36 :名無しモドキ:2012/01/30(月) 22:35:43
モスクワ通信4-モスクワ方面軍見聞記- その3 満州の丘に立ちて -On the Hills of Manchuria-
                                   на сопках Маньчжурии
1943年2月23日火曜日 モスクワ西方ヴャジマ市

 1942年から1943年の冬季には、ソ連軍とドイツ軍はモスクワ西方250キロから300キロのヴャジマとスモレンスクの
間で対峙していた。ヴャジマは西方よりの侵入軍との戦いを歴史上何度も繰り返してきた。南方軍集団による「ブラウ」
作戦を支援するためモスクワ方面の兵力を拘束しようと、中央軍集団はなけなしの装甲部隊を錐のように突進させてきた。

 そして、ドイツ軍装甲部隊の先鋒は一時ヴャジマに手をかけた。これを撃退するために多大な犠牲を払い、ソ連軍がヴャ
ジマを保持してはいるが、市街地は焼け落ちて地図の上にだけ残った都市になっていた。

 長谷川は真田少将の一行とともに、ヴャジマに駐屯する西部方面軍に属する親衛狙撃師団の小学校を接収した司令部に
いる。モスクワから赤軍の野戦用に改造した軍用乗用車とトラックを仕立てて、250キロを移動するのに三日かかった。

 この前線視察には真田少将一行のなかで技術将校が捕獲兵器の調査のためにモスクワに残り、かわりにモスクワ公使館
の駐在武官が加わった。
 ソ連側はグレベンニコフ中佐、ドルゴフ少佐それにもう一人少佐階級の政治将校、二個分隊ほどの護衛兼監視、前線で
の滞在支援の内務省軍兵員が同行した。

 一日目の宿舎はモスクワ・ヴャジマ間の中間地点であるモジャイスク市の市庁舎の一角を借りた将校用の臨時宿泊施設。
二日目は道路状態が悪く一日目の半分ほどしか進めずに、宿泊は野戦キャンプを設営した。これらはソ連軍における冬季野
戦行動能力について様々なことを諭してくれた。

「同志イオーノフ少将 、これが命令書です。」儀礼的な挨拶がすむと、グレベンニコフ中佐は スタフカ「大本営」より
の書類を師団長のイオーノフ少将に渡した。隻眼隻手のイオーノフ少将は右手で持った書類をしばらく読んでいた。

「できるだけ便宜は図るが、サナダ少将ご一行の視察に関してはそちらで面度を見てくれるのだな。」イオーノフ少将は
ぞんざいに言う。
「はい。そのようにいたします。食事や洗濯もこちらで手配します。ただ宿舎の手配だけはお願いします。それと現場を
案内する人間をつけていただけますか。観戦武官の案内と従軍記者の案内の二人をお願いします。」グレベンニコフ中佐
が丁寧な口調で返した。

「ズボフ中佐、君がサナダ少将らの案内してくれ。ズボフ中佐は地形に関しての作戦補佐を担当しておるから駐屯場所に
は詳しい。従軍記者の案内は下士官でいいか。」イオーノフ少将の言い方はぞんざいでも、真田少将一行の受け入れと指
示は的確にしようとしていることが感じ取られた。

「結構です。従軍記者にはわたしがついていきますから。」ドルゴフ少佐が口を挟んだ。

「滞在予定は三日だそうだが、正直早く出ていってもらいたい。ズボフ中佐も決して暇な人物ではないからな。サナダ少将、
前線ということでご理解お願いできるな。」イオーノフ少将は露骨に言った。

「わかっています。任務の邪魔をするようなことはいたしません。」真田少将は軽く会釈をした。

37 :名無しモドキ:2012/01/30(月) 22:36:20
 ぶっきらぼうな物言いではあるが、長谷川のイオーノフ少将に対する印象は悪くはなかった。軍務と部下に責任を持つ
武辺の人といった雰囲気を感じたからである。

師団の将校団と簡単な交迎と手はずを話し合った後、真田少将一行と長谷川は別行動になった。


-以下はネタ的な話ですので話の流れには影響しません。話のテンポが悪くなると思います方は抜かしてください。-

 長谷川はいつも真田少将に影のようについて歩く無口で気の利かない従卒や、昼行灯のような中尉の背中を見て、何故観
戦武官に選ばれたのか不思議に思っていた。


                      • 特務中尉・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 憂鬱世界では夢幻会によってもたらされた史実にない技術の他に、史実では研究されなかった技術開発も多い。その中に
サヴァン症候群に関する研究がある。サヴァン症候群が広く認知されだしたのは第2次世界大戦後で、科学的な調査は史
実世界では現在でも進んでいるとは言えない。

 サヴァン症候群には色々なタイプがあるが、よく知られているのはなんらかの知的障害ではあるが特定の分野で凄まじ
い記憶力を発揮することだろう。何十万桁の円周率を記憶する、また、一度聞いただけの曲を何百も即座に演奏できたり、
一度見た風景を写真のように絵で再現できたりする人間もいる。

 このような驚異的な能力があっても、残念ながら生活の糧になることはほとんどない。他のことは何もできないが円周率
の34,455桁目の数字をすぐに言えることが役立つ仕事はなく、演奏技法ではプロの演奏家に敵わず、写真のような絵
は写真があれば手軽に撮影できるし、芸術的観点からはプロの画家に及ばないからである。

 それでも自閉症患者の1割はこのような能力を有するとされるぐらい症例は多い。憂鬱日本では夢幻会の後押しもあり、
サヴァン症候群の研究は明治の後半から行われてきた。そして、特殊な仕事で役に立つ能力者の発掘が行われたのだ。

 長谷川が昼行灯のように感じていた中尉は、このサヴァン症候群を持った特務中尉である。彼は人が嘘をついているか
どうかがすぐにわかる能力を持っている。これは超能力ではなく、特務中尉が騙された時の相手の僅かな表情や、言語が
理解内容できなくても声の調子の変化を生まれた時からすべて記憶しており、今、目の前にいる人物の様子が脳内で処理
され嘘を見抜くのである。

 この世は真実ばかり述べる人間など存在しない。二次会に誘われても「ちょっと都合が・・。」「家内が・・。」など適
当につくった理由で断る。相手もそれを察して「それじゃしかたないな。次はな・・。」とかいうことで人間関係を保っ
ている。ところが特務中尉のような人間は「嘘」をつかれたことだけが心に残る。ちょっとした人間関係の妙は理解でき
ない。

 たいていの特務中尉のような人間は極度の人間不信に陥り、益々心を閉ざしてしまう。もともと他人とのコミュニュー
ケーション能力に問題があるため、周囲はその理由がわからずにもてあます。適当な励ましをする。その「嘘」に嫌
気がさす。悪循環である。

38 :名無しモドキ:2012/01/30(月) 22:37:12
 このような症例の者は、かなりの数がいることがわかり、対応の方法が研究されたことで彼らは情報部や警察、検察そ
して軍で職を得ている。生きた嘘発見器である。

 勿論、彼らの存在は秘匿されていることと、裁判でこのことが証拠にされるわけではないが、警察での容疑者の取り調べ、
防諜組織の尋問には大きな力を発揮している。副次的な成果ながら憂鬱世界では日本の重大事件における冤罪発生率は
かなり低い。
 また彼らが行っている調査に組織の健全度の調査がある。組織はコミュニューケーションで動く。上から、下から正し
い種々の情報が飛び交い、適切な判断が現場へと降りてくるとは限らない。

 上司を喜ばせようと善意から誇張したり、てらいや保身から出来ていないことを出来たという情報が上がってくる。そ
の情報を元に指示が降りてくる。その指示も出来もしない支援の約束があったり、指示している方も出来ないとわかって
いることを責任逃れで部下に押しつけてくることもある。

 ある程度は組織の潤滑油のためにこのような事象は容認されるとしても、ものには限度がある。それが組織の健全度数
という数値化されたものを憂鬱世界では日本陸軍が中心になり開発していた。数名の能力者が臨時にある政府組織に配備
されることで、組織の健全度を図り改善計画が立てられていた。

 このことが政府機関で実行されているのは腐敗しない組織はない、上ばかり見て同僚を足蹴にする人間、無能な上司は
常に存在するという夢幻会の性悪説による考え方である。
 本編で夢幻会の会合で他人からすれば変態的な趣味欲望をそのまま公言したり、勢力拡大を画策しても、自身の権力拡大
をはかり他人の足を引っ張る手合いがいないのは、ひょっとしたらこれらの能力者による人物判断の影響かもしれない。

 《さて、特務中尉の背景説明が長くなりました。》ソ連での特務中尉の任務は、もちろんソ連側からの情報提供の虚実の
判断である。首都防衛軍での昼食事件のさいに、真田少将が落ち着いて対応していたのも、組織間の連絡不備が原因で、嫌
がらせでないことがわかっていたからである。

 本来の特務中尉の任務はソ連という社会のなかでの「嘘」の度合いを計測することである。サンプリングとしてはたい
した数でははないかもしれないが、観戦武官という肩書きなら中堅指揮官と多く接触するとことから「ソ連」あるいは
「赤軍」といった組織の健全度を推測できるだろう期待されていた。

 観戦武官となった特務中尉は、第一級の能力の持ち主で、相手の嘘が確信的なものか、苦し紛れか、あるいはその場か
ぎりの適当な嘘なのかも見分けられた。日本での実験では特務中尉はロシア語はできないが、声の調子だけで虚実を判断で
きた。この能力はソ連側との交渉で大きなアドバンテージになる。
 また、特務中尉は驚くべき事に文章は読めなくともその字の特徴から手書きの文章、あるいはサインからでも虚実を見
抜くことができた。



39 :名無しモドキ:2012/01/30(月) 22:38:42
1943年2月24日水曜日午前
「さあ、我々も出かけるか?それともここにいるんならオレの仕事がなくて楽だからそれでもいいぞ。」真田少将一行を
後ろ姿を見送っている長谷川に、ドルゴフ少佐が声をかけた。

「いえ、行きます。ヴャジマの市街地を見て回りたいのですがよろしいですか。」長谷川はあわてて言う。
「いいだろう。ソ連人民がいかに勇敢にファシストを追い払ったかを見せてやろう。ただ、兵士や民間人に声をかける時
はオレの許可を得てからだ。写真撮影も撮る前に聞け。」ドルゴフ少佐は長谷川の動きに関係なく、どんどん司令部の玄関
に早足で向かう。

玄関前には小型の軍用乗用車が停まっており、傍らに四十歳くらいのひげ面の下士官がいた。
「ドルゴフ少佐殿、ダヴィドフ伍長であります。お待ちしておりました。」下士官はドルゴフ少佐の姿を見るとあわてて
敬礼して言った。そして、後部座席のドアを開けて二人を車内に招き入れた。

「どちらまで。」ダヴィドフ伍長はドルゴフ少佐に尋ねた。
「どちらまでとは、タクシーの運転手みたいだな。取りあえずヴャジマの中心地まで行け。」
「はい、戦争前はモスクワ市のタクシー事業部で働いていました。」ダヴィドフ伍長はそれこそ気のいいタクシーの運転
手のように答えた。

「ドルゴフ少佐殿、あなたは運がいい。ちょうど昨日この捕獲車の修理が終わりましてね。やっとこさ走れるようになっ
たんです。でも、まだ所属を決めていなかったので貴方に割り当てられたんですよ。」

「セダンタイプのキューベルワーゲンですね。」長谷川が言う。
「ほう、そう言う名前なんですか。ところでドルゴフ少佐殿、この御仁の名は?」ダヴィドフ伍長は後ろを見て聞いた。

「ハセガワという日本人の記者だ。今日はこいつを連れてあちこち行くぞ。」
「へー、日本人ですか。始めて見ました。日本人ていうのはもっと小さいのかと思ってました。日露戦争の時は殺しても
殺してもアリみたいにゾロゾロ這い出てきたって聞きましたよ。で、小さいので中々弾が当たらなかったて。」ダヴィド
フ伍長はおしゃべりらしい。

「いや、わたしが特別に大きいのです。」長谷川は一寸しらけて言った。

 運転手のダヴィドフ伍長はキューベルワーゲンの調子がいいのか鼻歌を歌い出した。政治将校の前で大胆な奴がいるも
んだと長谷川は感心する。

「”満州の丘に立ちて-на сопках Маньчжурии”ですね。いいワルツ・・だ。」長谷川は最後の方で
言い淀み、後悔してドルゴフ少佐の顔を横目で見た。

ドルゴフ少佐は表情を変えず前を見ていた。

「ワルツなんてわかりませんが、先月、戦死した戦友がよく歌ってたんで憶えちまいましてね。日本でも歌われるんですか。」
長谷川の気持ちも知らずダヴィドフ伍長が尋ねる。

40 :名無しモドキ:2012/01/30(月) 22:39:20
「ええ、そんなに有名というわけではありませんが・・・。」長谷川はお茶を濁した。

”満州の丘に立ちて”は日露戦争に従軍したシャトロフが戦友の死を悼んで作った曲である。史実世界では革命後の干渉
戦争の時に歌詞がつけられて、ソビエトではよく知られた曲になった。また、戦後はベンチャーズが「さすらいのギター
(邦題)」としてリメークし世界的に流行した。
 憂鬱世界では、赤軍に参加したはずのシャトロフが日本へ渡り、二番の歌詞に祖国を追われた白軍兵士が満州の地から祖
国を忍ぶような内容をつけて、白系ロシア人社会で流行った曲である。長谷川が言い淀んだのにはそういった背景がある。

 市街地の道は最低限の幅で除雪されていたが、瓦礫や砲弾孔が完全には片づけられていないので車は人が走るほどの速度
でゆっくり進む。人っ子一人いないわけではないが、時たま見かける者はほとんどが老人か、手足を失った人間だった。

「大方の市民は疎開したのですか。」長谷川はおずおずとドルゴフ少佐に尋ねた。
「ああ、仕事が出来る人間は後方の安全地帯で生産活動に従事している。」ドルゴフ少佐の答えは意味深長だった。

「子供だ。」長谷川が廃墟の片隅に佇んでいる数名の子供を見つけた。
「少し話を聞いていいですか?」

「まあ、いいだろう。」ドルゴフ少佐は大仰に言う。

 五人の十歳ばかりの子が、半壊した商店のような建物の中で立っていた。近づいてくる長谷川とドルゴフ少佐を不安そ
うに見ている。右手のない子、二人は片足で松葉杖で立っている。一人は視力を失ったのか細い杖を持っている。五体満
足そうな子は愛らしい顔をした金髪の女の子だけだった。

長谷川は出来るだけ笑顔を絶やさないようにして声をかけた。
「こんにちは。僕は長谷川といって日本からきた新聞記者です。何をしてるんだい。」

「燃やす木を集めてるんだよ。」そう言った松葉杖の男の子の足下には確かに木材の破片が積み上げられていた。

「そうか、それは大変だね。ところでお菓子いるかい。」ポケットからチョコレートの包みを取り出して、金髪の女の子に
差し出す。女の子は不思議そうな顔をするばかりである。

「カーチャは魂が抜けてしまったんだ。爆弾が爆発した時、”とうちゃん”と”かあちゃん”がカーチャに覆い被さって
助けたんだ。でも、”とうちゃん”と”かあちゃん”は死んでカーチャの魂も抜けたんだよ。」松葉杖の男の子が言った。

「君はカーチャの兄さんかい。」長谷川はチョコレートを松葉杖の男の子に渡した。
「ああ、そうだよ。ミハイルって言うんだ。こっちの松葉杖の子はヤーナ、目が見えないのがガリーナ、手が無くなって
しまったのがユーリーだよ。」ミハイルは長谷川から貰ったチョコレートを割って、名前を紹介しながら他の子に渡した。

「何これ?」ガリーナと言われた目の見えない女の子はチョコレートの匂いを嗅ぎながら聞いた。
「チョコレートっていうんだ。外国のお菓子だよ。一度だけ食べたことあるけど美味しいよ。」ミハエルが自慢げに言う。
「へー、ミハエルの”とうちゃん”は主任だったからな。いいもん食ってたんだ。」片手の男の子がそう言うとチョコレ
ートを囓った。

41 :名無しモドキ:2012/01/30(月) 22:40:12
「うめー。もっとおくれよ。」片手の男の子は残った左手を長谷川に出した。

「ソビエト人民は物もらいではない。よすんだ。」ドルゴフ少佐が叱責するように言う。
「ごめんなさい。」片手の男の子はおどおどとした物言いで謝った。他の子も表情が固くなった。

「この子達の写真を撮っていいですか?」緊張した空気を和らげようと長谷川がドルゴフ少佐に聞いた。
「いいだろう。検閲で通るとは思えないがな。さあ、お前達並ぶんだ。」ドルゴフ少佐は子供達を差配して記念写真のよ
うに並べた。そうじゃないんだけどな、と長谷川は心で呟くとファインダーを覗いた。

「笑え。」ドルゴフ少佐が怒鳴るように言う。

ファインダーには固い表情で引きつったように笑う子供達。カーチャという子だけはきょとんとした顔をしている姿が見
えた。長谷川はシャッターを押した。

「お願いです。その子達を連れていかないで。」女の叫び声がした。道の向こうから中年の着ぶくれた女性が走ってくる。

「レオノバ 先生」子供達は女性の方へ駆け寄る。子供達は女性の背後に隠れるように一塊になった。
「見てのように、この子達は満足に仕事はできません。ですからここに置いておいてください。」女性は何度もドルゴフ
少佐に必死で頼み込む。

「レオノバ先生、心配しないでいいよ。日本の記者が取材にきてるだけだよ。」様子を見ていたダヴィドフ伍長が乗用車
の運転席から声をかけた。
「ダヴィドフ伍長、本当ですか。騙したりしませんよね。」レオノバ先生はまだ信用できていないようだった。

 ドルゴフ少佐はレオノバ先生に近づくと、突然、顔を殴った。レオノバ先生は倒れ込む。子供達はレオノバ先生の回り
を取り囲んで守ろうとする。きょとんとしていたカーチャが泣き出した。

「赤軍兵士の言葉に嘘はない。ソビエト人民なら赤軍を疑うことなどありえない。そして、お前は外国人の前で我が国の
機密をしゃべりすぎる。ここで子供と暮らしたかったら気をつけろ。子供、お前達もよく憶えておけ。」ドルゴフ少佐は
ゆっくり噛んで含めるように言った。

「長谷川、ここの取材はこれまでだ。行くぞ。」ドルゴフ少佐は長谷川の服を引っ張って乗用車に乗せた。発進した乗用車
から振り返ると、レオノバ先生がよろよろと立ち上がるところだった。何故かレオノバ先生がこちらに手を振っている。

「あのレオノバ先生っていうのは知り合いですか?」長谷川はダヴィドフ軍曹に聞いた。ダヴィドフ伍長は後部座席のド
ルゴフ少佐をミラーで見た。ドルゴフ少佐は目をつぶっていた。

「孤児院の先生ですよ。十人ばかりの子供と暮らしてます。他の子は東部へ移転しました。今残ってるのは体の不自由な
子供らだけです。時々残飯を私らのとこに貰いにくるんでよく知ってるんですわ。」ダヴィドフ伍長は間をおいて言った。

「赤軍に残飯などない。人民が生産した物は無駄なく消費するのが人民の軍隊である赤軍の使命だ。」
ドルゴフ少佐は目を閉じたまま言った。
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最終更新:2012年02月07日 03:57