関係あるとみられるもの
橙(東方妖々夢)
住所
白見山山頂 岩手県宮古市小国(登山口までJR釜石線「遠野駅」より徒歩4時間。レンタルサイクルで2時間。車でなければ到達はかなり困難。)
白見山
岩手県大槌町、宮古市(旧川井村)及び遠野市に跨る山。標高1,173メートル。
遠野市と大槌町との行政上の境界にあり、見方によっては
遠野郷の東端の一角と言えるかもしれない。
登山方法としては、
遠野郷の琴畑集落方面から直登する方法と、隣在する長者森から縦走する方法などがある。ここでは一例として琴畑集落からの直登方法を記載する。
遠野駅から出発した場合、国道340号線へ入り北北東へ10キロほど進むと「一ノ渡バス停」があり、右に分岐する道がある。この道を5キロほど進むと、
遠野物語中でもよく登場する
琴畑集落が出現する。集落にかかる橋を渡り奥へ進むと途中から道が細くなり、舗装が切れて砂利道になる。
さらに7キロほど進むと樺坂峠に到着し、そこから北に進むと広岐峠登山口にたどりつく。登山口まで車で侵入することは可能だと思うが、保障はしかねる。
道中はほぼ道をまっすぐ走っていけば大丈夫だが、その途中にはあたかもトラップのように脇道の林道へそれる分岐が多く存在している。
これらの道を迂闊に進んでいくと、後戻りができなくなるほど道幅が細くなっていく。無理をするとバックで何百メートルも戻ったりするハメになることにもある。
なお長者森から白見山へ縦走する場合は土坂峠にハイキング客用の大きな駐車場があり、こちらの方が遥かに簡単に登山道に取りつくことができる。
ただし長者森から白見への縦走が非常に藪っぽく、足元の見づらい尾根を歩かなくてはならない。あと熊さんのウ●チが散見されて怖かった。
いずれのルートをとるにしても、登山道を見失いやすい山であった。慣れていない方、特に単独での侵入は断じてお勧めできない。
※長者森と白見山の位置関係
山としての白見山に際立った特徴は無いが、こんもりと丸っこい稜線を持ち、穏やかな印象を与えられる。山頂はたいへん広々としている。
全山を通して非常に藪っぽいが、所々に樹齢何百年ものブナ、ミズナラ、カエデ、ダケカンバ、シナ、アオダモなどの古木が原生林のまま残っている。
春は藪の合間にスミレやコキンバイ、ユキザサ、エンレイソウ、エゾアズマギク、エゾタンポポ、キンポウゲなどが咲き、秋は広葉樹の森が真っ赤に燃える。
展望に恵まれず、早池峰山や岩手山の姿も木々の間から垣間見える程度だが、遠野盆地を俯瞰(ふかん)できる場所がいくつか存在する。
白見山頂の東側に「見真大師」と「南無阿弥陀仏」と書かれたの石塔が立っているが、近年になってこれが二十六夜信仰の名残であることがわかった。
二十六夜信仰とは、下弦の三日月をお月見するイベントのことである。今でこそ、中秋の名月(満月)をお月見する「十五夜」だけが広く認知されているが、
かつては「二十六夜(旧暦の7月23日)」「十五夜(旧暦の8月15日)」「十三夜(旧暦の9月13日)」という三つのお月見イベントが存在していた。
「二十六夜」は特に月の出が遅いため「二十六夜待ち」とも言われる。二十六夜の下弦の月には阿弥陀(あみだ)、観音(かんのん)、勢至(せいし)の三尊が宿るとされ、
熱心な信徒たちは真夜中まで月を待ち、拝む…という口実で深夜まで飲み食いし堂々と夜更かしを楽しむ納涼イベントだったと考えられている。
なんとも幻想郷の住民が好きそうなイベントである。
太陰暦が使用されていたころ、すなわち明治以前の日本では、月の運行は現在より遥かに大きな意味を持ち、人々の暮らしに寄り添っていた。
白見の石塔は、そんなかつての情緒あふれる生活風景の名残と言えるかもしれない。
だが、いつしか二十三夜信仰が風化したのとともに、白見の山自体も人々の記憶からも消え、誰も好き好んで入るような山ではなくなった。藪っぽいし。
今では二十三夜信仰の名残をしのぶ人々、懐かしき里山の風景やコノハズクの鳴き声を求めて訪れる人々を静かに受け入れている。
マヨヒガ
小国の三浦某といふは村一の金持なり。今より二、三代目の主人、まだ家は貧しくして、妻は少しく魯鈍なりき。
この妻ある日門の前を流るる小さき川に沿ひて蕗を採りに入りしに、よき物少なければしだいに谷奥深く登りたり。
さてふと見れば立派なる黒き門の家あり。いぶかしけれど門の中に入りて見るに、大なる庭にて紅白の花一面に咲き鷄多く遊べり。
その庭を裏の方へ廻れば、牛小屋ありて牛多くをり、馬舎ありて馬多くをれども、いつかうに人は居らず。
つひに玄関より上がりたるに、その次の間には朱と黒との膳椀あまた取出したり。奥の座敷には火鉢ありて鉄瓶の湯のたぎれるを見たり。
されども終に人影はなければ、もしや山男の家では無いかと急に恐ろしくなり、駆け出して家に帰りたり。
この事を人に語れども実(まこと)と思う者もなかりしが、またある日我家のカドに出でて物を洗ひてありしに、川上より赤き椀一つ流れて来たり。
あまり美しければ拾ひ上げたれど、これを食器に用ゐたらば汚しと人に叱られんかと思ひ、ケセネギツの中に起きてケセネを量る器と為したり。
しかるにこの器にて量り始めてより、いつまで経ちてもケセネ尽きず。家の者もこれを怪しみて女に問ひたるとき、始めて川より拾ひ上げし由をば語りぬ。
この家はこれより幸運に向ひ、つひに今の三浦家と成れり。遠野にては山中の不思議なる家をマヨヒガといふ。
マヨヒガに行き当たりたる者は、必ず其家の内の什器家畜何にてもあれ持ち出でて来べきものなり。
その人に授けんが為にかかる家をば見するなり。女が無慾にて何物をも盗み来ざりしがゆゑに、この椀自ら流れて来たりしなるべしといへり。
超訳
小国村の三浦さんは、村一番の金持ちである。今より二、三代前の主人の頃はまだ家は貧しく、嫁は少しアホだった。
この嫁がある日、門の前を流れる小川にそって薪を集めていたが、なかなかいい枝が無いので次第に山奥へと入って行ってしまった。
嫁がふと顔を上げると、目の前には黒い門の家があった。「なんぞこれ」と思いつつ門の中に入ると、一面に紅白の花が咲き、裏庭には家畜が沢山つないであった。
ところがこの家、いっこうに人の気配がない。嫁はとうとう玄関から中に上がりこむ。部屋には紅や黒の膳椀が取り出されており、座敷では湯が沸かされている。
それでも人影はなく、「もしや山男(妖怪)の家では」と思った嫁は急に恐ろしくなり、逃げ帰って来た。
嫁はこのことを周りに話したが、誰も信じなかった。そんなある日、嫁が自宅前の小川で物を洗っていると、川上から赤いお椀が流れて来た。
大変綺麗なこの椀を、嫁は喜んで拾った。しかし、食器として使えば後で持ち主に返す時に「汚した」と叱られると思い、穀物を櫃(ひつ)から取り出すための器とした。
この器を使い始めると、櫃から穀物が絶えることが無くなった。怪しんだ家族が嫁を詰問すると、嫁はお椀のことを白状した。以後三浦家は栄え、金持ちになった。
遠野では、山中に突如出没する謎の家を「マヨヒガ」という。マヨヒガにたどり着いた者は、その家の中にある物、家畜、何でもいいから持って帰ってくるべきだ。
マヨヒガは、その家にある物を訪れた者に与えるために出現する。嫁が無欲で何も盗まず帰ってしまったので、仕方なく椀が自分で流れて嫁の元へやってきたのである。
『遠野物語』第六十三段より
金沢村は白望の麓、上閉伊郡の内にてもこと山奥にて、人の往来する者少なし。
六、七年前この村より栃内村内の山崎※なる某かが家に娘の婿を取りたり。この婿実家に行かんとして山路に迷ひ、またこのマヨヒガに行き当たりぬ。
家の有様、牛馬鶏の多きこと、花の紅白に咲きたりしことなど、すべて前の話の通りなり。同じく玄関に入りしに、膳椀を取り出したる室あり。
座敷に鉄瓶の湯たぎりて、今まさに茶を煮んとするところのやうはだんだん恐ろしくなり、引き返してつひに小国の村里に出でたり。
小国にてはこの話を聞きて実とする者もなかりしが、山崎の方にては、そはマヨヒガなるべし、行きて膳椀の類を持ち来たり長者にならんとて、
婿殿を先に立てて人あまたこれを求めて山の奥に入り、ここに門ありきといふ処に来たれども、眼にかかるものもなくむなしく帰り来たりぬ。
その婿もよりついひに金持ちになりたりといふことを聞かず。
超訳
岩手県上閉郡金沢村(現大槌町金沢村)は白望(白見山)のふもとにある。超山奥なので、人の往来も少ない。
6、7年前に金沢村から栃内村(現遠野市)の山崎家に婿養子がやってきた。ある時この婿養子は、金沢村の実家に帰ろうとして道に迷い、マヨヒガに行きついた。
家の様相は、家畜が沢山つないである、紅白の花が咲いている、膳椀が取り出されている部屋があるなど、ほとんど前の話(第六十三段)のとおりだった。
同じく座敷ではお湯が沸いて、今にも茶の湯を立てる所のようだったが、とうとう気味が悪くなって引き換えし小国の村里へ出た。
婿殿がこの話を小国でしたところ、誰も信じなかった。しかし、山崎家に帰って同様の話をすると「そりゃマヨヒガだべ!椀を持ち帰って金持ちになるべ!」
ということで、婿殿を先頭に遠征隊が結成された。しかし婿殿の案内で「ここに門があった」という場所までやってきたが、何もなかったので空しく帰って来た。
以後、婿殿らが金持ちになったなんていう話は聞いてない。
『遠野物語』第六十四段より
※ 『新版 遠野物語付・遠野物語拾遺』(角川ソフィア文庫)では「山崎」となっているが、wikipediaによると原本は「松崎」となっているらしい。
また、1997年発行の『常民大学』(遠野等の民俗研究誌)によると、「川久保」氏である。
上述の引用のとおり、まず
マヨヒガとは、特定の建物を指すわけではない。山中に突如現れ、あるいは二度とたどりつけない幻の家の事を「マヨヒガ」と呼ぶ。
人々が住んでいるわけでも、複数の家屋から成り立つわけでもないが、民俗学的には「隠れ里伝承」の一つに位置づけられる。
隠れ里伝承は全国各地に分布しているが、一般に西日本では非現実的・夢幻的に、東日本ではリアリティをもって描写される傾向にあると言う(柳田国男)。
中でも、
ほぼ間違いなく実在の人物である三浦さん、山崎さんの2名から全く同じような話が体験談として収集されている「マヨヒガ」は、
京丸集落や
五箇山のように本当にある僻地が理想化されたものを除けば、最も現実に近い隠れ里伝承として特筆に値すべき特徴を備えていているといえるだろう。
と、いうわけでわりといい加減にマヨヒガにまつわる2つの伝承地をマッピングしてみた。ここからマヨヒガの位置を検証してみる。
まず、遠野物語の中では「マヨヒガは白見山の山中にある」とは明言されていない。山崎さんの故郷「金沢村」が、白見のふもとだと言うのみである。
一方「遠野物語」の元となる話を柳田国男に語って聞かせた佐々木喜善の著作『聴耳草子』では「白見の山には隠れ里伝説がある」と明確に記されている。
よって、ここではまず白見山付近にマヨヒガがあると推測する。
第六十三段で、マヨヒガは山の奥深くに存在すると明記されている。第六十四段で、山崎さんは「栃内(土淵村)から金沢村に帰る途中、道に迷った」とあるが、
栃内から金沢村までの最短ルートをとった場合、「山」として左手に現れるのが白見山である。山崎さんは白見山へ迷い込んだ可能性が高い。
また、マヨヒガにたどり着き怖くなった山崎さんが「小国村へと引き返した」ともある。白見山付近で迷っていた山崎さんは、北進ないし西進をしていたのだろう。
これを地図に当てはめてみると、マヨヒガの所在として考えられる最有力候補として白見山麓を筆頭に「禿森」「長者森」らが挙げられよう。
特に、マヨヒガの所在は小国村から見た「山奥」でもある(第六十三段)ので、小国・金沢の二点が接近する長者森―白見山のライン上にマヨヒガがあった可能性が、
最も高いように思われる。
※長者森山頂を過ぎ、白見山方面へ10分ほど進んだへん
東方projectにおいては、「東方妖々夢」2ステージがマヨヒガ(迷い家)であり、その道中曲として「遠野幻想物語」が使用されている。
また、博麗霊夢が「たしか、迷い家にある物を持ち帰れば幸運になるんだっけ」と回想したことに対し2面ボスの橙が「なれるわよ」と答えていることから、
上述の遠野物語の伝承がそのまま引用されていると考えられる。
一方で、ステージ冒頭に表示される"MAYOIGA"(apparitional village) refused human always.という記述については、遠野の伝承とは内容が異なる。
これが一種のアイロニーなのか、遠野のマヨヒガと幻想郷のマヨヒガが異種のものであるという暗喩なのかについては謎が残る所だろう。
最終更新:2022年02月05日 22:33