秤
彼と会ったので話をしてきた。
時々面白いことを言う彼に。
「君は、指標が無いと言ったね」
ああ、部分的に。
「しかし、こういうのはないか」
どんな?
「どれが悪いかという基準は存在するんだよ。誰にも。もちろん、何が良いっていう価値基準も存在しないことはないよ。でもそれは示されなければわからないのさ」
つまり?
「そうだな、たとえば服装。あれはよくない、とか、そうだな、時代遅れ、とかいうだろう。それなのに、自分がどれを着ればいいのか分からない。そういうことさ。もし確固たる基準が存在するならば、自分がどれをきれば良いかなんてのはすぐ分かる。でも分からない。他人の批評はいくらでもできるのに」
なるほどな。
「物差しもそうだろう。測るものが無ければ、使えない。そして多くの場合、人の物差しは自分には使えないのさ」
確かに。
「でも、今さっき言った通り、良いことの基準も無いわけじゃない。誰が見ても、というのはあるみたいだから。まあ、それも範囲を広げてしまえば無いんだけどね、きっと。でもいずれにしても、絶対はありえない」
もっと彼の例えは良いものだったと気がするが、私が書くとこうなってしまうらしい。
これより例えも私が思う限りではうまかったのだが、忘れてしまった。
やはり指標は無いのだろうか。いや、無いと言い切れるわけでもない。
まあ、あるとは言い切れないし、無いわけでもなく、可変的に存在している、というのが良いだろうか。
さあどうなのだろう。
最終更新:2010年05月26日 22:57