住所
三重県伊勢市宇治浦田2−1−10 JR東海「伊勢市駅」、近鉄「宇治山田駅」、近鉄「五十鈴」のいずれかより徒歩20分程度
関係あるとみられるもの
射命丸文(東方花映塚、東方風神録ほか)
姫海棠はたて(ダブルスポイラーほか)
稗田阿求(東方求聞史紀ほか)
猿田彦神社
※猿田彦神社社殿。絶賛造営中(平成29年まで)。
三重県伊勢市内にある神社。
伊勢神宮内宮とかなりのご近所さんである。主祭神に
猿田彦(さるたひこ)及びその子孫の大田命(おおたのみこと)を祀り、
道案内のご利益と
方違え(かたたがえ)のご利益があるとされる。わかりやすく言い換えると「迷わず目的地にたどり着くことができる程度のご利益」と「不吉な方角を教えてくれる程度のご利益」である。一見するとささやかで、GPS通信の発達した今日では「地味じゃね?カーナビや携帯電話があればいらなくね?」と思われても仕方がなさそうなご利益ではあるが、そんなことは神様サイドも百も承知。そこで現代の猿田彦は、「道案内=みちびき」の語感から着想を得たと思われる「みちひらき」という超強力な
新商品ご利益の開発に成功し、時代の波に乗っている。「みちひらき」とはつまり
「前途を明るくする程度のご利益」であり、就職・結婚・転職・企業・下剋上など、今まさに岐路に立って人生を切り開こうとする人々に、明るい未来をもたらしてくれるというチートご利益である。また、「方違えのご利益」も
開運風水と柔和して、マイホーム建築やアパート選び、お部屋の模様替え等々を幸多きものとしてくれるご利益だと読み替えられているようである。お伊勢参りのついでにお参りできる(逆も然り)といった好条件もあいまって、今まさに
パワースポッター達の熱い注目を浴びている神社であると言える。近いからって、内宮参りのために猿田彦神社の駐車場を利用するのはやめようね(ダ●ョウ倶楽部風の前振りではない。本当にやめましょう)。
※神社正面を左に出て横断歩道をわたれば、おかげ横丁はもうすぐそこ。
「猿田彦神社」の名を持つ神社が全国にわりと沢山存在する中で、この記事で紹介する伊勢の猿田彦神社(以後「伊勢猿田彦神社」という。)は、全ての猿田彦神社の本社だと考えられている。また、「猿田彦神社」以外にも「佐田神社」、「千勝神社」、「白髭神社」、「白髪神社」などの名前を持つ神社が猿田彦を祀っており、伊勢猿田彦神社はそれらも含めた「猿田彦信仰の総本社」だとも考えられている。しかし猿田彦信仰の総本社の座については、三重県鈴鹿市の山中にある椿大神社(つばきおおかみやしろ)も名乗りを挙げており、どちらが真の総本社にあたるかは、人によって、何に重きを置くのかによっても見解が異なる。伊勢猿田彦神社の宮司を務める宇治土公(うじとこ)氏と椿大神社の宮司である山本(やまもと)氏は、ともに猿田彦の子孫を自称しているという。
伊勢猿田彦神社の創建伝説は、神話の時代にまでさかのぼる。全ての猿田彦神社で主祭神として祀られる猿田彦は、もともと伊勢を流れる五十鈴川(いすずがわ)の川上に本拠地を持つ
土着神であり、記紀神話における
天孫降臨の際には「天の八衢(あまのやちまた)」に姿を現して天孫(ニニギ)を地上へと導いた神である。天孫降臨の後は故郷の伊勢へと戻ったが、ある時阿邪訶(あざか。現松阪市)の海で漁をしていたところ、事故で溺れて亡くなったとされる。先述のとおり、伊勢猿田彦神社の宮司を務める宇治土公氏は代々この猿田彦を「祖神」として祀り、一族を猿田彦の子孫であると考えていた。一族の歴史が猿田彦にまでさかのぼるのだから、伊勢猿田彦神社の起源もまた猿田彦本人にまでさかのぼる、というわけである。もっとも、現在の伊勢猿田彦神社社殿が建てられたのは確実に明治以降の話であり、公の神社としての歴史としてはかなり「新しい」と言わざるを得ない。というのも、江戸期以前においては伊勢猿田彦神社の存在する敷地は宇治土公氏の私邸であり、つまりは宇治土公一族が
プライベートに猿田彦を祀っていたに過ぎなかった。じゃあ江戸期以前の宇治土公氏は何をしていたの?というと、実は職業として代々伊勢神宮の神官を世襲する家だった。それが明治4年(西暦1871年)に太政官布告が発令されたことで、神職の世襲制度自体が無くなり、子々孫々まで伊勢神宮で神官を務められる保証がなくなった。そこで新たに祖神である猿田彦や大田命を立てて、邸内の猿田彦神社を公(おおやけ)のものとした、というのが一様の経緯ではある。
ところで、猿田彦と並んで神格化されている大田命は、猿田彦の子孫(宇治土公氏の祖先)とされる神である。天孫降臨の主人公「ニニギ」の曾孫(ひまご)に初代天皇の神武天皇がおわし、そこからさらに時代を下って第10代目崇神天皇のころ、後に第11代天皇となる垂仁天皇の娘に倭姫命(やまとひめ)という非常にアクティブな皇女(こうじょ)がいた。倭姫命(やまとひめ)は、天照大神(アマテラス)を祀る神宮を建てるための土地を探して畿内・東海地方を旅しており、最後に立ち寄った伊勢の地で大田命から導きを受け、土地を献上された。だから伊勢に神宮(
伊勢神宮)が誕生し、だから猿田彦神社と伊勢神宮内宮がご近所さんなのである。第11代天皇の垂仁天皇、倭姫はともに実在性に疑義が差し挟まれているものの、こうした"神話"が形成された背景に「伊勢の豪族から土地の寄進をうけ、伊勢神宮を創建することができた」ことがあるのは、よほど穿った見方をしない限り事実と推定される。宇治土公氏が伊勢神宮に神官として携わっていたこともそれを裏付けているだろう。だとすれば、大田命はかつて実在した人物(あるいは血族集団)が神格化したものである可能性も高い。むしろ大田命が伊勢神宮の創建をみちびき、貢献したことが評価されて、後年記紀神話が形成される中で(大田命の祖神である)猿田彦が「天孫降臨の立役者」として大抜擢された可能性すら説として挙げられている。すなわち、今日猿田彦が「みちびきの神」として名声を高めているのは、大田命の働きあってのものということになる。一種の歴史加上である。
※ここ
東方projectにおいては、『東方風神録』stage4ボスとして登場する射命丸文が、岐符「天の八衢」、岐符「サルタクロス」、塞符「天孫降臨」など、猿田彦及び天孫降臨に関連する名前のスペルカードを多用する。さらには『東方緋想天』でも突風「猿田彦の先導」、竜巻「天孫降臨の道しるべ」等が登場する。射命丸文は今さら言うまでもなく妖怪であり、烏天狗(からすてんぐ)であるが、これでもかというほどに猿田彦関連のスペルカードを好む。その理由は、古来猿田彦と天狗とが結び付けられ信仰の対象となってきたことへの矜持が大いにあるのだろうと推測される。なぜ猿田彦と天狗が同一視されるようになったのか、という民俗学的課題については、目下「天狗の里」として売り出し中の静岡県春野町あたりの記事に仔細を譲るとしても、天狗の射命丸文自身は、自身が神と同一視されることに悪い気分はしていないのだろう。だから猿田彦を信仰すればあややも喜ぶよきっと。
佐瑠女(さるめ)神社
※佐瑠女神社社殿。ファンシーでかわいらしい。
伊勢猿田彦神社の境内において、伊勢猿田彦神社社殿のはす向かいに建つ神社。西暦2000年代後半、佐瑠女例大祭時に非常に出来の優れた萌えポスターを頒布していたことで、一部の偏った知識を持った人々の間ではちょっと有名な神社でもある。今もやってるんだろうか。神話「岩戸隠れ(岩屋隠れ)」等に登場する女神、アメノウズメ(『古事記』では天宇受賣命、『日本書紀』では天鈿女命)を祀る。
神話「岩戸隠れ」は、高天原で乱暴狼藉を働いた素戔嗚尊(スサノオ)に対し遺憾の極みを表明するため、天照大神(アマテラス)が天の岩戸(あめのいわと)へ立てこもってしまう事件である。太陽神であるアマテラスがストライキに入ったことで地上に朝が来なくなり、困った神々は相談してアマテラスを引きずり出す算段をめぐらせる。そこでまず、八意思兼(ヤゴコロオモイカネ。えーりん)が常世からお取り寄せした鶏=常夜の長鳴鳥(とこよのながなきどり)にいななかせ、神々に歓喜の声を挙げさせるなど、「朝最高や!アマテラスなんかいらんかったんや!」的な雰囲気を醸し出した。岩戸に立てこもったせいで外の様子が分からないアマテラスは「マジで?自分がいなくても朝ってくるの?」と興味をもった。アマテラスが食いついたのを察知したところで満を持してアメノウズメが舞台に立ち、上も下も丸出しで踊るというR18指定待ったなし(古事記)の歓喜の舞を踊った。それを見た神々は大爆笑した。「なんぞこれ」と不思議に思ったアマテラスは、ちょっとだけ岩戸を開けてチラ見しようとした。そこで、待ち構えていたアメノタヂカラオ(『古事記』では天手力男神、『日本書紀』では天手力雄神)がアマテラスの手をつかんでひきずり出した。こうして世界に光が戻り、闇に乗じてイキっていた邪神・妖怪のたぐいもなりをひそめることになった。あとスサノオは謝罪と賠償を要求され、爪をはがされ髭を切られて追放された。
神話「岩戸隠れ」ではアマテラスの悋気を鎮めるという非常においしい役回りに、ここぞとばかりに古代豪族の祖神らが参与しているが、大方は場を盛り上げた程度のモブである。真に活躍したと言えるのはアメノウズメ、あとえーりんとアメノタヂカラオくらいだろう。こうして「一芸で世界を救った」アメノウズメは、いつしか芸事の守り神と見なされるようになり、「音楽・講談・演劇・漫才その他諸々の芸事が上達する程度のご利益」がある神さまとして広く信奉を集めるようになった。仏教で言う所の弁天様に近い。
またその後、アメノウズメは
神話「天孫降臨」にも登場し、持ち前のメンタルの強さをいかんなく発揮する。ニニギの使者として猿田彦の前に立ち、上は丸出し下はへそまで見せるという謎スタイルで威圧しつつ、猿田彦と交渉し、猿田彦が天孫らの味方であることを明らかにする(日本書紀)。
なぜそうも脱ぎたがるのか。このエピソードから、アメノウズメは「えーりんとか名だたる神がいる中で使者に抜擢され、アマツカミ(天孫一派)とクニツカミ(猿田彦)の仲を取りもったすごい神さまだ。」と崇められ、芸事の上達に加え「
縁を結ぶ程度のご利益」があるとも信じられるようになった。神の声を聞き届けたというので、
巫女の元祖だという説も唱えられている(と言っても、
巫女の元祖候補者はやたら沢山いる)。アメノウズメの仲介でニニギの味方となった猿田彦は献身的な働きを見せ、ニニギを大いに満足させる。そこでニニギは、アメノウズメに猿田彦の名を負うよう命ずる。これは猿田彦に仕える巫女になるよう命じたとか神妻になるよう命じたとかいう意味で解釈されることもある。そのため、猿田彦とアメノウズメを一緒に祀るスタイルの神社は非常にポピュラーになっている。
東方projectにおいては、猿女君(さるめのきみ)の一族の末裔である稗田阿求が登場する。猿女君の一族はアメノウズメの子孫であると『日本書紀』にも書いてある。よってアメノウズメは稗田阿求の遠い遠いご先祖様ということになる。神話の世界で文字通り裸一貫、体を張って神々を魅了するアメノウズメと、超人的な記憶力で現世でも地獄でも文人、文官としての才をいかんなく発揮する阿求では活躍のフィールドがずいぶんと異なっているようにも見えるが、アメノウズメの血をひくであろう稗田阿求さんの今後の成長にも期待したいところである(ゲス顔)。
※アメノウズメ(想像図。伊勢市「二見興玉神社」横の天岩戸前)。そのバストは実際豊満であった。
最終更新:2016年02月10日 10:19