関係あるとみられるもの

封獣ぬえ(東方星蓮船)

住所

京都府京都市下京区綾小路高倉西入ル神明町

地下鉄烏丸線「四条」/阪急京都本線「烏丸」/京都市バス「四条烏丸」より徒歩3分

神明神社


神明神社は天照大神と菅原道真を主祭神とする神社。
京都市が設置した看板には次のように書かれている。
 当地は平安時代末期、近衛天皇(在位一一四一~一一五五)がしばしば皇居としたと伝わる藤
原忠通(近衛天皇妃の養父)の屋敷跡で、「四条内裏」または「四条東洞院内裡」と言われた。こ
の邸内にあった鎮守の社が神明神社で、天照大神を祭神とし、創建年代は明らかでないが、平安時
代から今日まで人々の崇拝の社となっている。
 社伝によると、近衛天皇の時代、頭は猿、尾は蛇、手足は虎の「鵺」という怪鳥、空に
現れ都を騒がせた。弓の名手であったという源頼政は退治の命を受け、神明神社に祈願をこめ
た後、見事に鵺を退治した。この時使われた弓矢の「やじり」二本が当社の宝物として伝わっ
ており、今でも祭礼の時に飾られる。当社が厄除け・火除けの神といわれるゆえんである。
 その後、天台宗の護国山立願寺円光院という寺によって管理されていたが、明治初期の神仏
分離令によって神社だけが残され、それ以来、神明町が管理を行っている。榎の大木があった
ので「榎神明」とも言われた。
また、当社には豊園小学校内(現在の洛央小学校)に祀られていた文子天満宮(菅原道真を祀
る)の祭神が戦後合祀されている。
 祭礼は九月の第二土曜日とそれに続く日曜日である。
源頼政の鵺討伐伝説に関しては、鵺大明神・鵺池跡平安宮跡も参照。
ここまで主祭神にノータッチな案内板も珍しいが、創建が不明なので主祭神とのつながりもわからないようである。
東方Projectで天照大神といえば上白沢慧音のスペルカード「光符『アマテラス』」(文花帖3-2)や
儚月抄で綿月依姫が神降ろしで呼び出したことなどが思い浮かぶが、こことはとくに関係ないようである。

鵺を退治した時の鏃は普段は写真のみが境内に掲示されているが、九月の祭礼の際には一般に公開される。
下の写真は2015年の祭礼の際に撮影したもの。

合祀されている文子天満宮は、菅原道真を祀る天満宮である。
平安時代中期の巫女であった多治比文子(たちひあやこ)は天慶7年(西暦942年)に「北野に道真の霊を祀れ」という
神託を受けた。身分の高くない巫女であった文子はとりあえず自分の邸内に祠を作って祭祀したが、
天暦元年(947年)には近江国の神官・神良種の7歳の息子太郎丸にも託宣があったことから、
同年、北野朝日寺の僧最珍らの尽力もあって現在の場所に北野天満宮が造営された。
文子の生年・没年は不明だが、菅原道真の乳母であったとされることもある。しかしその場合、神託を受けた時点で
100歳を超えていることになるので疑わしい。ちなみにWikipediaには「少女に託宣があり」と書かれている(ソース未確認)。
巫女で少女で貧乏で自宅が神社で神からのお告げを受けたらしい。まるでどこかの巫女のようだ


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最終更新:2015年09月27日 15:23