- 632. 名無しモドキ 2011/11/25(金) 23:15:09
- 「アステカの星5」 −涙の旅路(Trail of Tears)− part1
1943年4月9日 テネシー州北東部アパラチア山脈西麓
テンシー州ノックスビル西方キングストン郊外の田舎道から脇にそれた目立たない小径を入ると、一寸した森に囲まれ
て世間から隠れるように建っている古びた二階建てのそれなりに由緒がありそうな民家がある。その家の前に、これも古
びて由緒のありそうな小型の郵便トラックが止まった。
「ここが目的地よ。ロジャー、ありがとう。これでもう思い残すことはないわ。」トラックから降りてきた五十年配の痩
せた女が白髪の交じった赤毛を掻き上げながら嬉しそうに言った。
「ステイシー先生、本当にいいんですか。」US-MAILと背中に描かれたジャンパーを着たロジャーが重そうなトランクを抱
えながらトラックから降りてくる。
「ここが私が生まれて、十八まで育った家よ。母さんが死んでからもう五年も帰っていなかった。本当に、ありがとう。
わたしはこれで何処とも知れないアメリカの荒野じゃなくて自分の家で死ねるのね。」ステイシー先生と呼ばれた女性は深
呼吸するとドアの鍵を開けた。
「今のアメリカじゃ死に場所を選べるのは贅沢かもな。」遅れてトラックから降りてきたジョーがタバコに火を付けながら
呟くように言った。
「ジョー、縁起の良くないことを言わないでくれ。」早くもトラックから荷物を降ろしながらロジャーが真顔で言った。
三人はトラックから荷物を降ろす、五年間無人だったため少しかび臭い匂いのする家に入った。
「今日は、何もしないで食事をして寝ましょう。電気が来てないから日が暮れると真っ暗になるからね。」ステイシー先生
はソファーなどの家具を保護していた布を取りながら先生口調で指示するように言った。
「ここに来るとき、馬鹿でかいダムが見えたぜ。」ジョーは、ステイシー先生から渡された布をたたみながら聞いた。
「TVAっていえばみんな電気って思ってるのね。見えたのはワッツバーダムよ。ルーズヴェルトが倒れてから起工が計画より
遅れていたのに去年から突然工事を急ピッチで進めたの。でも、中途半端なとこで津波、で戦争が始まって工事は止まった
きりよ。まあ、川の中に大きな障害物を作っただけよ。」フッと鼻で笑うようにステイシー先生は答えた。
「五年ぶりなのによく知っているな。」ジョーはたたんだ布をステイシー先生に渡した。
「近くに時々文通している高校時代の友達がいるから教えてもらったのよ。」ちょっとうんざりするような口調でステイシ
ー先生は言った。
「なんだよ。そんなことより飯にしようぜ。」ロジャーが缶詰とクラッカーの箱を机の上に並べながら言う。
アステカの星ことジョン・・ベーシロンとその相棒ロジャーが東部に隣接するテネシー州の山奥にいる顛末はサクラメン
トのシェルドンロードに面した一軒家から始まる。
「ここは平和だな。」ジョーは前を向いたまま足の歩みを止めずにロジャーに話しかけた。
「ジョー、あの角の家の前だ。」
「どうしてわかる?」
「家の前に並木があるだろう。この視線で見ないと枝に隠れる。地面から10フィートばかりのところ見えるかい。」ロジャーは中腰に
なって木の中程を指さした。
「ああ、幹に十字のマークが彫ってあるどういう意味なんだ?。」ロジャーに肩を押されて同じように中腰になったジョーが訊ねた。
「ちょっと慈悲深い家だ。いきないり警察を呼んだりしない。って意味さ。今じゃやってくるのは自警団だから余計にやばしな。まあ
天変地異と戦争以来余裕もなくなったきてるから十字一つじゃあてにならないけどな。」
ロジャーが言う十字一つとは浮浪者同士の暗号記号である。十字一つの家は「家主が機嫌がよければまあまあ何かしらの施しが期待
出来る家」、十字ふたつは「大いに施しが期待出来る家」、十字みっつは「神様級のお人好し」である。勿論、近づくなといった警告
の記号もある。
- 633. 名無しモドキ 2011/11/25(金) 23:18:18
- 「まあ、試してみるさ。」そう言ううとロジャーは身だしなみを整えて少しばかりの芝生を横切ってドアの横にあるブザーを
押した。やがてドアが開いて出てきた年配の女性とロジャーは、しばらく無言で見合った。
「ステイシー先生」ロジャーが先に口を開いた。
「やっぱり、ロジャーね。よくきてくれたわね。でも、どうしてここがわかったの?」ステイシー先生はロジャーを抱きしめ
て言った。
「あのー、実は・・。」ロジャーはそう言うとステイシー先生の耳元に何事か囁いた。
「そうなのね。浮浪癖ね。でも、就職しったて聞いたけど。ひょっとしてクビになったの。<<469-470・・・。」ステイシー
先生も抱き合っているにしては大きな声を出した後で、ロジャーの耳にキスをするような仕草で囁き返す。
「まあ、そんなものです。もうそろそろ離してくれませんか。それに僕だっていつまでも小学生じゃありませんから。」ロ
ジャーの懇願にようやくステイシー先生は背中に回していた手を離した。
「おや、お知り合い?」ステイシー先生はようやくジョンに気がついたように聞いた。
「ええ、相棒のジョンです。ジョー、この人はステイシー先生って言って、俺が孤児院にいたころの付属小学校の担任です
ごく世話になった人なんだ。で、ステイシー先生、あのー。言いにくいんでけど・・。」ロジャーはジョーとステイシー先
生を交互に見ながら一気にしゃべった。
「いいわよ。中にお入りなさい。ちょうど夕食の準備を始めていたの。ついでに二三日泊まっていく?」
「でも、俺たちそれなりに食いますよ。」
「心配しないで貴方の同級生のボブやテッド、それに、もっと年上の何人かの卒園生が定期的の食糧を差し入れてくれるの。
生鮮食料品なんか食べきれないくらい。それに、ボブやテッドだって貴方が食べるっていったら喜ぶわよ。」そう言ったステ
イシー先生の言葉は本当だった。ジョーでさえ夕食を見て口笛を吹いた。
「ステイシー先生、もう長居し過ぎた。明日出て行く。ありがとう。」 二三日が一週間になった日にジョーが言った。
「その顔じゃ、引き留めても無駄ね。いいわ。貴方は人に借り作るのが嫌いなようだから、私のお願いを聞いてくれる。でも、
とっても難しいお願いだから断ってもいいの。」
「聞こう。」
ステイシー先生の願いとは、ほんの数ヶ月前ならたやすく、現在のアメリカではとんでもないものだった。五年前に連れ添っ
た夫が病死して子供もいないステイシー先生は、なんの未練もなくなったカリフォルニアで死んだように生きるよりは生まれ
故郷のテネシーの山奥の実家に帰りたい。そしてそこで余生をおくりたい。たとえ余生が短いものになろうとも、故郷で死に
たいというものだった。
「ジョー、これは難問だ。おれたち二人ならなんとかなるかもしれないが、教室の世界しか知らないステイシー先生を連れてっ
ていうのは無理だ。」話を聞いたロジャーはハナから否定的だった。
「ロジャー、あの先生は一筋縄じゃいかいな。教師にしておくのがもったいないくらいしたたかだ。」
「おれはステイシー先生とは十年以上付き合いがあるんだぜ。そんなことはないと思うけどな。」
「ハナから教師、先生だと思っているからその印象で人を見てしまうのさ。おれは先生としてのステイシー先生を知らない。
だからわかるのさ。まあ、無理そうだった途中で引き返せばいいさ。何しろ3000マイルも道中はあるから引き返すかどうか
考えるには十分な距離だ。」
「ありすぎだぜ。」
いつもなら行き当たりばったりの二人だが、今回は入念に計画を立てて準備もした。まず、ステイシー先生の車、比較的
燃費のいいシボレーマスターに乗ってカリフォルニアからオレゴン州に入る。この州境はまだ封鎖されていないが身分証明書
の提示がいる筈だった。そこで、ジョーとロジャーはステイシー先生の卒業生の伝(つて)で偽造証明書を入手した。
- 634. 名無しモドキ 2011/11/25(金) 23:22:16
- オレゴンからいよいよ内陸部に向かいアイダホ州へ方向を向ける。独立傾向を強めるオレゴンはアイダホとの州境を国境
並みに厳重に封鎖している。旅の難関の一つ目である。そのためわざ北部のロッキー山脈を通過してアイダホ州に入るする
ルートを選ぶ。積雪のために封鎖されているため警備の甘い山道が何本か有るはずとふんで、そこをこれまた自動車修理を
している先生の教え子から入手した特性のチェーンを装着して自動車で行けるかぎり走破する。
運がよければ自動車でアイダホ州に入る。運がなければ徒歩でアイダホ州に入る。徒歩の場合、雪深い山道の踏破になる
が地図で三日ほどの行程と計算した。人出の足りないオレゴン州は全ての道に検問所を出してはいない、特に通行が難しい
ルートは警備が甘いとの判断だった。
この判断は半分当たっていた。スリップして谷底に落ちかけたり、スッタクして200ヤード進むのに5時間もかかったこと
を除いて。ところが峠の州境には検問所があった。これは、当初から考えていた猿芝居で切り抜ける。まず、自動車を道路
脇の林の奥に隠す。タイヤ跡も丁寧に消し去る。それができたところで、ロープをつかってロジャーが道脇から谷底に降りて
徒歩でアイダホ州に入り逆にアイダホ州方面から峠への道を登ってくる。
当然、呼び止められる。するとロジャーが愛想笑いで説明を始める。夏にこの先で自分の自動車がバッテリーの故障で停ま
ってしまった。その時はヒッチハイクでアイダホにもどったが津波や戦争騒ぎで自動車を取りにいくことができなかった。よ
うやくそのバッテリーが手に入ったからオレゴン側にある自動車を取り行かせてくれと、説明しながらタバコや缶詰を二人ば
かりいる退屈そうな検問所の警備員の前に並べた。
二人はしばらく話し合っていたが一人の警備員がロジャーに同行することになった。ロジャーは自動車の所にくると背負っ
たいたリュックの中からバッテリーを取り出す。前のバッテリーはひょっとして自動車が盗難にあってはと思って持ち帰った
と聞かれもしないことをしゃべりながらバッテリー取り付けの作業をする。
もちろんこのバッテリーはもともと自動車に装備してあったものを取り外してロジャーが持ってきたものである。手際よく
ロジャーがバッテリーと同じように外して持ってきたチェーンを装着すると自動車のエンジンは軽快に動き出した。
ロジャーは数ヶ月ほっておいても始動する車の性能にびっくりする警備員を助手席に乗せると検問所に戻り、二人の警備員
に手を振ってわかれを告げながらアイダホ州への道を下っていった。ジョーとステイシー先生はトランクと後部座席の荷物の
中に隠れていたのだ。このように幸運が味方したのか自動車を失うことなくアイダホ州にはいれた。
大きな問題はここからだ。まず、更に東の地域ほどではないが治安が悪化している。そのため各コミュニティーが自警団を
組織して道路を封鎖している。これは正攻法で突破する。三人はテネシー州の故郷に帰る途中の家族だ。だから通して欲しい
と。本物のステイシー先生の身分証明書に合わせて、ジョーとロジャーの偽証明書もテネシー州出身になっている。
なんと三人は親子を名乗っていた。ステイシー先生とロジャーはなんとなく似ているので実の親子、ジョーは先妻の子でス
テイシー先生とは義理の関係、ロジャーとは異母兄弟ということにした。人にいろいろ聞かれた時のために、ステイシー先生
が持っていたあまり流行らない児童書の中から似たような境遇の子の話を三人で暗記して、互いに質問して話がずれていない
か修正していった。これはステイシー先生の案だった。
いくつか検問所は事情を聞いて「気をつけてな。」と通してくれ、また、いくつかの検問所は長い間待たされたあげく、顎で
「行け」と指示され、そして、いくつかの何が何でも通行まかりならないという検問所があった。しゃくなのでこんな検問所で
はステイシー先生とジョーがかみついている間に、ロジャーが近くに止めてある車からガソリンをいただいていた。このように
アイダホ州の中を行きつもどりつしながら四日目にモンタナ州との州境に到着した。
- 635. 名無しモドキ 2011/11/25(金) 23:27:47
- アイダホ・モンタナ州州境はアイダホ側には正規の数人の州政府役人と、保安官に率いられた弾銃やライフルで武装した
近隣の住民数十人が東からの越境者を力ずくで追い返していた。ジョー達は州内と同じような説明をすると意外にあっさり
と越境を許可してくれた。ただ、一度ここを通過すると逆は難しいという言葉とともにだが。モンタナ側には誰もいなかっ
た。もともと州の人口が少なく混乱しつつある州政府には東側からの難民を阻止することが精一杯で西側の州境へまで注意
をはらう余裕がないのだろう。
同じようにモンタナ州からノースダコダ州、そしてミネソタ州へも入れた。ミネソタに入ってジョー達は初めて道ばたを
徒歩で移動する難民を目撃した。3月も半ばというのに小雪が時折舞い散る中を断続的に数人ほどのグループに分かれて一
マイルばかり精気を失い、うつろな目で歩く難民の群れが続いた。ジョー達の車が通過しようとすると力なく手をあげて何
かを乞う仕草の者もいた。道端で座り込んだり、また雪の中に倒れ込んでしまっている者もいる。
「涙の旅路だな。」ロジャーが呟いた。
「何かの比喩か。」ジューは難民の動きから目を離さずに聞いた。
「いや、涙の旅路(Trail Of Tears)は歴史上の出来事よ。1830年に連邦政府はチョロキー族との条約を破って彼らを居住
地から追い出してヴァージニア州に併合したの。厳寒の中、ミシシッピの西へ移動する彼らのうち一万人近くが死んだの。
英語を習い、キリスト教を受け入れていた二万人のチェロキー族がよ。」後部座席のステイシー先生が説明した。
「先生が歴史の時間に教えてくれたんだ。時々、神はいないのかって罵る奴がいるが、この数ヶ月で俺は神を信じるように
なったよ。神は万人に公正なお方だ。不正はいつか正される。」ロジャーも難民に対して神経を切らさずに答えた。
「祖先の罪悪を子孫が償うのか。」ジョーがかわいた口調で聞き返す。
「祖先のおかげでいい目をしてきただろう。」ロジャーも感情を押し殺したような口調で答えた。
「ところで先生、ずっと聞こうと思っていたんだが、そのカメラで観光旅行気分で撮影しているじゃなさそうだが。」
ジョーがカメラを構えて難民を撮影しているステイシー先生に聞いた。ステイシー先生はこの旅路がはじまって
から時折カメラを持ち出しては風景や通過する町、危険がないような時には検問所の様子などを撮影していた。
「このことは誰かが記録していないといけないの。一枚の写真が歴史を雄弁に説明してくれることもあるの。」そう
言ってステイシー先生は難民に気づかれないようにカメラのシャッターを押した。
一人の若い男性の難民が道路を外れると、近くの土手に駆け上がって遠くの方に合図するように自分が着ていた
上着を振り回した。
「気にいらないな。」ジョーは横目で男を見ながら言った。
「どうする。」ロジャーの口調が緊張する。
「その先のカーブで難民から見えなくなったら右側の荒れ地に乗り入れろ。それからロジャーと俺は降りてタイヤ
の後を消してながら行くから、ステイシー先生運転してくれるかい。」
「どこまで行くの。」二人のただならない様子にステイシー先生も不安げに聞いた。
「先に見えている丘の麓だ。すまないが車に傷がつこうが適当なブッシュがあったら中に押し込んで隠してくれ。」
半マイル近くを急いで木の枝でタイヤと足跡を消してジョーとロジャーが丘を駆け上がるとステイシー先生が双眼鏡
で様子を見ていた。
「後続の難民よ。数百人はいるわ。」
三人は腹ばいになって隠れながら難民たちの様子を見張った。
「さっきの若い男だ。」ステイシー先生から双眼鏡を受け取ったジョーが呟いた。
「後続の難民たちに何か説明している。こちらと反対側を手で示している。」ジョーは小声で様子
を二人に教える。
難民達は数十人づつが道路の左右に分かれて歩き出した。一群がジョー達のいる丘を目指して歩い
てくる。
「すごくまずいな。入念に車を隠して徒歩で逃げようか。それとも車で強行突破するかい。」ロジ
ャーがジョーの方を向いて不安げに聞く。それに対してジョーは黙ったまま耳をすませて何事かを
待つような顔をしていた。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−つ づ く−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
レスが多くなってしまうので一応切ります。次のレスはここまでの道中です。
- 637. 名無しモドキ 2011/11/26(土) 00:03:46
- 行程図の訂正
カリフォルニア→(北へ)→オレゴン→(東へ)→ロッキー山脈→(ここからカナダ国境沿いの州を東へ)→アイダホ→モンタナ→ノースダコダ→ミネソタ
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最終更新:2012年02月07日 19:33