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気楽な話

いくつか

彼を見かけたので、声をかけて話をした。
たまには、こういう会話もいいだろう。

「なんかつかれるよな、もう年かなあ」
そうでもないだろ。君の場合は。いや、君の歳は正確には知らないが。
「いやでもやっぱり、30ってのは一つの線だな」
もうそんなになるのか。見えないな。若く見えるが。
「若く見られるって、そりゃ、健康的な意味で若く見えるのはいいけど、不相応に幼く見えるのはどうかと思うんだけど」
いや、肯定的な意味合いだが。
「それならありがたいね」

やはり、生きれるだけの最後まで生きるというのは、よろしくないのかもしれない。場合によるだろうし、余り多くない数がそうならば問題はないのかもしれないが。
期間における設計としては、そんなに生きるようにはつくられていない気がする。

「金だよなあ」
どうしてさ。
「だって、俺たちの多くは、生きるために、つまり今の仕組み上、金のために、大半を費やしてるんだぜ」
でも、金のためではなくて、その行いたい目的のための手段として集めるんだろ。だったら、金のためとは言い切れない、かもしれない。
「でも、なきゃ、何もできない。自給自足してもいいけど、それは体力的にも難しい」
それはそうだ。一人でやるなら、腰を痛めたら終わりだしな。

全てが金、というのはさびしい気もするが、仕組みはそうなってしまっているのだろうか。
しかしながら下手をすれば、信用できない他人より金のほうが信じられる、ということすら言われる。
でもそれは、どうなのか。
非零和を零和にしてどうしたいのだろう。それとも、それが競争だろうか。

「すまない失礼、ああ、またメールか。君との話の方が重要だな」
そういってくれるとうれしいな。でも仕事はいいのかい?
「私事です」
ああそれは失礼。
「いや、人と話すときはなるべく見たくないんだけどさ。失礼だろうし。でも首になるのも嫌なんだよな。ちょっと最近一つ見逃してな」
大変だな。いいのかい?
「いいんだよ。むしろすまない。というか、俺は、話し相手が、『ちょっと失礼』とか気軽に言って、出て行って、蔑ろにされるのは嫌なんだよ」
されて嫌なことは、相手にもできるだけしない。君らしい。そしてすばらしい。
「そんなにほめるなよ。舞い上がっちまう」
またまたご冗談を。
「俺は単純なんだ」

最後はふざけた会話だが、礼儀として、というのは、やはり、大切な気がする。
やはり、なんだかわからない内容を、目の前で話されているか書かれているというのは、好まれない傾向があるように思われる。
というより、例えれば、話している最中に見知らぬ他人が見えないように入ってきて、いきなりそちらを優先する、と宣告されれば、誰でも不愉快ではないだろうか。

「でもどうなんろう。若者っていると思うか」
集団的若者は知らない。年齢的若者は存在しなければ、人類はたぶん、絶える。
「じゃあ、大人は?」
然り。でも絶えないかもな。
「じゃあ高齢者」
同じく。原初か?
「やっぱ、集団があるんじゃなくて、個人があるんだよな」
そういっているが。
「なんか、最近の若者に分類されてて嫌なんだ。まあ俺も分類していないとはいえないけど、できるだけ避けてるつもりだ。それでなんか釈然としないんだよ」
確かに『はたから見れば同じ』論は好きではないが、それがまかり通っているからな。まあでも変えられなくはないのかもしれないぜ。身の回りなら。
「そんなところぐらいだろうなあ、及ぶのなんて」
そういうなよ。

まとめて扱うのは楽かもしれない。しかし、それは危険でもあるし、隔絶の種にもなる。

さて、そんな会話をして、その日は、終わりにした。たまには、ばらばらと、やるのも、悪くはない。
それにしても、いくつかについては、気になるところがある。また機会があれば、話すだろうか。

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最終更新:2010年06月19日 09:03
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