知っていること
彼はかく言った。
「知っていることなどあるのかい」
私はこう答える。
「あるといいたいがどうだろうな」
ただそれだけである。
「例えば、携帯電話。例えばテレビ。電波塔。インターネット。携帯でない電話全般。要は電磁波。それらが及ぼす影響は把握されてるのかな?」
知る限りではない。というかもっと長期で見てみないといけないだろう。むしろ、その期間中に耐性が付くかもしれない。
「それに、添加物。除草剤。防虫剤に塗料。相乗効果は分かっているのかい?」
範囲がめちゃくちゃだが、組み合わせで考えても、無数にあるし、複雑すぎる。簡単に調べられるものではないと思う。
「知っていることなどあるのかい。全ては仮初のことのようにも思えないかな。いや、分かっているのかもしれない。分かっていないのかもしれない。真偽なんてのは問題にしていないし、少なくとも私には計り知れない。ただとにかく、それで説明できるのは確かだろうかもしれない。しかし、それが正しいかは分からない。推論的にしか分かることは無い」
いや、違うんではないかな。把握されていることはあるはずだ。絶対は存在しないこともある。経験則でもいいし、試行でもいい。それが正しいと思われることはある。
「そうだな。だからさ。かもしれないで君の基準は止まっている。どれにしても同じではないかな。それが正しいことはわかり得ない」
君と私ともわかり得ないようだ。
「そうかね」
平行線。しかし、彼の理論でいくなら、私の考えでもそうではあるが、その基準は成立し得ない。
恒久的に答えの出ない話。それがこの不毛な会話かもしれない。
だが、意味が無いわけではないのかもしれない。
しかしながら、意味とは何であろうか。
またその上で、意味は存在するのか。
それは知っているといえるのだろうか。
「でも、決まらないということは、知っていると確定して言えることは無いのじゃないかな」
いや、ではこう考えるのはどうか。その知識が君の言うように正しいではない知識であっても、それは間違った偽の知識を知っているともいえる。つまり、何らかは知られている。
我ながら強引であまりよくないとは思うが、言ってみた。
すると彼は。
「間違っているならば、説明できない部分があるのではないかな。とすれば不完全。知られていない箇所が出来る」
つまり知識でなく推論でしかないと。
「そうさ」
しかし、推論がであっても体系的にでも記述されえるならそれは知識として扱えるのでは?
「しかし、知ってはいない、理解ではない」
やっぱり先に知るとは何か共通の見解を作っておくべきだったな。
「確かに」
ここでこの日は終わった。お互いに他の用事があったからだ。
それに考える時間が必要だ、という結論になったからでもある。
時間をかけすぎてもいけないが、飛躍のみでもうまくいかない。
そんなところか。
だいたいそれで彼との話は終わりになった。
今日のところは。
最終更新:2010年05月16日 15:47