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白狐と青年 第45話「白くて青い相聞歌」 - (2012/01/17 (火) 22:28:42) のソース
&sizex(3){[[Top>トップページ]] > [[【シェア】みんなで世界を創るスレ【クロス】]] > [[異形世界・「白狐と青年」>白狐と青年]] > 第45話} *「白くて青い相聞歌」 ● 人気の無い場所を順次捜し回っていた匠と彰彦は、大通りの辺りでおかしな人の流れが出来ている事に気付いた。 多くの人が通りに出ては、ざわつきながら一定の方向へと向かっている。特にイベントがあるわけでもないのにこの流れはおかしい。 匠は隣で人の流れを目で追っている彰彦を見た。 「……どう思う?」 「どう思うって……なぁ?」 「だよな……」 タイミングから考えて、この騒ぎにクズハが絡んでいる可能性は高いだろう。そう思いながら、匠は改めて通りの方へと歩いている人々へと目をやる。道行く人同士が隣の人に何があるのかと話し合っている声が聞こえてくる。彼等の表情を見る限り、どうも多くの人が何が起こっているのか分からないままに、近くの人々と話しをしながら騒ぎの元を見に行こうとしているようだ。 ……とりあえず誰か、状況を知ってる人を捕まえて話を訊きたい。 そう思って事情に明るそうな人を探していると、人の流れの中から武装隊の男が現れた。 匠達を認識したらしい彼は、手を振りながら近付いてくる。 「坂上さん! 今井さん!」 その顔は一連の事件が始まる以前から研究区に派遣されていた武装隊員のものだ。既知であり、匠の記憶ではどちらかというと研究区贔屓の男だったという印象がある。 彼は走って来ると、匠たちが何が起こっているのかと質問するより早く口を開いた。 「大変ですよお二人とも! このままじゃ本当に暴動が起こりかねませんって!」 「落ち着けよ、一体どうしたんだ? この人の流れはなんだ?」 武装隊の男は息を切らしながら彰彦の問いに頷き、 「く、クズハちゃんが見つかって、それで渡辺隊長が捕まえようとしたところでその場に居合わせた研究区の住人の反抗にあいまして、その騒ぎが更に研究区に流れてきていた異形達も巻き込んで、住人と研究区に流れてきた異形達、それに武装隊とで三つ巴の口論が起こっています!」 武装隊の男の言葉に、彰彦が表情を険しいものにする。 「クズハちゃん、見つかっちまったか……」 匠は苦笑を浮かべた。 「武装隊も流石だ」 武装隊の男が、複雑な目で匠達を見る。 「クズハちゃんの行方、やっぱり知ってたんですね」 「まあいろいろとあってな。武装隊に本当の所を話すわけにもいかなかったんだ」 そう言いながら匠は人の流れを見る。騒ぎの中心部は人が流れて行く方だろう。 ……なら、そっちに行けばクズハにも追いつけるか。 通りの方は多くの人や異形で満たされていて、進むのは大変そうだ。 近くの建物の屋根を見上げると、隣で同じく建物を見上げていた彰彦が頷いた。 「じゃあ、行くか」 「ああ」 匠は≪魔素≫を纏い、一足飛びに屋根へと跳んだ。人の流れの先までの屋根の道筋を確認しながら、その場に残された武装隊の男に向かって声をかける。 「悪いけど、できるだけ騒ぎが派手なものにならないように頑張ってくれ!」 「ああもうわかってます! 全部終わったら何かおごってくださいよ!」 「覚えとくよ!」 言い置いて、匠は彰彦と屋根伝いに駆けながら通りを見下ろす。研究区の住人も、保護を求めてやって来ていた異形達も騒ぎの正体を掴もうとしており、それらの動きを制止するように武装隊が声をかけて回っている。 しかし理由を明確にしないその制止は上手く機能しているとは言い難く、むしろここ最近の情勢から、武装隊の制止行動は武装隊とその他の集団の間で新たな争いを起こそうとしていた。 「おい匠、なんか本当にヤバくないか?」 下を見ながら彰彦が言ってくる。匠は頷き、 「どうも互いに溜まっていたストレスが限界に来てるっぽいな」 異形達は行政区の一連の異形排斥への不満をもち、武装隊も行政区への異形侵入からの留置施設破壊から来る緊張が続いている。そして研究区の住人も彼等の急な、そして大量の流入によって生活を乱されている。互いが互いに対して感じていたストレスは十分に解消される事も無く、これまで溜めこまれていた。このまま放っておけば先程の武装隊の男が言っていたように、大規模な暴動が起きかねない。 「急ごう」 彰彦を促して先へと進んで行くと、住人や異形達が武器になるような長物を持っている様子が見えるようになってきた。あからさまな刃物や攻性の≪魔素≫の動きは見られないが、それが見られるようになるのも時間の問題で、そうなればもう大規模な争いは避けられないだろう。 もしそうなれば、 ……混乱した研究区は機能を停止する。 暴動の末に研究区の機能が停止すれば、大阪圏内における異形の扱いは確定するだろう。 それだけは止めたい。そう考えている内に、匠達は人や異形達が通りの左右で睨み合っている中心地にまで辿り着いた。 屋根の上から見下ろすと、多数の武装隊を率いている渡辺と研究区の住人達、そして住人の側から武装隊に糾弾の声を上げている異形達の姿が見えた。それらの人々の間で動き回っている小さな人影を見て、彰彦が指をさす。 「居た、クズハちゃんだ」 クズハは武装隊側からは捕縛の対象のはずだが、手を出されている様子は無い。武装隊も住人達と異形達の相手の睨み合いのなかで身動きが取れないようだ。 それらを確認して、彰彦がうわぁ、と引き攣った声を出す。 「やっぱけっこうな騒ぎになってるな」 「どうするかな」 騒ぎの中心さえ止めてしまえば、後は武装隊が他の場所の騒ぎも抑えてくれるだろう。そう考えながら匠は言う。 「派手にやって虚を衝けば注目を集められるとは思う。後はじいさんの威を借りて――それで武装隊以外は丸めこめるはずだ」 「派手にか、望む所だな」 笑顔で返してくる彰彦に、この騒ぎの原因の一端を担っている匠としてはどうしたものかと思うが、しかし、 ……やるしかないか。 覚悟を決めて墓標に≪魔素≫を流し込んだ。彰彦が光を帯びて行く墓標を見て訊いてくる。 「それって刃物以外になんか花火とか打ち上げられるような機能ねえの? そっちのが楽じゃね?」 「残念ながら刃物だけだ。それにこれ、あんまり燃費よくは無いぞ? 砲撃なんかできるようになってもすぐにへばる」 「なるほどねえ」 応えながら、彰彦も腕に≪魔素≫を集中させる。 ≪魔素≫の集中を受け、彼のとして移植された異形の外殻が解放された。 「じゃあ、武装隊の頭は俺が押さえる。お前はクズハちゃんと研究区の奴らをしっかり押さえろよ」 「分かった」 頷き合い、二人は同時に屋根を蹴った。 ● 住人と武装隊の睨み合いは、流れてきた異形を巻き込んで大きく発展していた。 クズハを捕らえに来た武装隊もクズハ一人に構っていられなくなっており、少しでも今のこの場の膠着状態のバランスを崩せば何が起こるのかクズハには想像もできない。 「クズハちゃんを置いてとっとと研究区から出てけ。異形の奴らにこれ以上変な圧力をかけるな!」 研究区の住人、知り合いの声だ。そうだそうだと合唱する声が聞こえる。それらを聞いた上で渡辺が鋭く告げる。 「そうはいかない。クズハは重要な捕縛対象だ。それに研究区には我々が来る前程度には武装隊を残していく。行政区の決定だ。そこは譲れん」 「クズハちゃんは連れて行かせねえぞ。ただでさえ今の行政区は異形の扱いがおかしくなってるんだ。危なっかしくて連れて行かせられるか!」 その声に疑問を挟む声が住人達の中から聞こえる。流れてきた異形のもので、 「待て、そこの異形の娘がいなくなれば武装隊の数は減るんだろ? それなら――」 「何言ってやがる! クズハちゃんはお前らを援助してる平賀博士のだな――」 もはやそれぞれの主張が入り混じっていて争いの原因の一つでもあるはずのクズハでもこの場を止める事は出来なくなっていた。 ……どうすれば。 自分に一番近しく、話を聞いてくれそうな住人たちを説得しようとしても、彼等も殺気だっていてクズハの言葉では止まってはくれない。 徐々に皆から冷静さが無くなっていくのが分かる。武装隊も渡辺以外は余裕が無くなっている。渡辺は武装隊達が暴走しないように制御しつつ、他の集団の相手もしているので手が空かない。 ……どうにかしないと……! このままでは危険だ。方策もないままに思うクズハには焦りが募っていき、そして、ふと頭上に≪魔素≫が集中する気配を感じ取った。 ――っ! 誰かの暴走がついに始まってしまったのかと首筋を凍りつかせ、 「――え?」 次の瞬間には、目の前に青に近い色合いをした半透明の壁が突き立っていた。 「!?」 同時にもう一つ、何かが落下する音が響いて、地面が掘り返される。 「何だ?!」 その場に居た全員が突然落下してきた二つの何かを注視する。 衆人環視の中、済んだ砕音が響いて半透明の壁が破砕した。 「これは……」 壁は破砕と共に≪魔素≫をまき散らして散っていく。その中、軽い着地音と共に人影が降りてきた。 匠だ。 砕かれた壁は巨大な刃だったのだと気付いた時には、刃の破砕によって生まれた風に土埃が払われ、もう一つの落下物の正体が目に映った。 払われた土埃の向こう、渡辺達武装隊の前には、腕の外殻を露わにした彰彦が立っている。 驚きに目を瞠っていた武装隊の一人が、彰彦のその姿を見て呟いた。 「彰彦……お前、その腕はなんだ……?」 「ちょっと改造されちまってな。――翔、ちょっと待ってろよ? 今重要なイベントが始まるからな」 彰彦の、苦笑の色をもった声に渡辺が眉をしかめた。 「今井か……重要なイベントだと?」 「ああ、まあ聞いとけよ。なかなか見られねえ代物だぜ?」 二つの轟音で途切れた人々の間に声が戻り始める。そのざわつきが再び制御できなくなる前、匠が墓標を地面に突き立てた。 ≪魔素≫の流された墓標が踏み固められた地面を抉る音が響いて、三度目の轟音に再び場が静寂に包まれた。 その静寂のなかで匠が声を張り上げる。 「皆! この場での諍いを止めてもらいたい! 色々と不満もあることだろうが、今、平賀博士がそれらの解決の為に動いている。この場で争いを続ければ、平賀博士のその努力が水泡に帰してしまう。皆にとってもそれは望んではいない状況のはずだ!」 匠も彰彦も、研究区内では平賀に近しい人物としてよく知られている人間だ。彼等の派手な登場で生じた虚を衝くタイミングでの発言は、一定の効果をもってその場を鎮めさせた。 それぞれが互いの顔を見つつ攻撃的な態度を収めたのを確認すると、匠は一つ頷いて、クズハへと目を向けた。 ● 突然の匠の登場に呆然と停止していたクズハの思考は、匠の視線を受けて復帰した。 ――っ、 息を詰め、咄嗟に逃げようとして、周囲には人が多く逃げられない事に思い至る。そんな状況の中で、匠が近付いてきた。 しっかりとした歩調で近付いてくる匠に対して、クズハは反射的に言葉を放つ。 「こ、来ないでくださいっ!」 「そうはいかん」 匠は歩みを止める事無く、どこか決然とした様子でクズハへ近付き、周囲を見回してため息をつく。 「外に出たらどうなるのかくらい、分かっていただろうに」 この騒ぎを引き起こした事に対する非難の言葉に、クズハは面を伏せた。 動揺のあまり研究所を飛び出し、その挙句にこの事態を引き起こす原因になってしまった。あまりにも無思慮のままに行動し過ぎた。その事実をはっきりと突きつけられた気がして、クズハは言い訳のしようもなく謝る。 「すみませんでした」 言葉と共に頭を下げ、顔を上げる。 正面でクズハの謝罪を聞いた匠は、何度か頷いた後、首を横に振った。 「だめだ、許さん」 「……っ」 匠の言葉に、クズハの肩は震えを得た。 なんで、と思うと同時にやはり、という言葉が浮かんできた。これだけの騒ぎを起こしてしまって、もう匠も平賀もクズハを庇う事は出来ないだろうし、これまでの数日、クズハの存在を武装隊や街の人々に対して隠してきてくれた彼等や研究所の皆に対する、これは裏切り行為だ。何らかの罰が下る事になっても仕方ないだろうと思う。 ……でも、罰を与えてくださるのが匠さんなら……。 どのような罰であろうと受けられるだろう。そう思いながら匠の、何かを決断したかのような表情を見上げ、クズハは罰を粛々と受け容れる心積もりで目を瞑った。 匠の足音は、クズハの近くにまで接近すると停止し、クズハの頭には柔らかい感触が乗った。掌の感触だ。 「……?」 目を開けて匠を見上げると、彼はクズハの目を見返してきた。 しばらく目を合わせていると、匠が僅かに目を逸らし、 「だから、その……なんだ」 そう口の中で呟き、手遊びのようにクズハの頭を二、三度軽く叩いて、 「どこにも行くな。少なくとも今は。……できれば、これからも」 「え……?」 都合よく受け取ってしまいたくなる言葉に対して、クズハはとりあえず、という形で疑問の言葉を発した。 匠はクズハに言葉の意味が通らなかったと思ったのか、言葉を探すように眉を寄せ、 「だからだな。この一連の事件が全て収まるまでは……できればその後もずっと俺の傍に居てくれってことだ。クズハが良ければなんてもう言わない。俺の為に居てくれと、そう頼みたいんだ」 「え……な、なんで……?」 心の方は匠の今の言葉に頷いている。しかし匠の傍にいる資格が自分には無いとクズハは思う。故に、クズハは心を押し殺して、自らに対する否定の言葉を口にした。 「お役に立てませんよ? いえ、そればかりか迷惑ばかりかけてしまっています……今だって、ほら」 そう言ってクズハは周囲を示す。そこにはつい先ほどまで争いを起こしかけていた人々の姿がある。クズハの軽率な行動の結果だ。 それらを見て匠は頷き、 「人付き合いなんてこんなもんだ。俺だってクズハに迷惑も心配もかけてる。それと、この件については気にするな。悪いのはクズハじゃない」 匠はそれに、と言葉を続ける。 「クズハの料理は美味い」 「……?」 意味を受け取りかねてクズハは首を傾げた。その反応に怯んだように匠は一瞬目を泳がせ、 「あー……クズハの飯がずっと食べたいとか、そんな感じで、だな……」 尚も視線を彷徨わせながらつらつらと言葉を並べる匠の背後から、彰彦が声をかける。 「しまらねえなぁ。いいからもうストレートに言えよ馬鹿」 言われた匠は困った風に頭を掻き、改めてクズハを見据えた。 一つ咳払いをして、 「クズハ、お前が好きだ。離れたくない。ずっと傍に居てくれないか?」 匠のその言葉を聞いて、クズハは動きを止めた。 先程のものよりも、より意味が明確にとれる、その言葉の意味は、 ……そばに……すき? え? 好き? 私……? え……? 思考がまとまらず、クズハはもう一度聞き返した。 「す、すみません……えっと、もう一回言ってくださいませんか?」 匠の顔が僅かに引き攣った。 「もう一回……か?」 そう言って彼は周囲に再度目を向け、その上で何かを吹っ切るように深くゆっくりと息を吸い込んだ。吐き出す動きと共にクズハの肩を掴んで、再び、今度は大きく息を吸い込み、 「クズハ、いいかよく聞け。俺はお前が好きだ! ああ、愛してるとも!」 周囲一帯に響き渡るような大音声で発された言葉は今度こそ、聞き間違いや解釈の余地を残す事無くクズハの耳に入った。 まるで戦場で他の音を圧して意志を通す為に上げられるような大声に体を震わせたクズハは、続いてその震えを心にも得た。 その震えの源は嬉の一言に還元できるものであり、しかしそれを素直に受け入れるのを拒んだのもまた彼女の心だった。 でも、という言葉を前置きとして、自分に対する否定の言葉がクズハの口を衝く。 「私は、あなたに命を救ってもらって、居場所を与えてもらって、勝手にあなたを信仰して、でも役に立つ事も満足にできなくて、こんな騒ぎを起こしてしまって――」 言っていて自分が情けなくなって涙が出て来る。連ねられる言葉も震えを帯びて来た。それでもクズハは言葉を続ける。 「そんな身の上で、私は浅ましくもあなたを好いてしまってるんですよ? こんな私で……いいんですか?」 心中の思いを吐き出したクズハの言葉に、匠は強く頷いた。 「両思いって事だな、うん」 そういう問題ではない。そう返そうとしたクズハの機先を制する形で匠が口を開いた。 「身の上なんか気にするな。いいか? 俺はクズハが好きだ。男と女――雄と雌でもかまわない。そういう関係として共に在りたい。 なぁ、クズハ。今色々と大変だけどさ。そんなのは抜きにして、お前の気持ちを俺に、もう一度聞かせてくれないか?」 その言葉はクズハの中の震えを強くした。 肩にある匠の手を強く握り、熱を帯び始めた顔を意識しながら、彼女が常に抱えてきたコンプレックスを取り除いた、本心が吐露される。 「私は、ずっとあなたを――」 ……命を救ってくれた人を、生きる意味を肯定してくれた人を、信仰して、よすがにしてきたあなたを―― 幾つもの言葉が浮かびあがるが、それらの言葉が辿り着く名前は一つしかない。 「――匠さんが、好きです……!」 それを始めに、次々と言葉が溢れてくる。 「大好きです。一緒にいたい……です。離れたく……ないです……っ」 言葉が崩れ、同時に視界も涙に歪んで、溢れた感情に赤熱する頭は何も考える事が出来なくなった。 子供のように泣く事しかできなくなったクズハを匠が抱き寄せた。体に手を回して顔を押しつけるクズハの背を、匠の掌が撫でた。 優しい声がする。 「ああ、もう離さない」 ● 互いを離さないとばかりに抱き合っている二人を見て、彰彦はほっと息を吐いた。 周囲の人々も匠の大声での告白に毒気を抜かれたのか、戸惑い気味の気配と共に、ぽつぽつと拍手が聞こえてくる。 ……やっと収まる所に収まったか……。 そう思った直後、正面の方向から咳払いが聞こえた。渡辺だ。 この場の皆が静まった事によって行動の自由を得た彼は、彼の目的の為に声を張り上げる。 「めでたい事だと言いたい所だが、クズハはこちらの重要参考人である事に変わりはない。身柄を引き渡してもらおうか」 渡辺の言葉に彰彦は脱力した。うらみがましく武装隊一同を見回しながら文句を零す。 「お前、空気読めよなー……」 「そうはいかんぞ、今井」 彰彦を睨みつけ、渡辺は二人に近付こうとする。 渡辺の進路上にさりげなく移動しながら、彰彦はどうしたものかと考える。 ……異形の奴らや、元からのここの住人を止めた匠のさっきの説得でも武装隊は止められねえか……。 平賀が元の生活を取り戻すまで耐えてくれという言葉で不満を抑えてもらった住人や異形達も、目の前でまたクズハが連れて行かれる流れになればどうなるのかは分からない。 ……どうすっかな。 ちらと背後を振りかえると、同じくこちらを振りむいて来た匠と目が合った。彼はしゃくりあげるクズハを腕に抱えて背中をさすりながら、目だけで彰彦に訴えて来る。 ……くそ、そんな微妙に期待に満ちた目で見るなよ。 顔を正面に向けて渡辺を見た。彼はいざとなれば強行突破する事も辞さないようで、全身に≪魔素≫の気配を滲ませている。彼は彰彦の、≪魔素≫の集中を解いても異形のもののままの姿をしている腕を警戒しているらしく、視線はそこに集中していた。 「……変化の類ではないらしいな」 「いろいろあったんだよ」 肩を竦めて彰彦は渡辺の視線を受け止めた。 渡辺は相当戦えるタイプではあるが、匠とクズハを逃がす事だけを考えれば、なんとかこの場を切り抜けさせる事は可能だ。 しかし、そうすれば渡辺は二人を追おうとするだろう。武装隊との間で争いが起きてしまい、やはりこの場の皆を多少なりとも巻き込んでしまう事になる。巻き込んでしまうというだけならば皆を逃せばいいが、そう簡単にいくものでもないだろうし、二人の恋路を邪魔しようという武装隊に対してならば喜んで争いに巻き込まれに来るような者もいるだろう。 ……そうなるのも匠とクズハちゃんの人徳かねぇ……、さてどうするか。 渡辺に対して手を広げて構えながら考えていると、人々の間からざわめきが聞こえてきた。 ……また何か問題でも起きたのか? 背後を振り返りながら、これ以上事態を混乱させられるのはごめんだと思い、さっさと次の行動を起こそうと全身に力を入れようとして、彰彦はざわめいていた人々が道を譲るように左右に割れるのを見た。 人々の間を通って来たのはよく知る人物だった。 「じいさん、それにキッコさんに明日名兄さんじゃねえか……」 キッコと明日名が研究所をクズハが飛び出して行った事情を平賀に話して連れてきたのだろう。名を呼ぶ彰彦に手を振りながら、キッコが匠とクズハを見て感心したような顔をした。 「おや、先を越されたようだの」 明日名がそのようだね、と頷く。 「何となく話だけはここに来る途中で皆に聞いて来たけど、どうも喜ばしい事になってはいるみたいだね」 平賀が、匠とクズハの状態を見て惜しそうな顔をした。 「何かとても大事なシーンを見そびれてしもうた気がするぞい」 研究区の人間なら誰かしら先程の告白シーンを撮っている者がいそうだ。そう思いながら彰彦は平賀たちに声をかける。 「この場を収拾しに来てくれたって事でいいんだよな?」 「うん、騒ぎを収める為に平賀博士まで引っ張って来たんだ」 明日名の言葉を聞いた皆が平賀に視線を集中させる。それらの視線に手を上げて応じ、平賀は匠に近付いてその肩を叩いた。 「うまくいったようじゃの」 「じいさん、また迷惑かけた」 「気にするでない」 平賀は笑いながら匠の横を通り過ぎ、彰彦の隣まで来る。 「やあ彰彦君、がんばってもらって悪いのう」 「いいってこった。俺だって和泉に戻る事ができたのは匠やクズハちゃんのおかげなんだしな。その恩返しだと思えば安い安い」 「カッコいいこと言うのう」 平賀は笑んで、正面へと顔を向けた。 正対する事になった渡辺は平賀を真正面から見据えて口を開く。 「五大派閥の一つの長であろうと、行政区の決定に逆らうのは良い考えではないと思いますが?」 「そうじゃのう」 平賀は目元に皺を刻んだ笑みを浮かべて、懐から紙面を取り出した。文面を渡辺に見せるように広げ、 「ここに行政区から来た紙面がある」 そう言って、紙面の文意を告げる。 「行政区の異形排斥運動の過激化からこっち、ここ最近起こった事件全てを議題とする行政区側との話し合いを持つ事が決定された。そこでの話し合いの終了までは武装隊も研究区保護下にある異形への手だしは控えてもらおうかの」 渡辺が目を見開いた。文面を確認し、 「留置施設破壊や殺人の疑いのあるクズハの処遇については?」 「うむ、君等が来たすぐ後、クズハ君はわしらが保護したのじゃな。もう研究区保護下に入っておる故、手出し無用じゃ」 渡辺は平賀の顔を疑り深そうにねめつけ、やがて諦めたようにため息を吐いた。 「……手回しが早い、と、そう言っておきましょう」 「そう褒めるでない。もしその文面に気になる所があるのなら、上に確認をとってみると良いぞ?」 「了解した」 渡辺は紙面を指さし、 「その紙面、確認を取るために頂いて行きたいのですが、よろしいか?」 「うむ、かまわんぞい」 「頂きます」 平賀から紙面を受け取った渡辺は、部下達に向かって手を振った。 「詰め所まで戻るぞ。以降は通常時の巡回を続けておけ」 武装隊達は渡辺の言葉に応じて引き上げて行く。渡辺は平賀から受け取った紙面を懐にしまって匠に抱かれているクズハに目を遣り、次いで平賀に視線を合わせた。 「話し合いがどのような結果になるのか、楽しみにしておきます。我々としても、あの混乱の場で強引に逃げる事を選ばなかったあの娘の心根を思うと捕らえるのは気が引ける。そちらの言葉が真実だと証明していただきたい」 「任されようかの」 請け負う平賀に会釈を返し、渡辺はついでとばかりに言う。 「それと、坂上には一応おめでとうと伝えておいてください。今は泣く子の相手で忙しそうだ」 平賀がおや? という顔をした。 「知り合いかの?」 「第二次掃討作戦の時に一緒に戦った仲なんだよな」 彰彦が言い、渡辺が頷く。 「短い間でしたが、そこの今井とも共に戦った事があります。坂上も、第二次掃討作戦の後は異形の娘を囲っているとは聞いていましたが……まったく、幸せそうな」 「じゃったらクズハ君をあんまりいじめないで欲しいんじゃがのう?」 「仕事は別です」 「相変らずきっついのな」 「……今井や坂上が奔放すぎるんだ」 そう言って去っていく渡辺を見送って、平賀はさて、と呟く。 「皆の衆! さっきも言ったように、近いうちに今の大阪圏の状態について話し合う場が設けられる事になった。この状態も長くは続かんじゃろう。皆、もう少し辛抱してもらえるかな?」 響いた言葉に動静を窺っていた周囲の人々が一人二人と応えていく。徐々に増えるその応答を代表するように、大きな声が届いた。 「あーもう! くそじじい、信じるぞ!? そこの二人みてえにうまく大阪圏の不仲をくっつけてみせろ!」 「任されようかの」 飄々と、それでいて妙に頼れる調子で平賀は請け負った。 普段は微妙な扱いなのにこういう時にはしっかりと信頼されている。面白い人だと思う彰彦の横で、平賀が演説の続きを打つ。 「色々と状況が移り変わっとる。皆の衆には不便をかけるじゃろうが、わしを信じて争い事は避けてもらいたい。頼むぞい!」 そう言って、平賀は匠に意味ありげな視線を向けた。 「――それと、わしの息子の嫁の事を守ろうとしてくれたそうじゃのう。感謝するぞい」 頭を下げる平賀に続くように彰彦も頭を下げた。明日名も同じように頭を下げている。下を向いた視界の隅で匠も泣き続けているクズハを抱いたまま頭を下げるのが見えた。 それらの行動に対して慌てて頭を下げ返しているのは外から流れてきた者達で、適当に手を上げて三々五々に散っていくのは研究区に以前から住んでいた者達だろう。 頭を下げていた人や異形達がやがて研究区の住人達に倣って去り始めた頃、しばらくしてキッコが、彼女にしては珍しく大人しく下げていた頭を上げた。 彼女は未だ頭を下げている匠に振り返ると、興味深げに匠の頭頂部を見ながら訊いた。 「で、告白は成功という事なのだの? まったく、またクズハを泣かせおって」 彰彦も頭を上げて匠を見る。匠もゆっくりと頭を上げた。キッコを見返して、 「あんたのせいでクズハが一度逃げ出すハメになった事を忘れてないよな?」 「あれはヘタレておったお前が悪いし、あの時はああするのが一番だったのだ。それに、だ。結果として匠、お前は今腕の中にクズハを抱えておるではないか」 ならば問題はないと喉を震わせて機嫌よさげに言うキッコに呆れ気味の目を向けて、彰彦は呟く。 「武装隊を敵に回した恋路もやっと終わりか。心配かけやがって」 明日名が匠とクズハを見ながら緩く笑んだ。感慨深げに頷く。 「なんにせよ、落ち着いてくれてよかったよ。そうか、そんな年になったのか……」 クズハの兄である彼は今どのような気持ちなのだろう。 ……まあ、わかんねえよなぁ……。 だが、少なくとも悪いものではないはずだ。そう思って彰彦も笑みを浮かべた。 キッコがようやく泣き止む気配を見せたクズハの背を撫でてやりながら声をかける。 「ようこの朴念仁に想いを気付かせたの。これで我も早う子の顔を見られるというものよ」 クズハの背がビクっと震えた。赤くなった目と顔でキッコを振り返り、 「こど……も?」 「何だの? 別にその身体の素体は人なのだから人の子を孕む事もできるはずぞ? のお、平賀?」 「うむ、大丈夫じゃ」 ブイサインで答える平賀に匠が言葉を差し挟んだ。 「キッコもじいさんも気が早い」 「そんな事もなかろう。はれてつがいになったのだから早いも何もないと思うが?」 ……何かがずれてるな。 彰彦がキッコと匠の問答に笑みを噛み殺していると、キッコを窘めに走った明日名が声をかけてきた。 「彰彦君も博士も、研究所に戻ろうか。確認する事が幾つかあるし、それに――」 匠達を見て、彼もまた苦笑した。 「あんまり見世物にしてもかわいそうだ」 ---- #center{[[前ページ>白狐と青年 第44話「内心の自覚と燃える火種」]] / [[表紙へ戻る>白狐と青年]] / [[次ページ>白狐と青年 第46話「落ち着く場所の行き場」]]} ---- &link_up(ページ最上部へ)