした人間達の脳に電気信号を送る事で意のままに操る事が出来る。
だが、一方でその感情故に、理解の出来ない衝動を抱いた。
眼下にいる、主によって殺す事を命じられた対象の戦力が自身の演算能力を上回りつつある事への衝動。
その衝動が理解出来ない内にようやく対象の戦力に翳りが見えたことに、彼女は抑えきれない顔面の筋肉の動きを覚えた。
それが『笑み』と呼ばれる筋肉の運動だとは知らなかった。
そんな彼女の眼下で、赤銅の戦士は膝を付いたまま、ベルトのバックルに手を掛けていた。
◇
「予想通り、一気にケリを付けに来たわけだ……そりゃあそうだよな、さっさと終わらせたいよな……しんどい事は。くどいくらい繰り返してりゃあうんざりしてくるよな。終わってくれって、焦るよな………終わりが見えたらさ……笑うよな」
語りかけるように、一人シンは呟く。
ゆっくりと指をバックルの青いボタンに掛け、力強く押し込む。
「ようやく終わるって安心するもんなぁッ!!」
発光現象と共に現れたのは、血生臭さの漂っていた他の形態とは異なった清浄な空気を纏った青。
海のように深く、空のように澄み切った青い戦士。
そして、その手には、シンの身長程もあるという強大であり、巨大な鉄槌のような兵器が鎮座していた。
それを、軽々と両手で構えると、鉄槌の側面が開き、巨大な砲門と化す。
青白い光が辺りの空間すら歪め、急速に集束を始める。
「ゲテモノには過ぎた見世物だ!!感謝して死ね!!」
女王は、自身の眼下で起きている現象を理解出来ぬままに、巨大な僕に命ずる。
しかし、振り下ろされた大木のような触手も、巨体も、町の家々も、そして女王も、全てを光が呑み込んでいく。
自身が蒸発していく音を聞き取りながら、女王は最後にようやく自分の中の感情に合致した名前を検索し終える。
「コレが……キョウフ……」
◇
網膜を焼き尽くすような光の奔流の後には、最早何も残っていなかった。
シンは鉄槌を傍らに置くと、バックルを外す。
傍らに現れた少女に目もくれることなく、静かに、深く溜息を吐く。
それは、最後の最後に、あのような汚らわしいゲテモノ達に『彼女』の力を使った事についての自分自身への自己嫌悪からの溜息であった。
デスティニーは、何も言わずに、静かに佇むシンの横顔を見つめる。
暫らく、瞑目していたシンは、何かを振り切るように顔を上げる。
「デスティニー……」
「ハイ」
「使えるベッドを見つけたら少し寝るぞ……」
「かしこまりました」
残骸ばかりが目立つ街並みを見渡しながら、シンはもう一度大きく溜息を吐いた。
~FIN~
最終更新:2009年02月06日 22:18