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第2話「アンジュと鼠」 - (2010/02/12 (金) 23:41:28) の編集履歴(バックアップ)


第2話「アンジュと鼠」




 中継地点で、車は止まった。かつてはサービスエリアと呼ばれた場所で、水と食料を
少ないが蓄えている。
 自治都市が管理していて、そうした食料などを旅人に供給していた。
 アンジュは食堂の外、壁に貼られた紙を見つめていた。
 異形退治の募集だ。高額なデュラハンタイプの異形の写真が一番目立つ。異形を支配する
異形で、値段はこの所上がっている。
 すぐ下には、写真のない異形の退治募集がある。
『山椒魚に似ていて毒針を射つ。人の声真似をするとの報告あり』
 写真がないのは、出会った人間のほとんどが死んでいるからだろう。情報も少なく、報酬
は高い。

 その隣に、鼠小僧次郎吉の写真があった。報酬は安い。人殺しをしていないかららしかった。
 写真をアンジュが見ていると、地をこする靴の音が近づいた。アンジュが振り向いた先
には、岩のような渡辺の姿があった。
「胸くそ悪いなあ。傭兵なんてホントはいらんねん。俺らだけでやるちゅうの」
 異形退治のため傭兵を募ることに反対の渡辺は、写真の次郎吉をにらみつけた。
「こんな情報あてにならんで。人殺しても見つかってないだけや。人間型の異形が一番
あかん。なんや、狐みたいなガキの異形飼うとった奴おったんや。捨てろ言うたんやけど
きかんから、しゃあないわ、出てもらった」
 クズハを保護した坂上匠を、武装隊から追い出すのに賛成した一人が、渡辺だ。

 やや間を置き、渡辺は別の話題を振った。
「自分、蘆屋さんの研究所で警備員したいて?」
 砂よけのゴーグルをつけた額を、アンジュは軽く縦に振る。
「はい。志願の届けは出しました」
「なら、伝わってるやろけど」
 渡辺は太い腕で腕組みし、眉間をせばめた。
「殉職したズシは気の毒や……けど、変なこと考えるなよ」

「そんなんじゃありません。蘆屋さんとこの研究所付きなら、食いっぱぐれないと思った
だけです」
「うん。そんならええ。この仕事うまくやったら認めてもらえる思うで」
 笑顔になると、そろそろ出発や、と言い渡辺は立ち去った。

 また大きなトラックが小さなトラックを引き、うねる大地に伸びた道路を進む。
 たまに、前時代の遺物である壊れた信号機などが、道路のすみに見られた。
 地面のあちこちには、まだ深い亀裂がある。以前の二次掃討作戦で異形の強力なものは
封印され、地割れから異形が出現することも現在は確認されない。だが、まだ地上に異形
は多かった。


 トラックの中で、アンジュは魔素の動きを感じ取った。
「何か来る」
 隊員たちの敏感な者は、アンジュと同じように神経を研ぎ澄ます。
「おい、止めてや」
 渡辺が運転手に言い付け、車は止まった。
 出てみると、上空に異様な暗雲が渦巻いている。
「何だありゃあ……」
 隊員たちが言い合ううちに、黒い雲は膨れ上がり山のようになった。

「まずい、離れろ!」
 直感して、アンジュは地を蹴って走った。
 黒い雲からは大きな液体がしたたり落ちる。落ちた泥のようなものは地面を溶かし、混ざり
合い、奇妙に人間に似た形をとった。
「異形かっ、くそっ!」
 隊員は銃を撃つが、弾丸は泥みたいな異形の体を突き抜けてかなたへ飛び去る。
 雲からは無数の液体が落ち、それらが次々形を作って隊員を取り囲む。溶けたアスファルト
の不快なにおいがあたりに充満した。

 アンジュは魔素刀に「木」の属性を込め、刃を造った。
 魔素刀が光の弧を描き、泥のような異形を斬り裂く。不気味なうめき声をあげ、二つに
なった泥は地面に広がった。
「やっぱり、こいつらは土の属性だ。木が効くよ」
 最近、まじめに魔法科学の勉強を続けているアンジュは、魔素の扱いがよりうまくなって
いる。

 頭上の暗雲は絶え間なく液体を落とす。隊員が退治しても減るようすはない。。
 泥の異形に抱きつかれると、隊員の防具は溶け、煙が起きる。
 アンジュは鷹のように飛びかかり、異形を斬り裂く。
「あの雲をなんとかしなきゃ……」
 あやしい雲を見上げ、アンジュは魔素刀の柄を強く握る。
 そのとき、赤い球が飛んで、吸い込まれるように雲の中へと消えた。
 直後、雲の中で光が発した。火の粉が飛び散り、雲は割れて小さくなる。

 赤い球の出所をアンジュが探すと、丸い耳を揺らす男が地に立っている。
「鼠……」

「義を見てせざるはなんたらかんたら。魔法義賊・鼠小僧次郎吉、手ぇ貸すぜ」
 親指を立てて気取る鼠小僧次郎吉は、前歯を見せた。
 いくつかに分かれた雲はまた集合し、大きさを戻していく。
「ありゃ、火は効かねえか」
「こいつらは土、でもあれはたぶん水だよ」
 アンジュは意識を集中させ、魔素を練り上げ高めていく。

「土克水、いけっ!」
 気合いとともに、アンジュは地面を割り、岩を浮かび上がらせる。
「ダメだあ姉ちゃん、魔素が足りねえよ」
「う、うるさいっ!」
 足をふるわせアンジュは大岩を浮かすが、次郎吉の言う通り魔素不足で雲には届きそう
にない。

 次郎吉は指をからませ、魔素を送る。
「印をそのままにしてくれ。俺様、実は火の魔法しかできねえが、そこまでやってくれりゃ
あとはいけるぜ。連携魔法だ」
 アンジュの魔法に次郎吉の魔素が加わり、大岩は空へと飛び立つ。
 黒い雲に下からぶつかり、岩は雲を四散させた。さらに岩が音とともに破裂し、砂になる。
砂が吸収して、見る間に雲を消していった。
 おお、と隊員たちは驚きと歓喜の声をきかせる。

「さあ、あとはこいつらだ」
 アンジュはまた魔素刀を伸ばし、泥の異形に立ち向かう。さすがに魔素を減らして、
アンジュの腕は揺れていた。
 隊員たちは魔法を飛ばしたり、魔素をまとわせたナイフで斬りつけたりして異形を倒す。
 アンジュは魔素刀で泥を斬り、次郎吉も火を発して泥の異形を焼き焦がした。
 泥が地面に散らばる。

 数十分後、異形はすべて退治された。
 矢尽き刀折れといったようで、アンジュたちは腰を落とした。魔素の消耗は精神の消耗だ。

 次郎吉は散らばった泥をながめて、大きなため息をついた。
「こいつら、蘆屋が改造した異形だ。かわいそうに」
 武装隊のメンバーは、何のことかと顔を見合わせる。アンジュは特に驚きもしなかった。
「やっぱり、そうか」
「蘆屋は魔法の実験して、異形を改造しやがる。封印した異形を買い取ってんだ。だが、今回
は違ったみてえだな」
 軽トラックの荷台に積まれた荷のロープを、次郎吉はナイフで切った。
 緩衝材を引きちぎると、中から石がこぼれ落ちる。

「なんだそれは」
 予想しない光景に、隊員たちが目を見張る。

「見ての通り。ただの石コロよ。今回の実験材料は、まあ……」
 次郎吉は哀れみの目を、隊員らに向ける。

「私らが実験台ってことさ」
 自嘲して薄く笑むと、アンジュはおっくうそうに立ち上がった。
「そんな……」「俺たちを使って、実験を?」「これから、どうする」
 隊員たちは騒然となる。蘆屋の研究所に行くわけにもいかない。実験のために捨てられた
のなら、武装隊に帰ることもできない。

「そういえば、渡辺さんは?」
 若い隊員が言ったとき、空間を何かが走る。
 炸裂と同時に破裂音が響き渡り、破片が飛び散った。えぐれた地面が黒くなっている。
 銃を手にした渡辺が、石像のように立っていた。

「あんた……」
 アンジュの鋭い目が、渡辺を射るようににらみつける。
「おっと、動くなよ。動いた奴から撃つで。一秒でも長生きしたいやろ」
 大きめのいかつい拳銃を手に、渡辺は悪魔のような笑みを見せる。
「すごいなあ、この銃、蘆屋さんとこからもろたんや。生き残りがいたら始末しろて。まさか
みんな残るとは思わんかったけどな」

「そんなもので私たちを殺すのか。鬼切りがきいてあきれるね」
 アンジュが腰のホルダーに手をやる。中には、魔法書が入っている。
 すかさず、渡辺は狙いを定める。
「通り名なんてハッタリや。そんなもんやろ。変な真似すな。まずおまえから殺しとこか」
「冥土の土産に教えてよ。蘆屋の目的は何だ? 異形を改造して、何をたくらんでいるんだ」

「そんなん知らんわ。偉い連中の考えることに、よう首つっこまん。ろくなことにならへん
からな。
 冥土の土産いうなら、教えたるわ。ズシとおまえを行かせたんは俺や。蘆屋さんとこが
改造異形つこてみたいいうから、おまえら実験台にしたった。
 俺、魔法使い大嫌いや。あんなん異形と変わらん、バケモンやないかい」

 渡辺が得意げに口を動かす間に、アンジュは魔素を練る。だが、もう彼女の魔素は残り
少ない。

「無駄や。ズシに会うてこい」

 特殊な大きい銃が火を噴いた。アンジュは弾丸の軌道を読み、すでに小さな結界を飛ば
している。
 小さな結界にはじかれ、弾丸は地面に刺さった。破裂が起き、土ぼこりが舞い上がる。

「な、なんや……? おまえ、魔素ないやん」
 うろたえる渡辺に、アンジュは冷たい目で、淡々と告げた。
「魔法は宇宙を少し曲げることであるからして、つまりそのために必要なのが魔素であり
符など魔法具であるからして」
 アンジュの腰で、ホルダーがわずかに光っている。さみしそうな顔をして、アンジュは
つぶやいた。
「ズシの奴、魔法書に符をたくさんはさんでたのさ。しおり代わりにね」
「バケモンが……!」
 渡辺は銃を連発した。空を突き進む銃弾は、ことごとく小さな結界に打ちはじかれ、地で
爆発する。
 たび重なる爆音のあと、落ちる石や土の下、アンジュは微動だにしない。

 驚愕して口を開け放ちつつ、渡辺は弾切れの銃を馬鹿みたいに構えていた。
「ズシだったらこんなもんじゃないよ」
 アンジュは魔素刀の柄を手に、一歩また一歩前進する。
「ま、待ってくれ」
 銃は捨てられ、重い音を響かせる。手を前にやり渡辺は命乞いした。
「俺かて仕事でやってたんや。わかるやん」
 きこえないかのように、アンジュは魔素刀の光る刃を伸ばした。

「な、なあ、頼む、助けてくれ」
「嫌だね」
「頼む、頼むて。何でもするから、なあ」
 涙ながらに手を合わせる渡辺に向かい、アンジュは魔素刀を振り上げた。
「ズ、ズシは喜ばんで!」
 この一言は、魔素刀を止めるのに成功した。
 すぐさま、渡辺は足に隠したナイフを手にする。

「死ねや、バケモン!」
 ナイフがアンジュの腹を突こうとする瞬間、明るい炎が発した。
 火に包まれた渡辺は、黒煙をあげ、悲鳴をきかせる。
 やがて声もなく、渡辺は地面に倒れた。焦げ臭い煙の中で、渡辺は人型の黒いものに
なっていた。

「こんな奴のために、姉ちゃんが手を汚すこたあねえよ」
 アンジュが振り向くと、次郎吉が印を結んでいる。
「ごめん」
 あやまられて、次郎吉は不思議そうに目を大きくした。
「何が?」
「おまえ、人殺しはしないんだろ」
「ああ、そんなことか。気にすんなよ。あんなの人間のうちに入らねえや。賞金が上がれば
ハクが付くってもんよ」
 それでも、アンジュはすまなそうにうなだれた。おのれの未熟さをアンジュは恥じた。
 ひとすじの黒い煙が、暗くなりつつある空へとのぼっていく。

「これから、どうする」
 武装隊のメンバーたちが、不安げな顔を突き合わせる。
「どっかで傭兵か、それこそ旅芸人でもやるか。アンジュ、おまえもそうするだろ?」
 隊員の一人にきかれると、アンジュは首を振り赤茶けた髪を揺らした。

「私は蘆屋の研究所に行く。警備員の志願を出してるから」
 正気を疑い、隊員たちは目をむいく。
「まさか、蘆屋を殺しに行く気か?」「やめとけ、かなうわきゃない」
 五系統の一を確立した大魔法使いだ。アンジュでは勝負にもならないだろう。
「そんなんじゃないよ。ただ、知りたいのさ。何でズシが死ななきゃならなかったのか」
「向こうが仇討ちに来たと思ったら、何されるかわからないぞ」

「いざとなりゃ、逃げるくらいできるよ」
 本心では、いまやアンジュは命をさほど惜しんでいない。刺し違えても構わない、という
覚悟がある。
 決意が固いと知ると、隊員たちはトラックに乗り込み、去った。

 あとに、アンジュと次郎吉が残った。
「アンジュちゃんってんだな。研究所までは行けねえや。風が吹いたらまた会おうぜ」
 歩きだしたが、思い出したように次郎吉は立ち止まって振り向く。頭の丸い耳が左右に
ふるえた。
「おっと、そうだアンジュちゃん。あんたはちょっと、セクシーだぜ」
「バーカ」
「あばよ」
 魔素を発揮し、次郎吉は飛ぶ鳥のような速さで駆けていった。

 次郎吉が見えなくなると、アンジュは研究所へと続く道路を歩き始めた。
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