関係あるとみられるもの
封獣ぬえ(東方星蓮船)
住所
京都市上京区・中京区
北は一条通、南は二条駅やや北、東は大宮通、西は御前通で囲まれたエリア(推定・目安)
平安宮跡
延暦13年(西暦794年)の平安遷都の際に内裏が置かれていた場所。
現在は住宅街となっており、建物や門のあったとされる場所には石碑や案内板が点在している。
現在の京都御所はもとは臨時の内裏のひとつであった土御門東洞院殿で、南北朝時代以降に正式な内裏として用いられるようになった。
鵺
「平家物語」や「摂津名所図会」に書かれている鵺退治の伝説はおよそ次のようなものである。
平安時代、夜になると天皇の住まいである清涼殿の近くに正体不明の黒煙が現れ、その中から不気味な鳴き声がするということが続いた。
これにおびえた天皇は病に倒れ、祈祷や薬ではよくならなかった。
そこで弓の名手である源頼政に、この正体不明なものの討伐が命じられた。
頼政は
神明神社で討伐の成功祈願をしたのち、夜になって再びやってきた黒煙に向けて矢を放つと、悲鳴と共に何かが落下した。
部下の猪早太がとどめを刺し、見ると頭はサル、胴はタヌキ、手足はトラ、尾はヘビという妖怪であった。
この時に血の付いた矢じりを
鵺池で洗い、
神明神社に奉納した。
その後、鵺の死体は川に流されたとする説や、
岡崎にあった塚に埋められたとする説がある。
大阪や
兵庫にはその死体が流れ着いたので埋めたとする鵺塚がそれぞれ存在する。
討伐に用いた矢は、頼政の所領地である
兵庫県の
長明寺の竹を使っていたともいわれる。
さらに、東山区の
大将軍神社周辺は「鵺の森」と呼ばれ鵺が棲んでいたとする説があるほか、
死体を清水寺に埋めたという説、
静岡県の浜名湖周辺に飛んで行ったという説、
愛媛県に帰って池の主になったという説もある。
2013年放映の大河ドラマ「八重の桜」で、主人公の八重が和装と洋装の混じった格好をしていたことから「八重」をもじって「ぬえ」と呼ばれるシーンがあったが、
その舞台となった同志社は、現在の京都御所の北隣に位置している。
最終更新:2016年02月17日 01:10