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~ウロボロス~【薙辻村・5】 - (2010/11/15 (月) 07:34:06) のソース

*無限彼方大人編~ウロボロス~【薙辻村・5】
投稿日時:2010/11/15(月) 07:14:45
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【薙辻村・其の五】


 その日は早く目が覚めてしまった。
 空気は相変わらず冷たい。布団を被ったままの彼方は、目覚まし代わりの携帯電話のアラームの機能をオフにする。慣れた手つきだった。
 携帯電話に付いているストラップの人形が、ちょうど彼方の方を向いている。
 無表情で何を考えているのかよく解らない猫とも犬とも狸ともつかぬ謎の生物は、楕円の目でじっと彼方を覗いている。

「……おはよー謎太郎」

 彼方が今日、最初に発した言葉はそれだった。
 時刻を確認する。朝の五時。予定一時間早い。なぜ今日早く目が覚めたのか、それは多分、気が逸ってたからだ。
 寄生の捜索とそれを探しに来た調査員を捜す為に、彼方は薙辻村を取り囲む山に入りたいのだ。だが、山には素人である。なので、猟師である辰也に案内をして貰いたい。
 寄生が出たとしても、小物であれば難無く廃除出来るはずである。それを一瞬で、常人には感知出来ない速度で行う技術を彼方は有している。ならば、辰也に悟られる事無いし、そもそも寄生は、普通の人間には見る事も出来ないのだから。
 少々危険ではあるが、それ以上に寄生の放置はさらに危険を招く。

 辰也はこの時間には既に起き、朝から忙しく働いている。
 本当ならばゆっくり交渉すればいいのだが、せっかくなので出来る限り早く寄生を見付けたい彼方は、朝から辰也を説き伏せ、さっさと山に乗り込もうと考えた。
 だが、その思惑は朝の内に破綻してしまった。

「えー? ダメダメ! そこら辺なら勝手に見て構わないけど山奥はちょっとなぁ……」

 辰也はそう言った。さらに続けて。

「意外と険しいんだよ。案内出来る余裕が無いんだ。私も死にかける事あるしね。いきなりガケとかあるし、猪も出るんだよ? 
 それに禁足地もあるから、勝手に行っちゃダメだよ。ホント危ないし」

 きっぱりと断られる形となった彼方。
 辰也は真顔でそう言っていたので、おそらく本当に険しいのだろう。それに、彼方も山を舐めてかかるつもりは無い。登山などした事も無いが、半端なトレッキングのつもりで入れる山ではない事は、辰也の態度で理解出来た。

「それに昔から妖怪が出るって言われてるしね。はは。まぁそれは冗談だろうけど。とにかく危ないから絶対行っちゃダメだよ」

 さらにそう付け加えた。
 これではせっかくの早起きも無意味である。おかげでまた眠くなる程だ。前日は新たに現れた宿の宿泊客である三瀬清志とだらだら深夜まで話していたのも原因だろうか。
 どうやら彼は、この村にあるナギ様を奉る風習に興味を抱き、遠路はるばるやって来たという。
 清志の学生らしい風貌が頭を過ぎる。眼鏡をかけた姿はあまりに頼りなく、自分の興味がある事は何でも話したがる質だったのを思い出す。二枚目半の中途半端な容姿は、目立つタイプには思えない。
 勉学にのめり込む学生。そういう印象だった。
 饒舌で古い知識にも通じていた。悪い印象では無い。が、それは単純によく学ぶ学生だなという尊敬の念に過ぎず、はっきり言えばプライベートなら友人にはならないだろうな、とは思っていた。
 異性としては殊更である。新たに学生の客が来ると聞いた時、多少の期待が無かったと言えばウソだ。
 重要な任務の真っ最中であろうと、少しは楽しい展開を想像した。が、清志を一目見て、さらに少し話をしてみた結果、それは無いな、と思ったのだ。
 異性と言うより、似たような知識を持つ知人。何度シュミレートしても、彼方の脳内では清志はそこで落ち着いてしまうのだ。
 清志が聞いたらどう思うかは解らないが、少なくとも彼方の中では清志は男として見られて居なかった。
 話は興味深かったので、結局深夜まで意見の交換を続けてはいたのだが。

「で、何しに行くつもりだったんだい?」
「え?」

 辰也は唐突に問い掛ける。彼方はしまったと思う。この場になるまで、『なぜ山に行くのか』という建前の用意をすっかり忘れていた事を思い出した。
 さすがに『人や妖怪に寄生して暴れる化け物退治』とは言えなかった。ましてや、『行方不明の寄生の調査員を捜す為』ともだ。
 寄生の存在は極秘である。そうでなくとも、妖怪だなんだと言われればオカルト女の烙印を押され、気味悪がられるだろう。

「あ……っと。その……」

「正直に言っても驚かないよ。どうせ禁足地にそっと入ろうとか思ってたんでしょ?」
「え?」

 辰也からは意外な言葉が飛び出た。どうやら、何かしらの予想を立てたらしい。
 その推理は間違ってはいるが、建前を用意し忘れた彼方には千載一遇のチャンスでもあった。

「禁足地……あ……はい」
「うん。正直多いんだ。こっそり山奥に入って行く人がね。
 だいたいが禁足地目指して頑張るんだけど、さっき言ったみたいに険しいから。ほとんどは途中で諦めて。で、村長さんに怒られるんだ。それに、遭難する人も多い。猪に襲われて死んだ人も居る。
 何を期待して山に入るかは知らないけどね。危なっかしくて見てられないんだ。
 それに、禁足地なんてただの洞窟だよ。というよりただの穴だって村長さん言ってたね。わざわざ山奥の村に来て命を懸けて穴を見て、どうするって言うんだい?
 それも無茶する人に限って大学の先生だったり、どこぞの修験者だったり、ちゃんとした人が多い。彼方さんみたいな人もたまに居るけど」
「誰も入れないんですか?」
「村長さんとこだけが入れる事になってる。写真もあったよ。入って行く人用に『ただの穴だ!』って説明する為にね」
「そうですか」

 禁足地。つまりは立入禁止の区域で、それが山の中にあるらしい。そこに行ける者は、この村の巫、つまり村長の一族。
 似ている。
 彼方は思った。無限一族にも、その一族のみが立ち入る事の許された場所があったのだから。そして彼方は、自分の業の為にそこを燃やし尽くした。
 そこはただの社があるだけの丘だったが、無限一族にとって重要な場所だった。ならば、その禁足地もそこへ入れる村長一族には重要な意味がある可能性は十分ある。
 だとすれば、なおさら行かなくてはならない。
 寄生と、この村に潜む謎の神、ナギ様はどこかで繋がっている。そして村長一族がそのナギ様を奉る役目ならば、禁足地には意味があるはずなのだ。

「(ナギ様がそこに居る……?)」
「え? 何だって?」
「あ! いえ何でも……」
「……まぁ。勝手に入って行くんなら正直止めはしないよ。でも、この村で守ってきたちょっとした約束事なんだ。わざわざ壊さないで欲しい」

「はい……」
「それに本当に危ないからね。もし崖から転落したら死んじゃうよ。だから、行かないでおくれ」
「わかりました。そこら辺の山の入口で我慢します」
「ありがとう。約束だぞ。約束破ったら泣くからね。はは。
 それに、本当に怪我でもして、その上、最悪な事態になったら、本当に泣いてしまうから」

 辰也は最後、少し寂しそうな顔になっていた。本当に勝手に山に入る者が多いらしい。辰也の言うように、怪我をして帰ってくる者も多かったのだろう。
 彼方には辛い表情だった。
 辰也は本当に山には入って欲しく無いはずだ。そして彼方は入らないと言った。
 堂々と、嘘をついたのだ。
 それどころか、何が何でも山に入り、禁足地へ到達せねばならない。そう思っていた程だ。
 彼方の印象では、辰也は人のいい気さくなおじさん、といった所である。薄くなり始めた頭髪と、少し中年太りだががっしりした体格はまさに猟師。
 村のまとめ役という立場なので、人望もあるであろう事は人柄からわかる。 いい人だ。便りになる人だろう。
 でも、彼方はそれを裏切るつもりだった。

「そろそろ朝食の準備しなきゃね。鶏舎に行って卵を失敬してこなきゃ。彼方さんは居間でお茶でも飲んでて」
「はい。頂きます」

 辰也の寂しそうな表情は消えて、笑顔で言った。彼方には、それがまた辛かった。




※ ※ ※




「出ないなぁ……」

 プルルルという呼び出し音が受話器から聞こえる。それだけが、しばらく続いていた。
 緑色の公衆電話の電話ボックスで、彼方は一人、ずっと相手が出るのを待っていた。かける相手は婆盆である。いつもならすぐに出る相手だが、今日は珍しく反応が無かった。

「移動中かな……?」

 昨晩電話した時、婆盆は九州へ向かうと言っていた。古い知人に会う為だ。
 普段はどこか抜けたお爺ちゃん、といった風貌の婆盆ではあるが、正体は千年以上生きている妖、無縁天狗である。正体を表した時は言葉遣いすら普段と代わり、威厳漂う大妖怪の一人と言える。
 その天狗が移動中となれば、恐らく天狗の姿で高速で空を飛んでいるはずだ。

 昨日は超音速などと冗談っぽく言っていたが、実際にそれに近い速度域での飛行が出来る事を彼方は知っている。
 それほどであれば、携帯電話など出ている余裕が無いのだ。
 妖と携帯電話なぞおかしな組み合わせであるが、文明の理器と人知を超えた力の組み合わせは非常に強力。彼方と婆盆はそれを利用し続けてきた。
 残念ながら、今はそれを発揮出来ないでいた。

「後でかけるか……」

 受話器を戻す。ちゃりん、と、百円玉が返却口へと落ちてく来る。
 山に入る手段として考えていた、辰也に協力を仰ぐという作戦は失敗した。ならば、山岳信仰から誕生した婆盆に何かアドバイスを貰おうと考えたのだが、それも失敗に終わる。少なくとも、今日中に禁足地に向かうのは難しくなってきた。
 仮に婆盆と電話が繋がったとて、向こうは「山を舐めるな」の一言だろう。

 電話ボックスの隅には昨日の鬼蜘蛛がまだいた。
 同じ場所に巣を張る性質の彼らは、日中は決まった場所で身を潜めているのだ。その電話ボックスは、彼のテリトリーだった。

「ごめんなさい。またお邪魔しちゃいました……」

 彼方はまた鬼蜘蛛に謝ってから、外へと出た。

 電話ボックスの目の前には村唯一の自動販売機がある。昨日はシャッターが降りて気付かなかったが、どうやらそこは商店のようだった。
 食料品から日用品まで、雑多に売られている店。棚の上には彼方が生まれる前からあったんじゃないかと思わせる古めかしいデザインの洗剤のボトルが、埃を被って置いてあった。
 店の外には、小綺麗な赤い木製のベンチがあった。
 横のゴミ箱にはそこそこお菓子の袋や箱が捨てられてあった。
 利用者は居るようだった。

 彼方は自動販売機でコーヒー飲料を一本購入し、次いで商店の中に入った。何か好みのスナックでも置いてないかと思ったのだ。
 ぐるりと店内を見渡せば、よく見るお馴染みのスナックや、菓子パン。歯ブラシに下着に線香に至るまで、何でもあった。なぜか手作りの惣菜まで販売している。
 彼方には見馴れぬ光景だが、田舎ではよくあるスタイルの商店だった。
 袋のスナック菓子を手に取り、料金を払おうとするが、誰もいない。

「万引きし放題じゃん……」

 ぼそっと言った。
 奥へ声をかけてようやく出て来た店主は、いつもの事のように代金を受け取り、古めかしいレジを叩いた。
 それも中には現金が入っておらず、ただ単純にレシートを出して帳簿を付けやすくする為の道具と化している。肝心の代金はそのままポケットへと捩込まれた。
 少々ア然となったが、店主は笑って「いつもだよ」と言った。




※ ※ ※




 それからの時間はゆっくり流れた。彼方は赤いベンチに座り、今後の予定をどうすべきか、そればかり考えていた。
 何としてでも山奥へと向かわねばならないが、彼方一人で向かうのは無謀であったのだ。いっその事そうしてしまおうかとも考えはしたが、自分に何かあっては意味が無い。目的を達成出来ないような事態を招くのは避けねばならない。
 遠くの山を見る。
 紅葉は終わりを告げ、茶色に変化した森が見える。
 山はうねっているように見えた。生き物のようにうごめいている。そんな不気味さだ。
 実際に、山の隆起は長い時間をかけて、大地がうごめき、盛り上がって完成したのだ。

 それを彼方はぼーっと見ていた。
 声をかけられるまで。

「あれ?」
「ん?」

 財布片手の三瀬清志が、そこに立っていた。

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