『ダブルオベリスクの直交』
    Author:◆vLN9sBRUZc


595 ◆vLN9sBRUZc [sage] 投稿日: 2008/09/22(月) 03:24:59 ID:U5fKoQ3V

『ダブルオベリスクの直交』

 白磁の器に満たされた闇色は、夜の深さながら一切の濁りが無い。
 伊万里焼きのカップから天井に立ちのぼる湯気が、南米の香りを鼻梁に運んだ。
 一すすり――フレンチ・ローストの苦い先味が舌を焼き、脳天までを突き通す。
泥水の様に濃い珈琲を口中で転がし、鼻に抜ける芳香を味わうまでが楽しみだ。
 嚥下、爽やかな熱が喉を通り、透き通った甘い後味が恍惚の時間を与えてくれた。

 マクガフィン特製ブレンドコーヒー。300円、ダブルは50円増し。

 薄暗い店内にかかる70年代の曲が落ち着いた雰囲気をもたらし、
手作りの凝ったスイーツも舌を楽しませてくれる。

「それも全てはこの至福のため。深都姫もそう思うだろ?」
 満席の店内、四人席を二人で占領して脚を伸ばし、同席の相手に問う菅原倭斗である。
「全然思わないけど……」
「美味しいか?」
 こくり。首肯する対席の少女は、パウンドケーキに付いていたナッツにフォークを
突き刺し、店の照明で透かすようにしていた。
「……ケーキまでおごってくれるなんて、意外ね」
「遅刻の詫びなら相手の嗜好に合わせるのが当然、あとそれ」
 倭斗が指さしたテーブルテントに「小学生 スイーツ半額」の文字が踊っていた。

「……」
 頬をふくらませて抗議する"中学生"、役深都姫(えんの みつき)。
 彼女を柱の陰から微笑ましそうに見守る髭面がマクガフィンのマスターならば、
シャイな彼を睨み付け、即座にキッチンへと引き込ませるのが深都姫だった。
 そんな所作のせいで、未だに電車が子供料金なんだよ、とは教えずに笑う。

「何――?」
「何でもないさ……」
 針のような、深都姫の視線。
 役(えんの)の直視を受けては、本当に目が潰れかねないと、顔を逸らして外を向く。
 高杜モールをを行き交う人の流れの中、"今日のお薦め"が書かれた看板の向こうに、
面白い組み合わせが見えた。

「へえ……見ろよ。学校の中なら兎も角、高杜モールじゃ珍しい」
「博多さんに――沖方さん? 何か話し合ってますね」
「うん……こっちに来る」
 現れた二人が入り口を潜り、ちりん、とドアベルが来客を告げた。


「……そんなに受け手と攻め手に付いて知りたいなら、二時間でも語るよ?
内受け、上受け、下受け、十字受け、回し受け、払い受け――」
 受けの種類を列挙するのは博多利敬、理系のヘタレ謎武道家だ。
「――中でも開身受けは相当な高等技術だ。この前遮断機相手に実践したら一発喰らった」
 実力は未知数――駅前の鳩にも惨敗するため、何が相手なら勝てるかはっきりしない。

「ん……利敬君はつまり、総受けということですね」
 角度が違って、重なってすら居ない感想を抱くのは、沖方鼎を名乗る腐女子である。
「ふむ……ウチ受け、下受けはシモ受けと読むのですね? 分かります。
マワシ受け……その響きには想像力をそそられますね。力士攻めには新たな地平が――。
でも姫受け、ヘタレ受けは不許可です。武道家の利敬君には、強気受けがぴったりですからね」
 二言で表せば真正の腐女子であるし、幾千言をついやしたとてそれは変わらないだろう。

「突きの運動エネルギーをこう……不許可ってなんだ? 受け手はしっかりしないと、
多彩な攻めには対処出来ないんだぞ。了見の狭いフジョシだな」
「ん……全く仕方のない人ですね。仕方のない利孝君に説明しましょう。
『くせに』ではなくて『だから』属性が狭いのです。つまり因果関係があるのですね」
「お客様? 満席ですが」
 コック棒を頭に飾るマスターが、柱の陰からおそるおそる確認する。
 それまでに交わされた彼らの会話といえば、ライオンの頭にシマウマの下顎を付けた程にも、
噛み合っていなかった。

 アンチ静けさ、落ち着きをヘイト、珈琲の風味と店の雰囲気をぶちこわしだ。

「二人……あ、相席で良いです」
 立ち去ろうとした倭斗と深都姫の四人掛けへ、二人は迷い無く向かってくる。
 相席とはこのことだった。
「立たなくていいよ」
 と両手を広げる利敬は、腰を上げた倭斗の動きを勘違いしているようだが、
諦め、席を詰める自分の愛想にもあきれ果てる倭斗だった。

「よお……ロリコン?」
「ぶしつけに疑問系だな、利敬――」
 深都姫に目をとめて眉根を寄せる利敬。倭斗に向けて軽く手を挙げた姿勢で固まる彼に、
軽く当て身を入れようとして捌かれる。
「中学生です――」
 右手を挙げて、深都姫。パウンドケーキは半分ほどお腹に収められていた。
「……だ、そうだ。正直僕も信じられないんだが、これで理解しただろ?」
「つまり、疑問の余地無くロリコンというわけだな」
 チョップ――今度は当たる。

「ロリを否定しろ。貧乳好きはアンタだろ、利敬」
「生憎、そんな将来性のある貧乳に興味は無いんだ。膨らみきってなおかつ絶望的な絶壁、
無駄な抵抗感――それこそが、俺のそそられる真なる貧乳だ」
 手刀を喰らって主張も涙目だが、隣の沖方曰く、
「膨らみきってなお絶壁――利孝君は男の胸板が理想なんですね。
どうかその理想を貫いてください。……応援しているんですよ?」
 となるらしい。深都姫がケーキをのどに詰まらせた。

「利敬――忠告するだけならタダだから言うけど」
 あまりない胸を叩く深都姫に、水を手渡しながら、告げる。
「――友達は選んだ方が良い。特に腐ってるのは止せ」
「ロリコンからの忠告だからな……なに、沖方?」
「利敬君、倭斗君は絶対ロリコンじゃありませんね」
 すわ沖方からのフォローか? 新鮮な驚きに包まれる――
「女の子に興味がありながら、利敬君に誘われて攻めに転んでしまう……つまりノンケ攻めです」
「……つか、煽ってんの、お前?」
 ――そんな倭斗が馬鹿だった。妄想に両足浸かった腐女子の寝言に期待は禁物だ。

「怖いですね。倭斗君に睨まれてしまいました……ちょっと待って下さい」
 しゅっ! っと音を立てる早さで間合いを取ると、両手の親指と人差し指で
視覚を四角く囲った沖方は、居並ぶ倭斗と利敬に目を凝らす。

「ん……やはり倭斗×利敬のラインは外せませんね――」
「男のケツにはそそられないから、せめて男の娘(おとこのこ)を連れてこい!」
「全く仕方のない人ですね……。だから、利敬君が受けなんですよ?」
「それでも娘は外せない――いいか、無い胸じゃなくて、あるけど貧しい胸だからな?」
「倭斗、この二人って"そう言う"嗜好を隠そうとしないの? 高校生になるとそういうもの?
 水を飲んで落ち着いた深都姫が、ようやく口を開く。
「――私は攻めとか受けとか、高杜亭とかよく分からないけど」
 襟元を気にしている風なのは、体型の貧しさを気にしている証左だ。

「……違う。多分二人で示し合わせて、僕の安らぎを妨げに来たんだ」
「惹かれ合う男二人の心を乱して惑わせて――罪深い女ですね、私」
「はらいたい――」
「拾い食いでもしたのですか、倭斗君――?」
「……」
 祓いたい、と言ったのだ。

「……利敬。いい加減、風が吹いたら桶屋が総受け、みたいな沖方の妄想回路に
ストップかけた方がいいぞ。」
「ごめん、今日からそれが無理だ」
 心からの忠告をにべもなく断る利敬だった。
 理解できる自分が嫌だ。
「――だって沖方から、妄想出演料貰うから」
「――はあっ?」
 思わず、素っ頓狂な叫びを上げてしまった。

「本当は本をくれって言ったんだけど、ここのおごりになった。……俺を出演させたんなら、
貰う権利は当然あるんじゃないのか?」
 そして利昭はウェイターを呼び、日替わりスイーツを端から端まで注文した。

「そこはそれです――私の本は売り物ですからね」
 沖方は、マグマの様に濃い珈琲を頼む――三倍の豆を使うトリプルは裏メニューだ。

「本当に……本当に仕方のない奴だなアンタ――いや、アンタラは……」
 ふと、首筋に視線を感じる。
 振り向くと、キッチンに下がるマスターの背中だけが、倭斗の目に映った。
「……ふう」
 疲れ切り、椅子に沈んで珈琲をすする。
 倭斗をいやしてくれるのは、マクガフィンの珈琲だけだった。
 たとえ、冷え切った泥水であっても、だ。

「――ごちそうさま」
 パウンドケーキを制覇した深都姫が、手を合わせて小さくつぶやいた。








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最終更新:2008年09月28日 19:14