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白い人との会話

理由

それはしっかりとした目に見えるものではない。あるいは藁かも知れない。
しかしながら、その藁は生きていくうえで必要なのだ。
そして、藁ではないとも言える。見えずとも感じられるものは多い。

「生きる理由ってなんですかって聞かれて答えられるかい」
何か聞かれたのか。誰かに。
「いや、そうでもないけど」
理由か。難儀だ。
「でもやっぱり最後は宗教的なのかな」
どうしてさ?
「宗教と道徳が無くなれば、だって、死んでも問題が無いわけじゃないか、極端に言って。誰にも迷惑をかけないことはできないし、やるべきでもないけれど、もし仮に人生に意義を見つけれら無くなったらさ、
そうの不意とはそう思うのかな、と」
確かに、現実に何かを見出せず、信じるものも無ければそうかもな。何も無ければ。
「やっぱり、必要なのかな。でも多くの人が介入するとおかしくなるよね。人の群れはそうなのかな」

人の群れ、とは彼も私も使う言葉だ。人だけ別の名前で呼ぶのはおかしいと考えるからである。

そうかもな。全てがそうとは言わないが、多すぎれば、届かないし、多様性が悪い方向へ向かってしまうこともある。
「でもだとしたら、なんで増えなきゃいけないんだろう。死にたくはないけど、一つだけこんなに増やす必要はあったのかな」

もしも、塵のように一つだけが増えれば、均衡は崩れ去ってしまう。そう思う。
それだけが、という状態は果たしてうまくいくのだろうか。


悪用

そしてもうひとつ話題を変えて話をした。

「でも、法律は示されるべきだと思う?」
いや、人の方なら示されないと、それは単に不公平なだけだ。
「じゃあ人の上の存在ならやっぱり示されないべきかな」
というと?
「だって、変な解釈をしたり、捻じ曲げて付け足すから。それに、一度示されると必ず妙な解釈をして抜け道を見つけるでしょ」
後ろのは人の方だな。しかしながら、前のほうはそう思うよ。やはり、個々人に、というか、やはり大多数に、というのはよくない気がするよ。
「でもかといってどうするべきとか、どうされたい、とは考えが及ばないよね。どんなのが良いだろう。わからないなぁ、やっぱり」
それに言葉にすべきでもないか。

定形の石ならいいのかもしれない。それは複製されない。複製されうるものならば、改変されうる。
やはり、表にして形に出すのではなく、このようなものは、心で行われるべきだろうか。そう思う。

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最終更新:2010年05月24日 21:26
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