関係あるとみられるもの
封獣ぬえ(東方星蓮船)
住所
京都府京都市上京区智恵光院丸太町下ル主税町二条公園内
JR山陰本線・地下鉄東西線「二条」より徒歩12分
京都市バス10, 93, 202, 204系統「丸太町智恵光院」より徒歩3分
鵺大明神・鵺池跡
二条城の北西にある二条公園に立つ小さな祠
2003年から2005年にかけて公園が再整備され、その際に「鵺池」が復元された
京都市が設置した案内板には次のように記されている
鵺(ぬえ)池伝説(説明)
二条公園の北側には鵺池という小さな池がありました。傍らには不鮮明ですが鵺池碑と書かれた石碑があり、
さらにその北側には鵺大明神の祠があり、そこには新しく復元された碑が建っています。
平安時代、
二条公園を含む付近一帯は、天皇の住まいである内裏や、現在の国会議事堂に当たる大極殿を正殿
とする朝堂院、そして今の内閣に相当する太政官など、国家政治の中心となる官庁街でした。
『平家物語』巻4によると、院政期とも呼ばれる平安時代後期、深夜、天皇の住まいである内裏に怪しい鳥の
鳴き声がし、近衛天皇が非常に怯えられた。そこで弓の名手である源頼政が射落とした怪鳥は、頭は猿、胴は狸、
手足は虎、尻尾は蛇という姿の鵺(鵼とも書く)であったといい、そのときに血の着いた鏃を洗ったのが、この
二条公園の池だと伝えられています。
この度の再整備において池・流れ施設を整備し、鵺池碑を移設しました。
いつからここで祀られるようになったのかは不明
馬蹄形の池の中央近くに元禄13(西暦1700)年に建てられたとされる旧鵺池碑があるが、損傷が激しく
ほとんど判読不能なため、昭和11(1936)年に社殿近くに復元碑が建てられた
碑文は漢文だが
京都市公式Webサイトに現代語訳が載っている
このほかにも鵺に関する史跡は多く、頼政が討伐前に祈願に訪れ討伐後には鏃を奉納したとされる
神明神社(下京区)や
鵺の死体を葬ったとされる鵺塚(
京都・
大阪・
兵庫)などがある
最終更新:2016年02月17日 01:08