487 :『杜を駆けて 番外弐』 ◆k2D6xwjBKg :2008/09/16(火) 00:11:06 ID:W3d7PTA9

漆黒の闇の中、あざやかに高杜湾に浮かび上がるコンビナートの煌めき。不夜城と呼ぶに相応しい天高く輝くこの巨大な施設に、一台の黒い公用車が静かに乗り入れた。
入門証を確認した警備員が緊張した敬礼を送る。 車は蒸気と騒音の中を静かに走り抜け、やがて『三峯製鐵會社』と小さな看板のある、古ぼけた小さな建物で、二人の乗客を降ろした。

「…こちらに会長が!?」
二人のうち若い乗客が思わず声を上げる。年齢は四十歳過ぎだろうか、
逞しい大柄な体を、窮屈そうにスーツに包んでいる。

「…高杜に来られた時は、ここの仮眠室が一番落ち着くんだそうだ。」

答えた六十歳前後のこれまた恰幅の良い、にこやかな人物、高杜市市議会議員、本郷孝一は、重いガラス戸を押して、館内へ同行者を誘った。
リノリウムの床にゾラコートの壁。 外界から隔絶されたようなその古風な館内に、二人の足音が高く響く。
突然、『給湯室』のドアがバタンと開き、盆に不揃いな湯呑みを載せた小柄な老人が現れた。

「…砂糖も、サッカリンも無い。 コーヒーは、出せんよ。」

老人は、呆気にとられる若い方の訪問者を一瞥して続けた。

「…軍人さんだな。」

「ゆ、結城であります!!」

白髪に高い鼻、鋭くかつ柔和な若い目。すぐにこの老人が三峯グループ会長、加賀十三であることに気付いた陸上自衛隊結城吾郎一佐は踵を合わせ、老人に敬礼した。

「…軍政一致で、また、うちみたいな零細企業をいじめにきたのかな?
え? 本郷君。」

「お久しぶりです。会長。」

すたすたと歩き出す加賀会長を追って、本郷と結城は『會議室』に入る。
「ま、掛けたまえ。」

黒板とパイプ椅子。
椅子には乱暴なマジックの文字で、『持出禁止!!』と書かれてあった。

「…中東はいかがでした? 会長。」

手渡された熱い湯呑みに、手を灼かれながら、本郷は老人に尋ねたが、この狷介な財界の巨頭は、にこりともせず本郷を睨み答えた。

「アラブでも、日本でも同じ事だ。前置きの長い奴は、大抵嫌われる。」
本郷と結城は顔を見合わせ、額の汗を拭おうとして… 再び湯呑みの置き場に困った。
そして二人は悪戯を自ら告白する子供のように加賀をまっすぐに見つめ、低い声で本郷が切り出した。

「…高杜市は『一次処置』に該当すると思われます。つい今も、悲しい『風』を見ました。『学園』内も、あの頃と同じ妖…」

不躾けに老人が遮る。

「『学園長』… 彼女には接触してるかね?」

「いえ… あの方は、何があろうと、『生徒』であれば守ろうとするでしょう…」

加賀老人は無言で、二人の公僕を見つめ続け、そして本郷は、それに耐えかねるように再び唇をひらいた。白髪の混じった頭が小刻みに震えていた。
「…孫が…今年、中学に上がります。一佐の御子息も、大学に… 最近、道行く若者が全て、子供や、孫に、見えるのです。」

「…それで、『一次処置』かね? ちょうど 四十年前、君の『最終処置』で、巻き添えになった学生くらいの年だな。」
…燃え上がるバリケード、散乱した白いヘルメット、そして、途絶えたシュプレヒコール… 本郷の能裏に、キャンパスの惨状と自らの恐ろしい誤算が蘇る。
首都の学府に巣くう強大な邪気とは関係ない、名も無い小妖の悪ふざけだった。それが、理想に燃える学生たちの未来を奪った…

違う。

あの子たちの未来を奪ったのは自分だ。この国が、街が、『彼ら』との共存なくしては成り立たないことを理解しなかったあの頃の自分…

本郷は肩を震わせ、懺悔するように老人の言葉を待った。

「本郷君、結城君、君らはまだ若い。大陸で、南方で、『人でないもの』をおろそかにしたわしらが、この国をどんな危険にさらしたか、今晩は、ゆっくり話してやろう…」

窓から見える高い煙突のまばゆい照明は、遠く高杜の暗い空と海を、いつまでも照らし続けていた。

END







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最終更新:2008年10月04日 22:13