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第2話 - (2010/02/12 (金) 23:14:21) のソース

*廃民街の名探偵「第2話」



 無精ひげをさすりながら考える。なぜ俺はこうも厄介ごとに巻き込まれるのか、と。
どれだけ考えを巡らせたところで、いつも終着点はそういう星のもとに生まれたのだ
という結論にたどり着くほかなかった。
 汚らしいソファに寝かせた少女はクマのぬいぐるみを抱えて穏やかな寝息を立て
ていた。まだ年端も行かない少女でおそらくステファンよりわずかに若いくらいだろう。
 長い茶髪をツインテールにまとめ、廃民街の住人とは思えないほど上品な洋服に
身をつつんでいる。顔立ちは生意気な小娘のそれで、子ども嫌いな俺がとくに苦手と
している口やかましいタイプに分別できることが予想できた。

「ステファン、確認しておくがお前のこれじゃないだろうな」
 俺は小指を立てて見せた。
「冗談じゃないよ。オレは年下には興味ないんだ。そういう神谷さんこそ怪しいものだ
 と思うけどね」
「チャールストンの大根芝居にも劣るジョークだ」
 どうだかねと言いたげにステファンは肩を持ち上げた。こいつにはいつか目にものを
見せてやる必要がある。
 俺は眠れる少女の頬を軽く叩いた。
「おい起きろ、眠り姫。ここはビジネスホテルじゃないんだ。モーニングコールには
 追加料金を払ってもらうぞ」
 ぴちぴち叩いていると少女は眠たそうに目をこすりながら体を起こした。
 しばし目をパチパチさせて周囲を見渡し、見知らぬ場所で見知らぬ男を前にしている
ことに気付いてようやく目が覚めたようだ。
「え、ど、どこここ? どど、どうなってるの?」
「どうかなってるのはお前の頭だ。とりあえず落ち着け」
 ステファンから水がなみなみ注がれたコップを受け取り、少女に差し出した。それを
ゴクゴクと勢いよく飲み干し、深呼吸をしてから少女は落ち着きを取り戻した。
「ここはどこなの? あなたはだれ?」
「ダメだ、まだ混乱してる。ステファン、もう一杯たの――」
「ちがうわよ! わたしはもう大丈夫! 目が覚めたらこんな汚くてせまい場所にいて
 無精ひげ生やした男がいるものだから怪しむのも当然でしょ!」
 クマのぬいぐるみをぎゅっと抱きしめてヒステリックに叫び声をあげた。
 やはり俺の予想は正しかった。吊り目がちで強気な顔立ちの女はかならず甲高い
罵声を浴びせかけてくる。俺の経験則は間違っていなかったことが分かり、うんざり
した心地で話しかけた。

「分かったからボリュームを落とせ。あんまり騒ぐと強制的にミュートにするぞ」
「大の男がかよわい女の子を力ずくで言うとおりにさせようっていうのね! 変態だわ!
 このロリコン!」
「やっぱり神谷さんはロリコンだったか……」
 ガキどもをまとめて吹き飛ばしたい気持ちに駆られたが大人の忍耐強さをもって
我慢した。大人が子ども相手に感情的になるなどみっともないにも程がある。ましてや
俺は探偵だ。この廃民街で探偵業を営むほどの男がまだ尻の青い小娘ごときをやり
こめなくては名が廃るというものだ。
 すっかり警戒心を露にした小娘に、俺はしゃがみこみ、目線の高さをあわせて言い
聞かせた。
「いいか? 俺はここで探偵をやっている神谷だ」
「オレはステファンっていうんだ」
「お前はコーヒーでも淹れておけ」
 余計な口は挟ませない。
「いいか? 俺たちが今日も今日とてクソったれな一日を始めようとしたらそこの裏口
 を出たところに倒れていたのがお前さんだ」
「それで連れ込んでいやらしいことを――」
「そんなことしてないだろう、いま、現に。放っておこうかとも思ったが寝覚めが悪くなる
 のも願い下げだ。心優しい俺に感謝するんだな」

 家出少女が野宿して無事に帰れるような街ではない。たいていはろくでもない連中に
つかまって取り返しのつかない事態になるのがオチで、耳に入ってくる話だけでも枚挙
にいとまがない。朝まで何事もなくグースカ寝ていられたことはまず奇跡に近かった。
 そしてろくでもない世界に生きている中ではまともな俺だからこそ助けてやったのだ
ということをしっかり憶えていてもらいたいものだ。
 だが少女は言うに事欠いて、
「恩着せがましい男の人ってきらーい」
「あはは、オレも同感だな」
 いいかげん話を切り上げて外に放り出そうかと思った。ついでにステファンはバリカン
の練習台にすべきか本格的に検討したいところである。
 俺はなかば少女の説得をあきらめ、安物のタバコをくわえて火を点けた。思いきり
紫煙を吸い込み、いっきに吐き出す。少女が嫌そうな顔をしたが知ったことではない。
この安物の煙と味の薄いコーヒーだけが俺を慰めてくれる。閉鎖された都市の中でも
いっとう汚らしいこの街で、くだらない毎日をやり過ごすためのなくてはならない嗜好品だ。
嫌なことも汚いことも、体の隅々までニコチンが綺麗さっぱり洗浄してくれるのだ。
 俺が煙を吐き捨てているかたわら、ステファンは年の近さもあってか、少女と通常の
会話をくり広げていた。やりきれない思いはすべて煙で押し流す。

「オレは助手みたいなことをしてるんだ。住み込みでね。給料はたいして出ないけど。
 ところで君の名前は?」
 俺が聞きたかったことをいともたやすく聞き出す姿に釈然としないものの、人には向き
不向きというものがある。今回にかぎってはステファンに花を持たせておくとしよう。
「わたしはヒカリ。ヒカリ・E・ケールズ」
「え、ケールズって、まさか……」
 今朝、ニュースで流れていた殺人事件の被害者とおなじ姓だ。
 ステファンが俺の顔をうかがうように横目で見てくる。あいにく俺の顔はマコールの
ジュディとは似ても似つかないものだ。あんまりちらちらと男の目線をもらっても
うれしくない。俺は短くなったタバコを灰皿にこすりつけた。
「ヒカリ、ひとつだけ言っておく」
「呼び捨てにしないでよ!」
「俺は厄介ごとに首をつっこむつもりはない。巻き込まれるのもごめんだ。お前は
 いますぐ自警団に連絡して保護してもらえ。それがベストでそれ以外は考えるな」
 嫌な予感が頭の中をシェイクする。
 俺の尻を叩きにやってくる死神の足音が聞こえるようだ。

 被害者の遺族であるヒカリがあんな路地裏に寝転がっているはずがないのだ。犯人
に出くわしていたらいっしょに殺されていただろうし、目にしていないのだとしたら自分
から自警団に足を運んでいることだろう。遺族なのだからニュースよりもはやく知らせが
来て当然で、この汚らしい事務所にいることがそもそもおかしいのだ。
「あなた、探偵なら犯人を……」
 さきほどまでの強気な表情が鳴りをひそめ、ヒカリの幼い顔に不釣り合いな感情が
浮かんだ。それは悲しみや恐れを超えてあふれだす、止めどない憎しみに他ならなかった。
「パパを殺した犯人を見つけ出して――殺して!」
 目の端からひと筋の涙を流し、少女は俺を睨み付けた。おそらくは覚えたての憎悪
の気持ちを爆発させて、彼女は俺に依頼をつきつけたのだった。

 ここは探偵事務所。ワケありな依頼人が面倒な厄介ごとを持ち込んできたり、あるいは
悩みを抱えた羊が迷い込むなんでも屋だ。
 今日も今日とて、俺の人生はまるでそうあるのが正しいかのように歯車が狂っていく。
 上等な葉巻の煙が恋しくなるような朝だった。
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