45 :名無しモドキ:2012/01/30(月) 22:42:30
モスクワ通信6  -モスクワ方面軍見聞記- その5 行商人 коробейник
1943年2月26日金曜日 中央ロシア高原中央部の森林地帯

 長谷川が真田少将一行と別れる日が来た。真田少将一行はレニングラード方面の視察を望んでいたが、ソ芬戦争時の日
本機のよる空襲のため市民感情が悪いという理由で、ソ連側が許可しなかった。そのためソ連側の薦めるスターリングラー
ド方面の戦跡を視察することになった。
 真田少将によれば、戦局がもう一つのレニングラード方面より、市街地中心部にドイツ軍を侵入させずに勝利を収めた
とされるスターリングラードを宣伝も兼ねて見せたいのだろういうことだった。

 長谷川は取材許可期日が終了してモスクワに帰ることになった。ヴャジマからモスクワ方面に数十キロもどったグジャ
ーツク(史実世界ではガガーリンと改名)の手前までは定期列車が運行しているということで、ドルゴフ少佐同行で自動
車で向かうことになった。

 真田少将一行は早朝に飛行機で移動するため、グレベンニコフ中佐と後で合流した政治将校とともに宿舎を出発したので
長谷川を見送るのは世話になった親衛狙撃師団の副官と、たまたま司令部に来ていたズヴェルホフスキー少尉だけだった。

「この屋根のない車で出発ですか?」長谷川は幌が折りたたまれたままのソ連製軍用乗用車を見て思わず叫んだ。そして、
着れる物は全部着込んで来いと言ったドルゴフ少佐の言葉を思い出した。

「ああ、これはこれで都合がいいこともある。雪が降って無いときは幌をたたんでうまい空気がすえるからな。」ドルゴ
フ少佐はそう言いながら後部座席に乗り込んだ。うまい空気?最近ようやく気温が上昇しだしたといっても零下10度か
ら20度である。

「ハセガワ、君も早く乗れ。置いていくぞ。」ドルゴフ少佐はすでに後部座席で座り込んでいる。
長谷川はあわてて荷物を車の座席に放り込むとドルゴフ少佐の横に座った。

「よし出発しろ。」ドルゴフ少佐が専用運転手になったダヴィドフ伍長に声をかける。
「国道1号線、モスクワ街道ですね。」長谷川がほっとしたように言う。何しろまともな自動車道はソ連ではモスクワ街
道しか見かけない。

「いいや、モスクワ街道を利用した前線への戦略的輸送状況は軍事機密だから外国人に見せるなと指令があった。」長谷
川の希望を打ち砕くかのようにドルゴフ少佐が言った。
「来たときは通りましたよ。」抗議するように長谷川が言う。
「まあ、誰かが思いついたんだろう。で、バイパスを通る。」

「森の中の道です。きっと美しい冬のロシアの風景を見られますよ。」ダヴィドフ伍長が慰めるように言った。

 2月末というと天候の変化が激しい。出発直後から激しい風雪になった。あわてて乗用車の幌を展開する。風雪はやが
て猛吹雪になる。ダヴィドフ伍長は浅くなった轍を見失わないように早足ほどの速度でゆっくりと乗用車を進ませる。

 二時間ほど悪戦苦闘して進むと雪はすっかり小やみになった。スピードは上がるが重厚なチェーンが前後のタイヤとも
装着されたいるため乗り心地は最悪である。それでも、短い昼休み以外はダヴィドフ伍長は精力的に運転を続けた。

46 :名無しモドキ:2012/01/30(月) 22:43:02
 乗用車は同じような林と小雪原を幾度も抜ける。すると、見渡す限りの雪原に出た。雪がなければ広大な耕地なのだろう。
少し先に一本だけ木が生えているのが見える。後方から装甲車を先頭に五台ばかりトラックが近づいてきた。

「おい、車を停めろ。後ろの連中を先に行かせろ。」ダヴィドフ伍長は急ブレーキをかけながら、一本だけの木の下に自
動車を停めた。通り過ぎるトラックの助手席から不審な物を見るように兵士が長谷川たちの自動車を見て通り過ぎて行く。

「おい、装甲車の先導とは最前線へ向かう輸送隊じゃないのか。なんであんなものに出会う?」ドルゴフ少佐がダヴィド
フ伍長に声をかける。
「申し訳ありません。多分、道に迷いました。」ダヴィドフ伍長が情けなそうな声で言う。

「地図を見ていたでしょう。」長谷川はダヴィドフ伍長に聞く。
「地図は機密ですから下士官ごときには持たせられんのです。持たされたのはこれです。」ダヴィドフ伍長は長谷川とド
ルゴフ少佐に一枚の紙を見せた。
 ヴャジマからグジャーツクまでの手書きの一本の道の表現しかない絵地図だった。地名は道の途中の村落名だけだ。い
くつかの分かれ道の場所が書いてあるので、そのどれかで迷ったのだろう。

「地図は少佐がお持ちでしょう。多分、コンパスも。」長谷川は気を取り直してドルゴフ少佐に言った。
「任務に必要の無いときは地図やコンパスは将校でも持たされない。」ドルゴフ少佐の答えは長谷川の常識を覆した。

「赤軍は地図とコンパスなしでどうやって戦争してるんですか。」長谷川は思わず大声を出した。
「まあ、そう興奮するな。・・多分、この分岐辺りで間違えたんじゃないか。あるいはこれに書いてない道があった可
能性もある。どっちにしても東へ向かったつもりがどんどん南下したんだろうな。」ドルゴフ少佐はダヴィドフ伍長から
受け取った絵地図を見て言った。

「兎も角、来た道を戻れ。おっと、その前に幌をたたもう。」雪がすっかり降り止んだことに気がついたドルゴフ少佐の
言葉に三人は自動車を降りた。

プロベラ音がした。

「行商人だ(коробейник、コロブチカ)」ドルゴフ少佐が空を見上げて叫んだ。

 その途端に前方で爆弾が炸裂した。思わず長谷川は手で頭を押さえて雪に中に突っ込んだ。頭を上げるとさっきの追い
越していった車列が激しく燃えている。突然、その炎の中から特大のロケット花火みたいなものが幾つも飛び出した。更
に何度か誘爆と思える爆発を繰り返して炎と黒煙を上げながら、様々な破片を吹き飛ばしている。

「ロケット弾を積んでたんだ。」ドルゴフ少佐がうめくように言う。

炎と煙の中から車列を先導していた装甲車が黒煙を突き抜けてこちらに向かってくる。

「くそ、また来るぞ。ダヴィドフ、林まで戻れ。」ドルゴフ少佐が襲撃した敵機を見上げて吠えるように言う。
「やって見ます。」ダヴィドフ伍長の言葉に三人はあわてて車に飛び乗る。ダヴィドフ伍長は車を反転させて全速力でも
ときた道を戻り始める。

47 :名無しモドキ:2012/01/30(月) 22:43:34
「ドルゴフ少佐、写真撮っていいですか。」長谷川は望遠レンズをカメラに装着しながら聞いた。
「勝手にしろ。生きていたら後で取り上げてやる。」長谷川はそんなドルゴフ少佐の言葉には反応せず、雪に滑りながら
走る自動車よりも悪路に強い装甲車が、猛スピードで迫ってくる姿を写真に撮った。

「きたぞ。スツーカだ。」ドルゴフ少佐は敵機の動きから目を離さずに言う。
100mほどの距離まで近づいた装甲車に何か黒い物が降ってきたと思うと、ファインダーを覗いていた長谷川には装甲車
が爆発したように見えた。

「あいつまだ爆弾を抱えてるぞ。皆殺しにするつもりだ。」後ろを見ながらドルゴフ少佐が叫ぶ。長谷川は心臓が口から
飛び出るような感覚の中で、もう、ファインダーなぞを覗かずに、こちらに降下してくるスツーカに向かって望遠カメラ
を向けて何度もシャッターを押す。後日この偶然のスナップ写真がとんでもない物になるとは長谷川は知らない。

「だめだ。間に合わない。」ドルゴフ少佐がそう言ったとたんに自動車が左に大きく傾いて横転した。自動車がスリップ
して、ダヴィドフ伍長が少し土手状になった道から自動車をそらしてしまったのだ。長谷川は雪の中に投げ出された。
 投げ飛ばされる途中で長谷川の上を、右翼に爆弾を装備したスツーカがもの凄い低空を通り過ぎて行くのがスローモー
ションのように見えた。そして長谷川は最後のシャッターを押した。

 長谷川は雪の上に大の字になって空を見上げている。長谷川は、オレは爆弾で死ぬんだなと感じた。観念してしまって
不思議と恐怖感はなかった。そして死ぬときに空を見上げていられるなんて幸せかもしれないと長谷川は思った。

 あちらこちらに青空が見えて綺麗だ。でも、どうして爆弾は炸裂しないんだ。長谷川が起き上がったのはスツーカが飛
び去ってから三十秒ほどしてからだった。

                      • 長谷川の上空で・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「ハンスどうしたんですか?急に機銃掃射なんかして。」後部機銃手が驚いて聞いた。
「投下装置の故障だ。折角降下して、もったいないから一連射した。このまま爆弾は抱えて帰投する。」アクシデントに
も関わらず操縦手は冷静に言う。
「まだ機銃弾があります。それでトドメをさしましょう。」
「勝手に自爆したからいいだろう。それより旋回している途中で5キロほど先に、何台かのトラックが森の中に隠れている
のが見えた。値打ちのあるターゲットでゲームオーバーにしよう。三回は掃射するぞ。」操縦手は機体を右方向へ旋回さ
せた。
 後部機銃席ではエルヴィン・ヘンシェル兵長が、生き残っているかもしれない幸運なソ連兵士に向かって軽く右手で別
れの挨拶をした。



 長谷川は横転している乗用車に駆け寄った。横向きになった車体と地面の間にダヴィドフ伍長が挟まれて、血が雪を染め
ていた。長谷川は体の下の雪を手でかき分けて急いで引きずり出す。ダヴィドフ伍長は胸から血を出していた。長谷川は
両手で圧迫した。突然、指の何本かがダヴィドフ伍長の胸にめり込んだ。手の平ほどの穴が開いていたのだ。

 長谷川は脈を取った。ダヴィドフ伍長はこときれていた。即死だろう。長谷川は跪いてダヴィドフ伍長に合掌した。
 すると近くでうめき声がする。急いでその方向へ走り出す。長谷川が投げ出された方向とは逆の方向に、ドルゴフ少佐
が倒れていた。

48 :名無しモドキ:2012/01/30(月) 22:44:11
「ドルゴフ少佐、わかりますか。長谷川です。」急いで長谷川はドルゴフ少佐の横に跪いて言った。
「無事だったか。ダヴィドフ伍長は?」ドルゴフ少佐がまともな声を出したので長谷川はほっとした。
「死にました。機銃で撃たれてます。」

「そうか・・。動けないんだ。背中が酷く痛む。背骨が折れたのかも。多分。」ドルゴフ少佐はかなり痛むのか言葉を句
切りながら言った。

「少し痛いかもしれませんが、僕に診させてください。」長谷川は言いながらドルゴフ少佐の防寒着と軍服をはだけると、
直接手で体を触った。
「わかるのか?」ドルゴフ少佐は痛いのか少しのけぞるように言った。
「ええ、入隊していた時に四級衛生看護免許を取りました。」長谷川はかまわずドルゴフ少佐の体幹をなで回す。

「ハセガワ、絶対にオレを死なすなよ。」痛さをこらえるようにドルゴフ少佐の声は次第に大きくなる。
「オレを死なすなってのはオレの為じゃない。こんな所で得体の知れないアジア人がいれば、悪くてスパイ容疑、よくて
中央アジア出身の脱走兵と思われるからな。ハセガワの身元を証明するオレが必要だ。」歯を食いしばりながらもドルゴ
フ少佐は一気にしゃべった。

「悪くてスパイと間違えられたらどうなるんです。」両手をドルゴフ少佐の下着の下に潜り込ませて、他人が見れば酷く誤
解しそうな姿勢で長谷川は尋ねる。
「早く殺してくれと思うほどの尋問を受けて銃殺だ。」ドルゴフ少佐の声は益々大きくなる。
「よくて脱走兵なら。」長谷川は頭までドルゴフ少佐の下着の下に潜り込ませてながら聞く。
「そのまま銃殺だ。」とうとうドルゴフ少佐は怒鳴った。

「多分、背骨は折れていません。ヒビが入っているんだと思います。ヒビでもとても痛みます。それから肋骨も二三本お
れてます。折れ方が気に入りませんので内臓も損傷してるかも知れません。兎に角、早く医者に見せないと。」
「ちょっと聞くが日本陸軍の衛生兵の免許は何級からあるんんだ。」ドルゴフ少佐はハアハアと息をしながら聞いた。
「五級から上級までです。その上が衛生兵見習資格免許です。」長谷川は事も無げに言う。

「魔女の婆さんに釜で茹でられてろ。」ドルゴフ少佐は吠えた。

 長谷川は横転している乗用車から毛布を引っ張り出すと、雪の上に敷いて少しずつ慎重にドルゴフ少佐を動かし、毛布
の上に寝かせた。
「ねえ、ドルゴフ少佐、ドイツ機の襲撃された時に行商人だ(коробейник、コロブチカ)って言ってましたけどどん
な意味なんですか?」

「行商人は少数、もしくは単機で適当な目標を見つけると襲ってくるやっかいな連中だ。編隊で最初から決めた目標に来
襲するのは隊商(караван、キャラバン)って言っている。」
「死を運ぶ行商人ですか。・・・さあ、これで少しは寒さをしのげますよ。」長谷川は乗用車の千切れた幌をドルゴフ少佐
にかけた。

「ここにいたら友軍がきますか?」長谷川は心配げに尋ねた。
「いつかはな。でも、それまでに凍死するな。」ドルゴフ少佐は無情なことをさらりと言った

49 :名無しモドキ:2012/01/30(月) 22:44:43
「この雪原は多分耕作地だと思うんです。だとしたら村が近くにあるんじゃないでしょうか。」長谷川は楽観的に言う。
「村があれば道路から見えないことはない。この辺りの建物という建物は、去年の秋ファシストが撤退していった途中で全
部焼き払った。多分、村は焼け落ちてそのあたりの雪の下だ。」またしてもドルゴフ少佐の答えは無情だった。

「そうですか。どこか暖を取れるところを探さないと。でも、来た道沿いにはそんなものは見あたりませんでしたね。こ
の先はどうでしょう。」長谷川は諦めずに聞く。

「前線に近づくってことだ。まあ、味方はいるがな。」ドルゴフ少佐は何かを思い巡らすように答えた。
「戻るか進むかは、あなたが判断してください。」長谷川は腹を括って聞いた。

「前線は結構後方まで陣地を展開するから数キロもいけば友軍陣地があるかもしれない。かもだ。確かな方を選択しよう。」
ドルゴフ少佐は目を閉じてしばらく考えてから答えた。
「戻ろう。20キロ程度はあるだろうが分岐点までもどれば交通量は多い。また輸送隊が到着しないという連絡があれば
後方からも捜索隊が出てるだろう。それに、自動車から人家を見落としているかもな。オレの経験じゃ、ファシストも
一軒家みたいなものは破壊せずに見逃していることが多い。」

「少し待っててください。とにかくあなたを移動させる手段を講じないとね。」

 長谷川は無傷な者がいたら助けてもらおうと思い、破壊された装甲車の所に行って見た。爆弾は車体中央部を直撃して
おり、後部にあった法統は完全に吹き飛び車体の前部は原型を残さないほどで単なる鉄屑になっていた。まだ、あちらこ
ちらから炎と煙を吹き出している。油と金属が焼ける臭いに、多分人間が焼ける臭いも混じっている。

 さらに長谷川は最初に攻撃されたトラックのところまで行ってみた。道路に大きな爆発孔があり、その周辺をトラック
の残骸が取り巻いている。原型が残ったトラックはなく、誘爆が凄まじいものであったことがわかる。数十メートル離れた
雪原に人がうつぶせに倒れているのが見えたので行ってみた。

 背中側の防寒具が焼け落ちて、まだ燻る煙を吐き出している。急いで体を入れ替えて仰向けにし、雪で背中の燻りを消
してやった。背中が焼けた兵士は、まだかすかに息をしていた。顔を両手で覆っていたのか、何故か手袋を着けていない手
の甲は酷い火傷だが、顔だけはキレイだった。やっと十代半ばくらいの少年兵だ。

「どうすりゃいいんだよ。」長谷川は途方に暮れて独り言を呟く。兵士が声を出した。長谷川が急いで兵士の口元に耳を
持っていく。かすかな声は暖と水を求めているらしい。長谷川は来ていた外套をかけてやった。
「自分が半分燃えてしまって寒いか。」何度もそう言いながら長谷川は残骸をあさって、へしゃげたアルミの水筒を見つ
けた。

「さあ、少し水が残ってる。火災で温められてるから飲みやすい。」長谷川は兵士に声をかけた。
兵士はもうすでに息絶えていた。

「遅くなってごめんな。」長谷川は、少年兵の口に少し水を垂らした。

 少し躊躇ってから兵士にかけてやった外套を取り上げて着た。長谷川は気を取り直してあたりに散乱している残骸の物
色を始めた。

50 :名無しモドキ:2012/01/30(月) 22:45:30
「ドルゴフ少佐、お待たせしました。」長谷川は持ち帰った荷物の重さに少し息があがっていた。
「買い物にでも行ってのか?」ドルゴフ少佐は真上を見たまま言う。
「軽口叩けるくらいなら大丈夫ですね。焼け焦げてましたけど、救急箱から使えそうな鎮痛剤と消毒液を見つけました。
火にサラされて変質してるかも知れませんが毒にはなっていないでしょう。」長谷川は荷物を雪の上に並べながら言った。

「ハセガワ、薬はお前が自分で試してからオレに使え。」
「それから大戦果は、ロケット弾を運ぶソリです。毛布を使ってなんとか担架ソリとして使えるようにします。ああ、背
中を固定する添え木も持ってきました。」そう言いながら長谷川は拾ってきたロープをハンモック状にソリに張り巡らし
てその上に毛布を敷いた。

「ハセガワ、手際がいいな。」ドルゴフ少佐が少し頭を横に向けて感心したように言う。
「少し痛むかしれませんが、少佐をソリの上に移動させますよ。」

 再びドルゴフ少佐はほんの少し激痛を味わって、ソリの上に仰向けに寝かされた。そして、その姿勢で添え木で体を
固定された。長谷川は急いでダヴィドフ伍長の死体を木の根元の雪の中に埋めて、散乱している荷物をソリに乗せた。

「オレ達が両方ともくたばった時の用心に紙にダヴィドフ伍長の名前を紙に書いてポケットに押し込んでおけ。」ドルゴ
フ少佐は指揮官に徹することにしたようだった。
「認識票があるでしょう。」長谷川は不思議そうに言う。
「認識票というものは知っているが赤軍では使用していない。」

「埋める前に言ってくださいよ。」長谷川はダヴィドフ伍長がせめて春がくるまで万が一にも野生動物に荒らされないよ
うに。地面近くまで雪の下の埋めていた。
「埋めるところなんか見えるもんか。お前が横も向けないように縛ったからだ。」ドルゴフ少佐は長谷川に文句と質問を
した。
「ところでハセガワは拳銃を撃ったことあるか?」

「はい、陸軍の危険地域取材講習っていうので三回ほど。」手でダヴィドフ伍長を埋めた雪をかき分けて長谷川は答えた。
「じゃ、オレのベルトとホルスターを外してもっておけ。ただし、人に向けて撃つな。」ドルゴフ少佐はじっとしていた
ので痛みがやらわいだのか少し元気な声で言う。
「じゃ、なんのために持ってるんですか?」長谷川は顔を上げて聞いた。
「友軍がいたら合図に使うんだ。それから最悪の場合にはオレを撃ってから自分に使え。」

長谷川は雪堀を一時中断してドルゴフ少佐のベルトを外して自分の腰に巻いた。
「ナガン・リボルバーですね。帝政時代の古い拳銃だ。ソ連ご自慢のトカレフとか使わないんですか?」長谷川は取り出
した拳銃を見てドルゴフ少佐に尋ねた。

「あんな物騒な物を持てるか。」ドルゴフ少佐は怒ったように言う。
「オレの外套とハセガワの防寒着を着せ替えろ。赤軍の外套を着てないと狙撃されるかも知れないからな。」
「それも、あなたをソリに移し替える時に言ってくだいよ。」長谷川はトホホといわんばかりの顔になった。

「いま思い出したんだ。着替えさす時に痛い思いをさしたらもっと寒い所に送るぞ。」
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最終更新:2012年02月07日 03:57