422 :『杜を駆けて 番外壱』 ◆k2D6xwjBKg :2008/09/14(日) 16:39:05 ID:+0aXVc6Q
「じいちゃんが兵隊にいったんは戦争に負けるほんの少し前、そろそろ、セミが鳴き始めたころやった。
戦争に行く、言うても、もう日本には、船も飛行機もない。配属先が、その高杜市やった。
当時三峯の軍需工場があったから、そこの守備隊駐屯地へ送られたんや。正直、三峯の造船所も、製鉄所も、空襲でほとんど焼けてしもて、なんにもすることが無い毎日やった。
ボケっと哨舎の前に立っとったら、そのうちに街の人が『兵隊さんどこから来てるんですか?』
て話かけてくるようになって、『大阪のおもろい兵隊さん』ちゅうことでまあ、のんびりやっとったわ。
上官の堀少尉言う人も、わしよりだいぶ若かったけど、優しい人でな。ほんま戦争や、ちゅう緊張感は全然なかった。
ある日、その堀少尉が、部隊の連中集めて、珍しく難しい顔で、わしらに言うた。
『…新高炉の復旧工事の為、材木が必要になった。今から高見神社に、杉材を徴発に行くから、トラックの準備をするように。』
嫌な予感がした。
神社の杉材ゆうたら、たいてい御神木や。ほいでも、日本じゅうで寺の鐘を溶かして、弾作っとった時やし、それに何よりも上官の命令は、絶対やっちゅう時代やったんや。
『何人、行くのでありますか!?』
吉田伍長が尋ねた。
『神社の石段は長い。トラックまで担いで降りるから、八人連れて行く。』
行きたなかったけど、案の定、わしはその八人の中に入っとった。
貴重なガソリン使こて、丸太一本で直るはずもない設備のために…
とため息をつきながら、わしらはトラックの荷台に揺られて、高見神社へ向かって走った。
『…見てみろ、あれが自分の母校だ』
高見神社に着いて、堀少尉が真下に見える広い敷地と学舎を見下ろして言った。
堀少尉が高杜の出身やて、この時初めて知った。
『…頂上へ上がるとな、沖のほうに…』
少尉が子供みたいな表情で話し始めたとき、神主と土地の顔役が集まってきて、もじもじした挙げ句に、神主が口を開いた。
『…なんとか…ならんでしょうか?あの杉は、『杉登り』の… 』
秋祭りの祭事に使う、お祓いも済んだ大事な木や、ちゅうことやった。
…まあ、わしらに、だんじりの山車よこせ、ちゅうようなもんや。酷い話やな。
『…この時局に笑止である。聞かなかったことにします。』
堀少尉は冷たく言って、わしらに、すぐ杉を運び出すように命じた。
そのとき、顔役の一人が、赤い顔で、震えながら堀少尉に怒鳴った。
『…信夫!! お前も、『先手の童子』だろ!!』
『受領票であるッ!!』
少尉はポケットから書式をテーブルに叩きつけると、そのままトラックに向かった。辛そうやったが、何も言えんかった。
杉を担いで石段を降りていくと、あっちにひとり、こっちにひとり、年寄りと小さい子供ばかりが、恨めしそうにこっちを見とった。
祭りで神楽や太鼓をやるような大きな子供は、みんな勤労奉仕で、その上の学生らは学徒動員でおらんかったんやな。
わしらは目ぇ伏せて、黙々と荷台に杉をくくりつけると、逃げるように山を下った。
誰も荷台で口を開かんまま、トラックは駐屯地を目指した。
みんな田舎の祭りを思い出してるみたいで、ええ天気やのに、暗い道中やった
それから、今はどうなっとるか知らんけど、西へ流れる糸切川に、糸切橋ちゅう長い土橋があって、その橋の丁度真ん中でまできたとき、突然、嫌なサイレンの音が鳴り響いた。
空襲や。
橋を歩いてた高杜の人が頭抱えてうずくまったんで、トラックは前にも後ろにも行けんようになった。
そして、すぐに街のあちこちから火の手が上がり始めた。
わしらは兵隊らしいことなんにもできんと、ただ、阿呆みたいに『退避!! 退避ー!!』と叫び続けとった。どこも、逃げるとこなんか、有らへんかったのに。
トラックの荷台で、斜め上空を睨んどる杉の木を見て、『ああ、こいつが高射砲やったらなぁ…』て思た瞬間、橋の欄干に爆弾が落ちた。
わしらも、トラックも、高杜の人達も、あっという間に崩れた橋から、はるか下の川に落ちた。
ここで死ぬんか…
そう思たけど、わしはトラックの荷台に乗ったまま生きとった。
ほいでも、死ぬんは時間の問題や。トラックは沈んで行くし、川の両岸は火の海や。水面には、
一緒に落ちた女学生や、小さい子供がひしめいとった。軍人の端くれとして、ここで高杜の人と一緒に死ぬんが当たり前やと思た。
そのとき、そのときや。人生で初めて、わしは奇跡ちゅうもんを見た。
トラックは姿が見えんほど沈んで、わしが立ち泳ぎを始めたとき、しっかり結んであった杉の木のロープが、バチッと音を立てて切れた。
何ヶ所も、同時に丈夫なロープが切れて、枝を払った杉の木は、ぷっかりと、水面に浮かんだ。
わしと堀少尉だけが、はっきりと、それを見とった。
『少尉殿!! ロープが!!』
わしが叫ぶと少尉は黙って溺れる子供を杉の木に掴まらせ、ただ『民間人を救助!!』とだけ命じた。
九州で水泳の選手やった山口上等兵は、もうふんどし一枚になって次から次へと、杉の木へ溺れる民間人を運んどる。
わしも、無我夢中で木と高杜の人の間を往復した。
やがて杉の木は、周りの人がみんな掴まったのを確認したように、ゆっくり下流へと動き始めた。丁度潮の流れが変わっただけかも知れん。でもわしらには、神さんの仕業としか思えんかったな。
火の海になっとる両岸を避けて、すいすいと川の真ん中を走る杉の木の上で、小さい子供が軍艦マーチを歌いだした。
わしらは笑うた。
この状況で笑えるやなんて、神さんの力やのうて何や、とそのとき、また思た。
…ほんで、これが最後の不思議な話や。
『ほれ。着いたで。』
そんな感じで、杉は焼け残った安全な岸へすっ、と寄って、わしらを下ろした。
岸へへたり込んで一服しながら、ふと気づくと、川から上がって来た人数がなんと三十九人。
とても一本の杉に掴まれる人数やない。そら、人の背中やらに掴まってた人もおるかも知れん、
それでも全員、呆気にとられて杉の木を見た。
年寄りがしわくちゃの顔、もっとしわくちゃにして、杉の木を拝んどる。わしは、じっと杉の木を見とる堀少尉に言うた。
『この木は、命の恩人であります。神社に返すべき、と考えます。』
山口上等兵も吉田伍長も、それから助かった高杜の街の人も、みんな堀少尉を見た。ほんで、少尉は、今思えば軍隊最後の命令を出した。
『…これより本隊は、徴発品『キー八拾八』を高見神社に返納する。民間人は、可能な限り協力するように。』
みんなワッ、と歓声を上げた。
杉を担いで、ぞろぞろ歩く道中、街の人は、『紫阿童子の神楽舞い』の話を聞かせてくれて、
堀少尉も、この木に登った武勇伝を楽しそうに
話してくれた。
そのあと…堀少尉は軍規違反で営倉に入れられて、すぐ日本は負けた。
結局、少尉に挨拶もせんまま、わしは復員して、大阪へ帰って来たわけや…」
おじいちゃんの長い話が終わり、僕は再び
高杜学園の入学案内を見た。
『よし…』
…どうやら僕の人生も、高杜学園に向いた流れに乗って、進んでいくようやった…
END
最終更新:2008年09月16日 15:24