- 992. 名無しモドキ 2011/12/30(金) 22:46:40
- 「アステカの星8」 −奇跡の谷− New Shangri-La PART1 Appalachian Trail
1943年5月6日 テネシー州北東部アパラチア山脈西麓キングストン近郊
テネシー州のキングストンといえばアパラチア山脈の西山麓地域にあたり傾斜地の多い山間部である。数日前か
ら降り続いた雨がようやくあがり、例年より遅いが春の陽光でようやく成長を始めた広葉樹の若葉を照らしている。
「本当に春が遅かったけど、でもやっぱり春は来たわよ。そんなにあわてて出ていかなくてもいいのに。」ステイ
シー先生は昨夜納得した話をまた持ち出した。
「いや、一月近くもいたからな。家の補修も終わったし、当面の食べ物の備蓄も出来た。」ジョーも昨日と同じよ
うな理屈で返す。旅で離別になれたジョーは繰り返しは別れの挨拶みたいなものだと感じていた。
「カリフォルニアへ帰るの。」ステイシー先生は少し寂しげに聞いた。
「そうだな。別に好きこのんで危険な場所にいたいわけじゃないからな。出発するなら今だ。来るときより状況は
更に悪化しているだろうから、食糧を得やすい夏の時期を無駄にしたくない。」これもジョーが昨夜語ったことだ。
「当面、ここは安全そうよ。」それでもステイシー先生は粘る。
「疎開者と住民の抗争が原因で十日前にキングストンの町の半分が焼け落ちてるんですよ。東の空が赤く染まって
いたのが家の二階かでも見えたでしょう。」ロジャーは、そう反論すると家の裏手に急ぎ足でまわった。
「こんな山奥には誰もこないし。第一、道を知っていてもこの家に来るのは難しいわ。」ステイシー先生はロジャ
ーの後ろ姿に怒鳴った。
「というハシからジャズがきたぜ。」ジョーが顎で森の小径の方を示した。
森の中から馬に乗り麦わら帽子を被った四十ばかりの陽に焼けた男が現れた。ここに到着して三日目の昼にこの
男が家の回りをうろついているのに気づいた時は、家の中に籠もってやり過ごそうした。ところが、窓から男の顔
を見たステイシー先生は突然家から駈けだしてびっくりしている男に声をかけた。
男はジャズ・ボーレンといい2マイルばかり山を下ったところに彼を含めた妻子四人で住んでいる。大恐慌時に
失業して行き詰まり、自殺しようと山中を彷徨していたジャズをステイシー先生の両親が見つけて近所の廃屋を世
話して家族で住めるようにしたという。
それ以来ジャズは小さな自家用農園を耕しながら、車に田舎では珍しい加工食品や雑貨、安物の衣服を車に積
んで近所の農家相手の行商をしている。
ステイシー先生は母親が亡くなった時に数ヶ月に一回でいいから家の見回りを頼んだのを律儀に実行していたと
いう。この男の紹介と手助けのおかげでもあり納得いく相場で備蓄用の穀物、乾燥肉やステイシー先生が育てると
いう菜園用の種子などを入手できた。
- 993. 名無しモドキ 2011/12/30(金) 22:48:16
- 「なあ、まだ、アスピリンが余っていたら分けてくれないか。テンシー産密造バーボン4本と交換だ。」ボーレン
はジョーの顔を見るなり挨拶に抜きで声をかけた。ジョーがテネシーに来る途中でミネアポリスで奮発して大量に
仕入れたものにアスピリンがある。かさばらず需要があるという算段は当たり、アメリカ風邪への恐れから大概の
農家は欲しがった。
「いいだろう。四十錠渡そう。でも、今日でお別れだ。」ジョーはリュックから錠剤を取り出しながら数えだした。
「そうか、ここはいいとこだぜ。でも、あんた見たいな流れ者には退屈だろうな。でもよ、今のアメリカじゃ退屈
できるって幸せだと思わないか。」ボーレンは馬を下りながらジョーに言った。
「退屈すると思い出さなくてもいいことも思い出す。」ジョーは両手をポケットに入れた。
「そうか、元気でな。肝心の乗馬の方は大丈夫かい。まあ、あの馬に乗れなかったらこの世に乗れる馬はいないがな。」
ジャズは右手を差し出した。ジョーも躊躇ってからポケットから右手を差し出して軽く握手した。
ジャズは元来、目端の利く男らしく戦争が始まったと聞くと近所の農家を回って数頭の馬を入手した。ガソリン
が統制されると考えたのだ。その数時間後には何かの災厄が東海岸を襲ったという一報が入り、一週間後には馬を売
ってくれるような手合いはいなくなった。ジャズは手持ちの馬のうち一頭の去勢馬を銀貨数十枚とトラック2台分
のトウモロコシで交換したそうだ。
ジャズが手元に残したうちの2頭をお礼にと、ステイシー先生が後生大事に持ってきた銀貨でジャズから購入して
ジョー達に贈った。ジャズは只でいいと言ったがステイシー先生に押し切られ相場からすれば格安だが対価を受け
取らされた。
「ジョー、準備できたぜ。」ロジャーが旅支度ができた二頭のクォータホース種の去勢馬を引いてきた。ジョーは
アスピリンとバーボンを交換して、ロジャーはステイシー先生に別れの挨拶をする。ジョーとロジャーはさっそう
と馬に乗った。ただ、ジョーでさえ内心はほっとしていた。ステイシー先生のきつい指導のもと昨日までに何回落
馬したことか。
「じゃあな。」ジョーがウエスタンを気取るように軽く帽子に手をやり軽い口調で言った。
「また会えるわよね。それからわたしからの餞別よ。」ステイシー先生は隠し持っていたサザンカンフォートのボ
トルをジョーに渡した。
「オレはまた会える気がする。」ジョーは軽く微笑んだ。ボーレンと並んだステイシー先生はいつまでも手を振っ
ていた。
「取りあえず何処に行く?」数日前から偵察していた山道に入ったところでロジャーが聞いた。
「まず、ここからはなるべく人に出会わないようにアパラチア山脈に沿って北を目指す。その先は様子を見ながらだ。」
結局、この日は山道に沿って10マイルばかり進む。それ以上は尻の痛みに耐えられなかったのだ。ただ、二三
日もすると次第にこつがわかったのか乗馬に慣れて人家を避けて迂回しながらも直線で15から20マイルほどは進
めるようになった。
- 994. 名無しモドキ 2011/12/30(金) 22:49:05
- 保存食糧節約の為もあって、一日に一時間程度は猟をしてウサギや鳥を撃った。ステイシー先生に実家の地下室
に厳重に保管されていた彼女の父親が収集していたという小口径の猟銃と散弾銃を、無理に持たせれたことが意外に
役だった。
雨に降られて一日テントで凌ぐ日があり、長くなった日差しに苦しめられる日があり、碌な飼料をやれないので
馬に負担をかけないようにできるだけゆっくり進み、一週間目でバージニア州へと入った。
「中西部はだだっぴろい。行けども行けども地平線ばかり。ここじゃ行けども行けども山ばかりだ。神様も手抜き
せずに適当に散らばらしたらどうだい。それにしても、昨日の午後から民家一つも見ないし、道路一本も横切らな
いとはどんな僻地だよ。」日差しと人目を避けて山の中腹の狭い山道を進んでいるとロジャーは何度目かの同じよ
うな愚痴をこぼした。
「この先にも誰かいる。馬を後ろに。」ジョー自身が馬を苦労しながら来た方向へ向けながら言った。
「少し高いところに行って見よう。」ジョーは馬を下りるとちょっとした斜面を馬の手綱を引いて駆け上る。あわ
ててロジャーが続く。
二人が馬をようやく尾根の反対斜面に隠すと、下の山道をジョー達が進もうとしていた方向から谷道を数人の軍
服姿の男が走ってきて左右の斜面に分かれて木の陰に隠れた。尾根から山道までは100ヤードほどもあり木々が視
界を遮る。それでも男達は軍服は着ているが、兵士とはどことなく挙動が異なっているようだった。
暫くすると、軍服の男達がやってきた方向から、山高帽みたいな帽子を被りポンチョをまとった二人連れが荷物
を背に積んだ一頭の馬を引きながら、自分たちも背中に結構な荷物を背負ってやってきた。
男達は道ばたから飛び出すとが銃を構えて二人連れを威嚇した。二人は馬をかばうように馬の左右にたった。何
か言い合っているが声は聞こえない。軍服の男の一人が背の高い方のポンチョ姿の人物に突然発砲した。女の悲鳴
が聞こえてくる。
「追いはぎか?」ロジャーが尋ねる。
「ちょっと様子がちがうな。」ジョーが暫くして答えた。倒れたポンチョ姿に、多分女らしいポンチョ姿の人物が
すがりついている。その女に男たちが何事か詰問しているらしい。ジョーは馬から銃を持ってくると、自分は猟銃
を持ち、ロジャーにには散弾銃を渡した。
「どうするんだ。助けてやるのか。しかし、こんな銃で立ち向かえるのか。」鳥打ち用の小口径散弾銃を持たされた
ロジャーがあきれたように聞く。
「助ける気がなくても巻き込まれてしまえば、降りかかる火の粉は払いのける必要があるさ。それに、もっとこま
しな銃が手に入るしな。」
「おいおい近所に銃砲店でもあるっていうのか。それに降りかかる火の粉ってなんのことだい。」
「ここで何してる。」突然、M1903小銃を持った二人の男が木の陰から出てきた。片方の男の上着は陸軍兵士の軍
服だがズボンは作業着のうえに、二人とも中年で正式の兵士ではないようだ。
- 995. 名無しモドキ 2011/12/30(金) 22:49:49
- 「猟です。」ジョーは猟銃の銃身を右手で持ったまま手をあげた。
「銃をこちらに投げろ。」ズボンが作業着の男が銃をジョーに銃で狙いをつけて言った。
ジョーはロジャーの持っていた散弾銃の銃床を左手で掴んだ。そして、左右の手に持った銃を電光石火の早業で二
人の男に投げつけた。猟銃は銃床で作業着ズボンの男の額を割り、そのまま男は上向きになって昏倒した。散弾銃
の銃床は、もう一人の男のみぞおちにめり込んで男はうずくまるように前に倒れた。
「ちゃんと投げたぜ。」ジョーはつまらなそうに言った。
「どうするこいつら。」倒れた男達の方へ駆け寄りながらロジャーが興奮気味に言う。
「縛っとけ。」ジョーは下の山道の様子を見ながら返事した。
「それでいいのかい?」意外そうにロジャーが言う。
「殺したいのか。」ジョーの言葉にロジャーは大きく頭を左右に振った。
ロジャーは素早く馬に積んでいたロープで男達を縛り上げて、ナイフで短く切ったロープで猿ぐつわをかませた。
「こいつトンだ色男だぜ。でっかい手鏡持ってら。」男を縛りながらロジャーが言う。
「そこのピークの上で見張ってて、下の山道に誰かがきたら、鏡で物騒なお仲間に合図してたんだよ。」
「こらからどうするんだ。」ロジャーが男の持っていたM1903を点検しながら言った。
「そうだな。運試しだな。俺たちと、あの女の。」ジョーは落ちていた散弾銃を拾うとゆっくり狙いをつけた。
「女がこちらの方へ逃げてきたら、判断力があるってことさ。」ジョーは散弾銃を撃った。
下の山道にいる男達の真ん中に鳥が落ちてきた。男達の注意が鳥に集中した。女は脱兎のごとく斜面をジョーた
ちの方に向かって登りだした。
「ダスティン、女がそっちへ逃げた捕まえろ。抵抗したら撃て。ただし殺すな。」リーダー格らしい男が怒鳴る。
兵士達は女を追いかけてばらばらに斜面を駆け上がってくる。
女が尾根にたどり着く。
「暫く隠れていろ。やばそうだったら逃げろ。」ジョーは女に素早く言う。
最初の男が尾根に到着した。伏せていたジョーはM1903の銃床で男の腹を抉った。二人目の男もそうやって始末
すると、ジョーはM1903をつづけさまに三発発砲した。三人の兵士が肩や腕を打ち抜かれてうずくまる。
「逃げろ。」ロジャーが叫ぶ。男達は一斉に斜面を駆け下りる。撃たれた男達もよろめきながら逃げていく。やが
て、男隊は山道をもときた方向へ走り去った。
「出てこいよ。」ジョーが声をかけた。
小柄な女が茂みから現れた。黒髪、黒い瞳、顔立ちは一見アングロサクソン系だが、小さな鼻や頬の様子からイン
ディアンの血が混じっているようだった。まだ、二十歳そこそこだろう。
- 996. 名無しモドキ 2011/12/30(金) 22:50:43
- 「早く逃げないと、あいつら仲間を呼んでくるわ。いっしょに来て。」女はロジャーの乗っていた馬の手綱を引き
ながら斜面を下っていった。
「おい、オレの馬をどするんだ。話ぐらい聞かせろ。」ロジャーはM1903を持ってあわてて追いかける。
「話は安全な場所に行ってからよ。」女は振り向かずに大声で言った。
馬を連れたジョーが山道にもどると。ロジャーは女の指示で女と撃たれた同行者を荷物を馬の背に載せていた。
「あんたの馬には仲間を乗せて。」撃たれた同行者は、銀髪で日に焼けた精悍な感じのする五十歳前後の男だった。
女は男の腹に着ていたポンチョを押し当てて男を立たせた。ロジャーが手助けして男を馬に乗せる。
「さあ、行くわよ。」
「どこへ。」
女はロジャーの質問に答えず男を乗せた馬の手綱を慣れた手つきで引いて、山道から更に谷底の方へ馬を引いて下
りだした。
その後をジョーとロジャーが必死で追いかける。谷底にくると上流に向かって女は小走りで進む。三十分くらい
走ると、木が覆い被さりちょっと見逃すような谷に流れ込む小さな沢に入った。十分ほど走るとまたより小さな沢
に入る。
「ここどこなんだよ。」ロジャーが情けなさそうに呟く。
「ちょっと休みましょう。」女はようやく立ち止まった。
「何処へ行く。」ジョーが低い声で聞いた。
「助けてくれたから私の村に案内する。」女は軽い口調で言った。
「オレにはていのいい護衛のような気がするがな。しかし、早くしないと連れがやばいぜ。」ロジャーがへたばっ
たような口調で言った。
「そうかもね。あの連中は命なんてなんとも思ってなしね。その連中を怒らせるなんてバカよ。」女は年に似合わ
ずさめた口調である。
「口の利き方が大事だな。」ロジャーも追い打ちをかけるように言う。
「あなたバカよ。なんで相手を侮辱するようなこと言うのよ。」女は撃たれて男に傷を確かめながら言った。
「あの連中とやらは山賊かい。」ジョーが馬からM1903を取り出しながら言った。
「そんなものよ。自分達じゃ、民兵とか言ってるけどね。適当な道路で検問所をつくって通行料を取ったり、勝手
に警備料だといって、集落から物資を徴発してるわ。よそ者や難民が通ろうものなら因縁をつけて物を巻き上げる。
スパイだと決めつけて処刑するって連中よ。脱走兵や、この当たりの食い詰め者が徒党を組んでるの。」女ははっ
きりした口調で説明する。
ジョーがM1903を構えた。女は立ち上がって沢の上流を二三分じっと眺めていた。
「大丈夫、仲間よ。でも、よくわかったわね。」女は感心したように言う。
木々が覆い被さり薄暗くなった小さな沢の奥から銃を持って三人の男が現れた。最後尾の男はロバを連れている。
- 997. 名無しモドキ 2011/12/30(金) 22:51:30
- 「クローイ、この連中は?」オーバーオールを着込んだ三十前後の農夫のような男が怪訝そうに聞いた。
「エイプリル峠を越えたところで民兵の一隊に見つかって襲撃されたの。まさかあんな山奥まで出張ってるとは思
いもしなかったのがいけなかったのね。ちょうど居合わせたこの人たちが助けてくれたの。」クローイと呼ばれた
女は相手を動揺させないためか事務的に言った。
「民兵の一隊ってどのくらいいたんだ。」それでもオーバーオールの男は心配気に聞いた。
「三十人くらいかな。」クローイと呼ばれた女が答えた。
「それを二人でか?」後ろの方にいた、まだ二十歳くらいの男が眉唾そうに言った。
「そんなに居なかったぜ。せいぜい二十人だ。」ジョーが返答する。
「バート、ともかく詳しい話は後よ。お客さんが怪我してるから早く運んで。」クローイという女は指示をする。
男達はあたりの木を山刀で切り出すと、女のポンチョと組み合わせて即席の担架を作って、苦しそうに腹を押さえ
ている男を寝かせた。
「あなた達は自分の馬に乗って。でも、悪いけどこれもしてね。」クローイはジョーとロジャーに目隠しをすると
二人を馬に乗せた。
「レックスもグズグズしないで荷物をロバに乗せて。」クローイは命令口調で言った。
三時間ばかり登ったり降りたりを繰り返して馬は進む。時々、小枝が顔に当たるが避けようがない。途中から小
雨が降ってきて、鳥の声も絶えてしまった。
「今年は雨が多いわね。」ずっと黙っていたクローイが馬の手綱を引きながら初めてしゃべった。
「クローイさん、あんた連れの男が撃たれた時に悲鳴を上げたがあれはわざとだろう。」ジョーが尋ねた。
「何故、そう思うの。」
「連れが撃たれて冷静に見てる女なら、相手は警戒、いや不気味に思って目を離さないだろうからな。」
「いったいどこに行くんだい。目隠しを取ったら地獄の七層目ってことはないよな。」ロジャーが情けない声で言う。
「いいわよ、馬を下りて。目隠しを取って上げる。」馬がようやく歩みを止めるとクローイが言った。
「ヒューーーー、たまげたぜ。」幻想的な風景にロジャーは感嘆した。
四方を深い山に囲まれて森に覆われたこぢんまりとした盆地。先ほどの雨が上がり、夕日が見事な虹をその上にか
けている。
深い森の所々に小さな家々が見える。これらの家は四方の山から見れば森に隠されて見えないだろう。
森の隙間の少しばかりの空き地は耕作地として利用されているようだ。お伽の国のような光景である。
「ようこそテラビシアへ」クローイは微笑んで言った。
ロジャーは森の風景をバックにしたクローイの黒髪と白い肌、赤い唇を見て「白雪姫」みたいだなと思った。
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最終更新:2012年02月07日 19:36