花-algernon-
前へ、前へ、前へ。
アルジャーノンの気配を辿り、ベターマン・ラミアは森林地帯を疾走していた。
漆黒のコートが、鱗状の長髪が、風に煽られてなびく。
かなりの長時間走り続けているにも関わらず、その無表情な横顔には疲労の色すら見えない。
横たわる大木を容易く飛び越え、そのまま三角跳びに木から木へと瞬時に移動する。
それは、彼が追い続けているアルジャーノン感染者の通ったルート。
そしてそのルートそのものが、その人物の人間離れした能力を物語っている。
明らかに何者かが通った後なのに、それこそ折れた枝一つも痕跡を残していないのだ。
只者ではない。ラミアは、その事実を直感的に確信しつつあった。
仮に追いついたとして、その後は。
<アニムスの実……浪費はできない>
残るアニムスの実はフォルテが二個、アクアが一個、ネブラが二個。
おそらく尋常ではない能力を持つ敵に対して、どれだけ戦えるのか。
ネブラは驚異的な空戦能力と必殺の広範囲攻撃・サイコヴォイスを持つが、パワーと防御力に不安が残る。
対するアクアは神速のスピードと強固な外殻が持ち味だが、いかんせん水場が無ければ能力を生かしきれないだろう。
<場合によっては……フォルテも止むを得ないか>
ベターマンは思考する。
フォルテは、パワー・タフネス・瞬発力の全てに長けた、オルトスを除けばラミア最強の変身形態。
一対一の戦いであるならば、かなり有利な形勢に持ち込めるだろう。
しかし、ここでフォルテの実を使ってしまうという事は、またオルトスから遠ざかるという事。
オルトスの実は、三つのフォルテの実とリンカージェルから生成される。
そして、オルトスの実はラミアがゲームから脱出するために必要不可欠だ。
現在所持している二つのフォルテの実。その内の一つを使ってしまえば、残りは只の一つ。
後一つなら何とか発見の可能性もあるが、もう二つ揃えるとなると難易度は跳ね上がる。
ただ、出し惜しみをしたところで、自分が敗れてしまっては元も子もないのだ。
ここで結論の出る話ではない。全ては敵と接触して初めて分かる。
<…………光、か>
森の出口が見える。ベターマンは一旦思考を止め、光の差すほうへ駆け抜けた。
迷う事は無い。アルジャーノンの因子を持つ者は抹殺するのみ、それだけなのだ。
ベターマンがオルトスの実に対する思考を行っていたのとほぼ同時刻。
B-1地区とB-2地区の境界付近にある湖畔地帯に、一体の飛竜と一機の戦闘機とが降り立った。
湖から少し離れた場所に一箇所だけ花が咲き乱れる場所があり、そこを目当てに飛んできたのだ。
戦闘機――R-1のコクピットから顔を覗かせたのは、まだあどけなさを残す少女。
花畑に目を輝かせる彼女を見て、飛竜の乗り手であるフォルカ・アルバーグは安堵の息を漏らした。
レビ、と名乗る彼女と行動を共にするようになってから既に丸一日が経過している。
未だレビ自身が生命の危険に晒された事は無いとはいえ、彼女はまだ年端もいかぬ少女だ。
戦場で常に息を張り詰めていてはいつか壊れてしまう。このような場所を見つけることが出来たのは幸運だった。
「フォルカーー! フォルカも来てくれ、ほら花がこんなにたくさん!」
マイの歓声に手を振って応える。
大人びているようだがやはり年相応の少女らしい所もあるなと思うと自然と笑みがこぼれる。
フォルカは飛竜エスカフローネからひらりと飛び降り、はしゃぐレビの方へと歩き出した。
日は既に傾いている。日没にはまだ間があるだろうが、それでも日の光はかすかにオレンジ色を帯びてきた。
辺りには、フォルカとレビの他には誰もいない。
フォルカが休憩場所にここを選んだのは、この湖畔地帯が障害物の無い開けた場所だからだ。
見通しの利くここなら、奇襲を受ける心配は無い。
事前に攻撃に気付くことさえ出来れば、レビ一人を守ることなら難しくはない。
自分には力がある。弱き者を守る力があるのだから。
こんなに沢山の花を見たのは初めてだと、マイは思った。
昔の記憶は未だはっきりとはしないが、少なくとも花というものに接する機会はあまり無かったように思う。
オレンジ色の夕日が、花達をうっすらと染める。
フォルカに向かって手を振ったところで、自分が思ったよりはしゃいでいる事に気がついた。
ここに来てから不安なことばかりで息をつく暇も無かったから余計に、という事だろうか。
フォルカは気がついていたのかもしれない。それなら感謝しないと。
「……リュウにも見せてあげたいな」
風にそよぐ花々を見て、マイは無意識に今となっては遠く離れた人の名を呼んだ。
途端に次の放送が近い事を思い出し、胸が苦しくなる。
リュウは無事だろうか。
疑心が次第に暗鬼を呼び、心の中のもやもやがだんだん大きくなる。
「……………………いけない、そんな事を考えてちゃ」
嫌な考えを振り払うようにマイは大きくかぶりを振った。
私がリュウを信じないでどうするんだ。そう自分に言い聞かせる。
そして振り返ってフォルカを再度呼ぼうとした矢先。
マイは、それに気付いた。
「何だろう、これ」
マイの問いにフォルカは答えられない。
花々にまぎれてひょろりと伸びるそれは、明らかに他とは異質のものだった。
植物、ではあるようだ。地面から垂直に伸びる茎に、妙な色の実が一つだけついている。
(葉が一枚も無い……寄生植物か?)
あまり植物に詳しくはないが、そういう植物があるということは何処かで聞いたことがあるような気がする。
それだけなら、別におかしくはないが。
フォルカは違和感を覚えた。
まるでその植物が内側から赤く発光しているような、奇妙な存在感。
これにはなにかある。そう思わせるだけのものが、その植物には備わっていた。
その出所を突き止めようとしたフォルカの目に、ある物が飛び込んできた。
一面の花や葉に覆われて、ともすれば見過ごしてもおかしくはない小さな物。
地面から僅かに突き出した、白くて細い固形物。
それは。
「……レビ」
マイがフォルカの呼びかけに一瞬反応できなかったのは、
フォルカの声にいつもと違う色が混じっていたように感じられたからだった。
どうかしたのだろうか。マイの疑問を打ち消すように、フォルカが軽く笑みを浮かべた。
「そろそろ放送の時間のはずだ。機体の元に戻っていた方がいいな」
口調からしてさっきの違和感は気のせいだったようだ。マイは安堵する。
立ち上がろうとして、ふと思いついた。
「フォルカ」
「どうした、レビ?」
「あ、あのさ……この実、持っていってもいいかな?」
フォルカが驚いたような顔をした。それはそうだろう。
「この実、変わってるから、リュウにも見せたいなって思って……
それで、この実を持っていったら、いつかリュウにも会える気がして、それで……」
うまく言葉にならない。ただ、自分が思い続ければリュウにもきっと会えると、そう信じたかった。
この実はいわばお守りだ。自分の気持ちを形にするための。
幸い、フォルカは自分の意を汲んでくれたようだった。
「そうだな。願いを込めるお守りなら、レビとリュウを引き合わせてくれるかもしれない」
こういう時、フォルカは人の思いに気付いてくれる。
それが悲壮な戦いの果てに手に入れた物だという事は、マイは知らなかったが。
「実は取ったな。そろそろ戻るぞ」
「……うん!」
フォルカに出会えて良かった。マイは心からそう思えた。
飛竜の上で放送を待ちながら、フォルカは一人思いを巡らせていた。
あの実をレビが欲しがった時は驚いたが、フォルカがそれを認めたのには訳があった。
もちろんレビの心の支えになればいいと思ったのが第一だ。ただ、それだけではない。
あれは、この殺人ゲームの何らかの鍵なのかもしれない。
すでに、あの実は人工的に配置されたものだとフォルカは確信していた。
寄生植物には、養分を吸い取るための苗床が必要だ。
そしてあの実の持ち主にとってのそれは、普通なら地中にあるような物ではない。
あの土の中から覗いていたモノ。間違いない、あれは――
(あの花畑はさしずめ手向けの花束だとでもいうのか……くそ、外道の極みにも程がある)
今は見えないヘルモーズを睨み、フォルカは内心で吐き棄てた。
フォルカが謎の実の正体に疑念を抱いているのと同時刻。
忍者のシルエットを持つ機体――零影を駆る東方不敗は、D-6地区の岩山にいた。
華麗なジャンプで岩から岩へ飛び移り、岩山を警戒に上っていく。
そしてあっという間に山頂に辿り着くと、そこから下界を見下ろした。
「ぬう……やはり追って来おるか」
数時間前。自らの気配を探る者の正体を突き止めるため、東方不敗は西へと向かっていた。
そして、徐々に近づく気配を感じ、彼は一つの事実に気付いたのだった。
相手は、人間ではない。
直接見たわけではない。それでも奇妙なほど確信が持てた。
そして、その存在が求めるものは、あの仮面の男に植え付けられた"何か"であることにも。
仮に戦ったとして、この東方不敗、人外相手でも決して負けないだけの自信はある。
それでも彼が踵を返して森を反対側から抜けたのは、その自分の中の"何か"を恐れたから。
自我を蝕む殺戮衝動。それが不安定な状態で得体の知れない相手と向き合うのは危険すぎる。
東方不敗は豪胆ではあったが、決して無謀ではなかった。
そして今。東方不敗は岩山の上から森を見下ろしている。
全ては奴を誘き出し、自らの目でその正体を見極めんが為。
衝動はすでに一旦落ち着き、気合で十分に押さえ込める範囲となっている。
今なら流派東方不敗の真髄を見せることも可能であろう。
「さあ出て来い、人に在らざる者よ! この東方不敗に向かい、それでもなお戦いを挑むというのなら、
その時はこの場所で雌雄を決してくれるわぁぁぁぁっ!」
岩山の頂上。そこから放たれた闘気は、周囲の大気を微かに震わせた。
そして、ベターマンが、フォルカが、そして東方不敗がそれぞれの思いを巡らせている頃。
フィールド上のとある片隅で、また一つアニムスの花が咲いた。
妖しいオーラを纏ったその花は、あと数時間もすれば儚く散って代わりに奇妙な実をつけるだろう。
それは、ベターマンが探し求めるもの。
それは、フォルカが疑いを抱くもの。
それは、マイが思いを託すもの。
それは、東方不敗の内なる何かと関わるもの。
アニムスの花は揺れる。苗床――『死体』から養分を吸い取って。
ユーゼスの手によって、『アルジャーノンに感染させられた一般人の死体』はフィールド上のあちこちに配置してある。
そこでも同じように、アニムスの花は咲くのだろう。
苗床にされた者は、すでに何も言わない。
彼らにも、愛すべき人が、守りたい物が、手に入れたい未来があっただろう。
しかし、そんなものなどすでに無意味。今の彼らは、ユーゼスのゲームを盛り上げる為の物言わぬ舞台装置でしかないのだから。
そんな人々の思いを知ってか知らずか、アニムスの花は揺れる。
【ベターマン・ラミア 搭乗機体:無し
パイロット状況:良好
機体状況:無し
現在位置:C-5(森の出口)
第一行動方針:アルジャーノンが発症したものを滅ぼす
第二行動方針:他の参加者に接触し情報を得る
第三行動方針:リンカージェル、フォルテの実を得、オルトスの実を精製する
最終行動方針:元の世界に戻ってカンケルを滅ぼす
備考:フォルテの実 残り2個 アクアの実 残り1個 ネブラの実 残り2個】
【フォルカ・アルバーク 搭乗機体:エスカフローネ(天空のエスカフローネ)
パイロット状況:頬、右肩、左足等の傷の応急処置完了(戦闘に支障なし)
機体状況:剣破損 全身に無数の傷(戦闘に支障なし)
現在位置:B-2(湖畔地帯)
第一行動方針:レビ(マイ)と共にリュウ(リュウセイ)を探す
最終行動方針:殺し合いを止める
備考:マイの名前をレビ・トーラーだと思っている
一度だけ次元の歪み(光の壁)を打ち破る事が可能】
【マイ・コバヤシ 搭乗機体:R-1(超機大戦SRX)
現在位置:B-2(湖畔地帯)
パイロット状況:良好
機体状況:G-リボルバー紛失
第一行動方針:リュウセイを探す
最終行動方針:ゲームを脱出する
備考1:精神的には現在安定しているが、記憶の混乱は回復せず
備考2:アニムスの実を一個所持(種類は不明)】
【東方不敗 搭乗機体:零影(忍者戦士飛影)
パイロット状況:良好。アルジャーノンの因子を保有(殺戮衝動は気合で押さえ込んでいる)
機体状況:良好(タールで汚れて迷彩色っぽくなった)
現在位置:D-6(岩山)
第一行動方針:自分の気配を窺っているものをおびき出す
第二行動方針:ゲームに乗った者とウルベを倒す
最終行動方針:必ずユーゼスを倒す】
備考:アニムスの実の苗床は、いずれの参加者とも接点の無い世界からユーゼスが持ってきたものです
【二日目 17:50】
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第188話「5分前」 |
最終更新:2008年06月02日 03:07