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Beyond the school gate





 ※


 ――時刻は、午前零時を回ったところ。“もう目覚める時間だよ”。
 ――時針は、七と八のちょうど真ん中。“まだお休みの時間だよ”。




 ※


 わたしの生活のリズムは、“能力”の影響を強く受けている。ふつうのひととは、少し違う。
 まず、日の出から日の入りの一時間ほど前まで。日中、わたしはまだしも人間らしくいられる。もうひとりの
わたしは眠っている。
 夕方。わたしは強烈な眠気に襲われ、そのまま日付が変わるころまで完全に意識を失ってしまう。もうひとり
のわたしは、まだ休んで力を蓄えている段階だ。
 午前零時から日の出まで。わたしともうひとりのわたしが目覚める。ただし、わたしの肉体は“能力”によっ
て狂暴な化け物に変貌していて、精神も目を覚ましたもうひとりのわたしに乗っ取られている。
 もうひとりのわたし。
 それは“蜘蛛”。
 それは“怪物”。
 チェンジリング・デイと呼ばれる日、地球に降り注いだ隕石がわたしにもたらした異能のひとつ。わたしの意
思などお構いなしに、天体運動の影響によって確実に発動する、人知及ばぬ捕食者への変身能力。
 なまなかな戦闘系能力者をも一蹴する剛力と強靭さ。その性は獰猛凶悪で、知能も人類並。
 人間など、獲物か玩具としか思っていない。わたしの世界で一番大切だったひとたちをさもうまそうに食い殺
し、わたしの世界で一番大切なひとにすら囓りつく。
 どうすることもできない。わたしには。夕方までに一夜の孤独を探し、誰も傷つけないことを祈り、あとは太
陽を待ちわびるだけ。だった。“無敵”の能力で、一晩中、もうひとりのわたしの爪と牙を引き受けてくれるあ
のひとと出会うまでは、そうして各地を転々と渡り歩いていた。

(衛さん……)

 そして今、また、そばにあのひとはいない。はぐれてしまった。久し振りのひとりぼっち。誰かを傷つけてし
まうという恐怖に震える。
 陽射しを焦がれる夜は、長すぎる。

(今は、何時だろう?)

 そんなことばかり考える。この高校の近くに飛んだ(飛ばされた?)のが、変身して数分後、午前〇時一〇分
前後だったはずだ。
 それから、運悪く遭遇した高校生のお兄さんにもうひとりのわたしが襲い掛かって、そのひとはどうにか逃げ
てくれたのだけれど、……潰れた時間としては二時間くらいは経っているだろうか。一時間半、せめて一時間。
 夏の日の出を朝の五時くらいとして……あと四時間も?

 もうひとりのわたしは、高校生のお兄さんが逃げていった木々の奥をじぃっと見ていた。

 ――“そうでなくては、面白くない”

 それは人語ではなかったけれど、感情の波でもうひとりのわたしが昂揚していることがわかった。
 このところ“歯応えのありすぎる”能力者をしゃぶってばかりだったから、いい声で鳴いてくれてお腹に溜ま
りそうな獲物を見つけてご満悦なのだろう。おまけに無駄な抵抗までして楽しませてくれる。

(そういえば、あのお兄さん)

 チェンジリング・デイ以降、まだ覚醒しないひとも稀にはいるけれど、“人類総能力者”の時代。
 立ち向かってこなかったことから見るに、あの高校生のお兄さんの能力は、恐らく戦いに応用できるようなも
のではないのだろう。……わたしにわからないだけで地味に発動していたのかもしれないが、とにかく戦おうな
どと考えず逃げてくれたのは本当に幸いだったと思う。なまじ戦う能力があると、かえって危険な目に遭わせて
しまう。
 もっとも、反則級の能力者ならば、もうひとりのわたしの暴虐も止められるかもしれないが。
 それこそ。

 ――衛りに徹する限りにおいて、我が身に害をなす一切を跳ねのけるという無敵であるとか。
 ――細胞の活性化により無限の身体能力と回復能力を得るという路地裏の女騎士であるとか。

 しかしそんな規格外の能力者は、この時代においても決して多くはない。そもそも宇宙からの贈り物は、戦闘
向きのものばかりでもない。

(どうか)

 今のわたしには祈ることしかできない。
 あれ以上の怪我なく逃げのびてくれるなら何でもよかった。強力な能力者が来てくれるとか、頑丈な建物に滑
りこんでくれるとか、日の出を迎えるとか、もうひとりのわたしが気まぐれに興味を失うとか。
 もうひとりのわたしは、やはり蜘蛛のような八つ足を蠢かせて移動を始めていた。きっとあのお兄さんを見つ
け、嬲り殺しにするために。




 ※


 まだ目がちかちかしていた。うっかり携帯電話なぞ直視してしまったからだ。頭でっかちにいろいろ考えるは
いいが、肝心な時に詰めが甘いから困る。
 獣ならざる我が身、落葉の層を踏み締めて歩くのに、まったくの無音とはいかない。まして、推定される蜘蛛
の聴覚感度を考えれば。
 それでも俺は気持ちだけでもと深く静かに潜行する。

(人工林の中を北上し、西門から抜ける。狩人に回りこまれていれば速やかに引き返す。定期的に電波状況を確
認し、回復していれば即時通報を図る)

 ごく常識的な行動指針のはずだ。

 一歩……また一歩……と道路掃除夫ベッポみたいに進むうち、むやみに巨大な体育館に突き当たった。せいぜ
い数分。それほど時間が掛かるものでもない。
 人工林の端と体育館との間には、やはり煉瓦敷きの歩道が伸びている。正面の大通りよりわずかに細いが、こ
れも東西の門に通じるのでそれなりに幅はある。これを横断するわけではないとはいえ、見晴らしが利くという
のは俺にとって面白い要素ではない。
 藪陰から視線を水平移動。
 心音のペースがまた速くなっている。

(蜘蛛は今、どこにいるのだろう)

 鬼ごっこで一番怖いのは、鬼を見失った時だ。小学生の頃に読んだシートン動物記のオオツノヒツジ“クラッ
グ”の話でもそう書いてあったはずだ。……もっとも、さっきのようないきなりの接近遭遇の場合、追跡者の位
置の把握なんかにまごまごしていたら、今頃は閻魔大王のむさい髭面を拝みながら自分の罪を数える羽目になっ
ていただろうが。
 ……見渡した限りはいなさそうだが、この位置からでは死角が多すぎてまったく安心できない。
 なんか漫画的なパワーを持つ武術の達人ならば殺気を察知して索敵できるかもしれないが、ただの模範的なだ
けの高校生にムチャ言うなよ。
 生まれながらの捕食者に本気で息を潜められては、はっきり言ってお手上げだ。
 悩むだけ時間の無駄なので、俺は人工林の中を動き回り、限界まで死角を削っておく。
 ……やはり、いない。と思う。そう信じたい。
 まさにブッシュに隠れている側の俺のほうがアンブッシュを警戒しているというのが少し可笑しい。……いや、
どうでもいいな。
 決断する。

(やはりここは速やかに西門をくぐろう)

 ……言うまでもないが、別に学園の敷地内を出たからといって、そこで蜘蛛がすっぱりと諦めてくれるわけで
はない。もし見つかれば、どこまでも追い掛けられて美味しくいただかれるだろう。
 だから、最終的な目的地は“交番”だ。そこに着くまでは油断できない。
 俺は呼吸を細くしながら、するりと樹木たちの砦を抜け出した。靴裏を押し返す地面の硬さ、剥き出しの腕を
撫でてゆく空気の流れ、冷ややかな月光。
 西門をひどく遠くに感じる。
 それでも取り敢えずの安全圏を離れてしまえば、このまま行くしかない。ゲートを越えて、たとえ“ほら吹き
男”と謗られようとも、あの恐るべき怪物の危険を知らせなくてはならない。夜明け前よりも早く、出歩いた誰
かが襲われないうちに。
 閉ざされた鉄のフェンスの形がはっきりと見える。
 あと少し、もうすぐ、この先、あれを乗り越えて……!

 ――勝ち誇ったような四つの単眼が、西門前で俺を待ち受けていた。


「な……!?」

 蜘蛛だった。
 やはり、どこかに隠れていたというのか? アシが速すぎるために、どこにいてどういうルートで出現したの
かまるで見当もつかないというか見当なんてつけている場合か!
 無拍子の速さで、蜘蛛の巨大な口腔が、トンネルのように俺を呑みこもうとする。人類はこれを躱せない。反
応して左右に身を振ったとしても、抜け目なく伸ばされた前肢によって口の中へと掻きこまれるだろう。

 ――逃げ場は、ない!

 そうして俺は、頭から闇に丸齧りに――




 ※


 ――絶望の闇を薙ぎ払い
 ――それを打ち砕く光がある!

 死をさとった俺の前で、ふたつの金属が激突していた。その瞬間を視たわけではない。ただ、クラッシュ音と
でもいうべきものがあった。

「そこの君、無事か!?」

 呼び掛ける声。
 俺には、一瞬、それが人の声だと分からなかった。どうやら、それだけ自分が直面した“死”というものに衝
撃を受けていたらしい。しっかりしろ、そんなことは後でもできる!
 そこでようやく、九死に一生を得たと自覚できた。
 助かったのだ。絶対に死んだと思ったものが。

 ――蜘蛛の思考発動からの転瞬、俺の眼前に割りこみを掛け、怪物の爪牙を捌いた者がいる!

 俺を絶体絶命の窮地から救ってくれた何者か。今も俺を守って蜘蛛と相対する男だ。
 後姿のシルエットは細身のくせに、やけに幅広に思える背中だった。シャツ一枚を通してもわかる鋼の体は一
見して、マウンテンゴリラが百年を生きて変化したと噂されるうちの美術教諭や、仁科最強候補の一角たる重量
挙げ部の筋肉たちのようでもあるが、しかし纏う何かが決定的に違っている。まるで、御伽噺の戦士のような。

(誰だ?)

 まるで見覚えのない青年だった。知る限り、仁科の体育教諭ではない。
 力強い手には、長大な“金属の棒”を握りこんでいた。まさか、あれで蜘蛛を薙ぎ払ったのか?
 棒。あるいは杖、棍、柱……。それもどうやら俺の見慣れているような、バレーボールや棒高跳びで立てる体
育用具の鉄棒などではない。

 ――あれは、敵と戦うためだけに生まれた、正真正銘の“打擲武器”だ!

 予期せぬ乱入者に、さしもの蜘蛛も跳び退く。

「“異形”――いや、《魔素》を感じない。やはり異世界……!」

 いぎょう?
 青年の唇から零れた耳慣れぬ単語を俺の耳が拾う。“異形”。それが、この蜘蛛の、人知及ばぬ怪物の名前な
のか?

 ――突然の天変地異。“異形”というらしい蜘蛛の怪物。金属の棒を携えて戦う謎の青年。
 ――いったいこの街に何が起こっているというのだろう?




 ※



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