576 :名無しさん:2012/02/20(月) 20:37:22
「それで連絡はついたのか?」
「いや、駄目だった。何度も本社に連絡したけど、ずっと回線が込み合った」
「それはお気の毒だな。だが安心しろ、あたしらがしっかりお届けしてやる。こっちも明日の朝日は拝みたいからな」
ウィンドワード海峡。
キューバ島とイスパニューラ島の間に存在するその海峡を、白波をたてて進む魚雷艇の姿があった。
カリブ海を根城にする海賊まがいの運び屋――ラグーン商会が保有しているブラックラグーン号である。
艇には数時間前にグアンタナモへ帰港した際と変わらず、四人が乗り組んでいる。
華南系英国人が一人。白系カリフォルニア人が一人。アフリカ系黒人が一人。そして、日本人が一人。顔触れも変わってはいない。
唯一変わっている点を挙げるならば、帰港時の陰鬱とした空気が払拭されている点だろうか。
「ところで俺は何処に連れて行かれるんだ?」
「ポルトープランスだよ。波に揺られていれば、すぐに着くさ」
ロックの問いに、レヴィが答える。
イエローフラッグでEO社傭兵の襲撃を退けた彼らは、怨嗟の篭った激しい罵声――声の主はもちろんバオである――を背に浴びつつ、店を後にした。
雇い主であるバラライカの指示に従い、英領イスパニョーラ島のポルトープランス空港にロックとデータディスクを運ぶためだ。
ちなみに空港ならばキューバ島内にも存在したが、グアンタナモを除くキューバ島全域は大英帝国の完全な施政下にあり、彼らのような存在が動き回るにはいささか不便であった。
故にキューバ島ほど監視の目が完璧ではないイスパニョーラ島が選ばれたのである。
「それにしても、あの東米人は傑作だったな。捨て台詞を叩き売りしながら逃げるとは器用なこって」
あの東米人、というのは酒場で彼らを襲撃したEO社傭兵の指揮官のことだ。
手勢をレヴィと後から参戦したダッチの二人にシューティングゲームもかくやと打ち倒され、慌ててダース単位の捨て台詞を吐きながら逃げていったのだ。
EO社は比較的〝戦争ができる〟会社と聞き及んでいたが、これでは看板倒れもいいところだろう。
腹を抱える一歩手前、といった感じでレヴィは笑う。
『楽しそうな話をしているところ、すまないね。悪い知らせだよ』
その時、艇内通信のスピーカーが鳴った。
船室でレーダーを運用しているベニーからの通信である。
「どうしたんだ? 英海軍か、EU海軍でも出張ってきたか?」
『八時方向から〝何か〟がこっちに向かって飛んできてる。多分、ヘリコプターだ』
「……! レヴィ!」
「あいよ!」
ダッチの言葉にレヴィが双眼鏡を引っ掴み、船外に通じるハッチを開ける。
〝何か〟が飛んできているらしい方向を向き、彼女は双眼鏡を覗き込もうとするが――
「おいおい……なんだ、ありゃあ?」
――そうするまでもなく、〝それ〟はそこまで迫っていた。
唖然としているレヴィの横から、気になっていたらしいロックが顔を出し、同様に唖然とする。
そこには特徴的な双ローターで空を舞う、一機のヘリの姿があった。
577 :名無しさん:2012/02/20(月) 20:40:41
「何かに掴まれ!」
ダッチの怒声。咄嗟にロックとレヴィは近くの手摺りを掴む。直後にブラックラグーン号が大きく傾き、船体が右へと逸れる。
そして数秒前まで船体があった水面を、ミシン縫いするかのような砲撃が吹き飛ばしていった。
「くそっ、なんてこった! <ヤクトフント>だ!」
操舵室のガラスの向こう。海上スレスレをフライパスしていく襲撃者。
Fa-666<ヤクトフント>攻撃ヘリコプター。それはドイツ第三帝国のフォッケ=アハゲリス社が開発した〝鋼鉄の猟犬〟であった。
「連中、あんなもん引っ張り出して戦争でもおっぱじめる気か?」
「〝撫子ちゃん〟を相手にするなら、それくらい気合入れねェと駄目だってことだな! 」
傭兵企業に払い下げられる程度の旧式機とはいえ、機首の三〇ミリ機関砲や翼下に吊り下げたロケット弾という〝牙〟の輝きは微塵も衰えていない。
同じ旧式とはいえ、ニューオーリンズ港の隅にただぼんやりと浮いていたものを頂戴し、ニコイチで無理やり現役復帰させたブラックラグーン号とは雲泥の差であろう。
そうこうしている間に<ヤクトフント>が再び攻撃態勢に入り、海面を舐めるような低空でこちらへと向かってくる。
その<ヤクトフント>の兵装手席――ガンナーシートには、見知った顔が座っていた。先ほど、イエローフラッグから尻尾を巻いて逃げ帰ったEO社傭兵の指揮官だ。
「あんの野郎! 面白がってないで、頭吹き飛ばしておけばよかった!」
レヴィが悪態を吐いた刹那、またもブラックラグーン号が大きく傾く。
火線がその横を薙ぎ払い、カーテンのような水柱を立ち昇らせた。
右へ左へ、左へ右へ。
<ヤクトフント>の機関砲弾やロケット砲弾が舞う度に、ブラックラグーン号は赤い靴を履いた少女の如く、踊ることを強いられる。
そうして踊り続けねば、次の瞬間には首切り役人(ヤクトフント)が赤い靴(ブラックラグーン号)を切り裂いてしまうだろう。
「何か無いのか! 機関銃とか、地対空誘導弾とかは!?」
「残念だが、携SAMは積んでない。お値段が張るんでな。んでもって軽機関銃ならあるが……そんな〝豆鉄砲〟でアレを撃ち落とすのは無理だ」
ロックの希望を、ダッチが否定する。
<ヤクトフント>は本来、降下猟兵に随伴した近接航空支援を担うために、世に送り出された機体だ。
その装甲は重機関銃ですら跳ね返す強靭な代物。最早、空飛ぶ戦車と言っても過言ではないだろう。
現に七〇年代末から西ロシアで繰り広げられた軍閥掃討戦では彼らの対空砲火を物ともせず、悠々と陣地を掃除する芸当すらやってのけている。
つまるところ、軽機関銃弾程度では蚊の一刺しにすらならないのだ。
578 :名無しさん:2012/02/20(月) 20:41:16
「それにしても趣味が悪い野郎だ。こっちを甚振って遊んでやがる。神になったつもりか?」
「まさかあんなクソに生殺与奪権を握られちまうとは、あたしも思わなかったよ」
ダッチとレヴィが忌々しそうに悪態を吐く。腹立たしいことに、それは紛れもない事実であった。
今の今まで抵抗の術を持たないただの魚雷艇が攻撃ヘリから逃げ切れているのは、向こうが遊んでいるからに過ぎない。
そうでもなければ、当の昔に彼らは鮫の餌になっているだろう。
そして、それは同時に向こうが遊びに飽きれば彼らは海の藻屑になることを意味していた。
「……レヴィ、この船には何が積んである?」
その時、ダッチと同じく空を舞う<ヤクトフント>を忌々しげに睨みつけていたロックが口を開いた。
「藪から棒にどうしたんだ、ロック? 生憎、奴を落とせる魔法のステッキはないぞ?」
「良いから教えてくれ」
「……あー、はいはい。ブレンガンが一挺にショットガンと拳銃二挺ずつ、それと銛打ち銃。この間、ちょっくら掃除しちまってよ。武器になりそうなのはこんなもんだ」
レヴィが船倉に並んでいるだろう銃器を思い出しながら言う。
少し前までならもう少し種類が揃っていたのだが、荷が多過ぎると船足に響いてしまうので、先日いくつか船から降ろしたばかりであった。
あの〝猟犬〟に対抗できそうな唯一の重火器であったパンツァーファウストも、その時に降ろしてしまっていた。
悪いことは重なるもんだ、とレヴィの中で乾いた笑いが込み上げそうになる。
「軽機に散弾銃に拳銃と……銛打ち銃?」
そんな彼女の脇で配管を掴んでいない方の手で頭を押さえて考え込んでいたロックだったが、不意に顔を上げた。
「銛打ち銃の飛距離は?」
「あん? まあ、あんだけ低く飛んでりゃヘリにも届くだろうが、流石のあたしでも操縦席を狙い打つ真似は厳しいぞ?」
「いや、そうか、そうか……それなら、ワイヤーは? 出来るだけ長いヤツ」
「それなら艤装に使う鋼線が……ん? おい、まさかお前」
そこまで口にして、レヴィはロックの言わんとしていることを理解する。
馬鹿げたことだとは思わない。むしろ、彼がこの場でその解答を即興で導き出したことに感心さえしてしまった。
驚きに目を丸くしているレヴィに対し、ロックが引き攣った笑みを向ける。
「馬鹿げた発想だけど、やるだけやってみてくれないか? 向こうがこちらを狩るだけの鼠だって思ってるなら、その鼠にも歯があることをまずは思い出させてやる」
かくして、鼠は猟犬に立ち向かう。
(続け)
最終更新:2012年02月25日 23:21