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船(関数Fと、空白を含む習作・岩成達也より)

1

航海が始まったときからつけられている日誌は、船の最も深い部分にある巨大な書庫の奥に置かれ、背表紙は日付の古いものから順番に棚に並んでいるが、本棚に収まりきらず木の床に投げ捨てられているものもあった。床に置かれているものは新しいものと見られ、棚に収まっている日誌はどれも少し痛んでいて、油紙の表紙はところどころ破けて穴が開いていた。表紙には四角の細い線が描かれている。そして透明な茶色に染まった染みがあった。開くと繊維がこすれあう音がした。紙が疲れているため、たやすく開きっぱなしにすることが出来る。のどまでよく開く。書きやすいだろう、しかし、しなやかな紙らしい弾力は失われている。背表紙などは裂けてしまいぼろぼろになることもありそうだった。扉はなくノートのような構成をしていてどの頁も同じように縦書きに文字をそろえるための薄く細い線が一定間隔で引かれているが、それを無視して文字は蛇行していて、挿入されたように書かれている、小さな文字で埋まっていた。最初の頁から、前半はどれも埋められている。後半の頁は書かれていないこともあった。そのような余白には、ところどころに思い出したように誰かの言葉が綴られる。とりとめのない言葉どもが散乱し、自然に寄り集まったような連想の言葉がその日々の暮らしを構成する。そしてどの頁にも、書かれた言葉に重なるようにして文字が書き付けられる。その文字は、必ず、前に置かれたものを消してしまわぬよう、ある秩序に関連付けられる形で、順序的に、文字の後ろに並んでいた。それは文字のならびに空間を作り出す作用を働かせ、そして文字の隙間には、さまようような、さまざまな写真が描かれているのだった。幾何学模様、あるいは船の見取り図である。もしくは鳥、そして魚、乗員の生活のスケッチ、それは図鑑の役目さえ果たしている。赤鉛筆でそれらに修正が加えられ、さらに青のインクが訂正を加えていく、そこに黒の万年筆で、行間に傍線を引くことから読みをはじめることにしよう。張り巡らされたあらゆる線分はこれらのおびただしい日誌を繋いでいく作業に参加している。この群体に乗客は一本づつ、線を加えなければならない。そうすることによって、この船は彼を船員と認めるからだ。曲線は本棚を自由に回遊し、そして次の背表紙へ繋がっていく。古びた日誌にはいくつもの修繕された跡がある。そしてそこからは、別の日の日誌が始まっていることが多かった。そして日誌たちが裂かれただろう日はどれも別の日誌に律儀に赤く書かれている。粗雑に扱われる日誌たちが書庫の棚に簡単に置かれていることは、本の複製がこの書庫のどこかに眠っていることを示していた。

2

船の頭上は青く晴れていて、白い雲が点在する、そんな潮風が吹いているとしよう。船の後部から舳先へ向けて空気が流れる様子は触覚を通して理解されるものだ。湿り気の強い風は同時に蒸発もしている。快適でも不快でもなかった。船首に向けて軽く持ち上がる甲板にはなだらかな勾配がある。十字の取り付けられた舳先から鋭利に海中に没する船が波を消す、停滞している。そこは水に長い間没しているから、海藻は船の底へとびっしりと取り付いていて泡立っている、そこで揺れて食う塩を排泄する硬骨魚の類の鱗が青みを帯びて緑に光っている。小さく刺さっていく魚影の集合はこの船に良く似ているかもしれない。それらは鋭く交わり、定位しつつ定位しないものであって、そしてそれらが良く見えるようにこの船は設計されているのだろう、と我々が判断する、海面と海抜零地点の接合面としてある船だ。その境界はどちらにも属してはいないから深い水と塩がその下に埋積され、鈍い重力が同時に船を生かす浮力にもなった。波先から切り離され細かい粒子となった冷たい飛沫だけが風に運ばれ、帆を濡らした力のある生臭い匂いを、ぞんざいに扱うこともできる言葉となった我々はここで、甲板から海中を透視する。甲板として葺かれている細長い木片には小さい字が間隔を置いて書かれている。文字はこの船の名を表明することではない。列ではないだろう。単語にすらなりはしないだろうその文字は意思を持っているから、甲板の上で孤立していると思える。しかしながら、我々は離散した文字をある法則によって並べられているとして読み変えることは出来、それこそが自由として与えられている事実は同時に、深いけだるさをも、我々にもたらすのだった。そして、例えば文字は数式のように読めた。あるいは形体詩のようにも読める、けれどそれは明らかに我々の裁量に依存して読まれるものだから、船員は船員でこの読み方を協議しておかなくてはならないと結論に達していく。あるときなど、この文字を通してこの船の現在地が分かるのではないか、と言う案が乗員によって印されもした。伸び縮みするこの船の上ではそうも読めたが、巨大な回遊魚となった今となって、我々の船が膨張するのか海が収縮するのかは、一向に知る必要のない些細な問題でもあるようにも感じられるのだった。

3

そして船は伸縮する存在であるからこそ、材木の組まれた船であると同時に、一枚の板切れでもある。長細い板の形をした一片は船であって、そしてそれと名指しされるがごとに、ますま取るに足らない大きさへと断片化し、乗員は船と言う一枚の板切れの上で海面に立ち尽くすのだった。船は表現されるごとにその形を変容させる。あらゆる言葉も逃さない船という立地条件に住む我々が気づいたときには、一枚の板切れから枝が垂直に伸びていた。生成される一本の樹だろう、木片は何度も折り重なり、複雑さを増していき、ある瞬間において、木片は側面にいくつもの入れ違いに生えた垂直な梁であり、長く反り返った曲面を持つ竜骨になる。船を作る骨。垂直に向かう船の帆柱の根底はやはり海面に浸かっていて黒く湿っていて接続部分は泡が絡まっていて白い多孔質の骨である本質としての船の表面には文章が伝導していく。我々はその上で歩かなければならない、というのはその船の上で一本の蛇行する線を引いていくことと何の違いもないために、船はより厚く深まるのだ。我々を一面で許容しつつ、その裏、船は細心の注意を払いながらもやはり厳かな、我々がその振る舞いを制止することの出来ない重々しさをまとって、我々を入念に排除する。しかし我々は、そのことを知っている、そう言った瞬間にそれは我々にとって見知った形で提示される。それは繋がりを持つようには見えない離れた言語によるものだから、我々には知られない。深みによって表現されていると思われた。それほどまでに船は数多くの錯綜した多数の言語によって、書かれた痕跡を留めているものであって、つまり潜伏体として船は提示を行う。乗員は、底面を垂直に上ることの出来ない、と乗員ももはや表現することを許されない。くぼみのない甲板は、四角の穴をモザイク的に発生させていくのだ。それらは多数の木材を縦横に組み合わせたもので、接合部は同化しているかのように、火で曲げられた一本の丸材を組み合わせる帆船は十字を持っている。その木の強い組み合いは垂直に交わっている地平をそのまま羽ばたかせるかのようにして大梁を捻れた方向へ伸ばし、この海上に比類なくいかめしく存在した一線から、船は我々を遠ざけていた。もっとも高い部分に位置する鳥が、海を睥睨してはその呼吸を整えている。造化された十字の下で、風を切る鳥の羽の枚数を数えながら我々は見透かされたような気分で波に揺れている。

4

船はひとつの書物であり、また乗員もそれぞれの書物であるから、この船の内部に精密に保持された直方体の空間は書籍の入れ子構造をとっている。しかしその二つのものはどちらかが優位であるというわけではなく、むしろ相互に関連付けられている限りで、あるいは位置関係の強調する表面における空間力場、木目のあるいは視線に方向付けられた磁力によって相互に被覆され、乳白色に交じり合った結合しているそれは、木目の詰まった良質な古い材木によく見られる光沢を持っている。しかしそれは最新の徳を内に宿すのに適していた。覆い焼きされあう親和力が、これら書物どもを内臓的に結び付けていて、船を離れた独立な乗員は存在せず、また乗員から何の相互作用も得ない船の構造も存在しない。それは船と乗員と言う二つに分節化された言葉で語るよりも、ここで新しく船員と言う言葉でそれらの関係を置き直し、ひとつになった構成要素として語られる必要があるだろう。ただしそれはあくまで別のものとして捉えられるからこそ、大洋から十字の扉を隔ててよく密閉されたこの船室には幽霊が住み着く。幽霊は害をなすものではなく、単に幻影として捉えられるだけのものであって、その実体は存在しないだろうが、あくまでもその齟齬を生めるために、一方の極に船員と言う言葉を持ち、他方では船・乗員という名を与えられた、ひとつの細長い棒の中間として成立している。靄のような存在は言葉を一意的に定義しないことによって生まれるのだから、それはしばしば船員に取り付き実体を得ながら、存在を我々に認めさせようと行う振る舞いは、結局は船員がひとりでに受け取る船の節度を船員が演劇することで結合自体に価値を生み出そうとする企みの一端であるかのように思われた。演劇は演じるもの、演じられるものという指示曲面によこたわる、二つの境界線をその具体性によって溶かし込もうとする役を持っているから、ここでは演劇と幽霊は同じものを指示していると理解してもいい。それら幽霊はおそらくこの船の自立性を正当化するために必要な論理に組み合わされる具体として、航海自体の複雑な構成の中に含まれた一続きの仕事の一部として、組み込まれているだろう。我々はその演劇のト書きに傍線を引きつけ、親しい幽霊たちが船の一室で催したささやかな気晴らしの出来について、声を潜めて、話しているかもしれない。

5

巨大な十字の上に止まっている鳥の嘴から尾に続く一本の竜骨は、十字の垂直なマストによって連結されているから、豊かな羽毛に包まれた翼がひらかれたとき、その十字は実のところ二連十字であると言える。形が連結されていることが最も強い関係だ。その羽毛は垂直に船にしな垂れかかり、さらに我々の骨が加えられることで、十字に連なる織物となっているのだが、それが面となった今ではそれを格子づける十字は忘れ去られ、多数の地点を稠密に結びつける網となって風を捉える。それは細く長い糸であり、緑色に輝いていて、波に濡れたり乾いたり読まれたり書かれたりする行は、一見すると起伏のない一色の表面のように理解されがちであるけれども、しかし我々は再度注視を与えることで、それが単純な平面では全くなく、さまざまな勾配を含んだ、より高次元の連絡性を持っていることに気がつくだろう。ある地点とある地点は色斑の幾何的な連想の余地を残しており、そこから我々は様々な記号を透視してみることができる。そして繊維は、さらに帆の皺によって方向づけられるが、それはあくまでも織物の十字に埋設される形で提示されて行くため、決定的に名指しされえないものだ。伏せられている。縦糸たちは船の上に覆いかぶさり、船というものを包み尽し、我々の上にもまた帳が下されるだろう、この船が縦糸を持っているからこそ、その作用は連続的になされる。竜骨に並行する複数の湾曲した木材は鉤状に配置された横糸を手繰りながら船底に繁茂する緑植物と一体化し、より深いところにこそ密度の濃い構造が留まっていて、もはや十字を超過したそれは揺られては根をのばし、強い光によって節状にまで達するのだ、細部に深く十字が染みわたることで。十字の記す中心点を結ぶ十字ではない筋書き、そこへ新たな斜線を引きつけようとするのは、その木片が糸によって編まれているからに他ならない。木片が海上に縦横に書きつけられることによって糸が生まれるのではなく、また同時に糸が木片を織り上げるのでもない。そのために、船は重力と浮力に対して一定の調停を量ることに成功している。

6

船の伸縮は船のあらゆる尺度を変容せしめており、その運動にかかわる一切の力は船の内部を駆動している木材の横滑りによって賄われていて、さらにその横滑りは船の上を走る糸の張力に依存している。ある十字の中心に強くくくりつけられた糸は別の十字に結びついている。その状態で一つの十字が船の全体を素早く運動するなら、それに結えつけられた、多数の十字群もまた同時に動くだろう、そうして運動する十字はまた新しく別の十字を動かすことになる。木材の輸送運動はそれ自体で永続するのだ。我々はこの木材の滑走の連鎖を止めることができない。乗員もまた一つの船に乗る錨を打たれた存在だから、我々の生活をする、一挙一足が船を動かす糧になり、そしてまた、我々は船の運動によって引かれているのである。一切の書字行為が集約される船は凄まじい監視力を我々に働かせる。隅々に張り巡らされた帆の糸は文章を伝える神経索であり、心臓であるところの書庫はある意味で船の写本となっている。その本棚は規則的にくぼみの列を走っている、複雑に枝分かれした軌条に先行されながら走っている。この力動は草の根のように方向性を持たないと考えてしまうけれど、切断し断片化されて配置される、これら航海日誌は結局のところ本棚という平面に並んでおり、それはまた表紙と表紙を密着させながら、滑走していくだけのものであって、計画された詳細な分析によっては、その運行を詳らかに公開できる類のものである。ただその連鎖が続き続ける。その一瞬ごとに膨大な量の行列が紙面に配置され、また絶え間なくそれは続けられる。やがて、書き上げられた書物は積み重なる書物の重みに、潰れ、読まれなくなるのだ。その忘却されていく埋没されていく時間に、幽霊は現れて我々の傍らに佇む。幽霊たちと我々の間には、忘却されているかどうかの違いしか存在しない。我々もいずれは幽霊となって、この船を動かす十字に磔にされるだろう。船は終わりのない変形の過程で新しい船室を作りだし、我々を深い忘却の底へいざなっている。

7

その柱は骨であり、その部屋は臓物であり、その糸が神経の系統を司っている。一個の身体としての船の上には血液も流れていて、それは数種の塩が金属が電気的な結合を保ちながら流れるものである。ガスと水道は同じ方向を向いているから、その二重写しとなった直線は相互に連絡を持ち、それは梯子である。梯子は映進して繰り返される数十の十字から構成され、そして船のいたるところ、あらゆる階層にも潜伏して存在し、その垂直性を帆とは異なる次元で表現する。同じ方向が幾度となく執拗に繰り返され、我々は呪文のように反復されるフレーズをいやが応にも暗記させられた。その形は我々の行為の、その細部のみを機械的にさせており、動作の一つ一つに組み込まれるそれはすべて船の体現となった。我々の行為の中で潜在的にエコーしている。船員の行為は船から生まれているので、船は血の通った母であるとさえ言えるかもしれない。また我々はその子供であるとして理解される。もっと環境に即して言葉を変化させるならば、それは土地的な強度によって、結ばれているのだ。だから規則的に上昇する土地である梯子の元で波の音を聞くのは、船で寝起きする船員にとって安らかなものとなる。波にゆられ、海鳴りを子守唄としながら、梯子の前で船員は手紙を書くだろう。船の中に張り巡らされた草の根を反響する痕跡としての言葉を、我々は改めて文章に書き起こさなければならない、そんな寂しさに船は駆られる。書き起こされた手紙は緩やかに木材へと溶け込み、そのまま船の中を配達される。そしてその文面が忘れ去られたころに、それは幽霊となって我々の前に現れてくる。幽霊は不可視であるけれども、我々は船から少しばかりの銀版を受け取って磨き、それを写真に残すことが出来る。それは、ヨードで処理され、カメラオブスクーラの中で感光された銀メッキの板であり、それをためつすがめつするうちに、光がちょうど上手い具合にあたると、その上にかすかな灰色の画像が認められたのだった。それは一枚一枚かけがえのない貴重品だった。船に存在する数限りなく穿たれた小さな孔。その限りなく微細な多孔質の間を外光がゆっくりと流れている。形のない繊細な光を、我々はこっそりと映し取る。その幽霊が暗い穴の向こうに顔を覗かせるのは、ほんのわずかな時間でしかない。しかし我々にはまた新しい幽霊を歓待するために、手紙を送るだろう。

8

船の周囲に生きているだろう動物は水冷された本棚に納められた写真で、船員の隣にいる。船員が動物の背骨を支えているように見え、しかし動物たちのまなざしは我々の傍らを通り過ぎ、物憂さをはらんだ彼方を一身に見つめている。こうした写真に長いこと思いをひそめていると、この場合も両極端は相通ずることが分かってくる。すなわち精妙極まる技術は、その産物に魔術的な価値を与えうるのである。絵画は我々にとっては、このような価値をもはや決して持ち得ない。この写真家の腕は確かであり、被写体の姿勢は隅々まで彼の意図に沿ったものである。にもかかわらずこの写真を眺めるものはそこに、現実がこの写真の映像としての性格にいわば焦げ穴を開けるのに利用したほんのひとかけらの偶然を、今この一瞬のものを、どうしても探さずにはいられない。この写真の目立たない箇所には、やがて来ることになるものが、とうに過ぎ去ってしまった撮影の一分間のありようのなかに、今日でもなお、真に雄弁に宿っている。だから我々は、その来ることになるものを、回顧を通じて発見でき、そのために保護される文字たちは膨大なものとなった。書庫に堆積されていく大量の写真からなる図鑑には動物の骨が描かれているから、我々はそれを手にとることが出来る。写真は書庫の床にうずたかく積み上げられていて、我々はその上から数冊抜いて見返すことが多いけれども、その深い地層に埋まっている、記憶の底に閉ざされた写真を蘇らせることもまた船員たちの、楽しみであった。忘却され色あせてしまった、写真のもつ動物の目はひどく明るく、そこで写真の中から、その美しい目が我々に注がれることが、我々の糸の結びを逆転させる。その写真の撮影された瞬間に彼らと出会っていたことを、我々は図鑑を見ることで、気づくことが出来る。それは読み返されるまでは気づかれることがなく、その意味で、幽霊は再読によって生まれているのだ。幽霊は堆積した垂直の図鑑にこそ憑依して、我々の前に表現されてもいるのだった。

9

船は複雑に込み入ってる。絶えず変形し、数限りない穴を持っていて、外との境界は曖昧であり、内部の光や音は外部に、外部の光や音は内部にあるような軟らかいスポンジのトポロジと言ったような空間は、外にいるはずの幽霊が回帰する。そしておそらくその機構は、潜在的な船の十字によって保障されているのだ。あるいは張り巡らされた糸によって潜められている。また同様にあらゆる動物の骨格はその肉のために内部から張力を持っていて、さらに金属は移送のために支えられている、内部より支えられている。船の複雑さによって、我々は船を容易に見通すことが不可能となっていて、ついに直線によって刺し貫くことが出来ない、汲みつくされえないものであり、船はその内部に暗部を隠し持っている。それは応答しあう語彙が平面状に散乱した、一本の伸縮する長い一行であり、多数の言葉が行間に潜んでいるような文章であって、それはいかに慎重に傍線を引き連絡を取りながらその語彙を取り除いたとしても常に、それは暗がりに潜んで存在していることを主張する、硬骨魚のように漂っている、塩を撒かれた聖なる行程だ。指し示された文字がこの船のどこにあるのか、それは絶えず滑っていく、横滑りしていくのであり、その上で我々はその平面を読み解いていくのも自由であるようだし、また一瞬一瞬を切り取って、幽霊を歓待するのも自由だった。さしずめ、鳥の止まり木としての体だろう、船は我々が住むにしては非常に揺れていて、波にゆられるのはそれはこれが海に浮いているからに他ならず、根は流れに従ってなびいている、風にしたがって巡航する、我々の住む不動産は移り気が激しく、そして粗末であり、その代わり我々を確かに写植しながら、我々をあの暗い孔の中へと運んでいく、漂流させていくのだ。
最終更新:2012年06月12日 20:34
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