アットウィキロゴ

安心

安らぎ

たまには、この前小説に載っているような話題で話をしようかと思う。
今回は伊坂氏のあれだった。

「全体主義についてどう思う」
なったら困る。
「君の考えているのは、ただ単に軍国主義だろう。私が言いたいのは、それと少し指すものが違う」
でしょうね。んで?
「指導者が居て、体制がしっかりしていて、統制もある。でも、粛清はしない。こんなのだったらどうだ」
無理だろうが、理想だね。指導力を持とうとすれば、後半の部分は、歴史上、成り立たない。
「確かに、そうだな。でも君はこう思わないかい。目標も生きがいもよき友人も財産も、何も無い、保証されない自由よりは、制限はあっても、目標も生きがいも、少しの娯楽も含めて生きてゆくのに必要な財産も保障された統制の方がいいと。同士だって居る。ところが今はどうだ?天下一と謳われた資本主義すらもうまいってはいない」
私もそう思う。しかし、私は、一定期間毎の、社会主義に近い福祉体制と公共のもの以外の資本主義の入れ替えの方がよいと思う。どちらかだけでは行きすぎじゃないのかい?
「違うな。為るべくしてなった指導者さえ居ればいい。君は思わないのか?与えられる方が楽だと。目的を与えられ、住居を与えられ、同士を与えられ、その上、全てを片付け、準備し、導いてくれる。君は何もしなくてとも、全てを得られる。財産の不自由も、疎外感も、人生の不安もない。強大な力があって、庇護下に居れば、漠然とした不安も恐怖も、存在しない。だからこそ、人はファシズムを求めるんだ」
しかし、挑戦者は育たない。人類は進まない。自由が無ければ、発見も発明も発展も無い。いずれ、綻び、決壊し、破綻する。
「それすら問題ではない。克服も出来る。全てをまわすことが出来るのだから、技術的発展も可能だ。統制があれど、出来ないわけではない」
違うな。そんな環境では、熱意は、情熱は、そしてそれを持った人間は動けない。何かが欠けていては進まないのさ。おそらくマヤあたりが滅びた原因はそこにある。
「本当にそう思うか?…」

しばらく、話していた。決着は、付かなかった。
正しいかは分からない。存在するかさえも。

「『指導者の支配者』ってのは面白い言い回しだよな」
ああそうだな。

最後にそんな事を言って、別れた。


タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2010年03月24日 08:43
ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。