canestro.

スノウスマヰル

最終更新:

tfei

- view
管理者のみ編集可
執筆日 2008年6月1日
備考 夏に書いた貯金を出してきた。
    後の『Giovane Due』と似てるのはこっちが原型だから。
    文章のクオリティはまだ問題ありだね。




 霜月、信州は戸隠高原。
 降雪はないのだが、万年雪か、はたまた既に少し降ったのか、路肩はその無機質な黒い表面を露わにせず、溶けかかった雪がそれを覆っている。今はまだ必要性はないにせよ、あと少しすればスタッドレスタイヤが必要になってくるであろう頃合いである。
 休日だというのに交通量は皆無だ。しかしそのワインディングロードの脇には、雪道にはおおよそ似つかわしいとはお世辞にも言えないような、華やかなイエローのS2000が停められていた。
 ドライバーはダークブラウンの髪と、同じ色の大きな瞳をたたえる、日下部みさお。彼女は24歳になっていた。ドライバーというよりかはライダーというべきであろうか、レザージャケットを羽織りヴィンテージジーンズを着こなした、女性らしからぬその力強い風貌に、妙にその愛車が似合っていた。
 ナビシートから降り、もう1人の女性が姿をあらわす。日下部あやの。みさおの義姉である。みさおとは対照的に、女性らしい女性、といった表現が適切だろう。淡いパープルのセーターにタータンチェックのロングスカート、という出で立ちが、温厚な彼女の性格を明確に具象化していた。
「むぅ……あやのももう今年で24かぁ……」
「みさちゃんだって私より先に24になったじゃない」
「まあそうなんだけどさ、どう見ても同い年には見えねーだろ?」
彼女たちは、義理の姉妹である以前に無二の親友である。
「年齢の問題かしら……でも今年でもう20年だった?」
「ああ、あやのが引っ越してきてもう20年だな」
 それまで、あやのは同じ埼玉県内でも浦和に住んでいた。当時の記憶はすでにないのだが、4歳そこそこの少女にとっては隣町でも遠隔地であることに変わりはない。
「20年……まさかこんなに長く一緒にいるとは思わなかったね」
「そう言うなって。友達なんてたいがいそんなもんだろ?」
「そうかもしれないね……」
 あやのは、陵桜を出て県内の女子大に上がり、卒業と同時に入籍。姓を日下部と改めた。
 みさおとしては、親友が家族になることに異存はないどころか、むしろあやのの結婚には――――正確には自分の兄と付き合い始めた頃から、長年にわたりその成功のために尽力してきた。
 実を言うと、みさおはこの、第三者から見ても愛すべきカップルが破談に終わることを恐れていたのである。
 もし実兄と親友が仲違いしたとき、自分はその双方に今までと変わりなく接することが出来るのか?2人が顔を合わせないように自分は手を回し続けられるのか?
その問い掛けに対して、確信を持った答えが出せなかったのである。
「そういえばみさちゃん、チームの方は順調なの?」
「むぅ、それが、先輩が1人故障しちまってさ、次の大会に出られなくなっちまったんだよなー」
「次のレース、大丈夫?」
「まあ、選手自体は足りてるから何とかなるだろうけど、戦力が落ちたことは確かだと思うぜ」
「そう……」
 しかし、彼女の心配は杞憂に終わったようで、特に根回しをすることなく、彼らは結婚まで漕ぎ着けた。自分の出る幕が最後までなかったことが、みさおにとっては嬉しかった。
「そう落ち込むなって!別に誰かがわりぃってわけでもねーじゃん?」
「え?」
「それに、今のグリュックリヒ・スターンの陸上部のエースは私だぜ?」
「あまり自分で言わない方が……」
そのみさおはと言えば、あやのと同じく陵桜を出た後、長距離競技を続けるために北海道の大学に進学、4年間をそこで過ごした。
 中学から大学まで一貫してエースの座を堅守出来たのも、ひとえに彼女のたゆまぬ努力あってのこと。自分への絶対的な自信は、10年以上に及ぶストイックな鍛錬が地盤になっているのだ。
「分かってる。これでもトレーニングは欠かしてないんだってば」
「みさちゃんのことだから、きっと仕事よりも走ることの方に熱が入ってるんじゃない?」
「うおぅ!!あやのも言うようになったじゃねーか!」
「私だってたまにはこんなことも言うんだよ?」
「うう……なんか進歩したなぁ」
 大学を出て、みさおはドイツ資本の金融企業に入社した。
 大学駅伝での活躍は多くの実業団の目に留まり、みさおが4回生に上がる頃には、実に15社からのオファーが入っていたのだ。
 ただ、彼女にオファーしてきた企業の中で、Glucklich Sternが一番強いチーム、というわけでもなかった。地元・鷲宮から通勤できる企業も他にいくつかあったし、その中で見ても、Glucklich Sternは決して強豪ではなかった。
 しかし、彼女はなぜこのチームを選んだのか。
 実はみさお自身にも、その理由はよく分かっていないのである。何となく、と言うには明確な衝動があったのだが、それを明確な単語でもって説明することは出来ない。
「そろそろ旅館の方に戻る?」
「いや、まだいいや。もうちょっとドライブしようぜ」
「それはいいけど……昨日もみさちゃん、碓氷峠で同じこと言ってたじゃない」
「アハハ、バレちった?実は私もめちゃくちゃ寒いんだな」
「じゃあ、もう麓まで戻ろう」
「そうだな、あやの、行くか!」


 あやのはいつも思う。
 自分の夫――――自分より幾年か年上の男と、その妹であり自分の竹馬の友であるこの活発な女性が、やはり兄妹であるがゆえに、その立ち振る舞いが似通っていることに驚きを隠せないのだ。
 元来家柄も正反対である。礼儀作法から何まで、厳しくしつけられたあやのとは逆に、みさおも兄も、自由に、思った通り真っ直ぐに生きてきた。
幼いあやのにとって、男女問わず仲良く、そして喧嘩となれば掴みかかって行ったみさおはヒーローだった。私もこんな風になれたら、と思うこともあった。
ただ、誰もが童心に秘めた意地っ張りな部分が、その感情を口外することを踏みとどまらせたままで、気がついたら大人になっていただけなのだ。
 しかし、みさおにとってもまた、あやのは羨望の眼差しを受けるべき存在だったのである。女性らしい女性になりたいと考えたこともあったし、男っぽい自分が周囲からどう見られているのか、把握できないほどみさおは愚かでもなかった。
ただ彼女もまたその幼いプライドのせいで、願望を口にすることははばかられた。そして時が経ち、大人になっていた。今でこそ当時のような願望はないが、やはりあやのに一目置いていることに変わりはない。
 すでに立冬を過ぎていると言うのに、みさおはS2000のソフトトップを閉めなかった。あやのもそれに暗黙の了解を出していた。
 陸上選手として、否、それ以前に1人の人間として、風を感じたまま走りたいという意志を持っていたみさおが、鷲宮に戻ってから買ったクルマである。以前のオーナーがよっぽど走り込んだのか、すでに走行距離は10万kmに達していたのだが、それだけ愛情も深かったのだろう。故障らしい故障は全くなく、内装もきれいなままであった。

 本来、みさおがあやのを連れ出して、三連休2泊3日で信州に行こうなどと、らしくないことを言い出した理由はみさおの兄にあった。
 不幸にも、半月もの間、上海に出張することになったために、あやのは1人、日本でその帰りを待っていたのである(既に2人は実家を出て、近所のマンションに移り住んでいた)。
実 家や日下部家に戻ることは出来たのだが、あやのはそれを良しとしなかった。それを見かねたみさおは、あやのが24歳を迎える日に合わせて、2人で出掛けようと提案したのである。尤も、11月4日生まれのあやのの誕生日に先駆けた三連休だから、厳密には合わせられなかったのだが。
 兄は、あやのと付き合うようになっても、決してみさおからあやのを奪うようなことはしなかった。彼女たちが無二の親友であることは無論分かっていたし、その妨げになることだけは決してないように、常にみさおとあやのへの心配りを忘れなかった。
 だからみさおがあやのと出掛けたりしても厭な顔ひとつせず喜んで送り出していたし、今回も恐らくそうだろう。



「旅館まで戻って来たけど、どうする?」
 あやのはみさおに問うた。
「そうだなー、まだメシまでは時間あるし、先に風呂でも入っちまうか?」
「そうね。私部屋から荷物取ってくるから、先に行っててよ」
「いや、私も部屋に荷物あるんだけど」
「みさちゃんの浴衣と荷物も持っていくから」
「そうか?わりいな、先行ってるぜ」


 あやのが荷物を持って更衣室に戻ってきた。山道はまだしも、さすがに旅館ともなれば、人の姿はやはり多い。これが日本の姿なのかね、とみさおはガラにもない疑問を持った。
 11月とはいえ、世間は冬である。それは山麓の旅館においてはより一層強く感じられた。
 だからこそ屋外――露天風呂が愛されるのかもしれないとあやのがつぶやいた。
 みさおは頭にタオルを乗せたまま――これがあまりに似合いすぎていて、昨晩あやのが笑いをかみ殺しきれなかったのだ――、それは肩から上と下の温度差を楽しむものではないかと答えた。
 そうかもしれないね、とあやのは云う。
 きっとそうだろうな、とみさおは笑った。
「兄貴もいた方が良かったか?」
「ううん、彼は彼、みさちゃんはみさちゃんだもの。比べるものじゃないよ」
 あやのは簡単なトートロジーで返した。
「それに、家でも一緒に入ってるし……」
「分かった分かった。ご馳走さん」
 あやのらしからぬ失言である。いや、或いは彼女らしいのだろうか。
 しかしみさおは、あやのが時々見せる“女性”としての一面が好きだった。
「でも兄貴にあんまり体を許さない方がいいぜ?アイツもバカだから何されるかわかんねーよ?」
「大丈夫だよ。あの人は優しいから」
「まあ、あやのには昔から優しかったからなー。実は小さい頃から狙ってたのかもな」
「かもしれないね」
 女性は結婚すると太るとも言われるが、少なくともあやのに限ってはその銘文は通用しないらしい。比較的女性としては早熟だったあやのの、ティーンエイジャーの頃から変わらないボディラインには少しの陰りも衰えもなかった。肌は相変わらず焼けることを知らず、四肢もその細さを失わないままであった。
「似た者夫婦っていうけどさ、アイツとあやのじゃ似ても似つかねーよな?」
「まあ……見かけは似てないと思うけど、意外と私に似てると思うことも多いんだよ?」
「何だそりゃ?」
「新聞をテレビ欄から逆向きに読む、とか」
「ああ、そういえばそんなこともやってたなあ……ってあやのもやってたのかよ!」
「私のお父さんがやめろやめろって言うから、ムキになってやってたら癖になっちゃった」
「うう……初めて聞いたぜそれ……」
 みさおは、あやのを強い女だと思った。
 みさおもまた、ストイックに鍛え上げた身体から美しさがなくなるようなことはなかった。鍛えたからといってみるみるうちに太くなるわけでもなく、体重が増えるわけでもない。ただただ、走るという分野においてのみその結果が出ていたのだ。これはむしろ、みさおにとっても、そして第三者的にも好都合だった。
 夏は真っ黒になるその肌は、この季節になると、いくらか本来の色を取り戻す。やや筋肉質な、鍛えられた身体とは言え、曲線美を失わないその足は、やはりすらりと長く伸びていた。腹筋も上碗も鎖骨あたりも全てが、日々のトレーニングによって、何物にも代え難い引き締まったラインを作り出していた。

 2人は温泉を出て、自分の部屋――やはり旅館らしい和室に戻った。
 この浴衣というのは、さすがにどこへ行っても変わり映えしないものである。高校の修学旅行で京都に泊まった時も、こんなような浴衣だった記憶があった。
 その記憶はみさおのものなのかあやののものなのか、或いは一般大衆的な、テレビドラマのようなステロタイプなイメージのせいで2人がそう思い込んでいたのかもしれなかった。

 夕食は敢えて、あまり華美すぎるものは避けた。2人ともシンプルな食事の方が好きだったし――みさおは洋食の方が好みなのだがそこまで無茶は言わなかった――、“高級な”和食というものにさしたる興味はなかったからである。


 2人は縁側に出た。
 夜はまだ更けてはなかったが、ここまで秋も深まると辺りは真っ暗である。中庭はあまりよく見えない。鹿威しの音だけは聞こえる。恐らくはこの中庭のどこかにあるのだろう。
 みさおは、何の気なしに空を見上げた。
 雲行きはあまり良好とは言えず、本来そこにあるべき星空を見ることは出来ない。
しかしながら、夏や冬より暗いと言われる秋の星座である。たとえ見えたとしても、正確に星を見上げるスキルは彼女たちにはなかった。
「みさちゃん」
「ん、何だ?」
「一緒に散歩しよ?」
「散歩?」
「うん。近くに丁度いい小道かあったんだ」
「へぇ……あやのはいつの間にそんな名所を見つけてたんだよ?」
「今朝方にもちょっと歩いてたの。たまには歩くのもいいんじゃない?」
「そうだな。たまには歩くとすっか!」
 2人はそれぞれの上着を羽織って外に出た。風は強くなかったがやはり肌寒いのは否めない。
 黒いアスファルトではなく、青いコンクリートのようなもので舗装された小道の両脇には、ずらりと樹木が立ち並んでいた。
 さわさわと木の葉がつぶやく。緑色のままだ。落葉はしない種類なのだろう。

「ねぇみさちゃん」
 あやのは突然、肩を並べて歩く義妹の名を呼んだ。
「何だ?」
 さっきと同じような返答を受けあやのは続けた。
「実は私ね、知ってるんだ」
「知ってる?何を?」
「私があの人と付き合うことになった時、みさちゃんが本当は賛成してなかったこと」
「え……?」
「私が、みさちゃんの家で、あの人と付き合うって言った日のことは覚えてる?」
「ああ、もう8年も前だけど忘れてねーぜ」
「あの日、私が家に帰るとき、みさちゃんはいつも通り手を振って送ってくれた。でも、それから自分の部屋に戻ったあと、独りで泣いてたよね?」
「な……なんでそれを……」
 みさおは、あやのの言葉を受けて唖然とした。わざとそれに構わず、あやのは続ける。
「あの時、私が小さなポーチを忘れて行ったでしょ?次の日にみさちゃんが持ってきてくれたけれど、私はポーチを忘れたことにさえ気付いていなかった」
「ああ、そうだよな。あやのにしちゃ珍しく、私に言われて初めて気付いたような顔してたから覚えてるぜ」
「実は、あれは嘘だったんだ。私はみさちゃんの家を出てすぐに、ポーチを忘れたことに気付いた。だからみさちゃんの家の前まで戻ったの」
みさおは言葉を発さない。あやのも、話の途中で返事を求めようとは思っていなかった。彼女の独白は続く。
「でも、みさちゃんの部屋からは泣き声が聞こえた。本当に聞こえていたかどうかはわからないけど、聞こえていたような気がしたの。だから私は思いとどまった。ポーチなら明日みさちゃんが持ってきてくれるだろうから。だから私は、みさちゃんの家の前まで戻ったことを、なかったことにしたの。何も演技する必要はなかったんだけれど、私の中でそうやってけじめをつけたかったから」
「あやの……」
 みさおはうつむいたまま、あやのと目を合わせようとはしない。あやのもそれを許した。
「今まで黙っててごめんね。でもみさちゃんには、私のことで心配をかけたくなかった。次の日にも、今までと同じように私に接してくれた時は正直ホッとした。みさちゃんは私を許してくれたんだ、って思った」
 みさおは顔を上げ、あやのに真冬の太陽のような明るい表情を見せた。
「うん、私も吹っ切れたんだと思ってんだ。いつまでもウジウジしてるなんて、私らしくねーじゃん?」
「そう……今でも怒ってない?」
「怒ってるはずねーだろ?兄貴とあやのだぜ?私が喜ばなくてどーすんだよ」
「……ありがとう」
「何だよ、あやのらしくねーぞ?私に『ありがとう』なんてめったに言わねーじゃねーかよ」
「ずっと、怒ってるんじゃないかと、思ってたから……」
「あーもう、泣くなって!!泣くのは兄貴のとこでやってくれよ」
「ごめんねみさちゃん、こんな風に泣こうと思って、散歩に誘ったわけじゃないのに……またみさちゃんに迷惑かけちゃって……」
「分かった。分かったから泣くなって」

 夜、小道に人影はない。本当は涙もろいあやのの姿を見ているのは、その両肩に手をかけているみさおと、曇り空の隙間から僅かに顔を出す下弦の月だけであった。

「うん、私もう泣かないから」

 あやのは、目頭を拭って顔を上げた。
 あやのの視界には、白い粉雪が舞い始めていた。

「雪……」
「何かのドラマみたいだよなー……」
「うん、偶然じゃないみたい」
「どうだろうなぁ。誰かが降らせたのかもしれねーよな」
「……みさちゃん?」
「やっぱりさ、私たちは笑ってねーと始まんねーだろ?」
「うん」
「だからさ、あやの、もう部屋戻ろうぜ」
「うん、戻ろう、みさちゃん」


 2人の顔には、幼い頃から変わらない笑顔だけがあった。






Back to Novel
記事メニュー
ウィキ募集バナー