高杜市産業の闇(仮)
 Author:ID:uEZPR8h7(2代目スレ>>142)

142 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/09(木) 04:40:58 ID:uEZPR8h7

…工業団地街は今、午後一時を過ぎを迎えた。

中天の眩い太陽に照り付けられた三嶽重工の生産ラインに、時刻を告げるサイレンが高らかに響き渡た。
昼食を終えてくつろいでいた数多くの工員たちが、それを合図にいそいそと各ラインへと戻ってゆく。

ある者は咥えタバコで、また別のある者は仲間の工員達と冗談を飛ばしながら。
それはこの街の日常の風景であり、極々当たり前のいつもの日常であった…。

 ■

…ここは高杜市西部、尼子地区の産業特別区。古くからの工業地域として、主に重工業などの製造業が盛んだ。
軍需産業としてかつては海軍の軍船を作り続けて栄えた高杜市は、日本の近代化とともに姿を変え続けた街である。

歴史深いこの街はかつては漁業と朱印船貿易で栄え、地道な内需拡大政策と積極的な殖産興業により、
幕藩体制の時代を通じて財政黒字であり続けた珍しい地域であった。

明治政府が樹立した後、この地域の豪商であり維新の功績者でもあった三嶽家が海軍の軍工廠経営を受託する。
それが現在の三嶽重工の母体となり、高杜市周辺は急激な近代化の波にさらされることとなった。

それはこの地域の繁栄をもたらす一方で、それと同時に何か大事なものを失ってしまったともいえる。

確かに高杜市は、未だ緑の濃い高見山や、黒潮の恩恵を受けた遠浅で良好な漁場が広がっている。
しかし高度成長期以降、風光明媚でのどかな姿は徐々に薄まり、大規模な開発とともにその様相を変えつつある。

その昔、高杜の海は豊穣の海として、その美しさを万葉集にまで歌われていたほどであった。
だが現在は西の海には巨大なクレーンが林立し、鉄とコンクリートで囲まれた灰色の海が虚しく広がる…。

 ■

…工業地区を貫く産業道路に人影が消えてゆく。

それと入れ替わるように、倉庫から製品や機械部品等を運ぶ大型トラックが散発的に行き交い始めた。
工場ラインが動き出すのに呼応するように、トラックは各工場の工廠に出入りし、また走り去る。

そんな忙しい尼子地区産業道路から逸れた小さなわき道に、一台の小型トラックが路肩に駐車した。

明るいイエローの荷台にはジュラルミンの荷箱が積載されていた、配送用のトラックのようだ。
車体には可愛らしい犬の親子のイラストが描かれ、その絵の横に 『中島運輸株式会社』とペイントされている。

そのトラックの運転席には、一人の初老の男がステアリングにすがり付いていた。
額は汗ばみ、手は震え、血走った目は大きく見開かれている。

「…安心してください。こうやってあなたが命を張ることで、娘さんは助かるんですよ」
初老の男の隣、小型トラックの狭い助手席には大柄の工員服の男が座っている。
工員服の男は、大柄な肉体を窮屈そうに動かし、運転席の男の肩に手を乗せた。

「田村さん、あなたももう末期がんで長くないんです。せめて娘さんだけでも救ってあげるのもいいんじゃないですか?」
田村、と呼ばれた運転席の男は怯えきった目で助手席の工員服の男を見返した。

頬や首筋の辺りの肉は落ち窪み、顔は土気色に染まっている。
おそらく循環器系の癌の末期なのであろうか、黄疸の浮き出た顔が痛々しい。
死相の浮き出た田村の顔はしかし緊張で引きつり、血走った目で工員服の方を見つめ返した。

しばし無言のまま、二人は見つめあう。

工員服の男もその視線を見返し、顔に大きな笑みを浮かべてみせた。
わざとらしい、どこか傲然とした笑顔…しかしその視線は刺すように鋭いまま、強張った田村を見つめ続ける。

田村の額に汗が浮き上がり、それが落ち窪んだ頬をゆっくりと伝い落ちた。
カーエアコンの温度は低めに設定されているにも関わらず、車内は陽射しのせいで蒸すように暑い。

「生命保険の受け取りの名義はちゃんと娘さんになってますよ、田村さん」
工員服の男は胸のポケットから、三嶽グループの関連企業である三嶽生命保険組合の書類を取り出す。
それを広げると、指先で保険金受給者の名前欄を指差した。

そこには田村の娘、田村京子の名前が書かれている。
被保険者には自分の名前が書かれてあり、死亡時の保険金支給額は最大1億円。

「だがね、牧村さん。本当に自己扱いで処理されるのか?そう処理されなければ、私は何のためにこんなことを…」
牧村とは、工員服の男の偽名だ。もちろん田村には本名など告げてはいない。

心配そうな田村の言葉を遮り、牧村は窮屈そうに身を乗り出した。
少し目を瞑り、田村の肩を軽く叩く。肉の落ちきった肩の感触が牧村の手に伝わった。

「なに、事故調査なんぞ幾らでも誤魔化せるんですよ。何せ『三嶽生保』は三嶽グループの出資会社なんですから。」
牧村はそう言うと、緊張する田村の横顔を見つめる。

「…安心してください田村さん。全ては一瞬で終わることです。」
彼らの乗る小型トラックの目の前を大型トラックが走り抜けていった。
巨大な貨物台には大型工作機械が積載され、サスペンションの軋む音がギシギシと響き渡る。

トラックが通り過ぎ、騒音が止むのを待って、牧村は言葉を続けた。

「娘さんの心疾患は可哀想だと思います。まだお若いのに。だけど手術すれば助かりますよ…必ずね」
そういうと牧村は書類を鞄にしまいこみ、腕時計で時間を確認した。

「それに田村さん。あなたが頑張れば、娘さんの今後のための資産を残してあげることが出来るんですよ」
牧村は振り返るとそう言い、田村の肩を叩いた…。

 ■

…田村の顔色は冴えない。

田村はC型肝炎に感染し、肝臓がんを発症、検診で発覚した時点で既に全身に転移し末期である、ということだった。
さらに先天性の心疾患を患う娘の京子の治療費のために、多くの借金もかさんでいた。

近年の業績不振の煽りを受け、三嶽重工の関連下請け会社は窮屈な経営を強いられている。
そんな中、田村の勤めていた阿保製作所は、信金と三嶽銀行から融資の見返りに大幅なリストラを突きつけられた。

田村はその際に早期退職制度の適用を申請し、つい三ヶ月前に退職。
が、その退職金も治療費やそのた借財の抵当のために、殆ど底をつきかけていた。

もはや生きる気力など、残っていなかった。

己の肉体を蝕む病魔が、強靭であった田村の精神をも侵し、崩れそうであった。
唯一、残された娘だけが、田村の精神をギリギリのところで支えてた。

…そんな折に今回の話が舞い込んできたのだ。
命を張れば、借金を全額チャラにした上に、褒章金と生面保険料を娘のために残せる、と。

――娘が助かる。
そう思った田村は、迷うことなくこの話に乗った…。

「…しっかりしなさい、田村さん。大丈夫。娘さんは助かります。手術の見込みも今回のお金でなんとかなりましたし」
牧村は励ますように言った。

田村はハンドルに突っ伏した。

(もう、京子には会えない。しかしこれで、京子は助かる…)
目頭が熱くなる…今まで誰にも見せなかった涙が、何故こんな時に溢れてくるのだろうか、と田村は訝った。
肉の落ちて細くなった肩が震える…こんな妖しげな男の前で泣くなんて、こんな弱い自分が情けなかった。

そんな田村の背中を、冷めた目で牧村は見下ろす。
牧村にとって、田村など道具に過ぎない…こんな"仕事"など、何度も彼は行ってきたのだ。

「じゃあ、田村さんここでお別れです。ご冥福をお祈りします。あと、娘さんの快気も…」
牧村はトラックのロックを外すと、窮屈そうにそこから出た。
軽く伸びをした牧村は、それから一度もトラックを振り返ることなく足早に産業道路の方へ歩み去って行った…。

 ■

ついに田村は一人になった。
田村の人生は今日、尽きる。

今日の午後四時に、田村は尼崎市北部にある住宅街の中にある佼成会傘下工藤組の組長宅へと特攻をするのだ。
田村が今乗っているトラックの荷台には、実に2トンもの軍用爆薬が積み込まれている。

田村はその時間に、在宅することが確認されている工藤道隆組長を爆殺するのだ…無論田村もろとも。


…田村は懐からウォレットケースを取り出した。亡き妻が生前に誕生祝いとして送ってくれたものだ。
その中にある家族写真を取り出して眺めた。

娘の京子が中学校に入学した日に自宅前で撮影したスナップ。
隣人に頼んでカメラのシャッターを切ってもらったものだ。

そこには田村自身と、3年前に病死した妻、そしてまだ幼さが残る京子が笑顔で写っていた。
その写真の中で、春先の柔らかな陽光を浴び、3人は心から微笑んでいる。

田村はその写真を取り出し、指先でなぞった。

そのまま泣いた。慟哭した。もはや戻らないあの幸せな日々を思って泣いた。
この写真が写されたまさにこの時こそ、かれの46年の人生の中で最高に幸せな瞬間だった。

――娘の京子だけは守ってやりたい。
それが全てを失ってしまった田村の最後の願いだった。

…それから約2時間後の午後四時、小型トラックは工業団地内の産業道路をゆっくりと走りぬけた。

県道に突き当たると、それを右折して北上する。
私鉄の車両基地を抜け、繁華街を通り過ぎると住宅街に入った。

新開発地域にはいわゆる分譲住宅が多いが、その先に広がるエリアは古くからの旧家が多い。
その中で一際大きい屋敷が工藤組長の邸宅だ。

何度も下見を繰り返して完全にルートを憶えていたため、田村は迷うことなくトラックを進めた。

既に涙は乾いている。
憔悴しきったさきほどまでの表情は一変し、肝臓がん患者特有の黄ばんだ顔の中で双眸だけはギラギラ輝いていた。

恐怖心を克服したのではない。
大量のモルヒネを服用することで彼自身が狂気に踏み込んだのだ。

既に彼の思考の中には娘の姿は無かった。

純粋な狂気、殺意。
それだけだった。

 ■

…初めに異変に気付いたのは工藤組組長宅の屋上で監視役をしていた組員だった。

見慣れぬトラックが不自然なほど速いスピードでこちらに向かってきたのが見えたのだ。
閑静な高級住宅街の中で、不自然なほどにトラックのエンジン音が唸りを上げる。

異常を感じた監視役は直ぐに無線機で門番のガードに連絡した。
1~2分後には10名を越える組員が武装を終え、所定の警備位置につく。

おのおの組から支給された小銃やサブマシンガンを携えそれぞれ自分の担当部署で警戒態勢をとる。
高杜市周辺の利権を巡り、弘済会系の組織や朝鮮系の愚連隊組織の襲撃に備えていたものだ。

一人の組員が門から出て、道路をこちらに向かってくるトラックの前方に立ちはだかり停止の合図をした。
しかしトラックは停止せず、それどころかさらに速度を増した。

全く止まる気配を見せず、工藤組長の屋敷に向かう坂道を迷いなく突き進んでくる。
危機を察した組員は逃げようとするも、トラックはまるで虫ケラのようにその組員を踏み潰した。

「撃てぇっ!」
警備の組員の掛け声と共に一斉射撃が開始された。

閑静な住宅街にフルオートの甲高い銃声が轟いた。
銃弾は運転手とエンジンを狙い、トラックの前面に集中する。

トラックは特攻用に前面が強化されていた。
防弾ガラスが張られグリル周りには3cm厚の鉄板が張られており、そう簡単に破られるはずがない。
暗殺を確実なものとする為に牧村の所属する組織はそこまで準備したのだ。

だが遂には7.62mm小銃弾の集中砲火で防弾ガラスは破られた。
突き抜けたフルメタルジャケットは田村の胸元に何発も食い込み、腸を滅茶苦茶に引き裂いた。

「うらあぁー!」
田村は叫んだ。この世の全てに対してあらん限りの憎悪をぶつけるように。

さらに田村はアクセルを踏み込んだ。床板を踏み抜くほどに強く。
加速したトラックは、門前の詰所から逃げ出す組員たちを次から次へと踏み潰してゆく。

トラックは詰所を吹き飛ばし、鋳鉄製の巨大な門を突き破り、広大な庭を駆け抜けた。
逃げ惑う組員たちを吹き飛ばしながら、車体はついに屋敷の中へ突っ込んだ。

 ■

…運転席の田村は30発近い小銃弾を受け殆ど肉体が引き千切れていた。
しかし驚くべきことに田村はまだ生きていた。

ハンドルから顔を起こすと、生まれてから一度もしたことの無いような凄まじい笑顔で笑う。
もはや何も映さない瞳は、まるでそれ自体が輝きを放っているように爛々と輝いた。

口から血反吐を吐き出しながら大声で怒鳴る田村。
その田村に向かって、生き残った組員たちはさらに銃弾を浴びせる。

全く迷いなどなかった。後悔など微塵もない。
ただ今は殺意、それだけが田村の全てだった。

田村はもう一度凄まじい笑顔で笑うと、ステアリングに仕込まれた起爆スイッチに拳をたたきつけた。

その瞬間、大音響とともに屋敷は吹き飛んだ…。

…周囲100mにわたって住宅街は崩壊し、死者はじつに40名を越えた。

無論その死者の中には、工藤組組長の工藤道隆も含まれていた。
もっとも、残された僅か数本の歯の治療跡で確認されてやっと判別したほど工藤は粉々に吹き飛ばされていた。

また警察発表や報道では、特攻役を務めたの田村の名前は出なかった。
その存在を初めから隠蔽されていた上に、肉体は証拠も残らないほど完全に粉々になったからである…。

 ■

一方、骨肉腫と診断され愛知県豊田市内の病院で入院していた田村京子は、父親の爆死に先立つ2日前、
父親が奉職していた阿保製作所の親会社三嶽グループ系列の病院に転院していた。

田村京子の心疾患は、確かに正しい処置を行えば快気可能なものであった。
田村が命を賭して得るその金で、田村京子の命を救うことは可能であったのだ。

田村京子は主治医による診察の際、自らの心臓手術について同意をした。
既に保護者である父の同意書類も用意されていたため、京子は迷い無く、手術同意書のサインをした。

それが田村京子にとって死刑宣告書であることなど、彼女には知る由も無かった。

田村京子が手術室に運び込まれ、全身麻酔処置を施された頃に、直ぐ隣の別の手術室に2人の患者が入室した。
一人は末期の腎臓障害を持つ三嶽重工の幹部、もう一人は肝硬変になった地元選出の衆議院議員だった。

京子を含めた3人は同時に手術を開始した…。

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…数時間後、三嶽重工の幹部は生体腎移植手術に成功し、衆議院議員は生体肝移植手術に成功した。
彼らに臓器を提供した田村京子はその場で密かに殺害、解体され、遺体は濃硫酸で溶解された。

同時に田村京子の入院記録もカルテも全て消去され、既に某筋から手が回って戸籍も抹消された。

 ■

…また、例の工員服の男「牧村」にも”仕事”の報酬が支払われた。
数日後、彼の持つ法人口座の一つに、三嶽生保から田村幸一の保険金総額1億円が振り込まれたのだ。(了)








149 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/09(木) 05:12:38 ID:uEZPR8h7
青春モノでも恋愛モノでもなくてゴメンね。
気に食わなければ無視してくれていいよ。














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最終更新:2008年10月17日 01:19