「あー辛、辛い辛い」
 弟の定期検診とリハビリ訓練の帰り道。私の運転する車の助手席で、弟は嗚咽混じりに言葉を漏らした。
 鉄道好きで旅行好きな、活発な性格。列車を撮るために弟は色々な場所へ出かけることが多かった。そして、その土産話を私に嬉しそうに話し
てくれたものだ。しかし、事故の影響で足が不自由になった今では、満足に一人で歩くことすらままならない。
 あの事故が、弟の笑顔までをも奪ってしまったのだろうか。


 一年前のことだった。弟は事故でビルから転落し、生死をさ迷うほどの大怪我を負った。奇跡的に一命は取りとめたものの、額には生々しい
傷跡、そして重い後遺症が残った。弟は今でもその災禍から立ち直ることができず、もがき、苦しんでいる。


 事故以来、弟は部屋に篭りがちになり、家族とすら顔を合わせることも少なくなった。
「フェッフェッフェフェ!」
 弟の楽しげな笑い声を思い出す。我が家の食卓からは、ずっと笑顔が消えたままだ。父も母も弟を心配している。
 弟のために、私になにかできることはないのだろうか……。


「たらぞうちゃんねるの! たれぞうです」
 私は自分が趣味でやっていた、“ユーチューバー”という世界を弟に紹介することにした。ユーチューバーとは、日常の風景や動物の映像、面白
そうなこと、ゲームのプレイ動画など、そんなありふれたとりとめのないことを動画にし、それを動画共有サイトに投稿して、見てくれたユーザーと
の交流を楽しむ人たちのことだ。
 私は弟に、ユーチューバーとして活動する内に、他人との交流や、新たな楽しみを見つけてほしいと思ったのだ。
「ここには、原材料名が書かれています」
 最近では、とある有名なユーチューバーの影響を受けて、食品のレビューをし、それを動画にして投稿する、というようなことをしているらしい。
「口の中に、やさし、あまさ、あまさが、優しい甘さがカルピス風味が、口の中に広がり、OCです」
 たどたどしい口調。事故による脳のダメージの影響で、弟は言葉を上手く発することができなくなった。吃音障害と呼ばれるものだとお医者
様は言っていた。しかし、それでも弟は言葉を振り絞り、懸命に伝えようとする。そして……
たれぞうさん、最近人気あげてきてますね」
 その実直な姿勢と素朴な人柄が反響を呼び、弟が受け入れられるようになるまで、そう時間はかからなかったようだ。


「18日日曜日に北村卓史様と京セラドームにB'Zのコーンサートに行って来ました」
 北村君は弟の高校時代からの友人だ。事故後、多くの人間が弟の周りから去っていった。しかし、彼は昔と変わらず弟に接してくれている。
 弟はあれほど嫌がっていたリハビリ訓練を懸命にこなした。そして、今ではこうして、一人で外出することもできるほどに回復した。前に進みた
いという強い意志が、回復を早めたのだろうとお医者様は言っていた。北村君は弟のリハビリ訓練に付き添い、ずっと励ましてくれた。きっと、そ
のお陰なのだろう。


「今度ルイ君企画のオフ会参加しますぅ」
 弟は嬉しそうに笑いながらそう言った。ユーチューバーとしての活動を通し、たくさんの仲間ができたようだ。
 弟はこうして笑顔を見せることが多くなった。少しずつ、本来の明るい性格を取り戻そうとしているのかもしれない。私は姉として、弟をずっと
見守っていきたい。


「す、先程、パソコンの電源が、落ちましたことをお詫び申し上げます」
 ある日、私が入浴を済ませリビングへ向かうと、弟がパソコンに向かい、なにやら申し訳なさそうな顔をして謝っているのが目に入った。
「誠に申し訳ござわいずぅっ、誠に申し訳ございませんでした」
 どうやら困っているようだ。少しだけ、助け舟を出してあげよう。
「いやいやいや、いいお湯じゃったわぁ。おいたれぞう! なにをしとるんじゃ、タオルを持って来んかいやぁ!」
最終更新:2020年01月22日 18:15