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     もう十七歳なんだけど、

     ときどき十三歳がやるみたいなことをしてしまう

                          ――J・D・サリンジャー、ライ麦畑でつかまえて










◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 良心が痛まなかったのか、と言われれば、痛んだと答える。
痛ましいと思っていたのなら何故殺そうとした、と問われれば、チャンスがあったからだと言う以外の理由はなかった。

 既にして、死に体の少女だった。
ランサーのサーヴァントを引き当てた、魔術師くずれのこの男が見た時には既に、少女は瀕死に近い程の重傷を負っていた。
石鹸のような白い肌を持った、可愛らしい少女で、身長と骨格の育ち具合、肌の張りの具合から推察するに、まだ小学生程度の年齢であろう。
その少女は、まるで今時の女の子向けのアニメーションの中の登場人物が身に着けるような、可愛らしくて煌びやかなコスチュームを身に纏い、そして、
そのアニメの中のキャラクターには到底似つかわしくもなく許されないであろう程、血まみれの状態だった。男が、少女の姿を見た時にはもう、そうなっていたのだ。

 誰かと争い、戦った後である事は、一目で理解出来た。だが、誰と戦ったのか、など、この際どうでも良かった。
肝心なのは、その時に地面に這い蹲り、蹲っていた少女が、魔術に40年の年月を捧げた自分など、一笑に付す程に膨大な魔力を持った人物である、と言う事だった。
聖杯戦争の参加者である事は、最早明白。付近にサーヴァントがいる様子もなく、手負いの状態のマスターだけが放り出されている、この現状。
これを、好機以外の何と捉えるべきなのだろう。気づいた時には反射的に、ランサーに「殺れ」と命令していた。

 今に至る。
ランサーが、少女の腹に突き刺した己の槍を引き抜き、心底、遣る瀬無い表情を此方に向け、そのまま歩み寄って来た。

「それは止めとは言わんのではないか?」

 マスターである男が問うた。

「気乗りがしなかった。どのみち、後三分と生きんよ、この少女は」

 この男が召喚したランサーは、槍を投げさせれば、射線上に障害物さえなければ1㎞先の標的の頭部を粉砕する投擲技術を持っていた。
全く同じ技量の戦士と打ち合わせれば、最初の5手で相手の技を見切り、20回打ち合わすまでには心臓を穿つ程の槍捌きを誇っていた。
ゼロカンマ数秒の間に生じた針の穴程の大きさの隙間目掛けて一撃を叩き込む事も出来たし、石突による簡単なカウンターで鎧の上から対手の肋骨を粉々にする事も出来るのだ。
それ程までの達人が、這い蹲っている相手に止めを刺すのに、頭や心臓ではなく、腹を狙ったのである。マスターが、しっかりと殺してくれ、と遠回しに言ってくるのも、無理はなかった。

「良いのか? その娘に背を向けていて。相当な魔力量だ、あっと驚く事を仕掛けて来るかも知れないのだぞ」

「私はこの少女よりも、全く姿を見せぬそのマスターのサーヴァントの方が気がかりなのだよ。これ程の素養を持つ少女なのだぞ、余程弱いサーヴァントが召喚されていなければ先ず遅れは取らなかろう。不意に馳せ参じて来るかも知れぬ、そちらの方が私は怖い」

 成程、ランサーの言う事も一理ある。
サーヴァントと言う存在は、ただ維持するだけでもマスターの魔力を漸進的に消費して行く。戦闘行為などと言う激しい行動を行わせれば、一気にそれは失われる。
つまり聖杯戦争とは聖杯を勝ち取る為のバトルロワイヤルの側面の他に、マスターが日ごろ魔力量のプールを鍛えているか否かが問われる持久戦としての側面もあるのである。
身も蓋もない話だが、例えマスターの戦闘能力が大した物でもなかろうが、魔力の保有量が多い、と言うその一点だけで聖杯戦争に於いては重要な意味を持つ。

 ために、この少女は聖杯戦争の観点から見れば、当たりも当たりの優良マスターである事になる。
何せ、ランサーのマスターである彼の、比喩抜きで数倍に近いレベルの魔力量を誇るのだ。さぞ名の知れた魔術の大家の子供なのだろうか。男とは、偉い違いであった。
ランサーの言う通り、このレベルの地力を持ったマスターが引き当てたサーヴァントなのだ。この場に姿を見せていないからと言って、油断が出来る筈がない。
警戒するなら、現在進行形で死にかけているこの少女よりも、観測されていない彼女のサーヴァントの方だ。二人は、気を、張り続けた。

 ――そんな彼らだからこそ気付けた。よろり、よろり、と。這う這うの体で立ち上がる、死にかけの少女の姿に。

「っ!!」

 ランサーが飛び退き、槍を構えた。
たった1人で万人分の働きをする、とまで称えられた戦士が、小突けばそのまま逝ってしまうであろう少女に、此処まで警戒を露わにする。
英雄、笑止極まれりと言うべき光景だが、それでも彼を責められまい。程なくして、本当に目の前の少女は死ぬのだ。
意志の力をどれだけふり絞ろうとも、出来る事は、死神の出迎えを遅らせる事だけだ。それにしたとて、ランサーに刺された腹部の激痛が消える訳ではない。
そもそも、立ち上がる事すら苦しい筈であろうし、このまま寝転がって、あの世に逝くのを待っていた方が、当人としては遥かに楽な筈なのだ。そんな娘が、無理を押して立ち上がる。何か、二の手があると考えるのが、当たり前の話であった。

「何故、立てる」

 マスターが問う。

「消えたく……ないから」

 青息吐息に、九死一生。正しく目の前の少女の今のコンディションを語るのならば、そんな所になってしまう。
耳を峙てなければ本当に聞こえてこない程呼吸は弱弱しく、死が秒読みである事など明らかな程に、小刻みに身体が震えている。
であるのに、その瞳にだけは。不自然な程に強固で、眩く、激しい、生への渇望と不屈の闘志が煌めいていた。
死にたくない、と言う気持ちも汲み取る事が出来た。だがそれ以上に。自分はまだ、終わっていない。終われない。まだ立てるし戦えるのだ。諦めてなど、いないのだ。
そんな力強い裂帛の意思が、ありありと、読み取る事が、出来てしまったのだ。

「……もう、立ち上がらないでくれると嬉しい。私の戦士としての矜持を汚したくないのだ」

 弱音とも取れる言葉をランサーが零した。
マスターである男にしてもそれは同じだった。ランサーの持つ誇り高さ、気高さの、100分の1も有している男ではなかった。
しかし、男には元の世界には娘がいた。傷だらけで立ち上がるピンクブロンドの髪の少女、彼女と同い年の娘がいるのだ。
一人の子を持つ父として、他人の娘であるとは言え、年端も行かない少女を殺したくない、と言うのは人情なのだ。だが、この場に於いては、殺さなくてはならないのだ。
殺すのなら、痛めつけないやり方でありたい。結局最後には殺すんじゃないかだとか、自分の体裁と外面を気にしているだけの醜いエゴだとか言う批判など、彼自身が理解している。それでも、これ以上は痛めつけたくないというのは、彼らの偽らざる本心であった。

「諦めたく……ないんです……っ」

 両手でステッキを握り、酩酊状態のように上体を前後にゆらゆらさせながら、少女は更に言った。
マスターである男は、魔術師であるからこそ、目敏かった。少女が手にしているそれは本当に、女児向けのアニメの中に出て来るキャラクターが握っているような、
子供ウケを狙った可愛らしいデザインを追求したようなそれであると言うのに、男は勿論嘗て男が出奔した生家である魔術の一族の誰もが手を尽くしても作り出せない程に、高度な礼装……どころか、宝具手前の代物であったのだ。

 ランサーが念話で、少女の現状をより詳しく伝えて来て、内心で愕然とした。
正直、何故生きていられるのかが不思議な程であった。外見以上に、内面の損傷の方が遥かに重篤なのだ。
ランサーの優れた動体視力が、皮膚の下の血管の様子を捉える。血流は滅茶苦茶で、至る所で内出血が起きていて、宛ら、破裂した風船そのもの。
筋繊維の多くが断裂して、比喩抜きで、歩く事は勿論立ち上がる事すらままならない状態の筈なのだ。凡そ目で見て観測・推測可能な体内の様子ですら、これなのだ。
恐らくレントゲンに掛けたり、専門の魔術を駆使すれば、神経系・リンパ系はもっと滅茶苦茶な状態になっているであろう事は明らかだ。
此処まで来ると、本当に、何と戦ってきたのかが疑問となる。そして……此処までの手傷を負いながら、何を、諦めないのかも……。

「助けたい友達がいるんです……、大切な、大切な……」

「俺も同じだよ。だから頼む、死んでくれ」

 聖杯に懸ける願いなど、男は持ち合わせていなかった。多くの魔術師にとっての悲願である所の根源ですら、この男にとってはどうでも良かった。 
魔術師としての責務を死んだような目でこなして来た自分の下に現れた、パン屋の娘。ジョージアの温泉街で出会った化粧っ気のないその女は、
心清らかで柔らかい物腰で、誰に対しても腰の低い人だった。その娘と恋に落ち、駆け落ちし、一子を設けた。

 頼む、俺は生きて帰らなければならないんだ。
あの娘にはまだ父親が必要だ、妻にはまだ俺の稼ぎを当てにしていて欲しいのだ。
君の友と私の妻子とに、人間的な優劣などない。そんな事は解っている。だが俺にとって、重要なのは俺の妻と娘なのだ。
君の気持ち、俺には良く分かる。無理を押し通して立ち上がってでも、その友達は大事なのだろう。だが、君の為に道を譲ってやれないんだ。
俺だって、こんな所で諦めたくないんだ。そう、俺にだって大切な――

 その瞬間は、一瞬であった。
右足の力だけで地面を蹴りぬき、時速数百㎞の加速を得たランサーが、鬼気迫る顔でマスターである男の方へ迫って来た。
ランサーの姿が、消えた、と男が認識した頃には、不自然に己の目線が、落ちるように下がって行くのを彼は認めた。
大地が、音もなくせり上がっているようだった。違う――大地がせり上がっているのではない、男の目線が落ちる『ように』ではない。実際に、落ちていた。
男の上半身は、背後に現れた何者かの手によって、臍の辺りから横に真っ二つにされ、同時に、その何者かが男の下半身を蹴り飛ばしたのだ。
ダルマ落としの要領で一瞬中空に留まった男の上半身は、そのまま、重力の掟に従い落下を始めたのである。その事実を認識した瞬間、血しぶきの噴き出る感覚と激痛とが同時に叩き込まれた。

「オオッ!!」

 雄たけびを上げ、己の槍を正しく、目にも留まらぬ速度で振るうランサー。
先端のスピードは音の数倍に達し、とてもではないが目で見て見切れる速度ではない。何せ、弾よりも遥かに速く、そして、弾丸すらも弾き飛ばしてしまう程なのだ。
狙う箇所は、頭部や心臓、肝臓、股間等の急所から、手先や足先と言う末端まで。これを正確無比に、ランサーは攻撃し続けている。
一瞬で勝負の趨勢が決まる部位から、攻撃されれば著しい弱体化は避けられ得ぬ部位まで、人体の何たるかを知り尽くし、武の極地に足を踏み入れた者のみが繰り広げられる、
その連撃の数々は成程、英霊として召し上げられるに相応しいものであった。

 そしてその絶技の数々を、涼しい顔をして男は受け流し、防ぎ、弾き続けていた。
殺傷の為に生み出されたと言うよりは、神の系譜に連なる偉大なる国父が振るっていた武器がレガリアと化した物、と言う名目で、
美術館や博物館にでも飾られている方が相応しい、美術品の類。そうとしか思えない程、派手で、仰々しく、物々しい幅広の大剣を片手で振るっていた。

「成程、良いセンスだ。武の極地に達していると自ら口にしても誰も異論を挟むまい。手にしているその槍も大層な業物なのだろう事も解る。加えて、単純な地力(ステータス)も高い。英霊として崇められるに足る男だな、お前は」

 ランサーの攻撃が加速する。怒りに我を忘れ、怒りに心を支配された訳ではない。
冴えた頭で、激する心が産み出す力を手足に込めているだけだ。戦士には怒りは無用だが、激情は必要なのだ。
正しく怒りを律する事が出来るのなら、無限の力を人は手に入れられる。ランサーは、己を御する高い精神性をも身に着けているのだった。

「だが、もういなくなった」

 剣を振るう男がそう告げた瞬間、ランサーの身体が大きく仰け反った。
攻撃に対してピンポイントで、攻撃を合わせられ、そして、あわせに来た攻撃の方が威力も重さも鋭さも上だったから、体勢を崩してしまったのだ。
己の身体をよろけさせたものの正体。それは、セイバーの男が左手に握った、大剣をしまい込む為の鞘で――

 気づいた瞬間には、ランサーの身体が十字に割断され、4つに分割された身体がそのまま地面に落下。うめき声一つ上げる事無く、消滅してしまった。

「……」

 セイバーは、瀕死の重傷を負いながらも、立ち尽くし、茫乎とした様子の少女の方に目線を投げかけ、足早に近づいて行った。
生の気配が急激に失せて行っているのが解る。今の少女からは生の実感を欠片も感じ取る事が出来ない。亡霊だとか地縛霊の類だ。
だのに、その目にだけは、眩いばかりの意思が輝いていた。カットされた宝石などよりも、余程魅力的な、希望の煌めきが宿っていた。

「昔の俺なら、君のような逸材は、有無を言わさず誘っていたのだがな。神殺しとの建前もある。故に、訊ねよう」

 膝立ちになり、目線を、少女と同じ高さに合わせてから、男は言った。少女の目は霞んでいて、男の顔が上手く認識出来ない。

「生きたいか?」

「生き……たい、です」

 掠れた声で少女は言った。

「まだ立てるか?」

「立ち……続けます」

 小さな声で少女は答えた。

「何処まで歩ける?」

「倒れる…まで……」

 最早、舌が回ってなかった。

「――世界と友、片方しか救えぬとしたら、どちらを選ぶ?」

 その言葉を口にした時のセイバーの顔を、最早、少女の瞳はまともに映してすらいなかった。

「――両方」

「見事」

 そう告げた瞬間、セイバーは、空手の左手に力を込める。
すると、如何なる不思議の技か。彼の掌から、手品か魔法か、苗木が生えて来たのである。

 ――違う、それは苗木ではなかった。
男の掌の真ん中から延びる、一本の棒軸。これを起点に、濃いエメラルドのような宝石がフラクタル図形のツリーのように垂れ下がっている、ある種の宝飾品にも見える何かだった。

「神天地(アースガルド)の門戸を叩く者に生を」

 男は、右手で油断なく握っていた大剣を鞘に納めるや、それまで剣の柄を手にしていたその手で、壊れものでも扱うように少女を抱き寄せ――。

 左の掌から延びる宝石の樹木を、後1度の搏動で停止する筈だった心臓に、打ち込み、穿って見せた。

 「わー!! これセクハ……え、ちょっとこれ……ま、何をやらかしてくれてるんですか!?」と、電子音混じりの女のような声が、ステッキから鳴り響いた。

 痛みを越え、己の身体から失ってはならないものが、後数秒の内に消えるだろう、その中で。
ランサーのマスターだった男は、その男だけは、ダメだと少女に呟いた。嫌になる程見て来た目だったからだ。
根源を目指す為に、人間的な生き方と考えの全てを放棄する、ロクデナシの目を、男が一瞬だけしたのを確かに見たからだった。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 『イリヤスフィール』の目から見た『グレンファルト・フォン・ヴェラチュール』と言う男は、理想的な聖騎士(パラディン)そのもののような人物だった。
先ず、背丈が高い。イリヤと親しい男性達、その中でもグレンファルトの身長は頭一つ抜けている程であった。
別に身長が低いからと言って騎士としての資格がないと言う訳ではないが、それでも、見栄え、と言う点ではどうしても差がついてしまうものである。
加えて、顔立ちも良かった。美形である事は疑いようもないが、顔立ちはどちらかと言えば精悍で、女性的な美しさと言うよりは男性性に寄った男らしい美形であった。
だが何よりも目を引くのが、そのマッシブさであった。その身体のどこにも、凡そ贅肉だとか、脂肪だとかの、余分なものが一切付随されていない。
名にし負う彫刻家の手によって作られた彫像に、血と精神と魂とを吹き込まれ、それが動いているかのような、優れた肉体美であった。
これに、彼の出身世界に於いての宗教的モチーフが散りばめられた、示威的で、しかし、それでいて清潔感溢れる白を基調としたスーツに似た服装を、
嫌味なく着こなされては堪らない。格上の男は、何を着ても似合うものであるが、グレンファルトの場合はその典型だ。
肉体(ガタイ)も銅像の如く引き締まったそれの上、顔も良いのだから、余人が着れば気障ったらしい服装も、似合わない筈がない。

 勿論、外面だけのサーヴァントではない事は、証明されている。
剣を振るう姿は護国の聖騎士、破邪の勇者宛らであり、余人を魅了するに足る力強いエネルギーを発散するのである。
これで仮面でもつけて、颯爽と活躍でもしたのなら、一世代前の魔法少女のアニメに出て来る、正体不明の謎の男キャラそのものだ。

「の割には、余りスマートじゃないですよねー。もっとシュッ、とした身体つきじゃないと」

「ちょ、ルビー!! 勝手に人の心を代弁しないで!!」

 ブンブンとコバエみたいに飛び回る、喧しいステッキに対し突っ込みを入れるイリヤだったが、公園のベンチに腰を下ろすグレンファルトは、年の離れた幼い妹でも見るような目で、その動向を見守っていた。

「昔はもっと細かったんだがな。今じゃ立派な筋肉の塊さ」

「何食べたらそんな、だっと体形になるんですか?」

「(だっとって何……?)」

「何を食べたら良いのか考えた上で、鍛えただけだ」

「(わーシンプルー……)」

 鍛えれば、強くなる。当たり前の理屈を突き詰めれば、此処まで行ける。
グレンファルトの言っている事は要はそう言う事である。……尤も、本当にそれだけじゃないのは、喧しいステッキこと、マジカルルビーは勿論、イリヤですら理解していた。

「さてセイバーさん。改めてですが、イリヤさんを助けて頂いて、本当にありがとうございました。私、普段のキャラクターをかなぐり捨てて、本気で感謝を表明します」

「え、ルビーそんな他人行儀な真似出来る機能あったんだ(わ、わたしからもありがとうございます!!)」

「お逆ゥー!!」

 と叫んだルビーは、ドリルさながらの回転をしながら、イリヤの脳天にステッキの柄部分から着地(頭)。
そのまま、火起こしのような要領で回転を続け、「痛い痛い痛い痛い痛い!! 薄くなる!! 髪薄くなるから!!」と涙目で叫ぶイリヤのリアクションに満足したのか、コホン、と咳払いしビシッと気を付けの姿勢。

「イリヤさんは、本当に死にかけの状態でした。セイバーさんが倒したランサーのサーヴァント、彼が腹部を貫く前から、既に体力ゲージがあと1ミリメートル、食いしばりが発動してる状態でしたから」

 ルビーの言う通りだった。そもそもイリヤは、例えランサーの主従が彼女の姿を確認して殺しに掛るまでもなく、放置していれば死ぬ筈だった命なのだ。
8枚目のクラスカードを巡る戦いで、イリヤが繰り出した、後の健やかな人生など知った事ではない、寿命が何十年と縮まり、その残った人生をもリハビリ生活に費やすのも、
かくやと言うべき超大技。これによる体内の損傷もそうであったが、突如として現れた正体不明の2人の少女が引き起こしたと思われる、大爆発としか形容のしようがない謎の現象。
これに巻き込まれ、辿り着いた先が、今イリヤ達のいる世界であった。此処が、ゼルレッチがよく観測しているような並行世界の類である事は、当初のルビーもいち早く理解していた。
だが最悪だったのは、余りにも無理な世界間の移動であった為、移動の最中にイリヤに対し猛烈な負荷がかかってしまっていた事。
そしてその負荷が、多元重奏飽和砲撃によって損壊していた体内の傷口を開かせてしまったと言う事。だから、この世界に弾き飛ばされた当初、イリヤは余りの痛さに蹲って痙攣する事しか出来なかったのだ。

「貴方が命の恩人である事については、疑いようもありません。……だからこそ聞きたいんですよねぇ。貴方、イリヤさんに『何を』しました?」

 イリヤがあの時負っていた傷は、現代医療、それも、彼女のいた世界に於いても最先端の集中治療を施したとしても、元の状態まで復調するのに丸数年。
完治したとて、すり減った寿命までは戻らないと言う程である。魔術で治療したとて同じである。魔力を湯水のように用い、高度な医療魔術を施したとしても、寿命までは戻らない。
それこそ、神代の時代を生きたとされる、蛇使い座を象徴するあの神医の手からなる治療でもなければ、イリヤは完全に回復しなかった筈なのだ。

 ――何故、完全回復している?
否、この際回復していると言う事実は良い。問題なのは、元のコンディションに戻ったのではなく、『イリヤとルビーの知るベストコンディションの時』よりも、
今のイリヤの調子は遥かに良いのである。すこぶる順調だとか、絶好調だとか言う次元の話ではない。
ルビー風に言わせれば死亡フラグも甚だしいが、力が漲るぞ、今のわたしに出来ない事など何もないッ、の状態である。
そんな全能感を錯覚するのも無理はない。そもそもルビーは無限の魔力供給を約束する礼装であり、これがあるからイリヤは魔法少女として戦える。
逆に言えばルビーがいなければイリヤは小学5年生相応の少女程度の力しかない訳なのだが、変身していない今の状態ですら、今の彼女には莫大な魔力が宿っているのだ。
身体能力の面でも、向上が著しい。身体の調子が余りにも普段の自分のそれとは違う為、試しに軽くピョンピョンと跳ねようとしたら、垂直に8m程も飛び上がってしまったのである。

「毒を打ち込んだワケじゃない」

「それは解っています。少なくとも害意の類は一切感じませんでしたが……」

「が……?」

「メリットしかないと言うのも、都合が良すぎる話なんですよね」

「優秀なブレーンを持っているな、マスター。彼女の判断力があるのならば俺も安心出来る」

 「ああ……盛大に勘違いしてる……」、とイリヤがゲンナリする。生きる道具型トラブルメイカー、愉快愉悦型礼装であるルビーを、
コミカルだが優秀な切れ者参謀だと思っているのではないか……? 頼むから何処かのタイミングで気づいて欲しいなとイリヤは祈った。

 ともあれ、ルビーの疑念は余りにも尤もなものである。
どうにも話がうますぎるからだ。湯水の様に魔力を生成出来て、一切の無理も負担もなく肉体的損傷を全快させ、極めつけにおまけの抱き合わせとでも言わんばかりに、
あり得ない程の身体能力も約束する。此処までメリットしかない措置をされると、人は、何か裏があると勘繰るもの。
美味しい話に裏がある、と言うのは、魔術の世界に於いても同じ事なのだ。いやむしろ、権謀術数が当たり前の魔術師の世界であるからこそ、出来過ぎた話には警戒するのである。
グレンファルトがイリヤに対して行った措置は、美味すぎるどころの話では最早ない。イリヤですらが、何か対価があるのではないかと内心で戦々恐々している程なのだ。

 イリヤは果たして、アンデルセンの人魚姫に出て来る人魚の娘のように、人の姿と引き換えに彼女の美声を求めた魔女のように。
成し崩し的に、恐るべき契約を交わしてしまったのではないかと。彼女以上にルビーの方が心配していたのだが――。
グレンファルトの方は、彼らの懸念をようく認識しているのか。堂々とした様子で言葉を紡いで行く。

「出来過ぎた話だと思うか? それは正しい。俺がその気になれば、俺が君に施した措置を基点にして、一瞬で君を殺す事も出来る」

「ブーッ!!!!!!!!」

 空を見て、今日の天気は晴れである、とでも言うように。一切の逡巡も迷いもなく、グレンファルトは言って退けた。
爽やかな見た目と語り口で、そんな事を言う物だから、思わずイリヤは気を落ち着かせようと口にしていたミネラルウォーターを噴き出してしまうのだった。

「――フ。安心してくれ。出来るには出来るんだが、実を言うとそれは過去の話でね。今の俺には其処までの強権はないんだよ」

「それはイリヤさんが聖杯戦争のマスターであり、貴方がそのサーヴァントだから、と言う事と関係あります?」

「半分は正解だ。どうもサーヴァントに際して、俺は相当の弱体化を強いられているようでな。これは、伝承や逸話に縛られざるを得ない俺達英霊、サーヴァントの宿命のようなものなのだろう」

 弱体化、である。イリヤにはとても信じられなかった。
あのランサーを隔絶的なまでの力量さで、しかも、華麗と言う言葉が相応しい程鮮やかに、倒して退けたこのグレンファルトが。
自ら、弱体化していると認める程に、弱くなっていると言うのだ。俄かに信じられなかった。それは、英霊と呼ばれる存在がグレンファルトの言うように、伝承や逸話によってあらぬ弱点が生じたりしてしまうと言う事実を知っているルビーですら同じで、今のグレンファルトの強さですらこれなのに、生前の彼は、如何なる強さを発揮していたと言うのだろうか。

「間違っている半分の方は、イリヤ嬢がマスターだからという点だ。実際は逆だ、彼女が――いや厳密に言えば、魔力を彼女に供給してくれている君か、紅玉杖(ルビー)。寧ろ君達が俺のマスター、要石だからこそ俺は思う存分戦う事が出来る。魔力の量が君達は大変優れているんだよ。これが他のマスターであれば、こうも行かなかったろう。俺は、実に運が良いらしいな」

 同じサーヴァントでも、操るマスターの技量や、魔力量の多寡によって、サーヴァントの戦い方もそうなのだが、宝具を使える回数だったり、
一見不変に見える筈のステータスですら、変動する事がある。優れた魔術師がマスターならサーヴァントの強さは全盛期のそれに近くなり、その逆も然りだ。
この事実を鑑みるのなら、イリヤスフィール並びに彼女に魔力を莫大に供給しているルビーのマスター適正は、抜群と言う他ない。この点に於いてグレンファルトは自らが言うように、間違いなく彼は当たりくじを引いていたのである。

「尤も、如何に優れたマスターに恵まれたと言っても、サーヴァントと言う型枠に俺が嵌められていると言う事実には代わりはなくてな。分けても、俺が君に施した技術――洗礼、と言うのだが、これが酷い」

「ウワーッ!! う、胡散臭い!! 自分の行為に洗礼なんてつけるの一番駄目な奴!!」

「る、ルビー!! 私を助けてくれた能力にそんな――」

「彼女の言う通りさ。そう言う名前を付けたのは人の『ウケ』を狙ったからでね。昔はこれで地固めを行ったものだ」

「ブーッ!!!!!!!!」

 少しは嘘をつけ。と思うイリヤだった。

「洗礼の効果はイリヤ嬢が身を以て実感しただろう。要はそう言う事だ。政治上、こんな手段で味方を作って行く場面も必要だったのさ」

「その洗礼とやらの使い方の是非はまぁ良いんですけど、マジコレ魔法級の大技ですよ? これで本当に弱体化してるんですか?」

「断言出来るがしているよ。生前の話だが、外部からの攻撃では絶対に死なない身体にする事も出来たからな」

「ひ、火の鳥みたいな不老不死に!?」

 と口にするイリヤの言を、やんわりとグレンファルトは否定した。

「歳は取る。死にもする。攻撃で死ぬ可能性が、ゼロに近い程低くなるだけだ。防御能力が上がっているのもそうだが、傷が再生する、と言うアプローチを採用していてね。生中な外傷など数秒の内に元通りだ。ああ、病にも掛からないぞ。癌・白血病・エイズ、糖尿に健忘に老眼も、君には無縁のものさ。そんな君の今の状態でも、俺の良く知る洗礼を経た勇士達――『使徒』には程遠いさ」

「それが……えと……セイバーさんの宝具ですか?」

 自分の頭にいつの間にか挟み込まれていた、聖杯戦争に対する知識。
そのデータベースから、グレンファルトの洗礼とは、如何なる力なのか、それを導く為のワードを口にして見せた。
イリヤは宝具と呼ばれるものが、サーヴァントが有する切り札、奥の手、秘奥義のような物であると認識していた。成程、それが宝具だと認識するのも無理はない。
現にルビーですらそう思っていた。これ程までのメリットを齎す行為、宝具以外にどう説明を付けると言うのか。

「いや、俺のサーヴァントとしての特性だ。スキル、と言うべきか。あくまでも出来る、と言うだけであって、洗礼を本当に得意としていた友人が別にいてな。恐らくは奴の方が洗礼を宝具としているだろうし、しかもあちらの方が遥かに格上だ」

 めまいがしたのはイリヤよりもルビーの方だ。
常識に照らし合わせればグレンファルトがイリヤに対して行った措置は、誰が考えたとて宝具によるものだと考える筈なのである。
だのに、グレンファルトはこれをスキルによるものだと言い、しかも語調に嘘がまるで感じられない。スキルですらこのレベルの御業を達成出来てしまうのだ、これで宝具ともなったら……。

「……でもルビー、これ本当に凄いよ!! もしもセイバーさんの洗礼、って言うのが元の世界に戻っても続いたのなら……ミユだって!!」

 どうあれ、グレンファルトが施した洗礼は、メリットのみに注目するのであれば間違いなく、凄すぎる物である事は、ルビーであっても疑っていない。
変身していない状態でこの身体能力なのだ、プリズマイリヤに変身すれば、より強力になる蓋然性が高い。
魔力だってあって困る物でもないし、寧ろ今後ルビーの魔力供給が何らかの形で断たれてしまった時に、魔力を自家発電出来るのなら選択肢の幅も大きく削られずに済む。
何よりも、ダメージが再生すると言う点が素晴らしい。魔法少女になっている時ならばいざ知らず、変身していない状態で、腹に銃弾の一発でも貰えば、人は容易く終わるのだ。
そう言った不意打ちにも対応出来るようになる上、これで更に魔法少女に変身した状態であろうものなら、滅多な攻撃ではダメージを負う事もなくなろう。

 そう……これがあれば。美遊の事を助ける事が出来る。
水が開けられている所の話ではない、最早隔絶していると言っても過言ではない位に実力に差があった、謎の少女2人。
彼女達から、美遊を救い出す事が出来るじゃないか。彼女達とも、渡り合えるじゃないか!!

「――君達の質問には答えた」

 グレンファルトは、何気ない風にそう口にしたが、イリヤは、その語調にただならぬものを感じた。
年の離れた妹に対する接し方のような、何処か親しみと優しさを感じられる声音はそのままに、恐るべき、威圧のような物が、内在され始めたのである。

「俺の質問にも、答えて貰いたい」

「……はい」

 気を強く、とルビーが小さく伝えて来た。タメになるアドバイスだった、普段のような態度で臨んだら、呑まれかねない。

「実を言えば俺は、マスターと呼ばれる立場の存在に、魔力の大小と言う概念を重視していないんだ。ああ、なくても良いと言う訳じゃない。勿論あれば良いのは言うまでもないが、大局的には少なくとも別に構わないと言うスタンスで俺自身がいる、と言うだけの話だ」

 サーヴァントが口にする発言とは、到底思えない。
魔力の総量とはサーヴァントにとって、あらゆる場面で浮かび上がるであろうあらゆる選択肢の総数に直結する。
腹の探り合いである交渉や、直接的な戦闘行動。そして、戦いが終局に向かいつつある時に絶対に直面するであろう、持久戦の様相。
こういった時に物を言うのはその時の魔力の多寡であり、現界において魔力と言う概念に縛られているサーヴァントであるのなら、魔力の有無は大した問題じゃないと言う言葉は、絶対出て来る筈がないのだが……。

「セイバーさんにとっては、何が、大事なんですか……?」

 イリヤは生唾を呑みながら、グレンファルトに訊ねた。鷹揚とした態度で、それに答える。

「意思の強さ。決意の強さ。妥協しない心」

 もっと戦略的で、戦術的な要素をピックアップされるものと考えていたイリヤからしたら、予想外の言葉であった。
要するに、諦めず、挫けぬ心だと言うのだろうか。何と言うか、少年漫画的だ、とイリヤは思った。

「意外そうな顔をしているな。だが、重要な事だよ。人間が産み出し得る中でも最高のリソースだ。俺もそれを抱いて、生前は行く所まで歩んで来た」

 「だからこそだ」とグレンファルト。

「何かを成すぞと誓った者は、敵に回すと恐ろしい。実力の差、性能の差程度など、容易く覆す。想定が通じないのだ。幾度も手を焼かされてきたよ。信じる心は、奇跡を成すものだ」

 何処か遠くを見ながら、グレンファルトは口にした。
己の人生の足跡を振り返り、敵対して来た彼や彼女、追い詰めて来た強敵達。彼らに対して、思いを馳せているようだと、イリヤ達は思った。

「そう言う者と難度も争い、戦ってきたからな、マスターの戦闘力や魔力など、決め手にはならないと言う哲学があるんだよ。君を否定しているように聞こえてしまうのが心苦しいが、これは曲げられない」

 イリヤと、目を合わせて来た。恐ろしく澄んだ瞳だった。威圧感の類など、欠片も込めていない筈なのに。イリヤはたじろいでしまう。

「如何なる願いをも成就させる、万能の願望器。これを求めんと、本気になる者達の登場は想像に難くない。怖いぞ、本気になった人間は。強いぞ、諦めない人間は。君は、そんな者達を相手に、勝ち残り、生き残らねばならない」

 数秒程の間を置いてから、グレンファルトは口を開いた。

「君に洗礼を施した時に、君の本気を俺は問うた。今は違う。別の事を問う。マスター、聖杯戦争に君は乗るかね」

「――乗ります」

「イリヤさん、深呼吸しましょうか。聖杯戦争は、人を殺――」

「知ってるよ、ルビー」

 ルビーの言葉を制するイリヤ。
言われるまでもなく解っていた。頭の中に差し込まれた、聖杯戦争についての諸々の知識。
これらから導き出される結論は一つ。聖杯戦争とは、たった一つの奇跡を求めて、何人もの人間と戦って殺し合う、血みどろの戦いなのだと。
ルールに則って、正々堂々? そんな綺麗事が一切通用しない、情けも容赦も欠片もないそれになるだろう事は重々承知している。
否、死ぬのが聖杯戦争の関係者や参加者だけならばともかく、その過程において、全く無関係の人物が何人も死ぬであろう事も、容易に想像出来る。

「本当を言えば、洗礼って言うののメリットだけ受け取って、それじゃ!!ってしたかったよ」

「強かだな、嫌いじゃないぞ」

「でも、聖杯戦争に乗らなければ、そもそも元の世界に戻る事だって出来ないんですよね?」

「他の方法も勿論あるのだろうが、概ね、聖杯戦争の終盤も終盤まで生き残らねばならない、と言う点に於いては間違いなかろう。早い話、生き残らねば話にならんと言う事さ」

「だったら、わたしの答えは決まってます」

 イリヤの心から、グレンファルトに対するたじろぎと、そこはかとない苦手意識が、消えた。消した、と言うべきなのだろうが。

「聖杯戦争にも乗りますし、だけどわたしは誰も殺さないまま聖杯を手に入れるか、帰れる算段を見つけられたら其処でお別れします」

「それが、本当に出来るとでも?」

 グレンファルトの表情は、アルカイックスマイルから動かなかった。
遥か年下の愛くるしい童女の身振り手振りを、見守るような顔つきではあったが、その語気だけは。明白に、威圧感を増して行っていた。高まっていた。

「甘い考えだとか、舐めてるだとか、現実を見てないだとか……。そんな事、わたしだって解ってるよ」

 言っているイリヤ当人ですら、夢見がち過ぎる言葉だと思っているぐらいだった。
グレンファルトの強さが一線を画していると言う点については疑いようもないが、聖杯戦争に於いては、彼に勝るとも劣らぬ冠絶級の戦闘力を誇る、
怪物中の怪物が他にも跋扈している可能性が高いのである。しかもその強さの方向性も、直接的な一対一での戦いで強いと言う事もあれば、
軍略を練り上げてその作戦に沿って大軍団を動かす面と言う事もあれば、人が大勢住んでいると言う事実を一切無視して広範囲に破滅を齎すと言う意味での強さもあり得る。
こんな人物達を相手に、自分が死なないは勿論の事、誰も死なせる事無く、平穏無事に、しかし、聖杯を手に入れられなかった悔しさだけを残して終わらせる、と言うのは、余りにも現実を見ていないにも程がある。夢想を越えて、最早現実逃避の域であった。

 ――だけれども

「どうせなら、誰も何も失わない、ハッピーエンドの方がいいじゃないっ」

 イリヤが見て来た、触れて来たアニメや漫画は、初めから悲惨な結末を迎える事が解りきっていたものを除けば、皆、ハッピーエンドで終る作品が殆どだった。
勿論、其処に至るまでの過程で、多くの者が傷つき、挫折し、悲惨で、見ていられない事態にも直面したりもしたが、それでも、終わってみれば、
誰も欠ける事無く、誰もが満足のゆく答えを得、そうして話は終わる事の方が殆どだった。

 そんな終わり方を、どうして、現実に求めてはならないのだろうか。
現実が甘くない事など、イリヤの歳の子供ですらが解っている事であるし、思うようにいかない事も当たり前のように皆知っている。
じゃあ、現実は厳しいから、綺麗事など通る余地何て何処にもないから、幸せな終わりを諦める事は、間違っている、諦めろ、とでも言うのか?
誰も死なず、傷つかずに終わる結末を求めると言うのは、図々しくて、厚かましく、謙虚さの欠片もなく、現実への配慮も何もない、醜い祈りであるとでも言うのか?

「セイバーさんがわたしに、どんな決意とか思いとか、本気を求めたのか知らないけれど……。わたしって本当は……多分だけれど、どうしようもない欲張りなんだと思うっ。だけど、わたし、これだけは間違ってないと思ってる!! わたしの本気は、わたしが求める最良の――全員が助かる道を選んで勝ち取る事だから!!」

 自分で言っていて、何とも欲深な言葉なのだろうと、思わぬイリヤではなかった。勝ち残るのはたった一人、トロフィーはどんな願いをも叶えて見せる万能の聖杯。
しかもその勝敗を決める方法は、チェスでも将棋でもなければ、況してテレビゲームの対戦格闘でもないのだ。
正真正銘の何でもあり。不意打ち闇討ち、毒殺に爆殺、射殺でも、殺せるのならどんな方法でも用いても良い、正しく何でもありの殺し合いなのだ。
誰が聞いても、熾烈な様相を示すしかない殺し合いになる事が容易に想像出来るだろう。このような形式の殺し合いで、誰も死なない方法を模索するなど、余りにも、ムシが良すぎる。
餓鬼の妄想以外に掛ける言葉がない。しかし、それを求める事が、間違いであるなどイリヤは欠片も思っていない。
簡単な話だ。そっちの方が、絶対に良いに決まっているからだ。良いものを、選ぶ。それの何が、間違っていると言うのか。

 聖杯戦争にも勝つ。誰も死なせない。そして、その足で美遊も助けに行く。
何が、間違っていると言うのか? 本気でイリヤは信じている。これ以上最良のプランがあると言うのなら、教えて欲しいものだった。

「……ハッピー、か」

 その言葉に、思う所があったのか。グレンファルトは、静かに瞑目し始めた。
沈黙が、十数秒、2人と1本の間に立ち込める。自分の主張が退屈だからと、眠ってしまったんじゃないかとイリヤが不安になり始めたタイミングで、グレンファルトはゆっくりと瞳を開いた。

「俺はな、マスター。どんな運命のいたずらかは知らないがな、本当は科学者だったのだよ。それも、……フフ。驚くなよ? 本当は日本人なんだ」

「え、え、え、え、えぇー!!?!!?!?!!!????!!」

 余りの衝撃のカミングアウトに、先程までのシリアスを全部吹っ飛ばすほどの勢いで驚いてしまうイリヤ。
日本人? 目の前の男が? 身長から骨格、髪の色の自然さから顔の彫りの深さまで、どっからどう見たって日本人のそれじゃあり得ない。
古代ギリシャでペロポネソス戦争に従事していましただとか、カエサルと一緒にガリアに赴いてウェルキンゲトリクスの征伐に協力していましたとか、言ってくれた方がまだ信頼性がある。
それどころか自分は科学者であるとすら言うではないか。いやいやお前のような科学者がいるか、家でも乗っけてそうな肩幅してんのに。

「驚く程の事でもない。先ほども言っただろう、鍛えただけだ」

「確かにそうなのかも知れませんけども……」

 なんだか納得がいかないイリヤだ。此処まで衝撃のPRをかました後なのだ、Beforeの時の姿が見たくなる。

「科学とは何か。俺の生きていた世界でも未だに議論されていて、個々人で考え方が違っていた観念だったがな……。マスターにも分かりやすく、俺の考えを述べるのなら、因果関係の究明だ」

「い、いんが……?」

「難しく考えなくてもいい。要するに、なるようにしかならない、と言う事だ」

 余計に、訳が分からなくなった。小首を傾げたそのタイミングで、グレンファルトは言葉を更に続ける。

「どんなに魔法染みた科学技術であってもな、其処には必ず、その技術を技術たらしめる原因がある。車はただの鉄の箱を置いているだけで走るのか? 違うだろう。ガソリンと言う燃料を注いで、それが爆発する力で機械を動かしているからだ。原子爆弾もそうだ。あれは濃縮ウランを生成し、このウランによって各連鎖反応を発生・維持させて初めてあの威力が成立する。何か一つ欠けても、あの威力は出せないのだ」

 ふぅ、と、一息。

「解るか? 俺達は魔法使いでもなければ神でもない。現実世界に存在する物理現象や、その世界でのみ実現可能な理論を組み合わせて、奇跡に近しい現実を引き起こそうとする、泥臭い連中なんだよ」

 そう言ってくれると、成程。イリヤとしても理解が速かった。

「幸福とは、何か」

 話が、一気に哲学の方面に飛んだ。目を回さないようしっかり持てイリヤスフィール、内心で喝を入れる。

「凡そ、様々な哲学者が人としての幸福とは何かを考えて来たよ。アリストテレス、エピクテトス。スピノザにショーペンハウエル、エミール=オーギュストにラッセル、カール・ヒルティ。誰も彼もが哲学史に名を遺す大哲人だ。人にとっての幸福とは何かなど、個人によって違うだろうし、時代によっても変わって来る。絶対の解などない。現に俺が言った哲学者は皆、人としての幸福とは? がまるで一致していない」

「セイバーさんにとっての幸福って……?」

「……なぁ、マスター。満足に食べるものもなく、着るものだって何もなく、住む場所だって何処にもない。そんな人物は、果たして幸福か?」

 首を横に振るイリヤ。誰が聞いたとて、それは、幸せの何処にも結び付かない。誰だって、違うと答えよう。最低限度の水準すら、満たせていないじゃないか

「そうだ。衣食住足りて、と言うだろう。其処を満たさぬ限り、人は絶対に己が幸福などと言う事を自覚しない、認識もしない、そもそもその状態は俺だって幸福な訳がないと答える」

 最早イリヤは、グレンファルトの言葉を黙って聞いているだけだった。
しかし、何故だろう。男の言葉は子供のイリヤにも分かりやすく、その為、深く心に染み入り、理解を進ませて行く。不思議な魔力、言霊の類が、男の言葉に宿っているようだった。

「先ずは、その最低限度のラインをクリアしない限り、人の世の幸福など夢のまた夢だろう。先ずは世界を、そのステージにまで引き上げるべきじゃないかと、皆が思うだろう」

 「……だがな」

「そのレベルの世界の存在をな、科学は否定したんだよ。俺達の生きた時代、世界人口は100億を既に超えていた。世界人口がその半分だった時代から既に、全人類に満足に衣食住を保証する為には地球と同じ大きさで、同レベルの資源があって水も酸素も地球並、そんな惑星が複数必要だったと言うシミュレート結果があったのだ。笑える話だと思わないか? 空を飛ぶコバエにすら命中するミサイルや、人間と同じ思考の柔軟さを持つAI、現実世界そのものに近しいメタバース。こんなものを開発出来る俺達の世界が直面していた問題は、エネルギー不足・食糧不足・水源不足だ。あいも変わらず飢餓で死ぬ人間がいたし、旱魃や蝗害には成す術もない。全人類の幸福の前に、その幸福とはを考えられる最低限の段階にまで、達してなかったんだよ」

 其処で、一呼吸。グレンファルトは置いた。
空を彼は見上げた。月が出ていた。そして、グレンファルトのいた世界に於いて、あって当たり前とも言えるものが、その夜空にはなかった。
アマテラスが開いていない夜の空など、本当に、1000年ぶりだと、心の何処かで彼は思った。

「俺にはその事実が堪えられなかった」

 何気ない風に口にしたこの言葉に、果たして、どれだけの量感が、込められていたのか。

「科学がどんなものなのか、誰よりも知っていた筈なのに、それでも、俺は失望したよ。科学の限界にだ。西暦は2500年を数えていると言うのに、食糧不足を解決する為には人口そのものを、人を殺すなりにして削減させるしかないと言うシミュレートが出た時には、人類が長年の時間を掛けて積み重ねて来た技術の進歩が、何の意味もなかったのだと遣る瀬無かった」

 グレンファルトは目線を、イリヤの周りを浮遊する一本のステッキに向けた。「いやん」、とルビー。

「魔法があればいいのにと、何度思っただろう。御伽噺やイソップ寓話のように、条理や道理を無視して奇跡を引き起こす。そんな事が出来たのなら、世界はより幸せだったんじゃないか? フフ、笑えるだろう。まるで幼稚園児の女の子が信じるような、魔法や奇跡を、大の大人が、本気で存在して欲しいと祈っていたんだ」

 「そんな風だから」

「其処の紅玉杖が、俺の洗礼に対して疑いの目線を向けた時にな、落胆したんだ。ああ、洗礼は、彼らの世界では当たり前ではないのかと。俺はな、君達には俺の施した洗礼、出来て当たり前の物だと思っていて欲しかったんだよ。奇跡が当然の世界でなら、俺の洗礼程度など、驚くに値しない行為の筈だろう? なのに君達は、大層に驚いていた。この事から必然的に、導けてしまった。魔術・魔法の世界でも、全人類の幸福は、未だに達成出来ていないんじゃないかと。そうなのだろう?」

「ええ、お察しの通り。世界は未だ、全人類の幸福を御認めになっていないようでして」

 魔術とは、もっとドキドキするもので、一足飛びに願いを叶えてくれる代物だと、魔法少女に変身出来る前のイリヤも思っていたが、実際には違う事が今なら良く分かる。
魔術にもまた、格式があり、法則があり、因果関係があり、その通りに沿わないと効力が発揮されないし、そしてその効力もまた、全能とは到底呼べないものしかなくて。
過度な期待と言うものを寄せるのは、かえって危険なんじゃないかと、思うようになってきたのだった。

「俺にとっての幸福とは何か、と言ったな。マスター」

 グレンファルトは、イリヤが問うた事を、忘れていなかった。答えるべく、口を開いた。

「俺にとっての幸福とはな、誰しもが主役になれる事、主人公であると言う事だ」

「皆が……しゅ、主人公……?」

 流石に理解が及ばない。目が回ってきているのを、隠しきれていない。

「夢と現実の違いとは、自らが主体になれるか否かにある。夢の世界・空想の中では己の認識こそが世界の主体になり得るのだが、現実ではそうはならない。思った事が現実に形を伴って現れる、成就されるという事はあり得ないし、成そうとした事を自ら実現出来るような実行力を持つ者も、極々僅かだ。そうはいない」

「その……単純に、全員が主人公って、おかしな事にならないですか? 世界が回るのかなって言うか……」

 イリヤは言語化にとても難儀していたが、実際問題、多少なりとも本やゲーム、アニメなどを齧っていれば解るが、全員が全員主人公では、話が散らかって訳が分からなくなる。
読者やプレイヤー、視聴者が作品と言う世界を理解する為のフィルターこそが主人公なのであり、いわば主人公とは、メタ的な存在である読者・プレイヤー・視聴者の目であり耳。
主人公を通じて彼らは世界観やその中に生きる人間関係を咀嚼するのであり、そのフィルターが複数あっては、理解と言うものが散逸する。
そしてそもそも、脇役や端役と言う、小さいネジや歯車、潤滑油があってこそ、作品と言うものは成り立つのではないか? 全員が全員主人公では、とても成り立ちようがないように見えるが……。

「そうだ。実際には回らん」

 グレンファルトはあっさりとこれを肯定した。

「唸る程金を持っている大富豪。名前が世界中に轟き渡っている大企業の経営者。一国の首相・大統領。そう言った地位につき、華々しく活躍している者達を世界の指導者、主人公だと仮定した場合、実際にはそれ以外の多くの人間がとるに足らない端役であり、脇役である事になる。別にそれを否定するつもりはない。マスターの言う通り、全員が主体性と積極性の塊では、世界が立ち行かなくなるからだ。誰かが受動的で、指示待ちでいる必要がある。誰かが片田舎で、小麦や米、トウモロコシを育てる必要がある。誰かが退屈な事務作業、炎天下で汗水垂らして土木作業に従事する必要がある。華々しくは勿論ないし、地味でつまらない生き方にも見えようが、彼らがいなければ支配者もまた立ち行かない。だからこそ、脇役(エキストラ)にも幸せは必要なのだ。自分達も、世界の一員なのだと思わせなくてはならないのだ」

 「ところが、な」

「大勢の人間に慎ましやかを強いる癖に、世界は、突出した一人の主役に対して、余りにも無力で、余りにも甘かった」

 その言葉に込められた、僅かな怒りは、果たして、何処に向けられていたものだったのか。

「マスター。君は見たことがないだろう。踏み躙られ続け、闇の彼方に押しのけられた男の昏い逆襲劇が、全ての正論と光輝を呑み込み砕くその様子を。君は知らないだろう。願い、挑み、無茶を押し通し、それでも俺はと暴れるそのエゴイズムが、正しく生きよう妥協して生きようとする者達の目を晦まし、世界を滅ぼしかけたそのあり得なさを」

 暫しの、沈黙。

「世界は、多くの人間に対して端役である事を望むのに、突出した主役が齎す世界の変革を、日々をめいめいの形で送る者達に受け入れさせる。それだけならばまだ良かった。その変革が例え世界を文字通りに滅ぼすものであったとしても、受け入れろとするのだ。死にたくない者など、誰だとて同じだと言うのに、甘んじて受け入れよとする」

「セイバーさん、わたし……何が……何を、言ってるのか――」 

「『この世界に産まれてきたのなら、誰しもが主人公になっていい』」

 端的に、グレンファルトは言い切った。

「本当に君の言った通りなのだ、マスター。全員が主人公の物語など話が回らん、筋書きが破綻する。実世界でも同じだ。誰も彼もが大会社の経営者にはなれない、全員が大富豪になれるわけではない、国民全員が首相や大統領などありえない。――誰しもが、世界の在り方を変えてしまう能力を得てはならない」

 「簡単な話だ」

「世界が限界を迎えるからだ。全員が金持ちに? 経済や財政が破綻しような。全員が大統領に? 権力闘争と言う言葉ですら足りない政争で何も物事が進展するまい。全員に、世界を変革するだけの力と能力に目覚めさせよ? 土台自体が――そう、持たない」

 其処で、グレンファルトは言葉を切り、押し黙った。
不愉快だから、黙った訳ではない事は、その穏やかな表情を見れば明らかであった。

「マスター。君を使徒に洗礼した時にな、俺は素直に感動した」

「わたしに……ですか?」

「世界と友、どちらを救うか。そうと聞いた時、君は両方と答えた。当然、この問いに正解などない。状況次第、当人の贔屓次第で、如何様にも答えが変わるからな。その中で、君は迷いなくどっちも救うと言って退けた」

「セイバーさんも、もしかして……?」

「当然、どっちもだ」

 正当性が完全に担保された定理を口にするような当然さを以て、グレンファルトは断言した。

「妹を失い、地上に一人残されたあの時ほど、この世界の不完全さを嘆いた事はない。誰もが哀しまずに生きられる世界、誰もが楽しく暮らせる世界。そして、誰もが手を取り合える争いのない世界。それは、有史以降一度も成立した事がなく、これからも生み出される事はないのだろうと強く思った」

 「そう、だから――」

「俺は創ろうとしたのだ。世界の果てに逝った妹を救いだし、その上で、二度と、俺のような哀しみを背負わないで済む世界。多くの者が、天国、ニルヴァーナ、極楽浄土、高天原、ニライカナイ、桃源郷、崑崙、エリュシオン、アアル、と言った名前で信じた、楽園。俺はそれに、神天地(アースガルド)の名を与え、創造を目指したのだ」

 スッと、イリヤの方に手を伸ばすグレンファルト。その手は、開かれていた。

「望めば誰もが、幸せになれる世界。そして、思いを分かち合える者と必ず出会え、永遠の絆が約束される世界。それこそが、俺の目指した理想。誰しもが世界の主体となり得、そして、それに耐えられる完全不滅の世界。それが、俺が神天地と呼ばわり、創ろうとしたもの」

 イリヤの目線と交錯する。グレンファルトから、目を逸らせないイリヤ。

「俺達は普通の人間からすれば、何とも強欲な主従に見えるだろうな。人を殺さずして聖杯を獲りたいと願う君と、世界中の誰もが幸せであれと願った俺」

 グレンファルトは、なおも言葉を続けて行く。

「欲深な人間には罰が当たる、そんな寓話は数知れまい。金の斧と銀の斧、舌切り雀。欲をかいた者の末路は悲惨なものだが、きっと、俺達のようなはてなき貪欲さを以て突き進む者には、目も当てられぬ地獄が待ち受けているだろう」

 そう、殺し合いとどうしようもなく不可分の性質を秘めている聖杯戦争に於いて。
マスターを誰も殺さずして、聖杯を勝ち取ろうと言うのは、虫が良すぎるどころの話ではない。完全に、舐めている程に甘すぎる思想である。
取れる選択肢も限られるし、その故に殺される可能性だってあり得るのだ。それこそ、イリヤの善性を利用されて、無惨な末路を辿る事にもなるだろう。

「だがな、俺の認めた男はな、身を以て教えてくれたよ。地獄で足掻く事は無駄ではないと。地獄は、踏破出来るのだと」

 フッと、笑みを綻ばせながら、グレンファルトはこういった。

「地獄の先に咲く花を、共に掴もう。君と俺なら、それが出来る。君も、その友達も、俺の神天地で笑っていて欲しい」

 その手を、イリヤは取るべきかどうか悩んだ。
好ましい人物なのは間違いない。真摯で、公正明大、優しさの中に厳しさも持ち合わせ、何よりも、その強さに裏打ちされた頼り甲斐がある。
それでも、少女が聖なる騎士の手を握ってやれなかったのは、男の話す内容のスケールが、余りにも大きすぎたから。イリヤが取り戻そうとしている日常から、余りにも掛け離れ過ぎていたから。

「わたし……ミユも助けたいし、クロにも生きていて欲しいし、2人で学校生活も送りたいし、まぁその……腐れ縁ではあるんだけれども、リンさんやルヴィアさんとも、まだ一緒にいたいし、家で家族と、のんびりも過ごしたいんです」

「気持ちは、良くわかるさ」

「セイバーさんの目指そうとしてる目標だとか、志とかよりも、全然小さい、身近で有り触れた世界が、わたしは良いんです」

「何を気後れする事があろうか。素晴らしい世界だ。神天地は、君の祈りを否定しないぞ」

 グレンファルトが理想とする世界では、己の願いの平凡たること、など、些末な問題だ。比べるに値しない。悩む事が間違っている。
全てが叶う世界では平凡と非凡の垣根もなく、正邪善悪の二元論すら超越している。抱く願いの全てが∞の価値を有し、そしてそれ故に、全ての願いが平等であるのだから。
だから彼は、イリヤの願いを肯定する。ああ、素晴らしい。目指して良いぞと、諭してやる。

 やがて、意を決したように、イリヤは、グレンファルトの手を両手で握った。
沈黙を保った様子で、ルビーがその光景を眺める。満足そうに、グレンファルトは首肯する。

「……妹さんが、いたんですか?」

 長広舌のグレンファルトが話していた内容で、イリヤが引っかかった事がそれだった。

「いたともいえるし、いる、とも言える。専門的な話だから説明は省くが、生きているとも死んでいるとも取れる状態でね。古の量子力学的な思考実験で言う所の、シュレディンガーの猫、のような状態さ」

 実際にグレンファルトの聡明な頭脳を以てしても、九条御先が何処に導かれたのかは解らない。
今の自分が英霊の座、なる場所に登録され、こうしてイリヤのマスターとして導かれ、再び夢を目指して良い身分になった事は、千年分の経験値で受け止め切れているが。
彼女は果たして、何処に行ったのか。解らないし、気にもなる。だが、きっと。彼女は自分を見ているのだろうと言う確信があった。応援も、してくれているだろうと言う予測もある。

「わたしにも、複雑な事情の妹がいて、義理のお兄ちゃんがいて……。勿論、わたしにとってとっても大事な人なんです」

「そうだな、俺にとっても、妹は、大事な人だよ」

「『その人に逢いたい、って思わないんですか』?」

 微笑みが、一瞬硬くなった。イリヤは、気付かなかった。

「セイバーさんの理想、とっても、立派だし、凄いし、素敵だし、わたしも、そんな世界で生きていたいって……思うんです」

 「――だけど」

「なんで、大好きな妹さんにもう一度会って、幸せに暮らしましょう、ってしなかったのかなって……」

 イリヤにとって、解らなかったのはそこだった。
グレンファルトが妹を愛しているのは良く分かった。其処に異を挟む事はしない。ウソじゃないと、イリヤは思ったからだ。
妹の事を語る時、この男は、間違いなく真実を話していると。根拠も何もあったものじゃないが、其処だけは、真実なのではないかと思ったからだ。

 妹を酷い事故で失ったのは、話の文脈から伝わって来た。その妹を失った哀しみがあったからこそ、彼の言う神天地を目指したのだろう。
――『飛躍しすぎ』じゃないかと、思ったのだ。新しい世界がどうだだとか、みんなが主役になれる世界がどうだとか。
それを目指す事よりも、妹にもう一度会いに行く、とかの方が、まだ簡単だったのではないか? 
グレンファルトは立派な男である事に、イリヤも、ルビーですら、疑ってはいない。

 ――だからこそ、であった。

「セイバーさんは、『妹さんを失ったから、神天地を目指そうとした』んですか? もっと……別の、何かがあったんですか?」

 誰もが楽しく暮らせ、誰もが笑いあえ、孤独の寂しさもなく、人類の宿痾である所の争い事すらも脱却された、全人類が主役の世界。
確かに、素晴らしい世界だ。その様な世界を実現させようと、本気になる人間を、イリヤは馬鹿にしない。凄い事だし、尊敬もする。
そんな遠大かつ、雄大な夢だからこそ。妹の死以外の、納得の行く理由があって、目指そうと決意したのではないかと、平凡な感性の持ち主であるイリヤは考えたのだ。

「……。フフッ。勿論あるが、今日はもう疲れたろうし、此処は寒いだろう。何れ、話してやろう」

 確かに、この東京都の季節は冬も盛りの季節らしい。吐く息が白い。雪だとて、降るかもしれない。
それに、色々な事が一時に勃発しすぎて、肉体面の疲労が解消されてはいるものの、精神的な疲労はまだ回復し切っていない。
グレンファルトの言う通り、一旦は、異界東京都内に於いてイリヤに割り振られたロール、それに則った拠点に戻るべきなのかも知れない。

 ――はぐらかされちゃったなぁ……――

 それはそれとして、子供心にすら解った。
グレンファルトは明らかに、誤魔化した。余り言いたくない理由があったのだろうか。素晴らしい世界なのであるから、堂々としていれば、良いのにと。イリヤは思った。

 ――……俺が神世界を目指そうとした理由か――

 飲み干したミネラルウォーターのペットボトルを捨てる場所を、顔だけを動かして探すイリヤを眺めながら、グレンファルトは思った。

 ――……そう言えば、何故俺は神天地を目指そうとしたのだったか――

 イリヤは知らない。
まさかグレンファルトが、神天地に向かって歩もうとした理由を、話したがらないのではなく、そもそも忘れてしまった事を。
忘れてしまう程に、摩耗し、壊れてしまった男であるなどと。その大層に立派な姿からは、想像も出来なかったのであった。



【クラス】

セイバー

【真名】

グレンファルト・フォン・ヴェラチュール@シルヴァリオ ラグナロク

【ステータス】

筋力B 耐久A++ 敏捷B 魔力A+ 幸運A 宝具A+

【属性】

中立・中庸

【クラススキル】

対魔力:A

騎乗:D

【保有スキル】

神祖:EX
人の形をした恒星、悠久の時を経る輝ける綺羅星。地上を闊歩する、煌めく昴(すばる)。
その正体は、肉の身体を兼ね備えた自立活動型極晃現象とも言うべき超常生命体。
自己の根幹を担う魂とも呼ぶべき部分が三次元上に存在しておらず、物理的な破壊でこのスキルの保有者を破壊する事は著しく困難。
このスキルを保有する者は一切の例外なく、魔力を保有しないマスターであっても運用に問題がないレベルの凄まじい魔力燃費を誇る。
また、その性質上霊核が本体ではなく、『肉体を構成する魔力の一欠けら一欠けらが全て本体』であり、セイバーを構成する魔力の欠片が一つでも残っていた場合、
その魔力の欠片から完全な復活を果たす。頭蓋や心臓の破壊が勿論、細胞一つ残さぬよう木端微塵に消し飛ばしても、数秒で復活を遂げてしまう。
但し、マスターが死んでからセイバーが大ダメージを負った場合、上述の再生は機能せず、最悪そのまま消滅するし、短時間の間に何度も何度も殺された場合も、魔力切れによって退場の危険性が内在している。

このスキルの保有が確認されている四人は、千年の時を経た人型の怪物であり、その千年の間に、己の弱点を潰し続け、またその時間の間に強みをいくつも伸ばして来た怪物中の怪物。
その弱点とは精神的な達観面についても適用されており、セイバーの場合はその揺るぎない、達した精神性により、精神攻撃を完全にシャットアウトする。
そして、神祖スキルを保有する者のもう一つの大きな特徴として、翠星晶鋼(アキシオン)と呼ばれる特殊な結晶の創造にある。
この結晶を保有する者は、全てのステータスが1ランクアップし、+の補正が1つ追加される強化を獲得出来るが、結晶は1分足らずで自壊する。
セイバー自身はサーヴァント化によって、この翠星晶鋼を補助目的で利用した場合の性能が大幅に落ち込んでおり、上述の自壊デメリットはその影響。
加えて、使徒と呼ばれる眷属の創造については見る影もなく弱体化しており、具体的には、1体が限界になっている。

無窮の武錬:A+
ひとつの時代で無双を誇るまでに到達した武芸の手練。心技体の完全な合一により、いかなる精神的制約の影響下にあっても十全の戦闘能力を発揮できる。
総代聖騎士と言う、戦闘とは不可分の立場であり、後述の宝具が戦闘面に特化している能力である事。そして何よりも、血で血を洗う闘争の時代を一千年間駆け抜けて来たセイバーのスキルランクは、最高のそれを誇る。

心眼(真):A
修行・鍛錬によって培った洞察力。窮地において自身の状況と敵の能力を冷静に把握し、
その場で残された活路を導き出す“戦闘論理”。逆転の可能性がゼロではないなら、その作戦を実行に移せるチャンスを手繰り寄せられる。

鋼鉄の決意:EX
一千年もの永き時間を、一つの目的の為に歩み続けられる強固な精神性。決めたからこそ、果てなく歩む鋼鉄の誓い。
痛覚の超克、超高速行動に耐えうる超人的な心身を有している。複合スキルであり、「勇猛」と「冷静沈着」スキルの効果も含まれる。

神性:D
本来セイバーは神ではなく、況して神の系譜に何らかの形で連なる英霊と言う訳ではない。純然たる人間のサーヴァントである。
神天地に王手をかける寸前だった事、そしてその過程でこれを導く者として君臨していた逸話から、軽度の神性を得るに至った。

【宝具】

『戴冠王器・九天十種星神宝、人界統べるは大神素戔王(Heaven-Regalia Veratyr)』
ランク:A+ 種別:全局面型万能宝具 レンジ:1~99 最大補足:1~1000
星辰体結晶化能力・万能型。生み出した星の結晶を触媒に、望むがまま超常現象を描き出すセイバーの星辰光(アステリズム)。これが宝具となったもの。
翠星晶鋼と呼ばれる物質化した星辰体を生み出しながら、それを基点にあらゆる破壊現象を顕現させる神の星光。
有体に言ってしまえば『戦闘に纏わる事柄なら何でも出来る宝具』。翠星晶鋼を散弾のように射出させ飛び道具にする事は勿論、
視界に収まっているならどれだけ離れていても相手に到達する遠距離狙撃の要領で打ち出す事も当然可能。
産み出した翠星晶鋼から莫大なエネルギーを放出させそれで相手を薙ぎ払う事も、翠星晶鋼をセイバーそっくりの形に創造させそれを自律行動させ分身する事も。
果ては、己の身体に過度の翠星晶鋼を取り込ませ、自爆。カウンターとして用いながら、自爆した当人は何食わぬ顔で再生して復活すると言う、弩級の荒業を披露出来る。
サーヴァントとなった現在では多少不得手になってしまったが、自陣の補助、即ち戦闘能力の向上と言う形でもこの宝具は用いる事が出来る。
使徒の洗礼が出来るのは、この宝具が戦闘以外の用途についても多少の適性を持っているからに外ならず、そう言った面でも、全局面的に万能な宝具と言える。

『晃星神譚、大祓え天地初発之時来至れり(Rising Sphere Braver)』
ランク:EX 種別:対界宝具 レンジ:∞ 最大補足:∞
発動不能。しかもその理由は3つある。
一つ目にはマスターの魔力。規格外の魔力量を誇り、加えてルビーからの無限大に近しい魔力供給があっても尚、この宝具の持続は1秒とて不可能。
二つ目には九条御先の不在。この宝具は心を通じ合った誰かの存在が必要なのであり、セイバーの場合はこの御先なる人物になるのだが、現在彼女とのパスが途絶えている為発動不能。
三つ目には世界樹がない事。仮に発動出来たとしても、生前のような単一宇宙の改変すら可能な規模でこの宝具を発動するには、巨大な翠星晶鋼で作られた世界樹の存在並びに次元間相転移式核融合炉が必要になる為、仮に発動出来たとしても、生前程無茶苦茶な事にはならない。と言うより、なる事がない。

この宝具の発動及び維持こそが、セイバーの理想であり夢である。現状この宝具を発動しようものなら、魔力切れによる一発退場は免れない。

【weapon】

アダマンタイトの大剣:
聖騎士としてセイバーが振るう大剣。これ自体が業物ではあるが、別にこれがあろうがなかろうがセイバーは格闘戦に於いても類まれな実力を発揮する。

【人物背景】

夢はいつかきっと叶う!!(爽やかスマイル)
運動不足の干物妹がひいこら言いながら各方面に頭を下げ、結果加勢に現れた1000万人分の人間達を臆面もなく『俺の力と絆だ!!』と宣う夏みかんより分厚いツラの皮をした男。

【サーヴァントとしての願い】

えっ今日は神天地目指して良いのか!?


【マスター】

イリヤスフィール・フォン・アインツベルン@Fate/kaleid liner プリズマ☆イリヤ

【願い】

元の世界への帰還。ミユを助ける。世界も、救う。全部

【能力】

カレイドの魔法少女:
キシュア・ゼルレッチ・シュバインオーグが作り上げた第二魔法応用謹製による一級品の魔術礼装、カレイドステッキにより魔法少女(カレイドライナー)に転身することができる。
変身後は常時魔術障壁による防御や身体能力強化など様々な効果を受け続けることが可能。更にイリヤは複数のサーヴァントカード…通称"クラスカード"を所持してもおり、これを用いて英霊の力を借り受けることも可能となっている。

使徒:
グレンファルトの宝具によって洗礼を受け、イリヤは使徒になっている。
使徒と言うのは一部のサーヴァントによって力を分譲された者たちにして、文字通り神の眷属。忠実な神々の手足。
主と同様に欠片も残さず消滅しても数秒で再生するなど、その永遠性は絶対。
通常の攻撃手段では殺害など一切不可能な魔人であり、神祖との見えない接続を破断しなければ旧時代の核兵器を持ち出しても、滅ぼすことは出来ないだろう。
三次元上の生命体であるため寿命は有限なままなのが弱点といえば弱点だが、それは裏を返せば戦闘による撃破と殲滅を望む場合、神祖と何ら遜色ない脅威度を誇る事を示している。

洗礼措置を受けた結果、魔法少女に転身しないにも関わらず、イリヤは凄まじいまでの身体能力と、高い魔力ボーナス。そして、上述の再生能力を得るに至っている。
但し再生能力については、グレンファルトの想定よりも遥かに弱まっているが、それでも、四肢の欠損程度なら十数秒で完全に回復してしまう程である。

【人物背景】

穂群原学園小等部(5年1組)に通う小学生。……だったのだが、数奇な出会いによって魔法少女の道を歩む事になり。
奇妙な運命によって、世界を渡る事にもなってしまった、1人の少女。

Twei最終巻からの時間軸で参戦。

【方針】

聖杯戦争には乗るが、人は殺さない方向で行きたい。聖杯戦争以外に良いプランがあるのなら、やはりそちらを重視したい。

ルビー「あのセイバーさん……大丈夫なんですかね?」

【人間関係】

グレン→イリヤ
スペック、思想面で共に理想的なマスター。性格も年齢も違うが、神祖になる前だった頃の御先との思い出を想起させるらしく、年の離れた妹のように接している。神天地に行こう

グレン→ラグナ
俺を討った相手。大した奴だし、お前の思いも尊重したが、やっぱ俺……諦められねぇから!!

グレン→他の神祖
同志。出会ったらもう一度勧誘したい。

イリヤ→グレン
頼れるセイバーさん。話が長い事だけが唯一の欠点。

神殺し氏→グレン
死ね。お前はこっちや

地母神→グレン
(3秒に一回化け物の子を妊娠し出産するVRエロゲーに集中している為コメント不能)

思兼神→グレン
正直スフィアの研究ってあまり面白くないから誘われても行かないわよ。

大国主→グレン
もう他所でやっててくれ……。

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最終更新:2022年07月04日 23:55