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2:存在への問の形式的構造

哲学>ハイデガー>存在と時間>「2:存在への問の形式的構造」

存在への意味の問の特殊性

なにものかが問われている場合、それがあるなしにかかわらず、問いは「…へ向けられた問」として開かれる。そこに
  1. 問う人
  2. 問われているもの(Gefragtes)
が存在する。問われているものは問を発した時点ではわからない。ただ指向性としてある。
実際に問い起こすためには
  • さしあたって問いかけられているもの(Befragtes)
に対して問い、それが
  • 根本的に問ただされている事柄(Erfragtes)=問われているもの(Gefragtes)
と通底すればよい。

問われているものの側からあらかじめ先導されること

その時点で存在の了解の中に身を置いているが、概念的に確定しうる地平は分かっていない。
この大まかな漠然とした存在了解はともかく一つの既成事実(Faktum)である。

問われているものは存在である。

存在を問うのであって、存在者を問うのではない。
なにか「がある」のを問うのであって、なにか「である」を問うのではない。
存在者を何か別の存在者へ引き戻して、その由来から説明しようとすることはできない。

さしあたって問いかけられるものは存在者である。

よって存在者への近づき方を確認する必要がある。しかし、さしあたって問いかけられるものとしての、存在者は複数ある。
実在性や、客体性、理念的存在関係の存立や価値の妥当性、現存在や「与えられている」という時の存在
どれを選べばよいか。

存在への問いの形式をまとめる

  1. 存在の方を見やり、その意味を理解し、かつこれを概念的に表明する仕方を解明することを要求
  2. 範例的な存在者を適切に選ぶ機会を用意し、この存在者へいたる正当な近づき方を取り出してくることを要求

現存在

問うている存在者は問いの根本的構成要素をなしているので、問うている存在者は存在に先導されている。これを現存在と術語的に名付ける。

循環論法に対して

存在者は存在の概念的表現がなくても用意できるので循環論法にはならない。

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最終更新:2011年07月25日 13:54
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