163 :名無しさん:2012/02/17(金) 10:19:44
→91-92の続きです。
銑鉄さんの物語とは別方向に進んでいます。




 英領西インド諸島を構成する島の一つ、キューバ島。
 グアンタナモと呼ばれる港町は、その東端に存在する。
 かつてはアメリカ合衆国の海軍基地が置かれていた街だが、そこに目をつけた欧州列強の綱引きの中で一種の空白地となっていた。
 この空白地というものは、実際のところいろいろと利用しやすいものがあり、今ではグアンタナモは列強各国の租界が存在する上海とはまた違った形で国際都市と化している。
 各国の〝黒〟と〝灰色〟が吹き溜まる都市、として。
 そんなグアンタナモの片隅にある桟橋に、一隻の小型艇が船体を寄せた。
 PTボートと呼ばれる旧アメリカ合衆国製の高速魚雷艇。名前はブラックラグーン号。

「ジャパニーズビジネスマンってのは一分一秒を争うエコノミックビースト揃いだって吹かしてた大嘘吐きが〝イエローフラッグ〟に居たな。今からでもぶっ飛ばしてこよう。本物は優雅に船旅してやがりましたよ、ってな」

「はは、死ぬまで何を済ませておこうかな。悩みどころだね」

「……」

 艇に乗り組んでいるのは四人。
 華南系英国人が一人。白系カリフォルニア人が一人。アフリカ系黒人が一人。そして、日本人が一人。
 その人種も国籍も様々な彼らが乗り合わせる艇内は、完全なお通夜ムードが流れていた。

「……」

 気まずい、と人質から一転して腫れ物となってしまった岡島は思った。
 誘拐直後のやり取りの中でパスポートを見せ付けたはいいが、直後から艇内はこの調子だ。
 あの不遜極まりなさは何処へやら、今は死んだ魚のような目でブツブツと呪詛を垂れ流しているアジア系の女性――レヴィ。
 明後日の方向に視線を彷徨わせながら、うわ言を呟いている白人の男性――ベニー。
 少し前に何処かに衛星電話で電話をしたきり、押し黙って操船を続けている黒人の大男――ダッチ。
 どうすればいいのか、岡島には判るはずもなかった。
 ただ一つだけ判っていたとすれば、このムードは問題ということだけだ。
 この世界で日本人は核弾頭よりも慎重に取り扱えと言われていたが、それ故に既に粗雑に扱ってしまった彼らが自棄になって凶行に及ぶ可能性は否定できない。
 何より死人には口が無いのだ。何処の誰がこうしたと言われる前に鮫の餌にしてしまい、後は知らぬ存ぜぬ徹すればなどと考えている恐れもある。

「着いたぞ、とりあえず降りよう」

 岡島が負のスパイラルに陥りかけた時、黙していたダッチが唐突に口を開いた。
 気がつけば、発動機の音が止んでいる。どうやら桟橋に停泊したらしい。

「なあ、ダッチ。このまま世界の果てまで逃げた方が建設的じゃないか? 英国領やドイツ領に逃げ込むって手もある」

「ベニー、いくら尻に帆掛けたって超音速で飛んでくる〝リッコウ〟からは逃げられんさ。諦めてバラライカからの吉報を待とう」

「……次の電話が切り捨て御免の訃報じゃないといいけどね」

 そう言いながら、ダッチとベニーが艇を降りる。未だに呪術師も真っ青な勢いのレヴィも後に続く。

「おい、ジャパニーズ。アンタも降りてくれ」

 ダッチが艇の隅で所在無げにしていた岡島に声を掛ける。

「なに、命は保障するさ。ちょっとしたバカンスだと思えばいい」

「……選択肢はない、か。判ったよ」

 岡島が腰を上げる。
 こんな港に一人置かれていてもロクなことにならないだろうことは、火を見るよりも明らかだった。
 何故なら甲板から窺える港街は、大日本帝国という傘の下で平和ボケした彼にすら〝危険〟が嗅ぎ取れたのだから。
 欧州列強が己の絵の具を縦横無尽に塗りたくった中で、意図して白いキャンバス地のまま残された唯一の街が、ここなのだ

「それはこっちが言いたい台詞だな――ようこそ、掃き溜め(グアンタナモ)へ」

 半分朽ちた英語の地名看板が、海風で揺れた。

164 :名無しさん:2012/02/17(金) 10:20:57
「……もしもし? ブーゲンビリア貿易のヴラディレーナですが、そちらの社長に繋いでいただけますか?」

 執務室の机に掛けた妙齢の美人が、日本製の携帯電話で耳に当てていた。
 人種は白人。パリっとしたスーツに身を包んでおり、一見すればやり手のキャリアウーマンに見えなくもない。
 〝傷一つ見当たらない〟顔の中で異彩を放つ、猛禽類のような瞳を除けば、だが。

「どうも、サトウさん。手短に申しましょう。あの荷物はこちらの方で無事に引き取り致しました。ええ、これでとりあえずは貸し借りは無し……と言いたいところですが、少々問題が」

 彼女の口がそこまで話したところで、傍らに立っていた大柄の白人男性が少し表情を強張らせた。
 普通ならば、キャリアウーマンの商談が上手く行くかどうかにやきもきする秘書、といったところなのだろうが、それにしては何かがおかしかった。 

「はい、現地雇用人員を利用したこちらの不手際です。最悪、処分は覚悟しております」

 いよいよおかしい流れである。
 白人の男も、一閃の傷が走る顔を歪めた。
 それはまるで地獄の審判を待つ罪人のようだった。

「……そうですか、解りました。では到着まで必ず」

 ピッ、という小さな電子音。
 携帯電話がキャリアウーマンの耳元を離れ、彼女は小さく息を吐く。

「安心しなさい。私の首はまだあるわ」

 彼女の言葉に、白人の大男は大きな溜め息を吐き出した。
 先ほどとは打って変わり、彼は安堵の色を顔に浮かべている。

「肝が冷えますよ、大尉」

「向こうもそこまで傲慢じゃない、ってことね。多少は目を瞑ってくれるそうよ。それと仕事はまだ終わってないわ」

 くるりと椅子を回し、キャリアウーマンが席を立つ。

「――カリブに散らばらせていた人員をすぐに呼び戻せ。陽動警戒の必要はもう無い。東米の傭兵共が動いた」

「! ……了解です(ダー)」

 鋭い声色に、白人の大男がすぐさま動き出す。
 部屋から出て行く大きな後姿を見送りつつ、キャリアウーマンは葉巻を銜えた。
 オイルライターの火が踊り、葉巻の先端から紫煙が燻り始める。 
 確かに彼女の首はまだ繋がっている。しかしこの先が肝心だ。
 間違い一つで首が一つや二つでは足りない事態になり得る。
 自分の首は今更惜しくないが、また自分達が祖国を失う羽目になるのは御免被る。

 かつての祖国に裏切られ、行き場をなくした自分達を拾ってくれた双頭の鷲。
 そして、その双頭の鷲が白樺に巣を移すまで枝を貸し与えてくれていた桜の木。
 この二つは何に変えても守り抜く。あの時、彼らはそう誓ったのだ。

「止まり木は守るわ。白樺だろうと、桜だろうと」

 ロシア帝国国家保安庁防諜局、非公式外局こと〝ホテル・モスクワ〟米南支部長。
 バラライカの通称で呼ばれる彼女は、こうしてカリブの一角で動き出す。

165 :名無しさん:2012/02/17(金) 10:36:03
※ここまでの登場人物

ロック ―― 日本人。哀れこの世界でも拉致られる。彼の明日はどっちだ。
レヴィ ―― 華南系英国人。香港生まれの香港育ちだが、紆余曲折の末にグアンタナモに。
ダッチ ―― アフリカ系国人。アルジェリア出身でフランス外人部隊としての従軍経験有り。
ベニー ―― 白系カリフォルニア人。腕利きのハッカーだが共和国警察とマフィアに追われて彼らも手出しできないグアンタナモに逃げてきた。
姐御 ―― ロシア国家社会主義共和国東部、ソ連継承者を自称する軍閥が実効支配していた地方出身。
          共和国軍による掃討戦の最中、軍閥上層部に裏切られ、部隊ごとロシア帝国に亡命し、ロシア帝国国家保安庁非公式職員となった。
軍曹 ―― 姐御軍人時代の元部下。現在はロシア帝国国家保安庁非公式職員として引き続き姐御の部下。

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最終更新:2012年02月25日 23:20