「クソッ! なんでだ!? なんでまたこうなるんだ!?」
プロデューサーが搬送されたという病院へ向かい走り続けながら叫ぶ。
時刻は夜、昼とは違う賑わいを見せる街を行く人々が動く障害物となって道を阻む。
「どけっ! どいてくれっ!」
目の前に立ちふさがる相手を掻き分けて進む。迂回という手は浮かばなかった。一秒でも早く進まなければな
らないという焦燥に駆られていたからだ。
奇異と苛立ちが篭った視線をすべて視界から外し、ただ行く先だけを見据えながら自問する。
――なんで、俺は何も救えないんだ?
焦りが染み渡った思考が最悪の未来だけを想像させる。ひょっとして、もしかしたら、そんな楽観的な考えは当
の昔に置いてきてしまった。
脚に感覚がない。事務所を飛び出して五分かそこらだというのに、すでに身体は極度の緊張のせいで疲労の極みに達しかけていた。
――なんで俺はいつも……守りたいものを守れない!?
両親を失った。マユを失った。ステラを失い、仲間から託された未来すらも失った。
いつも、いつもだ。かけがえのないものばかりが両手の隙間から零れ落ちていく。あわてて掬い上げたところで
失ったものは返らず、そしてまた零れていく。
――俺は……俺はっ!!
200mほど先で輝く赤十字の印を睨みつけながら、ただひたすらに脚を動かし続けた。
――事故。
その単語を聞いた瞬間考えたことはプロデューサーや美希の安否ではなく、かつて同じような話を聞いたこと
だった。
決して非日常的なものではない、しかし身近で起こるとは思わなかった出来事。
まして幼かった自分にはそのことをすべて理解することなどできなかった。
……ただ、「いなくなってもう会えない」ということだけを漠然と感じていた。
「あ、シン君!?」
音無さんの叫び声で回想が打ち切られる。まだぼんやりとした意識の中で、ドアを弾き飛ばすような勢いで走り
去っていったマネージャーの姿を捉えた。
反射的にその背中を追いかけようとして、止まる。
――もう、間に合わないかもしれないのに?
過去の傷が警告する。もう事故は起きてしまったのに、もう病院に運ばれてしまったのに、今から必死になって
走ったところで、もうすべては終わってしまっているかもしれないのに、
それでも彼を追いかけるというのか、と。
「……そんなこと、ない」
勝手に漏れ出た言葉に自分が一番驚いた。しかしその一言がきっかけとなり、地面に縫い付けられたように動
かなくなった足が自由を取り戻した。
「私も、行ってきます!」
新たに宿った衝動に従って、すでに駆け抜けて行ったマネージャーの背中を追いかけ始めた。
「いやさ、本当に悪かったって」
「うるさい。バナナの皮で転んで頭打って一週間ほど寝込みやがれこの馬鹿プロデューサー」
事務所を飛び出して30分後、頭に包帯を巻いたプロデューサーに悪態をつきながら今まで走ってきた道を四
人で戻っていた。
プロデューサーの怪我は大したものではなかった。トラックに跳ね飛ばされたものの奇跡的に軽い打撲と程度
で済み、検査もすぐに終わるほど身体に異常はなかったらしい。
という説明を聞いた直後に看護士から強引に場所を聞いた自分が飛び込んできたんだそうな。おかげでとん
だ恥をかいてしまった。
「参ったな、そんなに心配してたとは思わなくて」
「気楽だなアンタは。こっちはまた……」
――また、零れ落ちてしまったのかと不安だったというのに。
という言葉を喉元で抑えつける。プロデューサーがこちらの事情を知らないことを失念していた。
「……小鳥さんも血相変えてたんですからね。プロデューサーの怪我のこと知ったら根に持ちますよきっと」
「う、それは怖いなぁ……あれ? ひょっとして千早も怒ってる?」
後ろを振り向くと涙を目に溜めた美希と不機嫌そうな千早が並んで歩いていた。
「当たり前です。安心していないわけではないですけど、この時期にプロデューサーが倒れたら私たちにも大き
な影響が出ます。それも決して良くないものが」
う、とプロデューサーが言葉を詰まらせている。秋スペを目前に控えた千早たちからしてみればこの危惧は当
然のものだろう。
だがそこまで一気に喋った千早は、悲しみを称えた瞳で続きを語った。
「もっと自分を大事にしてください。私たちだけじゃない、春香たちにとってもプロデューサーは欠けてはならない
人なんです。トップアイドルを目指すとみんなと約束したじゃないですか」
「千早……」
その言葉の裏には少なくない失望があった。彼女の立場で考えるなら、夢を果たすまで共に歩むと誓った相
手に裏切られたような気持ちなのだろう。事故とはいえ、その約束が果たされなかったのかもしれなかったのだか
ら。その気持ちはすべてとは言わないが理解できるものだった。
「……すまない、軽率だった」
プロデューサーは深々と頭を下げた。だがその姿を見て、今まで泣きじゃくっていた美希が叫ぶ。
「違う、違うの! プロデューサーさんは私を助けてくれて、だから……!」
途中に何度か嗚咽交じりだったものの、美希は真相を語った。
簡潔にまとめるとプロデューサーと美希が二人で並んで歩いていたところに猫が現れ、美希が近づこうと車道
に飛び出したところでトラックが突っ込んできたらしい。危うく轢かれそうになった美希をプロデューサーは身を挺
して突き飛ばし、トラックに撥ねられた……ということだった。
「そんな、なんでそのことを言わなかったんですか!?」
すべてを聞いてプロデューサーに向き直ると、申し訳なさそうな顔でこめかみを掻いていた。
「いやだってさ、どっちにしろ俺の責任だから話がこじれないなら言わないほうがいいかなと」
プロデューサーの真意が言葉通りではないことは分かる。美希に責任を感じさせないためにすべて自分のミス
として済ませようとしたのだろう。
とはいえ、真実を隠されたのは気分がいいものではない。
「いつか俺たちにコーヒーでも奢ってください。このことは社長には言いませんから」
「ハハ……助かる」
呆れるほかない。今回のことで多少なり自身に悪い影響があるかもしれないというのに。
――この人は本気で美希たちのこと想ってるんだな。
その気持ちを持っていたつもりだったが、今ここでその差を見せつけられた気がした。
「もう俺は大丈夫だから、君は千早を送ってくれないか? 俺は事務所に帰って報告しなきゃならないから」
「ミキに手伝わせて!」
特に必要ない、と言うプロデューサーだったが美希の「何もしないなんてできない」という主張に圧され、美希の
肩を借りて事務所に戻ることとなった。
「無事でよかったけど、無茶するよなぁあの人も」
千早を送る道中、あまりにも会話がなさすぎなことが心苦しくなって無理やり話題を出す。あまりこのことをぶり
返すのもどうかと思ったが、コーヒーの一件もあったので他に話題が見つからなかった。
「いざそういう状況になっても、助けられるかどうかは一か八だからな……」
このことについてはプロデューサーを讃えるべきだろう。もちろん車道に飛び出す前に止めるべきだったのだ
が、それでも美希が轢かれてしまうより――結果論ではあるが――マシな結果になったのは確かだ。
目の前で、大切な人を無くすことにはならなかったのだから。
「ホント、二人とも無事で……千早?」
気付けば千早はずっと後ろで立ち止まっていた。また何か気に障ることを言ってしまっただろうか、と嫌な汗が
背中で噴き出したところで千早の口が開く。
「……プロデューサーに、なんて言おうとしたんですか?」
言葉の意味を理解しかねていると、今度は意志のこもった視線と一緒に問いかけが飛んできた。
「さっき、こっちはまた……って言いかけましたよね? それはいったい?」
しまった、と今さら後悔しても後の祭りだった。ここで下手に誤魔化しても千早は不審がるだろうが、かといって
本当のことを話すわけにもいかない。家族のこと、ステラのこと、どちらも正直に話すには自分の正体を明かさな
くてはならない。
だが気付いたときには、右手にパステルピンクの携帯電話を握り締めていた。
「それは……?」
「…………携帯、妹の」
悩んだ末に、少しだけ真実を明かすことにした。できればすべて話すことは避けたかったのだが。
――いや、それは自分が嫌な思いをしたくないからなのかもな。
自分の過去を明かさないと信頼を得られないというわけではないが、頑なに拒むこともないのかもしれない。何
よりも自分がその記憶から目を背けていることになるからだ。
「妹の、って」
言葉の意味を理解した千早の表情が目に見えて変わった。ここまで来ればもう迷う必要もない。
「二年位前になるけど、家族がみんないなくなってさ。それでいろいろあって今は765プロで働いてる」
『いろいろ』という言葉で語れない部分をすべてうやむやにし、差し支えない部分だけを話した。嘘は言ってい
ないのでそこは勘弁してほしいところだ。
「……すいません。気軽に話せることじゃ、なかったですよね」
「いや、気にしてないからいい」
少しキツイ言い方だったか、と若干後悔した。やはりどうしてもこの話題だけはこんな空気になってしまう。
「あの……私も」
千早の口が空気を求めるように開閉を繰り返す。話したいのに言葉が出てこない、そんな印象を受けた。
「私、私は……!」
何かを訴えるような意思を感じた。視線や声、全身から出る気配というべきか、黙って彼女の話を聞くべきだという義務すら覚えるほどだった。
だが、その言葉が紡がれる前に背後から窓ガラスが割れる音が響き、反射的に振り向いた。
「な、なんだ!?」
どこの家なのかは分からないが、割れた窓から漏れてくるのであろう声から察するに近くもないが遠くもない距
離であることは分かった。
「……気にしなくてもいいですよ。いつものことですから」
千早の声に再び振り返るが、そのときにはすでに自分の横を通り過ぎようとしていた。
「千早……?」
「ずっとあんな感じです。この8年間、ずっと」
8年間、その言葉に背筋が凍りついた。それが意味することだけでなく、そのことを語る千早のすべてを諦めきっ
たような声に。
「明日も早いです。マネージャーも早く戻ったほうがいいですよ」
それっきり振り返らず、千早は歩いていった。おそらくはあの窓ガラスが割れた家へと。
「ちは……」
呼び止めようとしたが、最後まで名前を言うことができなかった。
やがて千早が角を曲がり姿が見えなくなったが、それでもしばらくの間その場から動くことは出来なかった。
……再び事務所の屋上へと昇り、あぐらをかいて夜空を見上げる。多少雲が出ていたものの月は変わらず天
にその存在を誇示するかのように光を放っていた。
「情けない話だけど、また来ちまったよ」
相談できる相手もいないから今夜も付き合ってくれ、とマユの携帯電話を片手に月へと語りかける。今でも夢と
しか思えない邂逅を果たした戦友に。
「ホントに、俺は何をしてやれるんだろうな」
たとえば彼女たちの進む道に巨大な壁が立ち塞がったのなら、自分はそれを壊すだろう。彼女たちの足に鎖
が絡みついていたならそれを外し、重しが圧し掛かってきたのなら代わりに背負うことさえ辞さないつもりだ。
だがその壁や鎖を彼女たち自身の力でどうにかしなければならないものであるならば、自分は彼女たちを信じ
て見守ることしか出来ない。自分の本来の役割は戦うことだ。それ以外では一から学んだところでこの様な程度
の人間だ。
――8年、か。
以前の千早の家族がどうだったのかは知らない。だが、8年もの間に同じ屋根の下に住む家族があれほど派
手な争いを続けているということに想像を絶するほどのものだとは思う。
「待つしかないのか、千早のほうから話すのを」
千早が何を言いかけていたのかが気になる。だがおそらくは、こちらから聞き出すことは許されない類の話なの
だろう。
――歯痒い話だけど、それしか……
そう自分に言い聞かせつつも胸の奥に宿ったなんとも表現しがたい感情は膨れ上がるばかりだった。
「あ~やっぱ無理だ! 何か良い手ってないのか?」
頭を掻きながら自問自答する。
結局、日付が変わるまで考えてもその答えは浮かばなかった。
……秋スペ開催まで、刻一刻と時は迫っていた。
最終更新:2008年07月11日 20:06