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無欲

欲求

強欲は良くない。得られることには限りがあることもあるからだ。
いやしかし、何も欲が無ければどうなのだろう。

「無欲ってどうだろう」
一般的に言えば-私の思い描く一般の範囲で言うならば-悪くは無いな、それよりもむしろいいとされる。
「じゃあ、全ての欲が無いというのはどうかな?」
全ての欲というのは?
「食欲や睡眠欲も含む全てさ。いや、今はあくまでも机の上での話だよ」
ありえるとしたら、それは、どうなんだろうな。いたとして、それは生きているのだろうか。
「生物としては生きているんじゃないかな、しかし、意義的にそれはそうといえるのか」
少なくとも、今日言われる人間とは概念が違うようだな。
「確かに、しかし、我々の原動力は欲だろうか?」

そう、生存の欲求さえも無ければ。
しかし、それは分からないだろう。
おそらくは、体験したくもなく、できもしない事だろうが。

「得られないものは望まなければ、良いと言えるか?」
どうかな。得られなくとも、次がそれを得られる土台にはなる可能性があるから、その個体として得られずとも選ぶべきでは?
「全体か。しかし、個体としての生涯を豊かにしたい場合はどちらがいい?」
先を見れば、もちろん行うべきだろうな。しかし、それ自身からすれば、分からない。
「絶え間ない連続の先には、何かがあるらしい。しかし、君も私もそれを知らない。だが、得られるものは大きいらしい」
それはそうだろう。その境地は、途中で終われば到達できない所にあるが、それはすばらしい。
「だがしかし、もちろん投げ出す場合もあるし、そもそもやろうとしない場合がある」
それに、それに対する興味がない場合がある。良くないものと、どちらでもないと判断されたものは、他の選択肢がある場合、選ばれない。

積み重ねも山となりうる。
というより、それは、史であろうか。

「しかし、望まなければ、失望も落胆も、覚えない。それに縛られることも、捕らわれることもない」
あの、仕方がない、ではなくてか。
「それも強力ではあるよ。しかし、それはあくまでも納得。飛びつきやすく、安心できるかもしれないが、後悔や未練が残る。また何の解決をしようともしない、だらけた論だ」
言う通り。確かに、運命論は根強い、楽だからだ。考えることを放棄して、もう解決できない、そうなる事になっていたんだから、抗いようがない、と思い込み、納得し、諦める。実に簡単でそして楽で理解しやすい。これが広まるのは容易いだろうな。しかし、根本的な解決ではない。
「そうなんだよ。あるかも分からないような、そんな解決法ばかりではないのに、全く少しも考えない、安直な怠け者の論、もしくは、あれにしがみついて他人に信じ込ませる論。でもそうではなくて、全く、無かったら」
確かに、それを追い求めることも無ければ、それを巡って争うこともない。手に入らない事を嘆くことすらなく、故に妬みもしない。
「欲が無ければいいんだけれど」
それはしかし、進まないな。
「それは欠陥だけど、しかしね、全く制限が無いというのはそういうことじゃないのかな」
全くか。

しかし、全く全ての欲がなければ、生き物は動くだろうか。
それとも、生きないだろうか。
分からない。
理解したくもないわけではないが、少なくとも身をもって、ではない方がいいように思う。
生存の要件すら欲しなければ、成り立たないように思うのだが。
それとも、成り立つのだろうか。
果たして、どうだろう。


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最終更新:2010年06月04日 23:06
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