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inferiority complex ~泉こなたの場合~

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tfei

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執筆日 2007年12月27日
備考 inferiority complexシリーズ第1弾にしてらき☆すた関連テキストの第1弾。
   4コマ漫画のキャラクターにどこまで深い文章が書けるのか?実践。



inferiority complex
~泉こなたの場合~


彼女は、要求していた。

この18年半の人生を振り返ってみて、寂しくなかったと言えば嘘になる。
写真でしか見たことがない母。直接話してみたい、と思ったことも少なからずある。
母親のぬくもりが欲しいと思ったこともないわけではない。

父親は、そんな自分をいつも(表面には出さないにせよ)気にかけてくれた。
片親である娘に、寂しい思いだけはさせたくない、と。
小説の苦手な彼女は、父親の作品というのをあまり読んだことがない。
それでも時々、父の書いた小説を開くと、
自分には到底作り出せないような世界が広がっていることを、彼女は感覚的に知っていた。

そして、それが自分のために――お金を稼ぐ、という意味だけでなく――作られたものであることも。

あまり今の友人達に話すことはないが、中学まではあまり友達は多くなかった。
自分がマイノリティであるのは分かっていたが、それを受け入れてくれる土壌
(という呼び方は相応しくないのかもしれない)がなかったこともまた確かである。
あまりに愚かしくエゴイステイックな理屈だ、と、彼女はその考えを自ら一蹴してしまったが。

しかし自分が間違った道を選んだとは思っていない。
間違っていたのなら、オタクなどやめて、グレてしまえば良かったのである。
そうしたいと思ったことは一度たりともなかったのだから、結構自分の置かれた境遇を楽しんでいるのだろう、
と嘲笑する。たった1つ、欠けてしまった存在を除いては。

幼児体型も、かつては悩みのタネであった。
しかしそれさえも、自分なりに解釈、咀嚼したうえで長所に昇華させてしまう
(彼女の言葉を借りるなら『萌え要素』であろう)自分自身の性格もまた、皮肉なものだと考えていた。

ピースの足りないパズルのような自分という存在。
だからこそ表面上は、ポジティブに振る舞いたかったし、自分はそうあるべき立場だとも思っていた。

泉こなたとは、何事も前向きに捉えられる存在。

もとより父譲りの脳天気な性格だったから、わざわざ演技などするまでもない。
心の持ちようで、自分の人生はどうにでも変えられると、彼女は知っていたのである。

色恋沙汰に対しても、微塵も興味はなかった。
街中に屯[たむろ]するようなバカップルになるのはまっぴらごめんだったし、
そんな物は単なる弱虫の慰め合いでしかなく、根本的な解決方法ではないと心のどこかで考えていたのだろう。
かといってドラマチックな出会いなど、テレビの中だけの話だと達観している節もあった。

だから、寂しさのあまり枕を濡らすこともなかったし、誰かにすがりつこうとも思わなかった。
深層心理としてはともかく、とりあえず目先だけ見るならば、自分は十二分に恵まれているのだ。そう思っていた。



しかし変わった。何気ない出会いを、引き金にして。


最初は、久しぶりになまった体を動かすような気分だった。
しかしそれが人助け(もどき)に繋がり、とんとん拍子で自分と同じクラスであることが分かり、
助けた子の姉とも知り合い、他人同士だったクラスの委員長とも友達になった。
まさかここまで長く深い関係になるとは思ってもみなかったことは確かだが、
だからこそこの3人に対しては全幅の信頼を寄せていると思っているし、
信頼されていると自負している(分野にもよるが)。
時に自分の辛辣な物言いが、小さな災い(そのほとんどがかがみによる制裁である)
を引き起こすことはあるにせよ、今は自分の中に穴が空いたような虚しさを感じることはない。

彼女が手に入れたのは、ありのままの自分を受け入れてくれる真の仲間。
どんな限定品よりも大切な宝物なのだと思いつつ、彼女は今日も、その舌足らずな口調で辛口な会話に興じているのである。



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