関係あるとみられるもの

博麗霊夢(ほぼ全作品)
茨木華扇(東方茨歌仙)

住所

皆瀬神社 田辺市龍神村龍神1346番地(JR「紀伊田辺駅」よりバスで約1時間20分。龍神温泉下車、徒歩20分)

龍神村(りゅうじんむら)

※旧龍神村役場。龍の頭がモチーフと思われる、非常にユニークかつ移動効率の悪そうな建物。

 かつて和歌山県の中央部に存在した村。西暦2005年、世に言う「平成の大合併」の流れに乗って「田辺市」「中辺路町」「本宮町」「大塔村」と合併、(新)田辺市の一部となった。もっとも、平成の大合併以前の旧龍神村もまた西暦1889年に「三ツ又村」「広井原村」「湯ノ又村」「小又川村」と、西暦1955年に「上山路村」「中山路村」「下山路村」と合併するなど、時代とともに徐々に拡大したものであった。江戸時代以前から存在する"由緒正しい"龍神村と言える地域は、旧龍神村の中でも皆瀬神社(かいせじんじゃ。後述)を含む一帯であり、現在でも「龍神村龍神」という地名を持っている。「龍神村龍神」以外の旧龍神村地域もまた、「龍神村宮代」や「龍神村湯ノ又」といった地名で旧龍神村あるいはそれより古い時代の記憶を残している。「龍神村」という「絶対なんか面白い"いわく"があるだろ」的なステキな地名は、現在でも多くの人をひきつけている。すごくラノベっぽいです。

 龍神村の地理的な特色は、「高野山と熊野大社という二大霊地を結ぶ道の上にある!」とか「お肌がすべすべで定評のある"龍神温泉"がある!」とか「和歌山県の最高峰がある!」とか「村の7割以上が標高500m以上の高所にある!」とか「清流にはぐくまれる鮎がとてもおいしい!」とか色々あるが、何をさしおいてもまず挙げるべきことは、「木が超多い!」ということだろう。県土の8割を山林に覆われることから「木の国」と捩(もじ)られる事のある和歌山県にあっても、龍神村の「木の多さ」は突出している。屋外で360度ぐるっと回ってみた時に、視界に緑が入ってこないことなんてないんじゃないかと思う。今後、東方projectにドリアードとかトレントとかをモチーフにしたキャラが登場したら、「木の名所」として改めて東方聖地の一つに加えたくなるところである。

 なお、この豊かすぎる木々は、西暦1700年代から続けられてきた造林業によって培われてきた所が大きい。ただでさえ木ばっかの土地柄に、商用価値のある木を植えちゃったのである。龍神村で産出される良質な材木は、昭和40年ごろから「龍神材」としてブランド化されており、家屋の構造材、木製建具、わりばし(杉の端材を利用した、いわば副産物。ものすごく良い匂いがする)などに利用されて高い評価を受けている。年輪が細やかで木目・色合いが美しく、一見すると本物のバームクーヘンのようにおいしそうに見えることがある。バームクーヘン自体が木の年輪を模したお菓子だが、龍神材の色合いの美しさは、もはや木の方からお菓子に歩み寄ってる感じすらする。

※龍神材の断面


皆瀬神社(かいせじんじゃ)

※皆瀬神社

 龍神村龍神地内、高野山方面から龍神温泉に至る国道371号線(通称高野龍神スカイライン)の沿線に立つ神社。現在の社殿は大正13年に改築されたものである。技術の粋をこらされた春日造の建物が、あたりの巨木とマッチして非常に神々しい。主祭神として八幡明神を祀るが、明治42年に周辺の神社を一斉に合祀したため、大綿津見神やら住吉三神やら丹生津比売命やらと、東方その他とも非常に馴染み深い神々も一緒に祀られている。なお、皆瀬神社を"みなせじんじゃ"とは間違っても読まない。万が一"みなせじんじゃ"と読んだとしても、勿論東方projectはもちろん魂魄妖夢とも一切何のかかわりあいも無いんだみょん。いいね?

 皆瀬神社は、長禄2年(西暦1458年)に龍神氏の第10代目当主「龍神正直」によって勧請され、その子「龍神正氏」によって最初の社殿が建立されたと考えられている。皆瀬(かいせ)の名は第12代龍神氏当主「龍神政信」が「皆瀬彈正政信」を名乗ったことにちなむと考えられるが、なぜ政信が皆瀬弾正を名乗ったのかは定かでない。龍神氏がもっと古くから「皆瀬彈正」の名を世襲していたのかもしれない。皆瀬の地名は和歌山県日高郡日高川町、秋田県雄勝郡、長崎県佐世保にも存在する。皆瀬彈正政信は小又川小森に下屋敷(別荘)を建て、日ごろから皆瀬の本邸と往来していたところ、血気盛んなMURABITOらに「皆瀬のくせになまいきだ!」と思われ、ある夏の盆踊りの晩に10人以上の暴徒に襲撃される。命運尽きたことを悟った皆瀬彈正政信は、西暦1538年、36歳の若さにして自ら命を絶ったと言う。ちょっとかわいそすぎる。皆瀬彈正政信の墓は、皆瀬神社と同じ大字龍神字皆瀬地内にある。

 なお、上述の「龍神正直」を含む「龍神氏」こそ、現代に残る「龍神村」の地名の由来となったものと考えられる。伝承によれば、龍神氏は治承年間(西暦1180年頃)に現在の龍神村龍神地内に定着し、戦国時代初期(西暦1513年頃)まで同地を支配していたものと思われる。皆瀬彈正政信の有力者とは思えない最期を見ると、西暦1538年頃にはかなり没落してしまっていたのかもしれない。

 また、龍神氏は「源頼政(みなもとのよりまさ)」の子孫を自称していたものと考えられている。(観光協会のHPより)。実際に、皆瀬神社においても源氏の氏神でもある八幡神が主祭神として祀られている。源頼政は、西暦1160年に発生した平治の乱において、源氏でありながら(最終的に)平氏に加担した人物である。平治の乱によって源氏の地位は没落したが、頼政は平氏頭領「平清盛(たいらのきよもり)」から篤い信任を得ることとなり、源氏諸派のまとめ役・長老役として中央政権で引き続き重大な役割を果たした。しかしその後、後白河法皇と平清盛が不仲となり、後白河法皇の第三皇子「以仁王(もちひとおう)」が打倒平氏を企てると、頼政もまた平氏に反旗を翻すことを決意する。謀反の理由は「以仁王」が挙兵するにあたって源氏最大勢力である源頼政の武勇を頼みとし、忠義に篤い頼政がそれを無下にできなかったからだとか、また逆に頼政が長年の平氏の専横にキレたからだとか等諸説がある。ところが、肝心の「以仁王」の計画はずさんそのものであり、反平氏の動きは早々に露見してしまう。頼政は準備不足のまま平氏との対峙をやむなくされ、「以仁王」を逃がすための時間稼ぎとして宇治橋・平等院等で激しく抵抗し力尽きた。計画の失敗と父の死をきいた頼政の五男「源頼氏」は、戦火を離脱し和歌山県の奥深くへと落ち延びる。その後、頼政の子孫らは「源氏」を捨てて「龍神氏」を名乗るようになり、彼らの住む集落は「龍神村」と呼ばれるようになったという。

 この話を聞いた民俗学の素養のある諸兄はきっと、「 ま た 源 平 の 落 ち 武 者 か ! 」と思われたことであろう。五箇山京丸の記事を参照されたいが、「中央での抗争に敗れた落ち武者が山中に棲みついた」といったような伝説は全国津々浦々に存在し、それらすべてを「史実」であると考えるのはおよそ無茶である。正直なところ、「役小角の開山」「空海の開山」「源平の落ち武者」「南北朝時代の落ち武者」と聞いたら、大体胡散臭いと思っていいと思う。龍神氏の由来については上述のように実在の人物名も登場し、伝承としては非常に具体性をもったものとして伝えられている一方で、肝心の「頼氏」が実在の人物なのかどうかわからない。頼政の男児は仲綱、頼兼、広綱の3名が知られているが「頼氏」という五男がいたという話は原典がわからん。教えて源氏に詳しい人。なお、頼政の子の頼兼の子の頼茂の子(頼政のひまご)になら頼氏という人物がいたものと思われる。頼茂は承久の乱の前夜に後鳥羽上皇によって謀殺されており、その子頼氏も捕縛されている。その後の足取りは(筆者には)よくわからない。この頼氏が初代龍神氏かもな。

 ただ、いずれにしても「源氏」を捨てた落ち武者たちがなぜ「龍神」を名乗ったのか、上述の歴史からはあまり見えて来ない。長野県・静岡県に伝説を残す天竜が天空の支配者である飛龍であるのと対象に、「龍神」は海神系の神話をルーツに持つような気がするが、源頼政のルーツである清和源氏ないし摂津源氏が特別海に深い関係を持つとは思えない。ひょっとしたらこの地は、源氏の落ち武者らが来着する前から龍神の地名を持っており、むしろ源氏の落ち武者が古来からの地名に乗っかったのかもしれない。いずれにしてもミステリアスな地名だが、ちゃんと調べれば真相は分かるとは思うので、もしよかったら和歌山県の人がんばってください。

 東方projectにおいては、幻想郷の最高神として「龍神」が登場する。また、『東方茨歌仙』第5巻第24話「渾円球の檻」等複数の回においては茨木華扇が「龍の子供」を養育していることも描写されている。華扇自身が「トカゲから龍になることもある」といったり、『東方鈴奈庵』において霊蛇が邪龍に姿を変えた例があるように、龍自体は(幻想郷においては)レアだと言われるほどレアでもないように見える。翻って「龍神」とは龍の姿を取った神であり、一妖怪としての龍とは一線を画する存在なのかもしれない。界王と界王神くらいには違うかも。

 また、龍神氏の始祖とされる源頼政は、『平家物語』の中で平安末期の京を震撼させた妖怪「鵺(ぬえ)」を打ち取った豪傑として描写される人物でもある。鵺(ぬえ)は言うまでもなく東方projectにおいては封獣ぬえその人だろう。言い換えるならば、源頼政は平安末期の名うての妖怪ハンターであり、龍神氏はその末裔ということにもなる。「山深い隠れ里」「幻想郷の人間は妖怪ハンターの末裔」「最高神が龍神」といったような情報は『東方求聞史紀』その他複数の作品から読み取ることができるので、龍神村もまた、作中の幻想郷に近い場所として考えることができるだろう。

  • 龍神村の名前が楊貴妃(柳人=リュウジン)であるという説を唱えている蓑虫と申します。http://www.minomusi.net/youkihi/top.html龍神村について調べていただきありがとうございます。私も知らなかった事が多く、大変勉強になりました。今回、ご連絡したのは、龍神村ではなく、熱田神宮の記述の事で・・・玄宗と楊貴妃は、年の差カップルで、7歳差と書いてあるのは、腑に落ちず・・・玄宗の生年は、685年。楊貴妃が719年です。ご参考までに・・・ -- 蓑虫 (2015-05-31 07:21:01)
  • ありがとうございます。さっそく訂正します -- 名無しさん (2015-06-01 06:28:02)
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最終更新:2015年06月01日 06:28