#259私の足長おじさん
1945年、敗走を続けるオーストリア戦線のナチス軍は、戦略的には殆ど意味のないオーストリアの片田舎のインメンドルフ城に火を放った。皮肉にも、大事をとってそこに疎開していたクリムトの数々の名作は、一瞬にして灰燼に帰した。ウィーン大学講堂のための三点の天井画をはじめ十数点が失われた。
ちなみにクリムトと共に文部省から注文を受けたフランツ・マッチュの伝統主義的な独創性に乏しい「神学」および天井の中心を飾るはずであった「闇に対する光の勝利」が戦中戦後の混乱に関わらず無事残っている。
ちなみにクリムトと共に文部省から注文を受けたフランツ・マッチュの伝統主義的な独創性に乏しい「神学」および天井の中心を飾るはずであった「闇に対する光の勝利」が戦中戦後の混乱に関わらず無事残っている。

哲学(1899~1907)
左側の人物群は生命のはじまり、結実、崩壊を表している。
右側は地球の神秘を表している。
地球上には知識の光が出現している。
絵の元々のテーマは「闇に打ち勝つ光」で依頼されたが
クリムトは夢幻の人類のミサを代わりに提示した。
楽天主義も合理主義も帰結しない粘性の空間であることがラフスケッチから伺える。
左側の人物群は生命のはじまり、結実、崩壊を表している。
右側は地球の神秘を表している。
地球上には知識の光が出現している。
絵の元々のテーマは「闇に打ち勝つ光」で依頼されたが
クリムトは夢幻の人類のミサを代わりに提示した。
楽天主義も合理主義も帰結しない粘性の空間であることがラフスケッチから伺える。

哲学のラフスケッチ

医学(1900~1907)
中央前方にヒユギエイアが蛇を持って立ち、その背後には文字通り“病的”な男女が宙を漂い、その中には死を象徴する頭蓋骨も見える。
医学の力と言うより世紀末のデカダンな時代を映すかのような描写である。
医学の力と言うより世紀末のデカダンな時代を映すかのような描写である。

法学(1903~1907)
画面前方で裸でうつむき、観念し、改悟するかのような罪人を絡め取る巨大な、グロテスクなタコ。
その周りには3人の裸女が立つ。大胆とも唐突ともいえるイメージの連鎖であるが、これらと“法学”という概念との関連は必ずしも明らかでない。
本来の主役ともいうべき擬人化された“真実”“正義”“法”は画面上方に小さく見える。
その周りには3人の裸女が立つ。大胆とも唐突ともいえるイメージの連鎖であるが、これらと“法学”という概念との関連は必ずしも明らかでない。
本来の主役ともいうべき擬人化された“真実”“正義”“法”は画面上方に小さく見える。

現存する唯一のカラー写真
医学(一部)
医学(一部)
「医学」の前景に立つギリシア神話の医学の神の娘ヒユギエイア(“健康”を意味する)
蛇は脱皮=若返りを繰り返すことから医学の神の聖なる動物とされる。
蛇は脱皮=若返りを繰り返すことから医学の神の聖なる動物とされる。