途中


関係あるとみられるもの

西行寺幽々子 幽曲「リポジトリ・オブ・ヒロカワ」(=弘川の墓)

住所

〒585-0022  大阪府南河内郡河南町弘川43 (近鉄長野線「富田林駅」より金剛バスに乗り換え「河内」バス停下車 徒歩3分)

弘川寺

役小角(えん のづか)が開いた真言宗の寺院で、行基や空海といった有名な僧もここで修行したとされている。

1190年、西行法師は自分の歌の通りに弘川寺で2/16日(旧暦)の満月の日に亡くなったとされている。
東方projectでは西行寺幽々子の父親の「歌人」は桜をこよなく愛しており、死ぬときは立派な桜の木の下で死にたいと考え、その望みどおりに立派な桜の下で生涯を終え、彼を慕っていた多くの者がそれに続くようにその桜の下で死のうとしたという設定になっている。
実際に西行法師に続いた人は居なかったようだが、彼の行動は当時の歌人を関心させたとか。


山門から入り正面に本堂が見えるが、西行堂や西行墳・似雲墳は右手の階段から、ご朱印やお守りを頂きたい場合は左手の階段からどうぞ。

右手の階段から登り西行堂(と書かれた建物)を超えて更に登ると西行墳や似雲墳、歌碑がある広場に着く。
こんもりとした小さな丘になっているのが西行墳つまり西行の墓、スペカ:幽曲「リポジトリ・オブ・ヒロカワ」の元ネタである。
墓と言っても古墳に近い。

石で囲まれているのが似雲墳である。
似雲とは西行法師の縁の地を巡っていた江戸時代の僧侶で、西行墳を発見し一生を西行に捧げたとされている。
なんか、現代の巡礼勢を彷彿させるような人物である。


西行墳・似雲墳がある広場に西行桜山周遊路に進める入り口がある。
周遊路は約500m程で一周できるようになっており、似雲法師が植えたとされている無数の桜が残っている。
宴会のできるような場所ではないが、人ごみを離れて静かに桜を楽しめる隠れた名スポットである。(画像ではまだ咲いてないけど)
ただし、舐めて登ると痛い目にあう。(少なくとも編集者は痛い目あいました)
起伏はなかなか厳しいし、途中で道合ってるか不安になるぐらいには長い。
また、一歩踏み外すと崖になっており、冗談抜きでそこに一個「リポジトリ」が増えてしまう。
くれぐれもご注意を。
ちなみに山中には西行庵址・似雲庵址の看板がある。彼らの気分になって自然を楽しむのもいいだろう。
桜の名所であるが、秋の紅葉も綺麗だという話は聞く。


左手の階段を下りた先の門入ると受付がある。こちらで、ご朱印やお守りが頂けたり、庭園や西行記念館に入ることができる。
庭園は枯山水でとてもとても素晴らしい。日本庭園は詳しくないので説明できないが、一見の価値はあるとは思う。
西行記念館は西行に関する資料が展示されている。開館期間は4月1日~5月10日、10月10日~11月20日なんで、注意が必要。

交通アクセスについて

非常にアクセスが悪いので特筆させていただきたい。
地図上では比較的近くに叡福寺=聖徳太子の墓があるので、そちらにも同時に行きたいという方が居ると思う。
はっきり言って辛かったです。(白目)
1.タクシー
楽かと。ただし、コストが酷いことになるのでご注意を。
2.バス
一番無難だが、「河内」へ行き返り共に1-2時間に一本なので一回逃すと色々キツイ。
また、叡福寺方面へ直接行くバスが無く、一旦富田林に戻ることになる。
ちなみに、弘川寺の比較的近くに「河内小学校前」というバス停があり、そちらも利用できる。
3.自転車
富田林にレンタサイクルがあるので、そちらでどうぞ。ただし、日祝祭日は休み。
自転車での道は楽では無いが、普通に可能なレベル。
4.徒歩
キツイ。あえて選ぶ人も居ないと思うけど。
弘川寺と叡福寺を直線で目指すと2-3時間かかるらしい。(現地の方談)
5.車
レンタカー借りれる人ならなんの問題も無い。

ちなみに私は富田林駅→バス→弘川寺→バス→河南町役場前→歩き→叡福寺→歩き(バス逃した)→喜志駅でした。
叡福寺は行けましたが、四天王寺は時間切れでした。

タグ:

西行寺幽々子
+ タグ編集
  • タグ:
  • 西行寺幽々子
最終更新:2015年04月03日 15:55