関係あるとみられるもの

小野塚小町(東方花映塚)

住所

〒601-1123 京都府京都市左京区静市市原町1140

叡山電鉄鞍馬線「市原」より南へ徒歩7分
京都バス32, 34, 35, 40, 50, 52系統「小町寺」より徒歩すぐ

小町寺

正式には補陀洛寺という天台宗の寺院。
創建に関する詳細は不明だが、天徳3年(西暦959年)に清原深養父(きよはらのふかやぶ)が建立したといわれている。
境内には「小野小町老衰像」や「小町供養塔」、「姿見の井戸」など晩年および死後の小野小町に関連するものがある。
説明等が必要な場合は、ハガキで事前に予約を申し込める。

小野小町供養塔

ここにはかつて小野小町の父である小野良真の邸宅があった場所とされ、小野小町終焉の地ともされる。
絶世の美女とされ都で名を上げた小野小町だったが、晩年は諸量であるこの地で暮らし、境内にある「姿見の井戸(跡)」で
水面に映った自分の衰えた姿を嘆き悲しんでこの地で亡くなったといわれる。
伊勢物語で在原業平が旅した時に、眼窩にススキが生えている髑髏が「秋風の 吹くにつけても あなめあなめ」と歌っているのを見つけ、
業平はそのススキを引き抜いてやってから「小野とは言はじ 薄生ひたり」と詠んで去っていったという話があり、ここがその舞台であるという説がある。

しかしながら小野小町の人生はよくわかっておらず、日本国内に小野小町の墓所とされる場所が十数か所存在するほか、そもそも当時は
風葬が一般的だったため墓所がないという説もある。
また、上記の在原業平の話は奥州へ旅した時のものとされることが多く、また「小野」は小野小町を指したものではないという説もあり、定かではない。

系図集「尊卑分脈」では小野小町の祖父は冥界に通い閻魔大王の補佐をしていたという伝説のある小野篁とされる。
ただし推定年齢が23歳差であることや、小町の父である良真の名がこの資料にしか現れていないことなどの疑問点は残る。
小野篁については六道珍皇寺千本ゑんま堂も参照。


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最終更新:2015年12月03日 16:16
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