地理(水駅・習作)
「方法の午後、ひとは、見えるものを見ることはできない。」
(『娼婦論』・荒川洋治)
塩駅
塩の街は雲母の切片を了解し、失してなお在る。馬車は理路を竦まない。罅割れた潜熱を行間に濡らす、星により近い高原において、明晰する等高線は言葉に伸びる。牛の骨が歴史を晒す。窪地。生死の女が群れている。黒のドレスには夥しい襞が、弛む。ここに距離に采配を阻まれた葬列がある。木霊に磨かれた砂漠の地図を、停止するこいびと。朗読者。陸路を水瓶に爆ぜている魚鱗。改行を泳ぐ漣を受け、詩人の紫煙は立ち枯れている。
窪地にかかる薄紅の結晶を誰が刻んだというのか。寂寞として塩は在り、絹の道を弾劾する。あけぼのとよやみは灰になった。鳥を帯びた石英。焔が点される。一帯にはカイロスが満ちている。風雨の頃。おずおずと感光した化石ではない。彼女たちはそこかしこにまるみを対立させ、すぐれた稜線を通読してゆく。
稠密があった。いにしえには月が泳いでいた。
逆上が葡萄を殺しあぐねる。村が裂かれきった。空が完結していくとき、耐えた海は遠地に据え置かれる。女は経穴を垂れ、しめやかに国境をなす。一つとして冷えるものは無い。そして駅。文明の差し向かいで咽ぶ標榜がある。窪地は無限に高踏していく。そして生きて死に、肌を風化させる一糸は湖に伸びている。眼前に飽和した塩の街に、燃やされた芥子が留まり、灰を均している。
陵墓
アトラス、墓の海。積疫に干された石柱を押しつぶして花崗岩が萌芽してゆく。徒に地理がある。なつかしい衰微がある。そして由来の黄土をみる少年を滲ませる。低く連綿と続く礫。隊列が歴史の真ん中をとおってゆく。緩やかな毛並みの駱駝を伴いながら蜃気楼を去り、地図を離れていく。ここは死者の布がたなびくまどろみである。屍は夜に残り、底冷えする賽の河原を行く。再び少年よ、かのアニムス、永劫を斜線するもの。
石の街に空白するアポクリフォス、乾燥の水際に従う建築に、ヒトよ、生きた小麦をやめよ。脆く欠け去る砂の門にいずる数理は、綿のターバンを巻く彼岸を回遊する。久しく在る霊魂の墓標に、彼らは歩法を誤る。
さして夢遊する。零時。夜闇を踏みしだく。人は悉く鳥を殺す。眼球は鉄道を串刺し、晴雨のしじまを氷解する。全ての文学、冷たく硬い金属の上に裸足で立つ女は横たわった。アスリージョの花を孤独する。ここに微かな草が拮抗する。車窓より、砂漠は終わっていく。
*
「彼女はパゴダ上に皺深く俯瞰する(あらゆるかなしみとは)。」
岸
海岸線を抜ける列石。リアスの枕木。植物の木立に永訣のリズムを読み取ることが出来る。かつての恋慕を横なぎにしていた。梢との連立を走るとき、汽水湖を浮かぶ淡い球体はまろぶ。飛沫がメルカトルを断絶させていく。たおやかに光り、視界を往還する彼らの眼差しを憶えていた。森の道には赤い計画が組み敷かれていた。
かくて夜ざめは深い緑に縁取られる。その海抜は気高くある径轍を押しつぶす。そこで存在は青く語る。君は演奏を座席の裏にでも隠して推論に黙る。あれからずいぶん来た。行商の祖もまた、尺度を離れている。森があり、行き倒れたひとの腐敗がある。
湖上の熱に女はまぎれる。驟雨のえらを思い起こしながら、縮路の駅にいて、冷えた踝で鉄を区切り、ほころぶ。これほどに破線の純潔が保たれる、萩の葉は毟られて、その手でにじる。白い親指の間から若草がむせる。
桟橋港
中心を持たない砂地を来た。都市の多数はじりじりとあとじさり、近日点に清められる。その痕跡だけを残して、透徹の家禽の声を聞く。聞くのみだ。
大陸は風を鎮める。デルタが行き過ぎた少女の最後を浮靄に溶かす。社稷の記号は隔意される。海流が統治する。あらゆる慕情に藁葺きの屋根が加えられるだろう。いっそうに水位が際立つ。心臓の鼓動にも似て、波音ばかりが功徳へ滑りこんでは、積み立てられていく。
裸の松林に絡まる残響
海を歩哨する悔恨
うつろさに駆動する楼閣
されど日向の駅はまどろみとされなければならぬ。短髪の少年と髪をまとめた女が朗らかに笑いあい、石を蹴る、明るいつま先がある。そして静かな電極を記す国家がある。豊かに閉ざされた深い海溝があり、ただひとつ、繊維の機関が沖で名を名乗った。小高い砂丘らを選別するエクソダス。
山岳
峻険の外套に陸が延焼する。人と、あくなき恋人。際限なく容赦は所与とされ、尾根を伝うもの。今ここに一里塚が据えられる。石女は欲望。さぶしさは欲望。くもの糸は涼しくみちのくを知らぬ。渓谷の中で寒村が枯れゆくさま。標高の次元。政治の右手が距離を殺してきた。高山を拓き、燃え立つ駅がある。
方眼の彼岸さえ在りて在る ひろがり
ここで緑よ
地平の鋭利を 鈍く
粟立った市民の口から、縮尺が描かれ、地図。労働者の草臥れる靴に、象徴が記され、地図。コミューンを生きる国民の境界が、山河に稜線を導いてゆく。そしてそれは地図である。なやましい視線が地理を遊牧していくとき、ジプシーの衣装をまとい、山頂点に綴じられ、女は偏在の痕跡を衰退させる。後に残るのは塩の結晶である。人の葉脈、湿された路線を肥沃する。橋桁を超える。差し向かいの恋人は少し寒いと羽毛を採る。焚かれたくろけむりから、空常は重みを増して轍をつたう。
雪国
[#include]
しじまの夜 雪の窓をぬぐう
煌々とした明かりは ふもとで溶ける
Mizu no Eki wo dete
Yoru ni kanojo ha Inakatta
<Kokkyo no Nagai Tunnel wo nukeruto sokoha>
[void]
ようこそ ひかりのくに
ようこそ ひかりのくに
君のために
きょりはむこうになり
ひかりはにじへほどけ
気体分子と薄くゆれる泡を たえまなく往復する
[printf("Hello,World!\n");]]
反古
二十四時を回って、雪が止む。赤切れするほど冷え切った夜だった。地面はいつになく腫れぼったい。結晶構造を置き去りにして、枝葉があいまいになり、繊細に橋渡しをしている氷がさくい。捌けられた氷の丘、を、踏むと、Sの子音ばかりがざわめき、常夜灯の白い光を閉じ込めたまま砕け、音は木霊に写されていく、その一部始終。危うさゆえに雪を踏みさし、コンバースの薄いゴム底を隔てながら、私は雪に乗る、永遠的なみぞれ、崩さないでは、月と氷と音と植物の、あんまりな類似を反古に出来ず、塩だけがぬくい。吐いた息も凍える。今晩は全てが光。
*
「過去に括られていた。乾いてしまった粘土のような、大切であった記録だけだなと思う。そのような塑像群が私の行く末に立ち込めるのは、それが懐かしみによるものかも知れず、しかしすぐに失われ、今では思い出すことが出来ない」
最終更新:2012年06月12日 21:06